- Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751166
感想・レビュー・書評
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『人生は、喜劇だ。』
だれの言葉だったかな、覚えてはいないがよくたとえられる言葉である。
この言葉を実際のものと照らし合わせてみると人生というものはけして喜劇ではない。
むしろ人生なんて言うのは悲劇が多い。
だからこそ、こんな言葉が言われるのだろ。
「人生を喜劇のように楽しいものに。」と
「鼻」と言えば多くの日本人は芥川の方の「鼻」を思い出すだろう。
私もそうだが、だからこそ古本屋で並んでいると目に付くゴーゴリの「鼻」。
どんなものかと想像はしていたが、まさかシリアスなサスペンスやうっとりするような恋愛ものではないだろうと高は括っていた。
ご期待通り、いや、それ以上。
パンの中から鼻が出てくるなんてなんてファンキー。
ぶっ飛んでるね。
何でパンなんだ。
ナイフで切ったら傷だらけになるし、正直指でつついても鼻は硬くないだろ。
っと突っ込みたくなる。
だがご愛敬。
なぜパンか、なぜ鼻かその経由も、裏仕掛けもなにもなし。
”鼻がそこにあったのだ。なぜそんなことを説明せにゃならん。”
とばかりに何も教えてくれない。
放置プレイ上等。
開き直りも甚だしいが、そんな愉快痛快さがこの小説のミソなのだろう。
と、
思わずにやけたのはやはり「鼻」だったけど、
「外套」の方が面白かったのかな、
アカーキエヴィッチの外套に対する思い、愛があつーく丹念に綴られていて、ナンなんだろうと考えてしまった。
こっちまで同化して思わずほろりとなってしまうようなカ−キエヴィッチの、喜び、そして悲しみ。
なにも死ななくても、なにも呪わなくても、と言いたくなるが行き着くとこまでゴーゴリは行きたい模様。
しかし役人に対する切り口の辛らつさにはなんとも、
そんなに恨みがあるのか、それとも当時の時代背景がそうだったのか、ニヒルだね。
ゴーゴリはそのままなのだ、なんて自由に書きたいだけ書いていることかと痛感した。
だから
『ただの語り口から直接的に生きた人間が発生する』
解説で読んだナバコフの言葉に思わず頷く。
あぁそうだね、
写実主義かはたまた死せる瞳を持った現実喪失者か、
正直私にはゴーゴリの思想的な狙いや願いに対しては興味がない。
そんなことはどうでもいいのだ。
桃太郎は桃から生まれる、
赤頭巾ちゃんはおしゃべりのできるオオカミに食べられ、
猿と河童と豚が天竺を目指し、
「吾輩は猫である」の主人公は言わずもがな、だ。
もう一度言う。
そんなことはどうでもいいのだ。
裏づけのない物語に怒りを感じることは確かにあるがこういう類のものは別。
痛快だ。
ここで何かを汲み取るか、考えるか。
深め解釈することが大人なのか、ありのままに受け入れることが子どもなのか、
逆のような気もするし、正しいような気もする。
どうかしら、と少し考える。
でも答えはこうなのよ、
「ただ、楽しめ。」
そうなのよね。
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有名な「査察官(検察官)」目当てに読んだんですが、最初の「鼻」で大混乱……鼻は勉強してからリベンジ
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「鼻」わけわかめな話です。
なぜ写実主義的筆致などと思われていたのか謎。
落語調の訳は◎。 -
外套のオチが未だに謎。
ペテルブルクのどんよりとした雰囲気が好き。 -
あわれなアカーキイ・アカーキエヴィチわたしたちは、外套で判断し、外套に理想を求め、外套を失い落胆する。くるむはずの自身はいずこに。
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19世紀突如ブレイクしたロシア文学は言論に制限のある社会的背景から文学以上のもの(人民を導く使命)を背負わされてしまった。それによりゴーゴリの作品も妙な裏読みをされがちになったというわけ。裏読みも楽しみの一つだけど、ナンセンスをそのまんま受け止めて楽しみたいところ。
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バカげた、くだらない、洒脱な小説。
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「〜しますってえと」とか「〜ってんで」とか「おかみさん」とか、そんなふうには作者は書いてないでしょう。
読み始めから違和感があって、特に「鼻」がひどい気がする。「査察官」は戯曲だからか、この落語調?があってるとも思えるけど、どうなんだろうか。
翻訳って、訳者はあくまでニュートラルな立ち位置にいるのが原則では?あんまり作品に介入してくると本来の良さが読むほうにとってはよく分からなくなってしまう。
結局好みの問題で僕はダメだったということです。
「鼻」が最も奇想天外です。
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「正気の沙汰とは思えない奇妙きてれつな出来事、グロテスクな人物、爆発する哄笑、瑣末な細部への執拗なこだわりと幻想的ヴィジョンのごったまぜ」(解説より)。増殖する妄想と虚言の世界を新しい感覚で訳出した、ゴーゴリの代表作「鼻」、「外套」、「査察官」の3篇。