- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334927707
作品紹介・あらすじ
しょせん小説なんてお話じゃないか。絵空事じゃないか。廃館が決まった文学館。存続のために手を尽くそうとする兄。その兄を、家業たる実業の世界に呼び戻そうとする弟。行方不明になったままの小説家と、積極的にかかわろうとしない親族。交錯し、すれちがう、いくつもの想い。どうすれば伝わるだろう。いかに素晴らしいのか。人生に不可欠か。
感想・レビュー・書評
-
いやぁ、本を乱読していながら、「何で本を読むのか?」なんて深く考えていなかった。浅はかですね。
で、この本の中で兄弟がする、その議論を読み改めて考えました。
今までは「老眼が進むと本が読めなくなるので......」なんて言ってましたが。
そんな事を考える一冊です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人はなぜ小説を読むのか?という哲学的な話に作者なりの決着を見せているのがとても好感が持てました。
主人公がなにかやってくれそうな人物像だったので、先が読めなくて面白かったです。
読んできた小説の中でも、文体がちょっと特殊な感じでした。仲良しの兄弟のやり取りとか、独特の間の描き方とか。
人はなぜ小説を読むのか?納得しきれない所もあるんだけど、出された結論は今後も思い返して考えてみたいものだと感じました。 -
ふつう、作家の死後に出版される『遺稿集』---主人公・郁太が古本屋で手に入れた、ある作家の『遺稿集』にはその作家自身のものとみられる直筆のサインがなされていた。
本物に間違いないとされるこのサインは一体…。
物語はこうして始まります。
郁太の勤める文学館は、閑散としてとうに閉館が決まっている市のお荷物施設。本作の姉妹編『おさがしの本は』同様に、閉館の決まった文学館を郁太がどうやって存続させるのか…に、この物語の主題があると思ったのですが。
文学館存続を賭けて、やり取りされる一つの疑問にこそ、本作の大きなテーマがあります。それは、『人はなぜ、小説を読むのか』。
コミック、エッセイ、ノンフィクション…ではなく、小説を読む理由を解き明かすべく、郁太は様々な議論を繰り広げます。
人はなぜ本を読むのか…ではなく、小説について論考しているところに、この物語の面白さがあります。そこには、小説の意義を小説によって真剣に考えてみる、といったある種のユーモアがはたらいているように思えるからです。
実際、本作で提示された1つの答えには、妙に納得したものです。
自分自身は普段の読書の中で、読書と孤独は切っても切れない関係であり、そこで経験する孤独は決して嫌なものではないと感じていたためでしょう。
『おさがしの本は』で活躍を見せた和久山隆彦と沙理の後日談が見られるのも、私には嬉しい計らいでした。 -
サクサクと読み進めることはできました。兄弟けんかの話、とも言えるし、文学館存続のため奮闘する嘱託職員の話、ともいえるし、行方不明の作家の話、とも言える。
-
なぜ本を読むのか。兄弟間の論争のなかで、最後の回答がとてもぐさりと来ました。
兄弟に重点をあて読んでいましたが、他の登場人物に視点を置いても、面白そうだと思います。
孤独や、情操についての内容もありました。(今、私自身が、孤独や信頼、情操や責任、について考えている途中なので、こんなに複雑な世界をよくも簡単に・・・と思ってしまいました。。)
また視点を変えて読んでみたいです。
追記、皆様のレビューを見て思いました。この本はなんとなく小説を読んでいる人に読んでほしい本だと。展開に期待している人は、盛り込まれている内容がおおく、散漫で薄い感じがするかもしれません。が、書名になっている「小説あります」の意味を考えてみてください。なぜ著者はこの題名にしたのかわかりますか?この題名にこそ、著者の思いがこもっていると思います。 -
「おさがしの本は」がワリと面白かったので、続編と云うことで読んでみたが、こっちはイマイチ。続編ではなく全く別の話。話が専門過ぎで付いていけないけど、後半はでもマシでした。ちょっと残念・・・
-
弟がいい年していちいちお兄ちゃんって言うのがなんだか受け付けなかった。
-
う~む。どう評価したらよいかわかりません。
兄弟ネタ、本ネタの2つのストーリーが展開しますが、それがうまく融合しているのかどうかも分かりませんでした。