- Amazon.co.jp ・本 (494ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396636173
感想・レビュー・書評
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もともと 牧野富太郎さんは 尊敬すべきお一人の
ことなので
おっ そして まかてさんが綴るのだ
と 読む前から その気満々でありました
牧野富太郎さんが 奇人変人であることは
言わずと知れたことですが
その 富太郎さんの 周りの人たちが
それぞれに その人ならではのエピソードとともに
見事に 描かれていることに
※とくに 前妻の猶さん そして 壽衛さん!
さすがに 朝井まかてさんだなぁ
と 思わせられました
何度か 高知の五台山の 牧野植物園に 寄せてもらいましたが 本作を 読んでから訪れると きっと
より 深く 愉しく
なお いっそう 面白味が増すことでしょうね
巻末の「参考文献」がまた
なかなか 興味深いのも 嬉しい
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植物学の父、牧野富太郎の話。
朝ドラらんまん面白かったし、と思って読んだらドラマとの違いにガッツリ殴られる。途中で一旦閉じ「私の知ってる綾ちゃん(猶さん)はいない、ドラマと現実は違う」と落ち着けてからまた読み始める。
いやまぁそりゃ、現実(小説)はこうよな。酒と家が大好きで跡を継いで酒造りをしたいと気高く美しい綾ちゃんも万太郎と家族を思い気高く自分の選択で生きて行くスエちゃんも、ドラマの中よなぁと当然のことを思う。
さて、実際の万太郎いや富太郎はどんな人物だったのか。予想以上の破天荒な人たらし、いやもう周りの人の立場になったら殴りたいとか思う時もあるんやけど、一途に草花を想う姿に絆されてしまう。くっそ人たらしめ。ここまで草花のことを想い尽くした人はおらんやろうなぁ。そして南方熊楠のことが気になる……何者だ奴は。 -
面白かった!朝ドラで牧野富太郎が扱われるのがますます楽しみになりました。
当時は体系的に日本の植物をまとめたものがなかったので、日本人の知識も限られていた、というのが新鮮でした。だから、古典の挿し絵に当時は日本にあるはずのない植物の絵を書いてしまったり…。
植物の知識というものが、多くの人の植物の採取や研究によって積み上げられてきたのだな、ということがよくわかりました。
牧野富太郎が本当に勉強好きな人で、先生として働いたときの話がすごくよかった。あんな先生がいたら勉強も楽しくなるわ。
ただ、この勉強好きが災いともなり、大学に行く暇があったら、自分の研究をしたい、という選択のために後々学歴のなさに苦労します。
大学側と衝突してロシアに行こうかと計画して、函館在住経験のある函館弁を話すロシア人司祭のところまで行く行動力もすごい。
たまたま森鴎外ファミリーを見かけたときの、まるで芸能人を見かけたときのように、セレブな空気感の違いに臆する牧野富太郎の反応も面白かった。ドラマにも森鴎外出してほしいなぁ。
牧野富太郎の写真を見ると素敵な笑顔で写ってる物が多いですが、ご本人が写真に写るのが好きだったというエピソードも出てきます。
全体を通して、勉強のために借金まみれになって、家族に迷惑をかけたり、夜逃げしたりという話が多いです。
夫にはしたくないタイプ。
でも、彼は周りの人にはとても恵まれていたんだなと。
家族や池長孟など、助けてくれる人が沢山います。
ドラマ化するときは、最初の奥さんは伊藤沙莉さん、二番目の奥さんは趣里さんが良いと思いました!(勝手にキャスティング笑)
図書館やインターネットで何でも調べられたり、写真を撮るのも簡単な時代のありがたさを感じます。牧野富太郎は自費で本の購入などもしたけど、今の時代に生まれていたらどうだったのかなぁ。ネットで何でも買いまくって結局は借金まみれになる人のような気もします。 -
昭和の世代ならほぼ名前は周知の牧野富太郎の伝記。
著者はボリュームのある丹念な調べと、そこに生きているかのような生き生きとした筆致の朝井まかてさん。
両親を早く亡くし、一時は造り酒屋も営んだ大きな商家、岸屋の一粒種として生まれ、祖父の後妻で血縁こそないものの、その全てで愛されてきた牧野富太郎。
幼い頃から山に歩き植物たちと遊んだ彼は、より正確なもの、新しいもの、世界に通じる膨大な智慧に憧れ、次々と高価な本や、顕微鏡など欲しいものは全て取り寄せた。
その生き方は長じてもなお一層止まることなく、もはや学校では新しく知ることがなかった。
学校から離れても、校長から子供らに教えて欲しいと教員もこなす。
その智は広くはてしなく羽ばたく。
帝大の学生でもない彼は、当時の教授に認められ研究室の出入りを許される。
次々と自費出版をするが、その反面実家は、、、。
大学に籍をおかないものが目覚ましい活躍を見せ、実績を残すと、あとは妬みが生まれ、何度も研究室から追い出されることも。
最後まで一歩も引かない研究の徒である牧野富太郎。
常に貧乏との追いかけっこだった。
この本は功績だけにとどまらず、植物学、ボタニカに魅せられた彼の研究と実生活のアンバランスさや私生活にも大いに目を向けて、面白い作品になっている。
長い作品だが、機会があれば。 -
無知ゆえ牧野富太郎という植物学者も、来年の朝ドラのモデルだとも知らず読んだ作品。
小説としてはダラダラと退屈で、肝心の牧野氏も人としては最後まで好きにはなれなかった。
金持ちに生まれ育って自分の代で家を潰し、大借金をして家族に迷惑をかけてまで、好きな植物研究に一生を捧げた男。
自信家で、頑固、権威に逆らいながら、自分の気に入らない人間(南方熊楠)には辛口、周りのことには頓着せず、ただ植物のことだけ。大研究者なのでしょうが、残念ながら私には全く魅力的には映りませんでした。
それでもその時々で手を差し伸べてくれた人々がいたことが幸いだったのでしょう。
納得できたのは、
「学問は学問することそのものに意義がある」
「人生は、誰と出逢うかだ」
この言葉でした。 -
<燵>
本書と並行して『らんたん』と云う本を読んでいた。この二冊の本が時折僕の頭の中で題名としてこんがらがってしまって困った。二つの題名は一文字も同じではないし一方はひらがな もう片方はカタカナ表記なのに,どうしてこんがらがるのだろう。まさか4文字だ という事だけで混同しているのか。いやなんとなく音が似ているのではなかろうか。言えるのはどっちも本の題名だけでは意味がよく分からないと云う事か。
僕のこの類の現象は,自分にとって生涯を通じて大いなる脅威トラウマとなってしまった小学生の頃に観た映画『フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ』症候群の亜種なのかもしれない。あるいは同じく小学生の時に読んだ『月は地獄だ!』というSF小説の類系かもだ。 この『月は地獄だ!』という本を是非とも再度手に入れたく。読者諸兄姉さまからの情報をお待ちしてます。
(と書いていて念のためにググってみたらなんと簡単に手に入るではないか。でも本当に僕がこの小説で怖かったのは当時の本の表紙カバーの絵だったのだ。今ネットで売っている文庫本のカバーとは全く違うのだ。さてこのたぶん初版単行本の『月は地獄だ!』の表紙に関する情報提供をあらためてお待ちしています(^^)/)
あれ?またも僕は読んだ本書には関係ないことをたくさん書いていた。どうしてこうなるのだろう。本の荒筋や単なるまとめを書く事はするまい と云うかたくなな僕の感想文方針は,ついついこうやってその本の内容からできるだけ遠ざかろうととする。イヤイヤすまぬすまぬ。
僕にしては珍しい事なのだけれど,この本のどこがどう面白いのかが読む前に凄く気になったので色々と調た。そうしたら・・・。まあもちろん本にもよるが,調べて知ってしまったら面白くなくなってしまうお方と、僕みたいにある程度荒筋みたいなところを分かってて読む方が理解しやすくて結句物語全体が面白く読める人もいるのだ。ただしミステリー作品ではこれは絶対にご法度。一番肝心な謎解き を匂わすような外部からの情報は僕は徹底的にシャットアウトする。
そうしたら・・・どうだったかと云うと、これはもう無茶苦茶面白い作品だった。
大体僕が朝井さん作品に出会ったのは『落陽』だった。理由は明快で僕らの世代では神様的存在の吉田拓郎作曲の歌にこの『落陽』という題名の曲があるのだ。 ♪しぼったばかりの夕陽の赤が,水平線からもれている・・・♪ 作詞は岡本おさみ。 あ、いやそういう話ではないのだ。またも脱線すまぬ。
その後なぜか『御松茸騒動』を読んだ。多分表紙カバーの松茸の絵とそれからその横に描かれた「すだち」が僕の故郷阿波徳島の特産品だったからだろう。でもあの絵は本当に すだち なのだろうか。ま、どうでもよいが。 そしてその後は2019年の『落花狼藉』以降新刊が上梓される度に読み継いで来ている。
何度も書いているし何度でも書くけれど、朝井まかては1959年生まれ。そして僕も同じく1959年生まれ。僕は早生まれなのでもしかすると学年はひとつ違うかもしれないけど まあもっとも近しい世代であろう。先に書いた吉田拓郎などは中高生時代に大いに流行ったモノであって男女を問わずそのファンは実に大勢いた。
僕の様にその後もギターを手に歌(俗にいうフォークソング)を弾き語り演奏するという事をひとつの趣味にしてきた連中(なぜか男に限る)のほぼ100%はこの吉田拓郎による影響が大きいらしい。分かり易いしこの程度(失礼)のギターなら僕にも演奏できるかも!という要素がすごく多きかった。 まかてさんの様な小説が僕にも書けるかも、とは夢にも思わないが、分かり易い という点は吉田拓郎の歌に似ている。そして時折とんでもない名曲/名著を作ってしまう。
本書のあちこちには、僕の琴線に触れて来る表現や言葉事柄がいっぱいある。ここに書きだすのも無粋なのでやめるが、どっか別のところに書き写しておこうかしらと思うほどに心にしみる。間違いなく小説ではあるがいわゆる伝記でもあるのだから,それほど感動的な場面が演出されているわけではない。なのに随所で目頭が篤くなる。特に生活人情を書いているところは面白い。だが出す本や係わった本の内容詳細を記述する部分は眠かったりもする。あ,すまぬ。
本文中に頻繁に出て来る「図鑑」 という言葉をみて思い出す。昔は一杯図鑑があった。今はもうない。というか紙の辞典はもう無いに等しいのだろう。紙であるかどうかと「図」であるかどうかは直接は関係ないが絵よりも写真の方が正確無比であることは一目瞭然だろう。その写真が簡単安価に用いることが出来るのだから,もはや辞典内に絵は余程の透視図などでない限りお役御免なのだ。 だが分からない。また何が開発されて変革してゆくかは分からないのだ。これも富太郎が昭和天皇に申し上げた,巡ってゆく事象 の一つなのだろうと思った。すまぬ。 -
文学者の「名も無き花」という文に「名も無き花などない。名も知らぬ花と言え。」と噛みついた逸話(出典不明)のある植物学者・牧野富太郎の一生を描いた作品です。そういえば子供の頃に我が家にあった牧野植物図鑑を調べた記憶があります。
土佐の素封家の家に生まれ、幼くして父母を亡くし、家業には見向きもせず植物に打ち込む富太郎を容認する祖母。結婚してもその性情は変わらず、本、機材、果ては印刷機、必要と思えば金の事など一切考えず購入。その結果、若くして実家を食いつぶし、離婚。
その後、愛人だった壽衛(すえ)と結婚し13人もの子をなしますが、給料を貰ってもその日のうちに全額本に費やし、子供はボロを着て満足に食事もできず(そのせいか成人したのは6人)、月給の1000倍もの借金を抱える。家族に対して愛情は有るのです。しかし「欲しい」と思ったら後先考えられない。
この行動はギャンブル依存症(=ギャンブルにのめり込んでコントロールができなくなる精神疾患の一つ)に似てますね。いわば学問(or植物orフィールドワーク)依存症。ここまで来ると精神疾患と言っても良い。
500ページほどの本。シチュエーションは違えど同じようなエピソードが延々と続きます。主人公は物語の中で闊歩していまずが、一種の生活破綻者だし、読み続けるのは少々キツイ。
ただ、上司・学閥に媚びず、学位にも興味なくひたすら研究と在野の人との交流にのめり込む富太郎には、一番の理解者だった妻・壽衛や友人たち、さらには経済的な支援者も次々に現れて、迷惑だけど魅力的な人物だったようです。
そういえば、朝井まかてさんは『類』という作品も有ります。
牧野富太郎とは逆に、森鴎外の息子・類は生涯何も為さずフワフワと生きた人でしたが、子供らの食費にと奥さんが嫁入り道具を質に流すのを傍らに、一人で行った東京でウナギなどを食べたりします。悪意は無いのです。妻を愛してるし、子供らも可愛い。でも金持ちだった癖が抜けず、今では過ぎた贅沢と感じる感性が無い人でした。
どちらも家族に迷惑そうな人なのですが、意外に家族からは愛されている。朝井さんはそういう主人公が好きなのかな。
「凄いな」と思う人も「何だこいつ」と投げ出す人も居そうな主人公の設定です。小説なのですから脚色すればもっとプラス方向に描けると思うのですが、朝井さんはそれをしないのですね。
しかし朝井さん、植物絡みの作品が多いな。『ちゃんちゃら』千駄木町の庭師一家、『ちゃんちゃら』シーボルトの薬草園の園丁、『御松茸騒動』御松茸同心、『落陽』明治神宮の森の造営、『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』腕の良い花師、『すかたん』大坂でも有数の青物問屋など(順不同です) -
植物学者牧野富太郎の生涯。
生まれながらに植物好きで、無我夢中に植物の観察や分類を続ける。
学位とも長い間無縁で、家族は散々の貧乏生活をする事になる。
お金がなくても植物の研究は止められない。
そんな生涯はとにもかくにも本人には幸せだったに違いない。