ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622076537

感想・レビュー・書評

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  • 「ここは美しい。ピダハンは優しい。だからお前はここに来た」
    世界中のいたるところにキリスト教を普及させるために宣教師がやってくる。ここアマゾンの奥地にも。
    著者はアメリカ人言語学者で福音派の宣教師。人間のこころをつかむにはまずは言語からが基本。聖書を翻訳するため、布教を目的として、著者は原住民ピダハンの言葉を学ぶために家族と一緒にアマゾンの奥地に移住する。電話も電気も水道もない。一家が移住してすぐに妻と娘がマラリアにかかってしまい、狼狽している著者をピダハンは心配もしてくれず「あのひともう死ぬよね」と指をさされながらも必死で医者のいる場所まで家族を運び、なんとか彼らは一命を取り留める。それでもなお半年後には彼らは懲りずに小さな子供も連れてカムバック再度移住。この著者のアメリカ人ファミリー、なかなかタフで信仰が厚くてかなり本気。映画『モスキート・コースト』のようには誰もめげてなんかいない。

    原住民ピダハンは死にそうな人間を無理して蘇生しない。マラリアにかかって死ぬというようなことは日常だ。母親を亡くした赤ん坊も、生き延びる可能性が低いので殺してしまう。文明人からしてみればありえないと思える価値観が、ここでは当たり前の生活。
    彼らピダハンはよく笑う。「心配する」という語彙を彼らは持たない。人が死んだらすぐ埋葬する。妊婦が苦しんでいても、助けるべき家族でなければ近寄らない。猛毒を持ったタランチュラを殺さないのは、ゴキブリを食べてくれるから。男たちは物々交換で手に入れたラム酒を飲んで酔っ払って暴れたりもする。酒を飲む夫を嫌がる妻の図は万国共通。

    酋長もいない。法律もない。結婚という制度もない。子供が生まれれば一緒に住んで核家族の形態にはなるが、浮気もする。ある日、ピダハン夫婦の片割れが別のビダハンとジャングルに行ったまま帰ってこない。逃げられたほうは怒り、錯乱するが、数日後、相手はひょっこり帰ってくる。嫉妬はするが、争いはない。ピダハン同士の暴力は無い。
    子供が刃物で遊んでいても咎めない。むしろ怪我をしても与える。なぜと問えば「じゃあどうやって子供は刃物が危険かどうか知るのか?」と母親が問う。
    老人には食べ物を運ぶ。「なぜ働かない人に食事を与えるのか」と問えば、「彼が若いときは、子供だった俺達に食べ物を与えてくれたから」当然と答えるくだりは、なぜか“普通に”生きる文明人の私達には感動的ではないか。しごく真っ当な生活だ、それを当たり前と思えない、文明人だと思っているわたしたちの生活のほうが間違っているんじゃないか? はたして文明って本当に人間に必要なものだったのか?

    彼らは必要があるときだけ猟に行く。お腹がすくまで食べない。(50代で30代に見える南雲先生より“お腹がすくまで食べない”空腹を先に実践している原住民がここに!)

    夜も長くは寝ていない。蛇が出るからあまりぐっすり眠ってはいけない。この本の原題はDon't Sleep, There Are Snakes(眠るな、蛇がいる)おそらくこれが彼らの「おやすみ」という夜の挨拶。おはよう、おやすみ、ありがとう等の挨拶の言葉は彼らにはない。

    彼らピダハンの言葉はもともと語彙が少ない。左右もない、数の概念もない、色名もない。時制もなく言葉はつねに現在形。神はいない。精霊は見える。精霊は時々ピダハンに取り付く。夢で見たことも体験したこととして認識される。言葉は伝達する状況や対象によって、声調にバリエーションがあり歌やハミングで意思の疎通をはかる。

    オーウェル『1984年』では“無駄な言葉”は極力省略可され、語彙を減らされていく世界がペシミスティックに描かれていたが、ここピダハンの土地で、少ない言語でこれだけ豊かなコミュニケーションが確立されていると、むしろ彼らのほうが洗練されて見えてくる。おそらく、この本の読者は自分の価値観を維持することが難しくなってくるだろう。もしかすると、これは文明人に対する脅威なのか?

    この研究の成果が、最終的に著者の師でもあるチョムスキーの説を否定することになるが、その検証にはずいぶん著者は気を使っているようにも読める。ピダハンの住む現地に赴いたMITの研究チームは「こんなに幸せそうな民族は見たことがない」という。一日の笑顔の時間を測定すれば自明であろうと。彼らの幸福の比は巷で幸せキャンペーン中のブータンなんか目じゃない。彼らは現在しか認識していない。過去も未来も表す言葉を持たない。そもそもわたしたちだって、自分の認識の範囲でしか世界を感じることはできないはずなのに。

    わたしがここに来た目的を知っているか?と宣教師のはずだった著者がピダハンに問うた時、「ここは美しい。ピダハンは優しい。だからおまえはここにきた」、彼らはそう答えた。布教に来たはずの著者は、ピダハンに真っ向から「俺たちにイエスはいらない」と言われる。彼らは目に見えないもの、体験したことでないと信じない。見たこともない神を彼らに信じさせることは不可能だった。そうやって最終的には、著者の信仰も揺らいでいく。いや、おそらく著者は、ピダハンと共に暮らしていくうちに、ずっと疑問を感じていたのだ。神を知っている者より、神を認識しない彼らのほうが幸せであるということを目の当たりにして。果たして、人間が求める価値とは何だったのか。幸福に生きることを自然と求める人間に、神や文明は不要なのか。この価値観の崩壊に、読者は耐えることができるだろうか。

    もし自分が書店員だったらこれが本屋大賞。

  • 30年以上アマゾンの一部族ピダハンとともに暮らして学んだことをまとめた本
    数えたり計算したりしない
    色もない
    遠い過去も未来も空想も話さない
    左右もない

  • 赤ちゃん言葉がなく子供も大人も対等に扱われ、親族が死にかけていてもそれが運命と助けることをせず、自分の目で見たものしか信じず、それでいて先進国の我々よりは精神的に豊かで幸せな民族。

    常に進化や物質的な豊かさを追い求めることが本当の幸せかを考えさせられる。

    ただし言語学的な考察がしっかりしている分、教養を求めて興味本位で読む一般人には辛い部分も多い。

  • この本をこれだけの人が読んでいるということ自体に驚くけど、その方面では有名なんかな。
    言語の研究でありつつも、部族、文化の研究で、やっぱりこういう異文化を知るというのは面白い。全く新しいものを受け入れない頑固さが、キリスト教やらを押し付ける西洋人ならではのアイデンティティとぶつかり合うさまは小気味よく読める。これが200年前に起きてたら、日本もまた違う未来を進んだんだろうか。

    ともあれこの強烈な虫どもと共存できる力は分けてほしい。アマゾンで上半身裸ってヤバい。誰か科学者がこの遺伝子を解明して薬作ってプリーズ。

  • 未知の世界が語られている本を読むのは、わくわくするものですね。
    「ピダハン」のことを知ったのはやはり本でしたが、数字に当たるものがない、色の名前もない、など、私たちとはまったく違った生活をしているピダハンを、言語学の立場から研究している著者ということで興味を持ちました。また、キリスト教の伝道師の立場でピダハンと接触したのに、本書を執筆したときには「無神論者」になってしまったという、著者の変化も非常に気になりました。それだけピダハンという存在は、例えばテクノロジーにかこまれた社会で生きる著者をはじめ、私たちにはない”何か”を持っている、ということだと。
    読み始めて、ピダハンの生き方は野生動物みたいだと感じました。著者も動物が教師みたいだと指摘しています。自分が感じたのは”いまを生きる”あり方とか、親族や村の仲間が死にそうでも(その人が助けて、と訴えていても)自分にはどうしようも出来なけれは、手出しはしないところです。
    例えば草食動物は、仲間が肉食動物にやられていても、ただじっと見ているだけです。大勢でいけば何とかなる!とか思って肉食動物へ復讐とかしませんね。でも人間だったら普通、たとえなんとも出来なくても倫理的に何とかしようとはします……。慌てたり、右往左往したり。
    とはいえ、ピダハンは冷酷ではもちろんありません。助け合うことは強い「規制」となって現れると著者はいいます。また自分の飼い犬が殺されたら、大粒の涙を流しかなしみます。
    ちょっと難しかったのは「精霊」の存在。それをぜひ見たいと思っていた著者と仲間がピダハンに頼むと、見れる場所を教えてくれて行ってみると、教えてくれた本人が、死んで間もない女性に扮してジャングルから出てきた。そして自分が今どんな状況か”語る”。周りにはほかのピダハンが「聴衆」となっている。
    著者はこれは”演劇”じゃないかといっています(西洋人的な感覚で)。しかし著者自身も指摘するように、精霊とはピダハンにとって、目に見える「現実」で体験されるものなのです。夢も眠っているときに見える「現実」だといいます。
    死んだ人(精霊)を演じるというと、能と似ていると思いました。自分は詳しくないのですが、この芸術も人間と霊(精霊)とのやり取りの演目が多いと聞きます。見えないもの(と私たちが勝手に思っている)に重きをおけるのは、ひょっとすると”幸せな人間”の条件なのかな、と感じました。

  • アマゾンに住む少数民族のピダハンの言語と文化について。

    聖書をピダハンの言語に翻訳するために彼らの言語を研究し、その中で今まで普遍だと思われてた人間の言語に関する常識が覆されていく。

    彼らは実際に見た事しか信じず、自分たちの生活が豊かだと感じているから、他の文化や言語を取り入れる事なく暮らしている。言語として抽象化が極端に少ないため、色や数、左右を表す単語がないことは驚いた。

    伝道師としてピダハンの言語を元気してた著者が、ピダハンと関わることで信仰を捨ててしまうのも驚きだった。未来や過去なんかの抽象的な事を考えるから不安を抱くのであって、現在しか考えなければ信仰に頼る必要もないんだな。

  • とても面白く読んだ。
    ピダハンの強固な世界観に驚く。
    進取の気性というのが全くなく、自分たちの生活を良いものとして続けるというのは、なかなか稀な事だと思う。ひょっとしたら老子の言うユートピアかもしれない。
    毎日を楽しく、肯定的に生きるということが幸せなのかも。うまく行くならそれは正しい、、というフレーズを思い出した。
    言語学者としての考察も面白い。
    文字に関しては余り記述が無かったが、おそらく使わないのだろう。
    その事は世界観に強い影響があるのではないかとと思った。

  • 少数民族となると儀式や装飾に興味が惹かれるが、ピダハンには基本存在しない。ネックレスはしているが、「実際に見る」悪霊を避けるために急いでつくられるもので、装飾的な意味合いは一切なく、つくりも雑。
    ひとりぐらい変わり者がいて凝らないの? という謎に思う自分について考えたり。
    言語学について学んでから再挑戦したい本。

  • 左右の概念、数字の概念がない民族に興味を持ち読んでいたが、想像以上に興味深かった。ピダハンが重んじるのは現在の直接体験のみであり、見えないものやわからないものについてあれこれと心配をしない。その結果なのか鬱や自殺といった精神的な疾患が見られない、というのは興味深い。
    過去や未来に捉われず、今見えているものに集中する、という考え方は仏教にも通じる考え方だと感じた。

  • 前半は作者のエッセイのような冒険記。後半は言語についてだった。
    言語学者なのもすごいけど宣教師もすごいな…。作者の熱意とタフさにずっと感心していた。

    面白い。ドキュメンタリーの方も見てみたいな。長期的な視野はなく今この瞬間を大事にしていて無理に人を助けない。死ぬべき人は死ぬべきという受け入れ方は世界的には珍しい。作者が異なる文化や価値観を下に見たりうけつけないからと拒否するような姿勢がなくてよかった。

    ゆる言語ラジオから気になって読んでみたけど前から有名な本らしく最近の本でもないのに平積みされていたりメルカリでも価格が落ちていなかった。

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