さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

著者 :
  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・マンガ (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781614427

感想・レビュー・書評

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  • ひきこもり・ニート・摂食障害・自傷癖の28歳の女性が、鬱に至るまでの生活・教育の水準が高く保守的な家庭環境や、誰かに受けれてもらえる安全な居場所を依存的に求める自分の人格に向き合った結果、レズ風俗を必要としていると気付き、実際に体験するまでの一部始終のマンガ。

    心療内科の場面としては
    ○投薬によって読書ができるようになった
    ○カウンセラーには傾聴よりも2秒でも抱きしめてほしかった
    などと描写されている。

    また、リストカット痕などの物理的な描写は悲惨ではない程度のポップさで、心理的な図解はなかなかのセンスで、自傷してしまう心理、頑張りたくても頑張れない心理、摂食障害が生活の質をどれほど低下させるかの説明が心理療法系の『○○○がよくわかる本』よりもわかりやすい。それは実体験を基礎として、心理学を援用して自己分析を習慣にするとどのような日常を過ごすことができるのかが生き生きと朗らかに綴られているからであり、今まさに生きづらさを感じている人に(それも本を読むことができないくらいの不安障害のさなかにある人に)自己探求の勇気を与える本著を丁寧にオススメしたい。また、レズ風俗に興味がない普通の性嗜好の人、女性にとっての性の意義を知りたいと考える男性にも同様に一読の価値を説きたい。

    著者が他人に心を開くことができないのは、個人的にはフォトリーディングレベルの視覚情報処理能力の高さが他者との一体感を分断しているのではないかと思えるのだけれど(理解力が高すぎると共感の妨げになり「~する価値がない」と結論づけてしまう)、それゆえ激しく切望していた一体感が漫画の才能によって一つに結びついていく文学的な手際の見事さに驚嘆する。

  • タイトル詐欺といおうか、レズ風俗の描写は殆どない。本作でメインになるのは「さびしすぎて」の部分。なぜ著者はそんなに寂しくてしんどいのかが、長々と尺を割いて語り起こされる。
    毒親ものに分類するのは簡単だが、自分は違和感を覚える。というのも、親のこと本当に嫌いなの??作中では「母親が嫌いだ」と断言してるのだが、成人してからも母親に抱き付いたり乳をさわったり、べったり甘えてるのを見るととてもそうは思えない。
    それ以上に、本気で嫌って憎んでたらあんな風に描かない。もっと醜く、露悪的に描く筈だ。ふみふみこの「愛と呪い」は、新興宗教を信仰する家庭に生まれ、母親に肉体的虐待・父親に性的虐待を受け続けた作者の自伝的漫画だが、そこでは父親の顔が意図的に描かれない。倒錯したプレイを強いる援交相手の顔もぐちゃぐちゃに塗り潰されている。
    表現者の業と言うべきか闇と言うべきか、仮に著者が本当に母親を嫌ってたら、あんな頭身低めに親しみやすくは描かないし絶対描けない。だっていくらでも嫌な奴に描けるのだから。読者に「何コイツ、サイテー」と思わせる、それが一番の復讐なのだから。
    本作を読んで、著者の母親に嫌悪感を持った人は少ないのでは?逆に擁護する意見も多い。それは一方的に加害者(とされる側)を貶めず、ある程度公平性を担保できてる証左でもある。親子関係でしんどい思いをしたのは事実だろうが、共依存的な愛着も感じているのではないか。

    酷評レビューを読み、自己承認欲求のかたまりの勘違いメンヘラの胸糞レポートだったらやだなあ……と身構えていたのだが、想像したよりポップな仕上がりでよかった。絵柄がユルくデフォルメされてるので、壮絶な体験もフラットに読める。あるかないかわからない処女膜へのツッコミは笑ってしまった。「私達の28年間を忘れてしまったのか膜よ、別にいいけど……」て(笑)
    摂食障害や鬱でボロボロになりながら、そんな自分を面白く演出するユーモアを忘れないセンスは見事。にしても更衣室のロッカーにこんにゃく隠すって……。

    主人公の親が毒親か否かは意見が分かれる所。自分はちょっと無神経なだけで悪い人達じゃないと思った。「正社員じゃないからウチにお金入れなくていいよ」はフツーに言われたことあるので笑ってしまった。「え、ずっと休んでたのかと思ってた」も、娘が家でゴロゴロするのを見てた感想で悪気はない。
    アレが毒親なら言動がほぼ共通するウチの母もそうなってしまうのだが、あの世代の人たちはそういう生き物だと思って諦めた方がいい。
    むしろ主人公の言動のが違和感が強い。父親の「アルバイトじゃ部屋借りられない」発言を真に受けるとか、え、友人にあたるとかネットで調べるとかしなかったの。
    しかも真実を知ったのが去年て、レズ風俗の年齢基準で去年なら27歳、単行本が出た年で考えるなら下手すると30行ってる。それでこの世間知らずぶりは凄い。
    メンタル病んでる人を責めるのも心苦しいのだが、「仕事が上手くいくなら友達いらないどうでもいい」と初詣で願掛けしたくせに友達を欲しがったり、「友達がいるなら全部上手くいく」と突然根拠のない逃避願望に縋り付いたかと思いきや、その友達が誘ってくれた創作サークルを勝手に抜けたりと、いや矛盾してるよどっちやねん。
    スマホに一人も友達を登録してない、というか友達がマジで存在しない自分にしてみれば、親に嫌味言われて駆け込み寺候補に上がる友達や親戚がいるだけ恵まれてるのだが……
    「迷惑かけて嫌われたくない」と即却下してたけど、自分のケチなプライドか被害妄想由来の感情だし、「友達」という居場所……もとい逃げ込み先を結び付けられる著者は幸せ者だ。世の中にはそんな網が存在しない人間もいる。

    少し話が逸れるが、私は「毒親に育てられた」という人の話をまず疑ってかかることにしている。
    最近増えたその手の自伝的漫画や小説は言うに及ばず、タチが悪いのはYouTubeなど動画のコメント欄で「自分も毒親に育てられました」と聞かれてもない身の上話を長々垂れ流す人種。
    ねじくれた自己承認欲求が表出してるのかもしれないが、その人たちの多くは主観的で、被害者の視点から一方的に親をこきおろす。そこには親の視点が欠けている。
    その場にいない者、故に反論すらできない存在を、一方的にサンドバックにして可哀想な自分を演出してるのだ。とてもフェアとは言い難い。
    もちろん、世の中には何ら擁護の余地のない毒親も存在する。アルコール中毒、DV、モラハラ……痛ましい虐待のニュースで報道される、誰が見てもダメな親たちだ。

    しかし本書の親はどうだ?

    親の視点に立ってみれば、「バイトの休憩時間に逃げ帰る、面接の予約をしてもサボる、ろくに風呂も入らずウチでゴロゴロしてるアラサーニートな娘」だ。しかも家事を手伝ってる様子もない。おまけに成人後も母親と椅子の背凭れの間に挟まる、尻を覗く、乳を揉むなどスキンシップを求めてくる。
    親が用意してくれた夕飯を温めて食べる描写はあったが、作者が定義する立派な大人の条件とは、「家事ができるより自分のしたいことをして社会的に認められている」なのだ。
    いや、最低限家事はしろよ独り暮らし目指すなら特に。

    率直に述べれば、永田カビさんの悩みは二十代の時に一人暮らしに踏み切ってたら八割解決していた。

    全部スッキリさっぱり片付かなくても、大幅に緩和されてたのは間違いない。
    それをしなかったのはハッキリ彼女自身の怠慢だ。携帯(スマホ?)をいじってる描写があったが、何故好きでもない父親の意見を真に受け事実を調べなかったのか?今ならGoogle検索で一発だ。100万も貯金があればとっくにできてた。
    最後まで飽きずに読めたし、「心の痛みはよくわからないけど体の痛みは感じるから安心する」プロセスを図解したり、「それしか知らないと影響される事もあるし相手を傷付ける場合もあるかもしれない」創作物の知識と実体験を対比したり、ところどころ鋭い示唆に富んでるのは感心したが、共感性羞恥で辛くなる。
    これから本書を読もうというひとは、読後に永田カビさんのTwitterやブログを見、公平を期すのをお勧め。低評価を付けた人はそちらで内情を知ってしまったのでは?作者の別著レビューにもあったが、親族のコネで会社に就職した(のに相変わらず好き勝手やってボロボロになってる)……というのを知るともやっとする。

    居場所なんてどこにもない。
    永田カビさんは甘い蜜=満たされた自己承認欲求=居場所と結論付けたが、そんなものはない。どこにもない。
    私が悲観的だからでも現実的だからでもなく、居場所とはそもそも共同幻想の概念だ。
    今ここで生きているのが辛い人たちがあったらいいなあとボンヤリ考える、あるいは渇望する、自分のしょうもなさを無条件に甘やかしてくれるシェルターの別名だ。

    永田カビさんは周囲の人物に恵まれている。その証拠に平和で楽しい高校生活を満喫し、創作サークルに勧誘してくれる友人もいた。整骨院と二軒目のパン屋の担当者は天使か。あんなエピソード現実にあるんか。
    最初の職場の人達も特別冷たかったんじゃない、社会人としては至って真っ当な反応だ。
    バイトだろうが正社員だろうが、職場は仕事をする場所だ。傷をぺろぺろする負け犬の集まりでも、自分を守ってくれるシェルターでもなんでもない。差し障りを来たしたら放逐されるに決まってる。

    自身の体験がバズって食べていけるようになれたのはめでたいし、著者の希死概念が少しでも宥められたら喜ばしいが、依存先が(毒)親から読者、あるいは自分を立派な大人と認めてくれる編集者に変わっただけな気もする。
    自身の体験を切り売りして食べていけるうちはいいが、残弾には限りがある。
    たとえば永田カビさんが西原理恵子ぐらいタフネスなら上手く回るだろうが、30代、40代になってもまだ毒親との確執やレズ風俗レポートを描き続けるのか?と考えると現実的じゃない。読者は飽きる生き物だ。そして風俗体験記には体力の衰えが関係する。
    居場所なんて結局自分の中にも外にもない。ボンヤリした不安を抱っこしてくれる人、あるいは物や場所を便宜的にそう呼んでいるだけなのに、皆が皆その空虚な概念に縛られ過ぎている。

    誰も抱き締めてくれないなら自分で自分を抱き締める。
    結局それでしか人は救われないのだ。

    私はコレ一冊でお腹いっぱいだが、本書を読んで「本物のLGBTの人たちに失礼」と怒る人たちの思考回路はちょっと理解できない。
    いや、自分が同性愛者で、自分の為に怒ってるというならわかる。そうじゃないなら何の資格と権利があって人様の怒りを代弁してるのか。
    個人的に永田カビさんの事は好きでも嫌いでもないが、レズ風俗に行くことでしか変われなかった彼女に対しては失礼じゃないのか?

    「それしか知らないと影響される事もあるし相手を傷付ける場合もあるかもしれない」

    毒親の件にもLGBTの件にも言えるが、一方的な叩きに便乗するのは賢明じゃないぞ。

  • タイトルがなかなか衝撃的なので、表紙を晒しながら人前で読むのは少し躊躇われる。
    しかし、内容は「レズ風俗行った!女の子エロ可愛かった!!」というような単純なルポルタージュではない。世の中で何かと生き難い思いをしている筆者が如何に自己と向き合い、レズ風俗へ行く決断を下したのか。実際にレズ風俗を利用した際の感想と、後日譚を明け透けに描いたエッセイ漫画である。
    全然恥ずかしいことなんてなかった。寧ろタイトルからエロを期待した自分が恥ずかしい。

    筆者は摂食障害など色々な(こういう言い方はしたくないが)問題を抱えていて、序盤はその辺りのことを語っている。自分は摂食障害などになったことがないので「へえ、そういうことしちゃうんだ、大変やなあ」程度の感想しか出てこなかった。共感出来るような出来ないような中途半端な感覚で、物語にも余り身が入らなかった。
    けれど、筆者が『親の期待に応えようと頑張る自分』と「抱き締められたい」欲求に気付いた時。共感が爆発した。本やネット記事を読みながら「わかる〜!!」と叫ぶ作中の筆者に対し、「わかる〜〜〜!!めっちゃわかりみが深い〜〜〜〜!!!!」と叫んでいた。心の中で。2秒だけで良いから抱き締めて欲しい。分かる。
    でも、そこから「そうだ、レズ風俗に行こう」となるのは分からん。思考回路が凄すぎた。きっと自分は、その着地点には辿り着けない。

    一応ラストは綺麗に切りよく幕を下ろしているが、おまけ漫画を読む限り、成長の道のりはまだまだ長く厳しいものなのだろう。筆者の「甘い蜜」が増えて、少しでも生きやすい人生を送って欲しい。
    そして生き難いと感じている全ての人に、本書を手に取って欲しいなと思う。いや、生き難くなくて順風満帆な人にも勧めたい。タイトルはアレだけど、品のない風俗ルポ漫画だと思わず読んで欲しい。

  • 自分を大切にしていない、それが物凄く刺さった。

    もう15年くらい薄っすら潜在意識かじってて(全然適用できていない)、自愛とかって大半ざっくり「自分のやりたいことをやる」なんだよね。

    それが、できない。

    反射的にエゴが出てくるから、自分のやりたいこと、ではなく、やったほうがいいと思われること、を選んでやっちゃう。

    何度も何度も潜在意識関連で読んでたけど、漫画だからかな?スッと入る。
    ようは損得考えず、その時々、自分がしたいことに気づいて、やる。
    分かりやすかった、レズ風俗がインパクトあったが、私はこちらのほうが参考になった。

  • ――きっとこれは

    永田氏だけの話ではなくて
    誰かの話で 私の話で

    泣き叫んでいる人の話で
    寂しいよって 言葉にした中にあった

    お話なのだと 思った

    ずっと生きてきたこと
    取り戻せないくらい
    積み重ねてきたこと

    自分で歩くようになって初めてわかる
    こんなんでどうやって生きていくの

    何もないをいっぱいに詰め込んで
    足りないことがたくさん突き付けられて

    何処に行っても行き止まりな気がして
    足跡はすべて 悲しみと寂しさ

    分かってほしいって 泣いた時
    私は「分かってほしい」と
    誰かに手を伸ばしただろうか

    誰かが欲しい
    母親みたいな人
    父親みたいな人
    でもそのどちらでもなくていいから
    とにかく受け止めてくれる人

    今まで 頑張ってきたねって
    許してくれる人

    されたことがない私が
    誰かにしてあげられないとうだけで
    傷つくことだって あるんだって思った

    今まで知らなかっただけ
    してもらったことはしてあげられない

    これから触れてもらった優しさで
    少しずつ返していくしかないもの

    誰かと 一緒に

  • ネットで話題になっていたので手に取った一冊。
    いわゆる風俗レポ、と思ってエロティックな描写を期待すると肩透かしを食うかもしれません。(あるにはあるけれど、ボリューム的にはさほどないので(笑))

    このマンガのキモは「さびしすぎて」というタイトル部分。
    なぜこんなにも筆者が寂しかったのか、なぜレズ風俗を選ぶに至ったのか、という葛藤の部分です。ボリューム的にもそちらの部分の描写が多いです。
    個人的にはこの部分が丁寧に描かれていたので、興味深く読みました。

    たぶん、癒やしと許しと「ぎゅっと抱きしめられたい」他人の体温を感じたかったのかなぁと。
    女性である筆者が、対男性でそれを求めると(異性経験がほぼないに等しいので)いろいろとリスクが多い。母親とのエピソード(母親と特にすごく仲良いわけでもないのに、母親の肉体的な柔らかい部分に固執したい)、肉体の暖かさ、柔らかさに包まれたい、となると、相手を女性に限定したレズ風俗、というのは個人的には「あ、そういう考えもあるのか(ひざポン)、こういうのも有りだな」と読んでいて感じました。

    単なる風俗レポ、というよりは、自分の内面世界を試行錯誤しつつ切り開き広げていく冒険譚として読むと納得出来るかもしれません。
    もちろん失敗エピソードもあるのですが、なにより筆者自身が真摯に正直に描こう、という気持ちが見えるので、手段はどうであろうと読後は
    「よく頑張ったなぁ」
    と思えてしまいました。

    人生の「甘い蜜」を筆者がどうか見つけてくれますように、と思います。

  • 過去の自分が悪化した状態を見ているようだった……

    著者はノンケのようだが、自己肯定感の低さから対人恐怖症であることが伺える。

    威圧的で無関心な父、過干渉な母親という図式が見える…
    どうしてお母さんは成人した女性(娘)のおしりのできものが治ったかを確認するのだろう……?
    カビさんが嫌悪しないのも不思議だが、何となく子供の頃に貰えなかったものに執着しているためではないだろうか?

    親子関係の問題を自覚しているが、親にその修正を求めても得られない…そんな状態で異性は恐怖でしかない。
    人恋しさを同性に求めるのも、同性という自分を投影しやすい対象、あるいは“母親”の代りなのだろうか……

    カビさんは他人との身体の触れ合いが高度なコミュニケーションであることを、初体験後に悟る。
    結果、見えてきたのは、カビさんが“子供のまま”成長を留めてしまっていること。性への拒否感があったことを自覚する。

    自覚…この本はカビさんの半生であり、内省の本だった。劣等コンプレックスが何なのかを紐解き、「自分が無い」ことに至る。
    田房永子『キレる私をやめたい』( https://booklog.jp/item/1/4801907652 )に通じる、自己の定義を他人の尺度に委ねてしまったことに起る弊害だった。

    別件で「性知識の乏しさ」を言及している。
    それは風俗のお姉さんから「処女膜がない」指摘されたことも理由だが、それがヴァージンを証明するものでもないし、初体験で出血するわけでもない。
    そうした知識を、一般知識として持っていないことを問題視していた。それは同感。

    • moemiさん
      ノンケからレズになるひとの特徴に
      母親との関係が上手く行ってないってのがあるらしいです。
      なんかで見たのを思い出したのでコメントさせてもらい...
      ノンケからレズになるひとの特徴に
      母親との関係が上手く行ってないってのがあるらしいです。
      なんかで見たのを思い出したのでコメントさせてもらいました。
      この本読んでないのですが、
      あなたのコメントは的確なような気がします。
      2020/08/22
    • 亞綺羅さん
      moemiさま
      コメントありがとうございます。
      なるほど、親子関係がうまくいかない形の一つとして、そうした指摘があるのですね。
      >母親...
      moemiさま
      コメントありがとうございます。
      なるほど、親子関係がうまくいかない形の一つとして、そうした指摘があるのですね。
      >母親との関係
      私も同性愛になる人の傾向として、両親との関係がうまくいっていなかった、という指摘を本で読んがことがあります。
      ギー・コルノー『愛することに「臆病な人」の教科書』( https://booklog.jp/item/1/4062641038 )でしたか…
      信憑性が不明なのですが、親子関係がうまくいかない弊害が、ここ最近、日本でも指摘されるようになったのは事実ですね。
      2020/08/23
  •  小説に可能なことは、ほぼマンガで可能だ。(ミステリの叙述トリックは難しい)。
     マンガで「私小説」を描こうとした場合、立ちはだかるハードルが「自画像」。
     他人ならそっくりに描ける似顔絵巧者でも、こと自画像になると自意識や自己愛が働いて、描きにくいことマジこの上ない。
     「ある程度 可愛い方がいいだろう」と明言している以上、ご本人より可愛い自画像なのだろうが、成功したように思う。
     例えば、本書が実写映画化され、チョイ可愛い女優が演じたとしても、つらくて観るに堪えないはず。

  • ちょうど
    「山田孝之の北区赤羽〜」
    を観た後読んだ。
    自分の敵は自分なんだなあとつくづく。

    "私なら、
    人に言えない
    人の秘密が
    描いてある物が
    読みたいし
    お金を払いたい"

    たしかに、読みたいと思うものや読んでるものの中に
    よくこんなの書けるよなあって。
    自分だったら周りの人のこと気にして書けない。
    実際書けないこととか言えない事とか。
    そこを超えないと表現ってできないんだろうかー。

  • 意外にも、凄く哲学的だった。
    作者の人生が辛くて痛くて、読んでいて悲しい。
    新しい時代の文学作品みたい。
    太宰治みたい。

    病んでいる人の自分語りって出口が見えない物が多い。
    ひたすら周りのせいにして、破綻した生活を見せつけて、それでいてそこから抜け出す努力は何もしてない。
    本当は一生そこにいたいんじゃないの、という気がしてくる。
    この本はそうじゃなかった。
    作者は抜け出そうとめちゃくちゃもがいてる。

    自分の人生を切り売りする漫画はよくある。
    そういう漫画の作者がよく「自分をネタにして売らないと生きられない」的な事を言っているのを見る度に、生きるために体売ってるみたいな感覚で漫画描いてるのか?嫌なら他に生き方無いの?と少し軽蔑していた。
    でも永田氏は自身の事が描きたい!と思って描いたそう。

    共感できるところ沢山あったし、いろいろ参考にもなった。
    作者の親うちの親と似てるなーと思ったり。
    自分の価値観で行動を制限しまくる、辛いときには寄り添ってくれない。
    私もそういう人間になりそうで怖い。。
    うちの親はスキンシップ0だったし、私は女の人に触りたい欲求は無い、というか触るのが怖いけど。

    女性で生まれついての同性愛者って少ないんでしたっけ。
    女性で同性愛者をカミングアウトしてる漫画家さんの作品を時々読むけど、育った環境が崩壊してる人が多い。
    最近同性愛に理解を示す風潮だけど、同性愛の裏に心の闇が潜んでいるなら、「同性愛、どうぞお好きに」と言うだけで良いのだろうか、という気がしてくる。
    まぁ付き合ってる人同士にわざわざ別れなさいとは言わないけど。
    女性が女性を愛したいという時、相手の女性は自分であり、母親なのかもしれない。

    最近思うのは、人生を改善するのに、まず愛情が必要なのではという事。
    付け焼き刃の愛じゃなくて、無償の愛が必要なのだ。
    どんな酷い状態になっても見捨てないでくれるような、無償の愛が。

    こういう心の状態ってすっぱり改善されるわけじゃないから、これからもこの人は悩むと思う。
    でも、次は大幅に改善して幸せになった話を出したときに読みたいな。
    ずっとメンヘラ抜け出せない話は気が滅入るから。

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著者プロフィール

大阪府在住の漫画家。著作に「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」「現実逃避してたらボロボロになった話」(イースト・プレス)、「一人交換日記1、2」(小学館)、「迷走戦士・永田カビ」(双葉社)がある。

「2022年 『膵臓がこわれたら、少し生きやすくなりました。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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