邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)

著者 :
  • バジリコ
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本棚登録 : 861
感想 : 107
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862381606

感想・レビュー・書評

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  • この本は自分で求めたわけではなく、ある人からいただいたものなので、まさに向こうからやってきた本です。
    というような感想を抱かせるような本が本文にもあるようにいい本で、わたしはよい読書体験をしたということなのだと思います。

  • 内田先生は本当に神戸女学院大学が好きなんだなあと思いました。入ゼミの面接で学年の1/3の学生と面談したと書いてありました。面接時間は一人10〜20分。12時間経過してもまだ残り20名ほどいたとか。大変な人気ゼミです。他者との妥協にあらず、誰とでも友だちになる精神の共生がなせるわざ。誰もが魅力を感じるセンセイだったのだなあと思いました。

  • タイトルにひかれて手に取ったのであるが、タイトルずばりを求めて読む本ではない。途中で、本の題名などどうでもよくなってしまった。
    内田先生、おもしろい!ときに「いたた」と言いたくなるようなすぱっと切れ味のいい言葉もあるが、そんな風にかっこよく切ったあとはたいてい思わず噴き出してしまうようなユーモアを忘れない。
    本に傍線を引いたり、付箋を貼ったりするのは嫌いな私であるが、思わず蛍光ペンを手に取りたくなるような文章がいくつもあった(借りた本だから我慢したが)。

  • 「邪悪なもの」と遭遇したとき、人間はどうふるまうべきか?
    「どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになる」極限的な状況で、適切に対処できる知見とはどのようなものか?

  • 多分何度も読まないと「理解」できない。かなり難しい印象を受けた。

  • タイトルにもなっている「邪悪なもの」とは、
    ・常識や倫理観が無効になるくらい「どうしたらいいか分からない」
    ・しかも放っておくと厄災が起こる
    と定義されている。

    あー。確かに。
    大人になってから、殊、30歳を越えたあたりから、つとに感じるなー。
    そういう意味で、家庭や学校は極めて理知的だ。
    世の中ほど、理不尽に、不条理に満ちた世界もないもんだ。

    本作はそういった「邪悪なもの」への処し方が書かれてあるが、
    大元には内田氏自身の純粋な知的好奇心が脈々と底流している。
    ちょっとうがった見方をすれば、生の社会でさえ(だからこそ?)、
    彼にとっては体系化・構造化のための観察地なのか、とも読み取れる。

  • 相変わらず面白いエッセイ。
    話題は多岐に渡っているが、個人的に印象に残ったことをいくつか。

    *真に優れた作家はすべての読者に「この本の真の意味がわかっているのは世界で私だけだ」という幸福な全能感を贈ってくれる。物語の中に「自分自身の記憶」と同じ断片を発見したとき、読者は自分がその物語に宿命的に結びつけられていると感じる。けれどもそれは本当は「自分自身の記憶」などではなく、事後に詐術的に作り出した「模造記憶」なのである。(これは村上春樹について述べた文だが、そろそろ私も村上春樹に再チャレンジしてみようかと思った)

    *推理小説で名探偵が行う最後の事件解明の場面。被害者がどのようにしてこの場に至ったかという物語を語るということは、ほとんど葬送儀礼と変わらない。

    *お稽古ごとの意味。「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるために「本務以外のところで失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみて味わう経験」を積むことがきわめて有用。失敗しても恥をかくだけで実害(失職、減俸など)が何もないお稽古ごとというのは安心して失敗できる。

  •  面白い。難しい。
     どうしていいかわからん状態を、いかに脱するか、その成功法を探る。
     連続殺人、必要以上にひとは言及しすぎてはいけない。そこに、意味を付加価値をつけてはならない。できるなら、話題にしないこと。忘れる効能、確かにある。「よせばいいのに」の言及が悪しき連鎖を生む、ありえる。あおればあおるほど、暴走行動は加速する。
     また、かけてもないのろいが、とけるはずがない。
     根拠や動機がみえないと、つい霊性に走るけど、のろいなぞ、あるはずがない。あると思い込むそのひとが、かけるのろいにすぎない。だからいくらお祓いしたって、無効化なだけ。忘れること。意味をもたせすぎないこと。静かにすれちがうこと。そして、さらりと、通り過ぎること。振り返らない。
     夢に意味はない、とある精神科医が言った。
     夢に意味をもたせることが、病理なのだろう。
     にんげんは意味を与えすぎる。意味がないもの、意味がわからんものが、単純にこわいからだ。
     でも必要以上に、意味を与えると、なにもないものに、魂がやどる。
     それは決して、良い魂とはいえないのかも。
     ほら、また意味づけちゃったよー。こわいこわい。

  • 私もルーティンの毎日が好きです。毎日同じ様に会社に行って、同じ人達と、同じ様な仕事をして、毎日家に帰って、同じ主人と、同じ様な話をしながら、同じ様なご飯を食べるのが好きなのです。
    主人も、会社の私の周りの人達も、基本的には想像力の行使をためらわない気分の良い人達です。
    だから私も、内田先生と同じ様に、世界が私の周りと同じ様になって、世界に私と同じ様な人が増えると、暮らしやすくなって良い様な気がします。

  • 邪悪なものを鎮めるって仰々しいタイトルだなぁ、まさかお化けでも封印しちゃったりするのかしらん、と思いながらも手に取ったのです。

    でも中身はアレッ、違うぞ、と。
    構造的な問題の指摘だったのねーと楽しませてもらいました。

    特に大変共感を得たのは、「家族に必要なただひとつの条件」でした。
    そうなのよ。永遠の愛ってどこにも存在しないし、そもそも「愛」という見えない形は結局見えないまま。要は信頼関係の上で成り立つものであって、それがなきゃ、愛とは言えない……いや、愛そのもの自体に疑わしいものですが。

    他に「内向き」に関して、納得出来ました。
    日本が何故国内だけでビジネスが通用出来るのか。逆にフィンランドのような国が世界に向けて商売しているのか。
    いやーそういうことだったのね! と目から鱗。

    お薦めします。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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