恐怖なしに生きる

  • 平河出版社
3.83
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本棚登録 : 114
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784892032844

感想・レビュー・書評

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  • 本の題名とはうって変わって、自己改革には大変役に立つ本です。
    私は勧められて読みましたが、最初は著者の瞑想での体験や悟りの世界観が記載されているかと思っておりましたが、自己改革するための本質論を明確に記載されている本です。まさに著者がいかに偉大であったかがわかります。
    題名は「恐怖なしに生きる」ですが、そのテーマの恐怖と言うものから人間の本質に迫り、言葉や文章では言い表せない世界からの自己変革を明確にわかりやすく解説されており、目から鱗が落ちたとはこの事でしょう。
    この本は大変自己を脱皮させたいとか、自己変革を本質的に行いたい方にはよい手引きとなるでしょう。

  • 3.4

  • こうなりたいという気持ちが、恐れや恐怖を産む
    恐れや恐怖を抱く心に愛はない。
    はあ、果たして私は野心を手放せるか。

    恐怖を観察する。
    自分は恐怖と分離したものではなく、自分が恐怖であることを理解する。
    恐怖は過去、恐怖は記憶、思考。
    ただみつめるということ。


    ヨガをやっていて思うのは、一瞬を感じることは、永遠を生きること。それは現在を生きることで、現在にいる限り、ずっと安全だと感じることがある。そのことも思い出しながら読んだ。
    ただクリシュナムルティには、何かに頼らない、自分で見つめると怒られてしまいそうだ。

    ただみつめること。
    何にも頼らずに自分自身でみつめること。

    原題のon fearを訳したタイトル、「恐怖なしに生きる」というより、恐れと共にあるというニュアンスの方が近い気もする。

  • クリシュナムルティさんて方は元々自分でも組織を持っていた高僧だったようですが目覚めて組織を解散、グルに答えを求めてはならん、ってことで宗教人にあるまじき主張をして世界各地でセンセーションを巻き起こしたようです。サマタ瞑想的なものに近いのかしら、と勝手に思いましたが、一応本書も答えへ導くものではなく、それぞれが自分で問わなければならん、と、たしかにそうなんですがサービス向上が命題とされる現代社会ではそんな当たり前の苦労も忘れてました。あらゆる反応を動物的なものだと思いがちですが、よく観察すればほとんどが英知によるものかもしれず、考えるってことを考えさせられる一面もありまして。

  • 恐怖(快楽)について徹底的に考察しています。少し難解。

  • この世で生きている限り、様々な恐怖や不安が尽きることがないのであるが、それを克服することができるのか、というテーマの講演を集めたもの。クリシュナムルティ師は、あるカルト教団の教祖(すでに故人)であり、役に立たない説法ばかりのあらゆる既存宗教に対する激しく批判していたみたい。本書のテーマである恐怖については、言葉を変えながら「恐怖の根本を見つめるよう努力しなさい」と言うだけで、具体的にどうすればいいのか何も教えてくれないので困ってしまう。でも、「人生における一番の問題は恐怖である」とか「人類は何千年もかけて宗教や哲学や科学を発展させてきたが、恐怖の解決に関しては何も進歩していない」といったクリシュナムルティ師の世界観は、人生の9割以上が恐怖によって駆動されている私にとって、とても深く納得できるものがある。
    本書は、いきなり本編を読み始めると、禅問答のような講演が並んでいて読み進めるのがつらいので、最初に翻訳者による巻末のあとがきを読むのがいい。翻訳者はクリシュナムルティ師の思想の利点と難点をよく理解しており、一般人との間の懸け橋になれる人である。

  • 生存のために情動が機能しているとすれば、それは恐怖や不安に基づいている。生き延びる確率を上げる具体的な行動は「逃げる」ことだ。

    http://sessendo.blogspot.com/2011/07/j.html

  • 20代後半の頃、クリシュナムルティにどっぷりはまりました。スピリチュアルだけど、とても理論派でもある彼の説明は、納得しやすい!装丁もエレガントで美しいです。

  • J. クリシュナムルティが、さまざまな時、さまざまな場所で語った恐怖についての教えを通読すると、恐怖についてだけではなく、クリシュナムルティの教えのエッセンスがおのずと理解できる構成になっている。そしてクリシュナムルティという孤高の透明な精神の魅力が心に深い印象を残す。

    彼は、恐怖について語りながら、人間の一切の苦悩の根元である「思考」(分別意識)について語っている。では恐怖をもたない状態はいかにして可能なのか。それは、「‥‥全的な注意力、つまりすべての思考、すべての言葉、すべてのふるまいへの自覚があるときにかぎって可能なのです。精神は言葉という障碍物がないとき、解釈や正当化や非難がないときに注意深くいられるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である精神だけが恐怖をもたないのです。」

    「光である精神」は、おそらく恐怖だけではなく、人間の一切の苦悩を一掃するのだ。それ(恐怖や苦悩や怒り等々)を抱きつづけ、それから離れようとせず、それを抑圧したり超越しようとしたり、ただひたすら見るということ。

  • インドに生まれたクリシュナムルティは、13歳のとき神智学協会の指導者に見いだされ、 後に〈星の教団〉の指導者となったが、やがて真理の組織的追求に否定的となり、同教団を 解散。以後、人間の解放をテーマに広範な講話と著作を通して人々の覚醒を促し続けた。

     本書は、その膨大な教えの中からテーマ別のシリーズとして編纂された一冊。さまざまな時、さまざまな場所で語られた恐怖についての教えを通読すると、恐怖についてだけではな く、クリシュナムルティの教えのエッセンスがおのずと理解できる構成になっている。そし てクリシュナムルティという孤高の透明な精神の魅力が心に深い印象を残す。

    「思考が恐怖の原因なのです。また思考は快楽の原因でもありあます。幸せな体験をしたと します。思考はそのことを思い起こし、それを永続させたいと願います。しかしそれが不可 能なときには抵抗や怒り、絶望や恐怖が生じます。こうして思考は、快楽の原因であるよう に恐怖の原因でもあるわけです。」

    「要するに快楽があれば、そこには思考によって永続させられる苦痛と恐怖があるというこ とです。快楽は苦痛とともに進みます。両者は分けられません。ということは思考が両方の原因なのです。明日がなければ――つまり恐怖かそれとも快楽か、という観点から見た未来 の時がなければ、恐怖も快楽も存在しないのです。」

     結局クリシュナムルティは、恐怖について語りながら、人間の一切の苦悩の根元である 「思考」(分別意識)について語っている。

     彼はまた、利己心こそが恐怖の原因であるという。私という感覚や私の関心、私の幸せ、 私の成功、私の失敗、私の業績、私はこうである、私はちがう等々、利己心と不可分の思考 こそが、恐怖だけでなく、一切の苦悩、憂鬱、苦痛、不安、熱望、悲しみなどを引き起こす のだ。

     では恐怖をもたない状態はいかにして可能なのか。それは、

    「‥‥‥全的な注意力、つ まりすべての思考、すべての言葉、すべてのふるまいへの自覚があるときにかぎって可能な のです。精神は言葉という障碍物がないとき、解釈や正当化や非難がないときに注意深くい られるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である 精神だけが恐怖をもたないのです。」

     クリシュナムルティがいう、「光である精神」は、おそらく恐怖だけではなく、人間の一 切の苦悩を一掃するのなのだ。それ(恐怖や苦悩や怒り等々)を抱きつづけ、それから離れよ うとせず、それを抑圧したり超越しようとしたり、ただひたすら見るということ

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著者プロフィール

1895年、南インドに生まれる。神智学協会において来るべき世界教師としての教育を受け、〈星の教団〉の指導者となるが、1929年、「真理は組織化しえない。私の関心はただひとつ、それは人々を、完全に、かつ無条件に自由たらしめることである」として、同教団を解散。以降、あらゆる権威や組織によらず、独力で真理を探究することの重要性を説き、一自由人としてさまざまな講話や対話を行いながら世界各地を巡った。その一貫した懐疑の精神と透徹した語りは、幅広い聴衆に深い影響を与えてきた。オルダス・ハクスレーやデヴィッド・ボームをはじめ、交流を深めた知識人も多い。1986年、カリフォルニア州にて逝去。

「2021年 『〈生のアーティスト〉クリシュナムルティの言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

J.クリシュナムルティの作品

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