- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904863183
作品紹介・あらすじ
『仙台学』vol.1~10(2005~2010年)の連載エッセイを全面改稿。加えて、単発エッセイ1編、震災後のエッセイ「史上最大の復興」「震災のこと」、宮城県沿岸で移動図書館のボランティアをする青年を主人公とした書下ろし短編「ブックモビール a bookmobile」を収録。
感想・レビュー・書評
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3.3
私も仙台在住で楽しみに本を手に取りました。
何気ない話ですが、語り口も軽快で伊坂先生はいささか心配性が過ぎるんだな、あんな小説を書くのだから変わり者かな?と思いきや意外にも普通で、むしろ安心し身近に感じる事ができました。
今後も作者の作品を手に取っていきたいと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の利用している県立図書館は、本を一冊しか買わない。何処かの県がしているように、人気図書は何冊も買って出版社から文句を言われるような真似はしない代わりに、人気作家の本は予約待ちで何年も待つというのはザラである。伊坂幸太郎はそのザラの中に入る。伊坂幸太郎で検索をかけた時も、すぐに借りれる本が見つかるとは思っていなかった。お気に入りの作家の近況を調べるような気持ちだった。だからこの本が「貸出可」になっているのを見た時には驚いた。別にアンソロジーの中に一短編紛れ込んでいるわけでもない、紛れも無く一冊の独立した著書なのである。地方出版社発行だったかもしれない。それにしても、忙しくて読み損なっていて二週間後に再貸出を頼んだ時も予約が入っていなかったことには、何かの問題がこの作品にはあるのかとさえ思った。
読み始めて、またビックリした。小説にぜんぜん引けを取らない、何処を取っても伊坂印の見事なエンターテイメント作品に仕上げていた。
最初の「タクシーが多すぎる」こそは、話が出来過ぎているなあ、と思っていたらやはり創作だったけど、あとはホントにエッセイになっている。しかし、出来るだけオチをつけようとしているし、根っから「楽しいことを書きたい」作家なのだ。
このエッセイの貴重なのは、それでも何処にも発表しなかった震災直後の著者の気持ちが赤裸々に綴られている処である。
「役に立たない人間ほど、よく泣く。そういう諺があってもいいように感じる」
高橋克彦も「小説の無力」を嘆いていたが、伊坂幸太郎もやはり震災直後にそういう気分に陥ったらしい。気持ちを切り替えるのが早かったのは、伊坂が若かったせいか。
最後に震災ボランティアに従事している人たちをモデルにした未発表の小説もついている。
なかなかの一冊である。
2013年5月16日読了 -
エッセイも味わい深い。あの震災があり、仙台に暮らす者として、また作家として色々な思いがあったと思うけれど、伊坂さんにはやっぱり楽しい作品を書き続けてほしい。
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どんな人なのだろうと思ってエッセイを読んでみたら、とても繊細な人だった…!
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思わずクスリと笑ってしまう軽快なエッセー集です。
タイトルの通り作者の住んでいる仙台にまつわるあれこれのお話。
仙台に4年ほど住んでいたワタシには
『そうそう!そうなのよ~』と
うなづけるお話ばかりでした。
最後に『ブックモビール』という短編小説が収録されています。
舞台は震災後の石巻、主人公はボランティアの青年二人。
だけれど、震災から1年近くたってから書かれたお話は
感傷的でも悲劇でも残酷でもなく、
ちょっと切なくて、でもクスッと笑ってしまうような伊坂さんらしい短編です。
震災で小説が書けなくなってしまった伊坂さん、
『また楽しい話が読みたい!』という読者の声で
もう一度フィクションの力を信じて書くことにしたそうです。
素敵だ~! -
泣かせるように作られた本ではないけど
泣きながら読んでしまった。
「Keep going, and keep doing what you're doing.......keep dancing.」
わたしは、人を笑顔にしたい。 -
伊坂幸太郎の作品はほとんど読んだが、エッセイは全く読んだことがなかった。
この本を読んで、伊坂幸太郎という人がかなりの心配性だということが分かった。
ちょっと臆病すぎるんじゃない??と心配になるくらいに。
年齢が近く、私の計算が合っているなら、伊坂幸太郎が大学4年生のときに、私が同じ大学の1年生だったはずで、ひょっとしたらキャンパスのどこかですれ違っていたかもしれないというのが今の私のちょっとした(ささやかな)自慢である。
仙台のなじみの地名や店があちこち出てきて面白かった。
でも、なじんでいた店が閉店したということもこの本で初めて知って、複雑な気分だ。 -
仙台で暮らす伊坂さんのエッセイ。あのことが起きる以前と、あのことが起きてからのことにも触れていて、普段の小説からの雰囲気もあり、逆もあり。好きだなって改めて思うそんな一冊
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ブログが一時すごく流行った時、実は自分の人生には大きな事件が少ないということに気づいた人は多いのではないだろうか。
規則正しい生活を送る伊坂さんにももちろん、大きな事件は起こらない。たまに話しかけられたり、猫がやってきたり、映画化されたり、心配しすぎたり…。多すぎるということは、自分が考えていた日常よりも多く感じることだ。(もちろん途中で多すぎる、しばりに筆者自分が辟易したけど)
それでも震災という大きな事件が起こってしまった。被害は少ないもののその場にいた人間として、日常が遠くなり、アイデンティティを見失い、電気にも困る生活にどのように慣れていくのか、そしてまた同じように楽しい小説を書くことができるのか。そんな思いが、ぽつりぽつりと原稿になっていく。
そして最後…、そんな思いを集大成した短編小説で幕を閉じる。職業作家じゃない、人生作家であることを示した仙台を中心とした伊坂的徒然草。読みやすく、そして考えさせらた。まだ11日の募金は僕もつついでいる。今月で3年6ヶ月。これはもう僕の生活の一部だ。 -
「仙台ぐらし」
伊坂幸太郎流エッセイ。
伊坂幸太郎はエッセイが苦手らしい。普通の生活しかしていないから、面白いエッセイは書けないのだと。だからエッセイの依頼を断ってきたと言う訳だ。しかし、伊坂幸太郎は遂にエッセイの依頼を受けた。そして、おとなしく日々の生活を書き出すと思いきや、往生際の悪い彼は思いもよらない技を繰り出した。なんとエッセイに架空(フィクション)を盛り込んだのだ。やるなー、伊坂幸太郎w
勿論、エッセイの依頼を引き受けたからには、当たり前だがエッセイを書かなければならない。だから、架空を盛り込んだのは、タクシーのエピソードだけなんだけど、このエピソードが一番手に持ってきた影響は大きいように思えます。だって、後のエピソードも実話のはずなんだけど、どうも短篇小説のように思えてしまって、パソコンが壊れてしまったエピソードでさえも、伊坂幸太郎自身が彼の小説の面子に見えてしまうですからねw
私はエッセイを好んで読む方ではありません。時に、エッセイは、著者の世界で完結しまう事が多くて、私が入っていく所が無い様に思えちゃってもの足りないんですよね。勿論、エッセイの本質は著者の言いたい事やそれこそ日常生活のあれこれを書くものだから、著者の世界で完結してしまってもおかしくはないんですけど、それでも読者としては少しくらい彼らの世界に入れる隙間を用意して欲しいものです。
その隙間から彼らの世界を見て、あーこういう人なんだとか、なんかイメージと違うなとか、色々ぶつぶつ言いたい。そんな隙間を用意してくれているエッセイが、私は好みです。実際、私は、堺雅人のエッセイでそうぶつぶつ言っていますし、彼はエッセイの書き手として素晴らしいと思います。
その点を考えると、この「仙台ぐらし」も好きなエッセイです。先に述べた架空エッセイには驚かされましたし、隙もちゃんとある。伊坂幸太郎ってやっぱりのんびり屋なんだとかマイペースなんだとか、考えが変わっている変人なんだとか、色々ぶつぶつ言えました。
同じエッセイでも「3562」よりものんびり感が漂っていました。テーマがそういうものばかりだったのかな。