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- / ISBN・EAN: 4959241980366
感想・レビュー・書評
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幼い頃と違って、受けた印象や注目点に変化があるのは、物語の中で成長していく千尋のように私も成長したからなのだと思います。
迷い込んだ先でたくさんの試練を乗り越えていく中で千尋の表情が凛々しくなっていく様がとても好き。
一生懸命な姿や強く繋がれた絆にはこちらも力を貰うし、何度でも感動します。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても久しぶりに観ました。
大人になって観ると、
子供の頃には分からなかったことが分かるようになりました。
こんなに良い作品だったんだ。
ラストがとても切ない。
だってハクの川はもうなくなってしまっているのでしょう?
ハクは元の世界に戻れないじゃない。
二人はもう会えないんですね…
それでも元の世界に帰る千尋。
なんて切ないんだ…
昔はカオナシのことをおばけのように思っていたけれど、
今見ると、
カオナシが一番人間くさい気がしました。
「千欲しい 千欲しい」
が生々しくてこわかったです。
川の神様が腐れ神みたいになっていたこと、
身につまされました。
自転車が出てきた時はすごい衝撃でした。
神様御用達の温泉って設定は本当におもしろいですね。
美術も素晴らしいし。
惚れ惚れします。
ちょっと不気味で、でも行ってみたくなる。
昔は可愛くないと思っていた千尋も、
今見ると本当可愛い。
本当にいい子だなぁ。
そしてハク様。
美しい。
龍の時のハク様の美しさったら!
惚れ惚れ。
深くて、観終わったあといろいろ考えさせるけど、
純粋に、観てて楽しかったです。
可愛らしいキャラクター達や、
ほんわかなるギャグなんかもあって、
さすがジブリ節だなと思いました。
白むすびがなんであんなに美味しそうに見えるんだろう。
とてもあったかい。
この作品の良さに気付いたので、
また観直したいと思います。-
コメントありがとうございます。
そう言って頂けて嬉しいです。
いろんな要素が詰まっていて、すごくいい作品なので
是非お時間ありましたら...コメントありがとうございます。
そう言って頂けて嬉しいです。
いろんな要素が詰まっていて、すごくいい作品なので
是非お時間ありましたら観てみて下さい*2012/05/06
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宮崎作品から、「端正な整合性」が鳴りを潜め、「荒唐無稽な真実」とでも言えるような性質が露になる、ちょうど転換点のような作品。僕は「荒唐無稽〜」の支持者だが、おそらくどちらの支持者にとっても楽しめる丁度よさが、この作品が多くの人に支持される理由ではないかな、なんて想像している。
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アニメとして、結構リアルで画像が素晴らしいです。
話の内容は、子供が喜んで観るので、最高だと思います。
曲がいいし、アニメとしても有名なので一度は、見ている人も多いと思います。どんな内容かと興味津々になり、思わず見てしまいます。 -
今だから響くのかな。働くことの意味とか、人間関係のあり方とか。信じてもらうためには信じなきゃいけないんだなぁ。
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信じてもらうためには信じなきゃ…そうですよね。凄く納得したので思わずコメントしちゃいました(*^^*)
『千と千尋』は何回見ても新しい発見...信じてもらうためには信じなきゃ…そうですよね。凄く納得したので思わずコメントしちゃいました(*^^*)
『千と千尋』は何回見ても新しい発見がある気がします。2011/12/01
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劇場鑑賞当時は中学生。正直それほど面白いとは思わなかったけど、大人になってもう一度観直すと、なぜか心にジ~ンときた。
ジブリって深い!! -
DVD
ハクのおにぎり超食べたい -
テレビで放映される度に、「この作品は家族愛を描いた物語です。」という前置きのナレーションが入るが、それは嘘だろう。
作中で、両親が千尋に何らかの愛情表現をしたり、絆を確かめ合おうとしたシーンが一回でもあっただろうか。両親はただ、愚かにも神への供え物である食べ物に手を出し、気付いたらブタになり、いつの間にか千尋によって助けられていただけである。
千尋は確かに両親を救出しようとする。しかしそれは、両親がいなくなるという不安感、喪失感によってもたらされた行動である。家族愛をテーマにするのであれば、両親を元の姿に戻した後、感動させるようなシーンがもう少しあっても良いようなものである。というより、本作でいつも持つ違和感なのだが、両親は明らかに千尋に対して冷淡ではないだろうか。
本当のテーマは実は明らかであるのだ。ただテレビとしては事実を言う訳にはいかないから、「家族愛」という苦しい言い訳を並べているに過ぎない。千尋が油屋でなしたのは「救出」ではない。「償い」である。欲にまみれ、飽食という罪を犯した両親の罪を償うために、千尋は風呂屋で働くことにした。
「風呂屋」である。先入観を排してこの映画を観たとき、果たして油屋が単なる銭湯に見えるだろうか。千尋は本名を奪われ、千という名を与えられるが、これは源氏名以外の何なのだろうか。個室に近い浴槽で身体を洗い流すという行為から、カオナシが千尋に前に金を積み上げるという行為から、いかなる暗喩を受け取ることができるだろうか。油屋は明らかに遊郭である。
映画雑誌『プレミア』インタビューで、「千と千尋の神隠し」について宮崎駿はこんなことを言っている。
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」
本作には、両親の罪を償うために遊郭で働く少女の物語、という設定がパラレルにあるはずだ。作中では、油屋に来る者達は神の姿をしており、極度にデフォルメされているので、余り生々しさを感じることもない。しかし彼らは明らかに男であり、客である。
そして恐ろしい問いをもう一つ。千尋が償ったものは果たして、両親の飽食だけだったのだろうか。飽食というものが、現代の我々がどっぷり浸かっている「豊かさ」そのものだとしたら。千尋が償っていたのは、現代に生きる我々の罪でもあったのかもしれない。 -
娘にせがまれ、トトロと同時期に購入。
娘は千尋の両親が豚になるシーンが大好き。
会社から帰ってきたら、パパ豚になっちゃったの。
と言われ「へ!?」と思ったが、映画だと分かり
ほっとしたような、笑えないような・・・。
正直物語の筋はよく分からないし、何を伝えたいの?
と探しても出てこない。
ジブリ作品は、そんなこと考えずに、絵の綺麗さ
華やかさ、そして瞬間の面白さを求めればいいのであって
教訓などは求めてはいけないのかな?