いまを生きる [DVD]

監督 : ピーター・ウィアー 
出演 : ロビン・ウィリアムズ  ロバート・ショーン・レナード  イーサン・ホーク  ノーマン・ロイド 
  • ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
3.93
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  • (7)
本棚登録 : 1316
感想 : 212
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4959241930712

感想・レビュー・書評

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  • まさに感動の名作。最後は生徒の勇気に涙する。
    こんな先生が本当にいてくれたら…。残念ながら私は、人生を変えるほどの影響力を持った先生には出会うことができなかったので、とても羨ましく思う。

  • 若者の繊細な時期、青春について描いた良作。親や学校と言った規範を押し付ける存在に従いつつも、貴重な若き日の一瞬一瞬をそれぞれの個性に従い自由に楽しまなければならない、バランスの難しさ。

  • 日本でいうところの高校を舞台にした青春物語という位置づけかもしれない。ただそう言えば聞こえは良いが、実際は明るい部分だけでなく、思春期特有の暗い部分も垣間見える。

    恋愛、勉学、親、友達との関係、進路など、この多感な時期に経験するであろうことがほぼ詰まっている。

    この時代に過ごした友が一生の共になることも多いだろう。そういった意味でこの邦画タイトルは映画の内容を的確に捉えているといえるのではないか。

    内容とは関係ないが、アメリカでも大学に進むことが善とされており、個性を磨くということが軽視されているのかなとも思った。

  • 主人公は、ロビン・ウィリアムズではなく、
    高校生。

    10・20代だと、共感・感動もあるんだろうけど、
    さすがに大人になってからは、
    共感が薄く、そういう感情も懐かしいなぁ〜
    って感想。

  • 教員免許状更新講習で見させられた?作品。

    精神的自由とは何か…
    管理教育の中でも多角的な視点を持つことを教えるキーティング先生。
    悲劇は起こるが,彼のやったことははたして良いことなのか。
    考えさせられます。

  • 1959年。新学期。ノーラン校長の厳格な規則に縛られたバーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーに赴任してきた同校のOB・英語教師キーティング。
    彼の破天荒で自由な、そして、詩の美しさや人生の素晴らしさを説く授業は、学校の規律や両親の無理解に雁字搦めになっていた生徒たちに、自由な考えをもたらしてゆく。
    そしてキーティングに心酔した一部の生徒たちは、彼が学生だった頃に作っていた“死せる詩人の会(DEAD POETS SOCIETY)”という同好会を復活させるが――。

    ハリウッド映画の定石で行くと、生徒たちが学校や親から自由を勝ち取る痛快なラストシーンに……というところですが、この作品はそうはなりません。
    キーティングは去り、校長も学校も世間も親もなにも変わらず、生徒たちは彼らの管理下に戻ります。
    けれど生徒たちはもう、自分で考え、行動することを。自分らしく生きること、その難しさと素晴しさを知っている。
    決してハッピーエンドではない、厳しい現実の壁が立ちはだかるラストシーン。そこで生徒たちが見せる静かな反抗の荘厳さ。
    バグパイプを効果的に使用した音楽と、秋から冬へと変わってゆく風景の移ろいがとても美しい秀作。

  • すごくよかった。キャプテンの心に染みる言葉がたくさん。

  •  この映画の中で最も印象深かったのはその締めくくり方だ。教育をテーマにした作品では「生徒のよき理解者である先生」が最終的には「頭の固い先生たち」を説き伏せてハッピーエンド、というパターンが多い。『金八先生』や『ごくせん』がそうだろう。しかしこの作品はあくまで現実的だ。「死せる詩人の会」のメンバーは保身のために、気持ちいいほどに仲間を裏切る。そして「生徒のよき理解者である先生」は生徒に身を売られ学校を去ることになる。だがまったく希望がないわけではない。ラストの授業シーン。キーティングがかつて生徒たちにやって見せたように、生徒たちは机の上に一斉に立ち上がりキーティングへの敬意を表明する。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、その判断が視聴者に投げられた形で幕を閉じている。キーティングの教育方針は正しかったのか?教育において重視されるべきは生徒の自由を尊重することなのか、それとも社会的地位を約束するためのエリート教育なのか?これは現実に私たちが考え続けなければならない問題である。

     この問いに対する私の答えだが、それでもキーティングの教育は正しかったと思う。教育心理学の授業で「フォアクロージャー」という言葉を学んだ。これは青年期に親の言いなりになって生きてきたためにアイデンティティを確立できないまま大人になった人間を指す言葉である。このような人は年齢を重ね社会的責任を持つようになった後になって、今の自分と理想の自分との間のギャップに悩むことになるパターンが多い。そのようにならないためにも、キーティングの教育方針は若いうちにアイデンティティを確立しておくために必要な教育だったと思う。ただ彼はもっとニールの親と密な関係を作っておくべきだったのだと思った。ニールの初公演が終わった後、無理にでも彼の父親を引き止めて話をするべきだったのだろう。子供の成長のためには、親との関係だけでも教師との関係だけでも不十分だ。周りの大人たちが協力して子どもを見守ることが大切だと思う。

     キーティングの授業内容も興味深かった。詩の授業においては、先人の優れた作品を吸収することも大切だが、自分の言葉で詩を語ることも大切だという内容は、『山びこ学校』や『フリーダム・ライターズ』と通じるメッセージがあったと思う。自己を見つめ、望ましい自分を作り上げていくという思春期の子どもたちにとって必要なプロセスを達成するためには、言葉を通じて自己表現させることが有効なのだと改めて感じた。

  • 暑苦しいタイトルだけどそこはディズニーらしく加工されていたので、安心して観ることができました。流石ディズニー!

  • カウンセリングの大事な役割のひとつに“種まき”的な作業もあるのかな…と日々感じています。

    カウンセラーに言われた言葉が、そのときは理解できなかったり、そんなことない!と思っていても、ずっと後になってあのとき言っていた言葉の意味を実感したり、自然と以前の自分とは違う行動をとっていたり… クライエントさんは、自分に必要なエッセンスを無意識のうちに心の中に取り入れていて、自分のものにしていくのですね。まかれた種が、あるとき発芽して芽がのびていくような感じで…。

    この映画は、毎日が緊迫している進学校に風穴をあけようとした先生のお話です。赴任早々先生は、机に座って授業をせず、いきなり「机の上にたってごらん!」と呼びかけます。「今までと違う風景が見えるだろう?」と。ひとつの見方にこりかたまっていると、逃げ道がなくなってしまうから、視点を変えてものを見てみるということを、伝えたかったのでしょう。

    しかしそれらの行為は他の教師・父兄からは猛反発をくらい、学校を退任せざるをえない状況になってしまいます。ラストシーンでは、先生が伝えたかった“種”は、ちゃんと生徒一人ひとりの心で“発芽”していたことがわかる感動の場面が用意されています。

    この映画は、私の心にも“種まき”をしてくれました。今でも、煮詰まったときには、「机の上にのぼってみよう」という言葉を思い出し、頭を切り替えることに役立てています。

    カウンセリングの過程とは、心に種をまき、それどうを育んでいくのかをクライエントさんと一緒に考え、進めていくことではないかと思っています。

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