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感想・レビュー・書評
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「数学とどう付き合うかは、どう生きるかと直結している」と言い切る在野の数学研究者が、「数学とは何か」、「数学とは何であり得るのか」について哲学的に語った書。
数学ないし数学的思考の本質は、記号ないし数式として客観的に表せるものではなく、また、脳の活動のみで把握できるものでもなく、脳の活動と身体、そしてその外部環境の相互作用にある、というようなことが著者の主張かな。
「人間の数学的思考は、ほかのあらゆる思考がそうであるように、脳と身体と環境の間を横断している。脳の中だけを見ていても、あるいは身体の動きだけを見ていても、そこに数学はない。脳を媒介とした身体と環境の間の微妙な調整が、数学的思考を実現している」、「言葉では言い表せないような直観、意識にも上らないような逡巡、あるいは単純にわかること、発見することを喜ぶ心情。そうしたすべてが「数学」を支えている」、「数学的思考は、あらゆる思考がそうであるように、身体や社会、さらには生物としての進化の来歴といった、大きな時空間の広がりを舞台として生起する」などなど。
アラン・チューリングと岡潔にかなりのページを割いている。数学へのアプローチも性格も思想も大きく異なる「二人の間には重要な共通点がある。それは両者がともに、数学を通して「心」の解明へと向かったことである」、「チューリングが、心を作ることによって心を理解しようとしたとすれば、岡の方は心になることによって心をわかろうとした」、と数学者二人を比較分析している点が、なかなか面白かった。
「数学と心通わせ合って、それと一つになって「わかろう」とした」岡潔の「情緒」を中心とする数学、なかなか興味深い。著者が感銘を受けたという岡潔のエッセー集『日本のこころ』、難解そうではあるがちょっと読んでみたくなった。
数学を突き詰めて考えていくと、世界の成り立ちとか、世界の調和とか、哲学的な命題に行き着くということかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一応理系のはずなのですが、途中の描写は難解でした。
ただ、私たちが慣れ親しんでいる、当たり前だと思っていることの始まりを知ることで、最初ってこういうところから始まっていたんだ!とか(そもそも数学の定義が難しいので起点がどこだとも言い難いらしいですが)、今私たちが「数学」だと思っていることがこんなにも変化してきたんだってことを知ることができただけでも面白かった。
物を数えたい、大きさを比べたい、重さをはかりたい、なんていうことを、昔の人たちがやるために数を数え始めたり、図形を書き始めたりしたってことは、なんとなく想像できる。でもそれ以上のことをやろうとすると、今のような数字も言葉もなかった時代にやるのはものすごく困難。1,2、3・・・っていう便利な数字にたどり着くまでの変遷を辿るだけでも面白い。
1+1=2、A:B=C:D
記号を使うとこんなに簡単だしなんの疑問もなく使っていたけど、これ言葉で表そうとすると、そしてこれを証明しようとしたりなんかしようとすると、かなり大変。そして数学ってなんで「証明」ってことが必要になるんだろう?日常生活で使う四則演算だけでいいじゃん・・・と学生時代微分積分をやりながら何度思ったことか。
でも物理とかもそうだけど、こういう研究って実生活には全く役立っていそうになくて、実は今私たちが享受している便利な生活の礎になっていたりするし、建築やアートなんかにも繋がっていたり、哲学に通じていたり。
昔の偉人や天才たちは色んな事に興味を持って不思議に思って、その謎に戦いを挑んでいたんだなぁと。そういう疑問ってきっと尽きることはないから、今でも解読されていない難問がそこら中に転がっているんだろうなぁと思うと感慨深い。 -
「自然数」という言葉があるが、この「自然」と呼ばれるのは、もはや道具であることを意識しさせないほどに、それが高度に身体化されているから。
人間は少数のものについては、その個数を瞬時に把握する能力を持っている。2個のものは2個だと直ちにわかる。心理学の世界で「スービタイゼイションsubitization」と呼ばれる。3個以下の物の個数を把握するときには、それ以上の個数を把握する時とは違う。固有のメカニズムが働く。
具体的な問題を解くための系統だった手続きのことを「アルゴリズム」と呼ぶ。
差し当たり実践を考える上では役に立たないかもしれないが、数学をよく「見て、感じる」るためには、論理の力が必要なのだ。
「定理(Theorem)」という言葉も、もともとは「よく見る」という意味のギリシャ語から来ている。
Mathematicsという言葉は、ギリシャ語のテーマタ(学ばれるべきもの)に由来する。それを本来、私たちが普通「数学と呼んでいるものよりも、はるかに広い範囲を示す言葉であった。これを、数論、幾化学、天文学、音楽の「四科」からなる特定の学科を示す言葉として用いたのは、古代ギリシャのピタゴラス学科の人々だと言われている。
物理世界の中を進化してきたシステムにとって、リソースとノイズのはっきりした境界は無い。物理世界の中を必死で生き残ろうとするシステムにとっては、まさにwhatever works、うまくいくなら何でもあり。
認知は身体と世界に漏れ出す。
生命を集注して、数学的思考の「流れ」になりきることに、岡潔は無常の喜びを感じている。
人は皆、「風景」の中を生きている。それは、客観的な環境世界についての正確な視覚像ではなくて、進化を通して獲得された知識、知覚と行為の関連をベースに、知識や想像力といった「主体にしかアクセスできない」要素が混入しながら立ち上がる実感である。
人の手が10本あったことが、十進法が合理性を持つ理由。
道具は> <、使用者である人間の姿を、その構造の中に反映していく。
脳の中に閉じ込められた心があって、それが環境に漏れ出すのではなくて、むしろ身体、環境を横断する大きな心がまずあって、それが後から仮想的に「小さな私」と限定されていくと考えるべきだ
「芭蕉7部集」「芭蕉連句集」「芭蕉遺語集」などを岡潔は研究した。
「評伝清 花の章」高瀬正仁
芭蕉の詠む句は、どれも5 ● 7 ● 5の短い記号の列に過ぎない。したがって、原理的には何らかの計算手続き(=アルゴリズム)によって生成できたとしてもおかしくない。が、どんな優れたアルゴリズムよりも、芭蕉が句境を把握する速度は、迅速。
芭蕉のくわ「生きた自然の一片がそのまま捉えられている」ような気がする、と岡潔は言う。
芭蕉の意識の流れが、常人よりはるかに早いのは、彼の境地が「自他の別」「時空の框」と言う2つの峠を超えているからだと、岡潔は考えた。
岡潔は数学研究を捨てて自己研究に移るのではない。数学研究がすなわち自己研究なのである。
心の働きそのものを、人間の意思で生み出すことができない。人間にできるのは、それを生かし、育てることだけである。
「情緖」は「情」の「緒(いとぐち)」と書く。情が映る、情が湧く、あるいは情が通い合う。情はいとも容易く「私ego」の手元を離れてしまう。「私」に固着した「心mind 」とは違い、それは自在に、自他の壁をすり抜けてゆく。
「情」と言っても、様々なスケールがあって、「大宇宙としての情」もあれば、「森羅万象の一つ一つの情」もあると言うのだ。それを使い分けるために、岡潔は、前者を「情」と言って、後者を「情緒」と呼び分けるようになる。
「なりきる」ことが肝心である。これこそ岡潔が道元や芭蕉から継承した「方法」だ。
肝心なのは、動かぬ中心ではなくて、絶えず動き続ける生成の過程そのものである。 -
2023.3の日経の書評で紹介されていたのが面白そうだと思い、読み始めてようやく読了
第一章、第二章まで、哲学的で理解が難しいところもあったが、分かっていたようで気づいていなかった発見もあり、はとても興味深く読む
自分には第三章が難解だった
日本語の意味は分かるはずなのに、理解できない 頭の中に入ってこない
数学や物理学に関する本を読んでいると、いつもと違う頭の使い方を強いられて、自分の頭が良くなったと勘違いができる感覚になることもあるが、そんな感覚にもなれなかった
まだ、前提知識が足りないのではなく、頭の使い方が違うのだろう
もう一度挑戦したい -
独立系数学研究者として歩みを始めるに至った森田真生が、いかに数と出会ったか。古代ギリシャやアラビアから始まり、現代まで計算するという行為が、身体的行為という視点から丁寧に読み解いて行く。その物語にドキドキした。
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数は人間の認知を拡大するための道具であり、記号、論理、計算を基礎として近現代の数学が発展する前は、数学は自然言語で語られるものであったというのが新しい気づきだった。
数学、更には人間の思考をモデル化、一般化して、計算やひらめきを機械で再現したアラン・チューリングに対しては、只々凄いの一言。
岡潔さんの情緒を通わせるとか、自他の区別なくとか、松尾芭蕉の俳句とかは正直よくわからない。
文中の言葉を使えば、言葉で伝えられて理性で理解するものではなく、自分でやってみて習うものなのだろう。 -
数学以外の様々な物事に対して身体性という概念は重要であると最近感じるようになった。体験・実感に根差した概念把握、わかるということの意味。
数学史の導入部分がコンパクトに本質がまとまっていて、これはすごいなるほどと了解した。
本書を読む前は独立研究者という肩書きに胡散うささを感じていたが、読後はこの著者の他の本も読んでみたいと考えるようになった。 -
数学する人生 -岡潔-に次いで読んだ本。岡さんが言語化しようとした数学そのものや、自然と人について著者の解釈を情の出た豊かな表現で書いてる。
人の心とは、思い悩んだ時にまた手に取って読みたい。