日本の職場では、労使関係のような「垂直的圧力」よりも、同僚あるいは仲間による「水平的圧力」が強いのではないか、また近年は欧米でもチームワークを重視する経営スタイルが取り入れられるジャパナイゼーションが起こっているのではないか、という指摘はうなずけます。しかし、「水平的圧力」には束縛的な側面だけではなくて「配慮と援助」というプラスの面もある、とばかり繰り返すのはどうでしょう。それってちょっと問題アリのような。それから、「水平的圧力」が古来の「日本文化」の特徴によって形成された、という物言いも相当にいかがなものかと。あとがきで言及されている熊沢誠さんの発言にもあるように、「日本的経営」とそれを特徴づける「チームワーク」のあり方は、(日本的?)総力戦体制の中で形成されたもの、と見なければならないと思います。そういう意味で、ちょっと歴史的視点が弱いのではないかという印象。(20071127)

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表題作は、目取真俊氏の芥川賞受賞作だそうで。主人公の男性がある朝突然理解不能な異変に襲われる、というカフカの「変身」的なスジは、「魂込め」にも通じるものですね。個人的には、二本目の「風音」のほうが胸に迫るものを感じました。「沖縄/本土」という対立軸をひとまず念頭に置いた上で、本土人に親しげにすり寄る沖縄人、本土での学生経験を持つ沖縄人、沖縄に深刻なゆかりを持つ本土人、などなど、さまざまな形でマージナルな位置にいる人物を登場させる。そして、それらの人物の重層的な関係を描くことによって、「沖縄/本土」という問題の深さを描き出す。「風音」は、そういう小説に読めました。もっとも、彼の小説はおおむねそうした描き方のものが多いような印象を持っているのですが。三本目「オキナワン・ブック・レヴュー」は、清水義範氏を思わせるパスティーシュ風の作品。沖縄の政治的状況がトンデモ本の書評という体裁で描かれています。コミカルな文体なのですが、はたして私たち本土人はこの作品を笑うだけですませてよいものか。その政治的状況にはもちろん本土人も深く関わっているわけですし、ここに登場する架空のトンデモ本たちも、本土人が勝手に思い描く「癒し」「神秘」などなどの沖縄イメージと無関係には生まれてこなかったでしょうから。(20071126)

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論集です。佐藤(佐久間)りか「近代的視線と身体の発見」は、近代日本における身体観の変遷を写真を通してたどろうとしたもの。本書の中でいちばんおもしろく感じました。それから、市野川容孝「『障害者』差別に関する断想」は、短いながらも実体験を踏まえた説得力ある文章。「障害者」に対する「作為的無関心」によって覆い隠されてきた差別のまなざしを顕在化させ、意識化させるべきではないか、という話には、強くうなずきます。あと、正高信男「感覚の抑圧と近代主義」は、目新しいテーマではないものの、話のネタとしては便利な論考かも。(20071123)

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うーん、何とも言えない重い読後感……。『魂込め』の感想で、「本土/沖縄、この世/あの世、大人(の男)/老人・子ども、男性/女性、などなど、さまざまな対立軸が示しつつ、前者と後者のあわいに生きる人たちの姿を描きながら、前者の人々の『まなざし』(の権力性)を撃つ作品」と書きましたが、それはこの作品集にも言えることだな、と思いました。この人の作品の通奏低音、というところでしょうか。収録された5篇の中では、最初の「魚群記」がよかったですね。(20071122)

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「現代」について何かを考え、何かを言うための基礎知識として。コンパクトにまとまった現代思想入門、という感じですね。オトナが読んでもおもしろい。(20071122)

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改めて言うまでもなく、軍隊というのはナショナリズムを個人の身体に注入する装置です。しかし、兵役生活を送る中で身体化されるものは、それだけなのでしょうか。本書の巻頭解説(四方田犬彦氏)の中では、そうしたものの一例として「マッチョイズム」が指摘されていました。それも大いにあるでしょう。しかし私は、それとも異なる感想を持ちました。軍隊生活を送り、理不尽なシゴキや体罰を不断に受け続ける中で、要領よくサボったり他人に押し付けたりする技術を身につけていったりするわけですが、実はそうしたメンタリティもまた、軍隊生活の中で兵士が身体化していくものなのではないかと思ったのです。そして、韓国軍は旧日本軍の組織やメンタリティを少なからず引き継いでいると言われていることを考え合わせると、「韓国人の国民的特質」としてしばしば指摘されるネガティブ・イメージ(例えば、ずるがしこいとか利己的とか)も、実際には「日本製」の処世術である可能性も高いのではないかな、と思ったわけです。それはともかく、これは筆者の語り口もおもしろく、楽しんで読むこともできる本です。続編も合わせて、ぜひ。(20071113)

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Amazon見ると評価高いみたいなんですが、私個人としてはビミョー。「日本人」の意識の特徴を「今=ここ」というキーワードで論じる、ということ自体はそれほど悪くもないと思いますが、それが地理的孤立性によって形成された、という物言いには首をかしげます。海に囲まれた島国である、ということが「孤立性」を意味するようになるためには、海上交通のほうがさまざまな点で不自由だという前提が必要になるわけですが、その前提は歴史的に見て常に成り立っていたわけではないでしょう。……そんなわけで、「今=ここ」中心主義がどのように生き残ったか(生き残ることができなかったものは何か)、あるいは、現代のわれわれにとって「今=ここ」中心主義が「日本人」の意識の特徴のように見えることの意味は何か、といった問いに変換した上で、本書の内容を消化したいと思っているところです。(20071107)

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朝鮮王朝期以後の、韓国温泉史。おもしろいですなあ。韓国の温泉に行ってみたくなった(実は行ったことがない)。個人的には、植民地時代の朝鮮の温泉について、もう少し深く知りたいと思ったわけですが、小説とかではあんまり描かれてないのかな。一度探ってみたいものですが。(20071107)

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フーコーの権力論について手堅くまとめている、というのはともかくも、真ん中あたりに何本かある「状況」論文が非常に興味深い。「構造改革」だの「民営化」だのという政策路線が一体何をめざしているのか、ということが具体的に取り上げられています。(20071107)

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まず標題の論文がおもしろい、というか、一労働者として考えさせられる。「仕事/プライベート」という二分法が次第に無効化されていく中で、労働者の「労働」はいったいどこに〈搾取〉されていくのだろう……? まさか〈搾取〉がなくなっていくわけではないし、そのあたりの言語化が必要だなあ、と拙く感想を抱いた次第。もっとも、読了からひと月くらい経つので、印象が薄れてしまったのですが……(苦笑)(20071106)

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「わたし」とは何か、「心」はどこにあるのか、という根本的な問題について、実際の大学のゼミをもとに、学生との対話の中で考えていく、というもの。これは「哲学書」になじみのない人にとっても読みやすいのでは。ライブ感覚が楽しい。(20071007)

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ま、こんなもんですかね。まずまずおもしろいとは思いました。これは職場の先輩と感想を話し合ったときの雑談ですが、私たち(=ニホンジン)はこの本を「『在日』論」として読むことができる/読むべきであるのではないか、とも思います。姜尚中氏が中村雄二郎氏との対談で触れていた「『エグザイル』の快楽」の話に通じているな、と。あ、ユダヤ人こそ本家「エグザイル」でしたね(汗)(20071005)

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いや、この方の本はホントにおもしろいです。「南北朝」という物語的言説が先にあり、それにあわせて「南北」の対立構図ができあがっていったという話は、読んでいてひざを打つ思いでした。「言説(物語)としての歴史といったばあい、歴史は書物のような『もの』として<strong>ある</strong>のではない。それは、ある制度化された言表行為として読まれ、また語られることで歴史に<strong>なる</strong>のである。」(「原本あとがき」より、太字箇所は出典では傍点)という一節、ジョーシキっちゃあジョーシキですが、非常に重要ですよね。(20071003)

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「『愛国心』入門」といったところ。ブックレットですからすぐ読めます。しばしば見かける「良いナショナリズムと悪いナショナリズムの二種類がある」というとらえ方を批判した上で、国境線の内側(の利益)だけにとどまる排他的で偏狭な「愛国心」ではなく、国境線を超えていく「グローバリゼーションの時代の愛国心」の必要性を説いています。議論としてはわかりやすいですね。おおむねうなずきながら読んだわけですが、国境線を超えていくというコスモポリタニズム的「愛」は、それでもやっぱり「愛『国』心」と呼ばれなければならないようなもの、なのでしょうかね。(現代日本語の)「国」という言葉から少し離れて、コスモポリタニズム的な「愛」をとらえた方がよいんじゃないでしょうか。訳語の問題かもしれませんが、私はその点に少し引っかかりを感じました。とはいえ、これは読みやすくていい本だな、と思います。高校生くらいの人にも勧めたいですね。(20071002)

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Amazonの書評を見ていると、なんかえらくボロカスに言われているみたいですが、そんなにヒドく無責任な本ですかねえ……? 例えば「交換様式X」という非在の様式を想定することに嫌悪感を示す人が多いようですが、実在しないものを具体的に論じていないから、というだけの理由で斥けようとするのはどうかな、と思います。私としては、この「交換様式X」なるものを措定することによって、それ以外の「交換様式」がどういう対立軸でとらえられるべきかがクリアーになる、という点を買いたいと思います。そしてその試みは、決して失敗してはいないと思うのです。同様に、すべての国家が主権を放棄して国際連合に譲渡することによって成立するという「世界共和国」の構想が、非現実的だとか理想論だとかいうだけの理由で斥けられるべきではないと思います。「理想」を描き出すことの意義と、それの実現可能性は常にイコールではないと思うわけです。というわけで、あえて高めの評価。(20070926)

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ひょっこり読み始めたんですが、なかなかおもしろかったです。というか、本書の中で検討されている「自由」と「責任」の話、私自身も何となく考えていたところだったので、いろいろと言葉を与えてもらった感じです。「自由には自己責任が伴う」とか「自由を確保するためにみんなで自重しよう」とか、そういうおバカなことを言う人が未だにときどきいたりするんですけど、そのテの人たちにはとりあえずこの本を薦めたいですね。自由論に関する手ごろな本を探していたんですけど、本書はなかなかよく問題点を整理できている気がします。さるところで「大学一年生におすすめ」みたいなコメントを見かけましたが、確かにそれくらい読みやすい本です。「テツガクショ」が読めない方にも入門書として。(20070910)

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植民地統治下の朝鮮で生まれた作家の、朝鮮に関する短編小説集。「族譜」「李朝残影」「性欲のある風景」という3本を収録していますが、いずれも「植民地朝鮮の日本人青年が抱えた苦悩」を描いたもの、と言ってよいでしょう。「ポストコロニアル批評」をやりたくなる作品、なんでしょうねえ。ちなみに、私はこの本を韓国旅行中に列車内で読みました。その時の感想文は<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/ohtos/49237786.html" target="_blank">こちら</a>。(20070910)

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表題作を含む6本を収録した短編小説集。ちょっとしたきっかけで手に取った本なのですが、どの作品もそれぞれかみしめながら読まされました。本土/沖縄、この世/あの世、大人(の男)/老人・子ども、男性/女性、などなど、さまざまな対立軸が示しつつ、前者と後者のあわいに生きる人たちの姿を描きながら、前者の人々の「まなざし」(の権力性)を撃つ作品……と読みました。自分自身、先の対立図式の中では前者の側に属しているという自己意識があるので、自分の身が割かれるような感覚を、どこかに覚えます。目取真氏のほかの作品も読んでみたい、と思いました。(20070910)

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1960年代に活発化した、日本から北朝鮮への「帰国事業」をたどる本。在日朝鮮人を「危険因子」と見なして「厄介払い」したい日本の保守派、「帰国」を「支援」することで自分自身の中に「人道主義」を見出して安心したい日本の革新派、そして朝鮮総連に日本赤十字社などなどの各者の利害がある程度一致してしまったために、「帰国事業」はあんなにも「盛り上がり」を見せてしまった、ということでしょうか。「日本のサヨクは『帰国事業』を煽っていたくせに、その過去に頬被りをしている」といった批判がある種の人々から時々聞かれますが、そうやって「サヨク」だけに罪を押し付けようとすることがいかに不当であるか、ということが本書を通してわかります。(たとえもっと洗練された言い方であったとしても)「社会の邪魔者を〈ソト〉に排除する」という点で、右も左も含む多くの日本人たちが協力して、「帰国事業」をプッシュしていた、ということではないでしょうか。精神的に苦境に立たされている外国人力士に向かって「国に帰りたいのならば、力士をやめて勝手にさっさと帰ればよい」などという発言が簡単に出て来てしまうのですから、この点に関わるこの国の人々の感覚は、いまでも当時とほとんど変わっていないように思えます。そう思うと、いろいろと気が暗くなるような本ではあります。いや、それはすなわち「よい本」だ、ということなのですけどね。(20070814)

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この本、たぶん世の中的には評価が高いんでしょうね。日本社会の「集団主義」的特質が、仲間内の輪の中での不確実性低下を目的として保たれてきたものだ、という指摘自体は、確かに納得できます。そして、メンバーを輪の中に固定しようとすることには機会費用が発生する、という点もわかります。しかし、だからと言って、輪がばらけていくことを単純素朴に歓迎して済まされる問題なのでしょうか? どうも筆者は、輪がばらけて人々の流動性が高まっていけば「信頼」を軸とした個人の行動原理が立ち上がってくる、とでも考えているように思えますが、本当にそうなのでしょうか。私はそんなに単純に「救い」があるようには思えません。すでに世界には、容易には乗り越えがたい「力」の格差が存在しており、そのことを無視して単純に輪をばらけさせるだけでは、その巨大な「力」の影響下に個々人が再編成されておしまい、という気がしてならないのです。そんなわけで、本書は真ん中あたりから眉唾で読みました。かなり胡散臭い気がしますけど、どうでしょう?

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盧武鉉大統領はどのように誕生したのか、そこにインターネットはどのように関わっていたか。じつは私、なんにも知らなかったので、本書を読んで「へぇー」と思うこと多々でした。韓国では、三大新聞に代表される既存メディアと、インターネットに代表される新興メディアの対立構図が、ここまで「政治的」になっているんですね、ほんと知らんかった。インターネットによる公共圏の構築や政治参加の構想ってのは、「デジタル・デバイド」の問題を含んでいるだけに万能薬ではありませんが、それでもある程度本気で考えてみてもいいかもしれませんね、日本でも。(20070809)

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本書もやはり、近代スポーツとジェンダー、ナショナリズムとの関わりについて論じたものです。スポーツそのもの、というよりもスポーツ言説を社会学的視点から読み解く、といったところでしょうか。それとは別に、すべての人に等しく参加の機会を開く「ユニバーサル・スポーツ」という提言は、おもしろいなと感じました。これも、一度考えてみたいテーマですね。(20070714)

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ドーピング、環境、ジェンダー、メディア、ナショナリズム、審判。現代社会において、スポーツと「倫理」をめぐる問題にはどのようなものがあるか。考えるべき問題はどこにあり、その手がかりをどのように探っていくか、を提示してくれる本として、本書はとてもよい入門書だと言ってよいでしょう。読みやすいし、オススメです。(20070714)

カテゴリ スポーツ

(近代)スポーツは、その本質において「暴力」や「ナショナリズム」と深く関わっているのではないか、と何となく思ってきました。それは例えば<a href="http://pachi-kun.blogzine.jp/toraushi/2006/03/post_5723.html" target="_blank">この記事</a>や<a href="http://pachi-kun.blogzine.jp/toraushi/2006/04/post_62ab.html" target="_blank">この記事</a>で書いてきたことでもあります。そして本書は、そういう私の「何となく」を、「やっぱり」に置き換えさせるものでした。本書はいろんな点で示唆的な内容でした。機会を作ってもう一度読み返し、何らかの形で記事を書いてみたいと思っています……いつか(笑)(20070417)

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