ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫 赤 247-1)

  • 岩波書店
3.70
  • (19)
  • (15)
  • (32)
  • (4)
  • (0)
本棚登録 : 396
感想 : 26
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003224717

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • これはギッシング作の架空である人物、ヘンリ・ライクロフト私記である。ライクロフトの私記では、春、夏、秋、冬、と季節毎の情景やライクロフトの郷愁の念が文章の中で躍動している。花のひとつひとつの名前を書き、自然や景色、そうしてイギリスの文化について叙情的に四季とともに語られている。ギッシングはきっと架空のライクロフトという人物を投影することによって自身の葛藤や、貧乏であったこと、それらに付属する感傷を昇華する事が出来たのだと思う。
    ライクロフトはこのような事を語っている。老年になり歴史について史書を読む必要はない。私は「ドンキホーテ」を読みたい、と。楽しむ為に、と。ギッシングに於けるライクロフトという架空の人物が作り出され、それが本になり彼は成功を遂げた。イギリス中で愛読された。しかしその数ヶ月後にギッシングは死んだのだ。友は悲惨な死であったと言った。ライクロフトの言う望んだ死は遂げられなかったのだ。

    私はこれを読み、自然というものを、四季というものを大事にしたいと思った。ひとつひとつの変化を毎日捉えられるように、ライクロフトのようにはいかなくとも、微量の僅かばかりの活力を生を、大地の匂いを楽しみたい。そう思った。

  • ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』岩波文庫 読了。移りゆく四季の中で、読書を愛する主人公が人生を回顧し思索にふけりながら、片田舎で穏やかな余生を送る。読書人の境地ともいえる。読中たまに飽るが、散見する彼の思想には共感する部分が多い。再読を重ねるほどに妙味を堪能できるだろう。
    2010/04/14

  • ヘンリ・ライクロフトという架空の人物の隠遁生活におけるエッセイ集のようなもの。ライクロフト=ギッシングとみればエッセイであり、そう見なければ、文学作品となる?

    解説には、自然の描写に共感できる、とあったが、そうでもない。正直に言うと、最後まで読み通すのには、骨が折れた。こういう本を楽しんで読めるようになりたい。

  • 若いときはいろいろ苦労した。特にお金はなかった。が、今、こうして思いがけず遺産が転がり込み、自然のなかで悠々自適の生活をおくっている。もう既に野心はない。自分の人生も既に終わっているのだと認識する。人生の秋から冬にかけて、読書と散歩の日々をおくる。安らかな死を願いつつ。

    といった本。

    本好きだったら、こういう生活、老後を送って見たいと誰もが思うだろう。まさに私の夢の生活そのものか。

    が、これもギッシングの夢想でしかなく、安らかな死の夢は叶わず、彼は異国で寂しく死んで行くのであった。

    現実は厳しい。

  • ヘンリ・ライクロフトという架空の人物に重ねて、著者であるギッシングの思いが語られている本です。
    何よりも、この本の中に流れているゆったりとした時間が心地よかったです。そして、美しい風景描写も心に残ります。
    ライクロフトの晩年の生活は、知的生活を送りたいと考えている人にとって、究極の理想生活だと思いました。

  • 英国の作家ギッシングが、20世紀初頭に、南イングランドの田園地帯で、散歩と読書に費やす1年間の日々を、ライクロフトという初老の男性の手記というかたちで著した自伝的著作。
    渡部昇一が1976年発刊の伝説のベストセラー『知的生活の方法』で、「知的生活とはどのようなものであるかを典雅な筆致で示したことによって、今日なお、多くの人につきることのない感興を与えている」と書き、書評家の岡崎武志が『読書の腕前』(2007年)で、「およそ読書人と呼ばれる人の本棚に、これがないことはありえない」という、日本の知的生活を求める本好きにも愛され続ける作品である。
    著者自身は平穏で幸せな一生を送ったとは言い難いが、最晩年に、自らの理想とした生活~自然の溢れる田園地帯で、季節の移り変わりを感じつつ、本を読み、思索に耽る生活~を著した本書は、発表から一世紀を経て、更なる物質社会で忙しない日常生活を余儀なくされる我々に、一時の安らぎを与えてくれると同時に、強い憧憬の思いを抱かせる。
    本好きにとって、晩年に送りたい生活のモデルのひとつである。
    (2007年11月了)

  • 19世紀イギリスの小説家ジョージ・ギッシング(1857⁻1903)の最晩年の作品、1903年。ヘンリ・ライクロフトなる人物の手記という形で、そこに作者自身の人生を重ねた自伝的作品。

    幸福な偶然によって金銭的余裕を得たライクロフトは、日増しに騒々しくなっていくロンドンでの都会生活を避けて、田園にて孤独に耽る。手記の内容は、思索的であるが、しばしば過ぎ去った生への悔恨の念が前面に出ている個所も多い。また、ライクロフトは一定程度の教養層の出身と想像されるが、自らを労働者階級から截然と区別しており、階級的差別意識がはっきりと表れている。そこに綴られた文句の端々にライクロフトの、則ちギッシングのプチブル・ディレッタンティズムが嗅ぎつけられてしまい、読んでいて苦々しい。



    繰り返し述べられているのは、若き日に嘗めた窮乏の辛酸に対する根深い忌避感、世間と俗物群衆が喚き合っている低俗な都会生活への嫌悪感だ。

    教養ある彼には、労働者階級の日常に溶け込むことができず、学芸の古典へと沈潜することで自らの精神の平衡を保つ居場所を得る。自己を社会の構成要素と考えることができず、社会と常に敵対関係にあったライクロフトにとっては、孤独の裡に在ってのみ自分が自分でいられるのだ。

    そして、当時立ち現れつつあった匿名多数の衆愚の塊としての社会への嫌悪と恐怖が、自分も嘗て困窮の都会生活時代に目の当たりにした労働者階級の悲惨な現実に対する苦い思いが、彼を"反民主的"にした。精神の"貴族性"無き無教養の群集が政治権力を掌握する民主主義の思想を、彼は拒否した。肉体労働を通して社会機構の基盤を支えている労働者たちに感謝を示しつつも、嘗て身を以て接した労働者階級の愚鈍さと醜悪さの現実を受け容れられず、階級無き世界を目指す社会主義者の見ている労働者は彼には幻想だとしか思えなかった。貴族には"倫理的優越性"が在るとして、卑俗な下層階級は彼らに服従することで"高貴な倫理性"に与れると考えていた。イギリス人の精神生活は"栄光ある"貴族階級によって支えられているのだと。

    時代の趨勢の中で次第に過去のものとなりつつある観念的な貴族的"栄光"を称揚し、無教養な労働者階級を蔑み、更には社会的成功を得た俗物に嫉妬する。そこには、自己の生に対する不全感からくるルサンチマンが影を差していないか。



    そして偶然の幸運から転がり込んできた物質的生活上の保障を得て、自然と読書に耽るだけの日々に退却する。都会生活於いて自分の生を生き切ることができず、生を諦めてもなお続いていく日常を、田園の中で精神的物質的平静と静寂に包まれた孤独な隠遁生活として遣り過ごしていく。どうしようもなく中途半端な自己の生に対する悔恨と諦念とともに、古典の世界へと耽溺していく。

    「だが、考えてみれば、私はまだなに一つ仕事らしい仕事をしていないのだ。これというはなばなしい経験もなかった。私はただ準備だけをしてきたのだ――人生の一介の徒弟にすぎなかったのだ」

    「・・・、私が機会に恵まれなかったがゆえに、いやそれ以上に、おそらくは適切な方法と不退転の熱意に恵まれなかったために、自分のもっていた可能性が空費され、失われたことを意味する。思えば私の生涯は今までずっと一つの試みにすぎなかった。出発を間違えたり、途方もないことをやりだしたり、といったことの断続的な繰り返しにすぎなかったのだ」

    同時代ドイツの生理学者デュ・ボア・レーモンに端を発する著名な「ignorabimus論争」にもディレッタントらしい関心を示している。

    「今でも昔と同じく、われわれはただ一つのことしか知らない。つまり人間はなにものも知らないということだ。たとえばだ、路傍の花を摘んで、それをじっと見ながら、もし仮にそのときその花に関する組織学、形態学等々の知識をみな私が知っていたとしたら、その花の意味をことごとく尽くしえたと、はたして私は感じることができるだろうか。これらは言葉、言葉、言葉にすぎないのではないか」

    「・・・。人間は進化の法則の産物にすぎず、その感覚と知性も、人間をその一構成分子とする自然の機構を観察する以外になんの役にもたたないというのか。・・・。解けない問題への絶望、おそらくは、あえて解けると誇称する連中への忿懣、こういったものが、形而下的な事実のかなたにある一切のものを断固として否定せしめるにいたり、ついには自己欺瞞に陥らしめるにいたった、・・・」



    読んでいてどうにも居心地悪いのは、そこに描かれているライクロフトの生がまさに自分自身の姿だからだ。この苛立ちは、ライクロフトに投影された自己嫌悪だ。

    「私が考えているのは、心の問題を情熱をもって追究し、自分の神聖な時間を侵害するすべての世俗的な利害関係や煩わしさから苛立たしく面をそむけ、ひたすら思想と学問の無間性の観念に憑かれている人であり、精神的な活動力をささえる基盤である条件は痛切に知ってはいるが、それを無視せんとする不断の誘惑に抗することのできない人間のことなのである。・・・、かかる人間は自分の才能を商品として売りだし、貧困の絶えざる脅威の下に営々と働かなければならないというしばしばみうけられる実状・・・」

  • 富士見台ブックセンター、¥756.

  • 主人公は非常な本好きで本にまつわるエピソードがけっこう出てきます。
    そんな場面では思わず「そうなんだよ、わかるよ」と主人公の肩を叩きたくなる事が何度もありました。
    さらには言葉や文字では表現できないけど確かに自分の中にあった気持ちを見事な表現で代弁してくれているような箇所も出てきました。
    そんな時は「君の言う通りなんだよ」と抱きつきたくなる衝動に駆られもしました。
    作中に出てくる本で読みたくなったものも数多くありました。

    ただ興味の湧かない事に関するエピソードに対して冗長に感じたりもしましたし、言われるほど自然描写に卓越した物があるように感じられないのは私に責任があるのかな。

  • 困難極めた人生を、思いがけず手に入れた大金によって、片田舎へ引っ越し、古典文学や自然に触れながら、充実した隠居生活を送る作家ヘンリ・ライクロフト。

    あまり幸福な人生とは言えなかった著者ギッシングの魂の叫びが、ヘンリ・ライクロフトという人物に託されている。

    南イングランド片田舎に広がる田園風景の描写が素晴らしく美しい。

全26件中 1 - 10件を表示

平井正穂の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
宮部みゆき
J・モーティマー...
ウィリアム シェ...
サン=テグジュペ...
ヘミングウェイ
遠藤 周作
谷崎潤一郎
サン=テグジュペ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×