- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004309154
作品紹介・あらすじ
豊かな会話、クリエイティブな議論は、どのようにして成り立つのか。話の流れをつかむ「文脈力」や基盤としての身体の重要性を強調しつつ、生きいきとしたコミュニケーションの可能性を考える。メモとマッピング、頷きと相槌、会議運営のコツなど実践的な技から、弁証法的な対話の喜び、沈黙それ自体の意味など深い考察まで、縦横に展開。
感想・レビュー・書評
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人との関わりが広がるなかで、もっとコミュ力が必要だなと感じた。そもそもコミュ力とは何だろうと考え、大学時代に読んだこの本を再度読み直すことにした。
コミュニケーションとは、意味や感情をやりとりする行為。そして、「相手の経験世界と自分の経験世界を絡み合わせ、一つの文脈を作り上げていくことで、次の展開が生まれる。これがコミュニケーション力のある対話」(p.22)であり、コミュ力とはすなわち「文脈力」であるという。
1章では、上述のコミュ力とは何かということと重要性、文脈力を磨く方法が書かれる。2章では、コミュニケーションを行う上で、相手と共鳴するために響く基盤づくりの方法論が書かれる。3章では、コミュニケーションに必要な技法(基本は、相手の話に沿いつつ、話を広げて推進させるべくずらすこと)について書かれる。
コミュニケーションでやりとりされる「意味」「感情」のうち、意味のやりとりについての言及が多い。だが、とりわけ2章で紹介される方法論は意味・感情両方に通ずるものであるし、両方のやりとりが良いものを生み出すのだということを全体を通じて感じる。
コミュニケーションの方法論に関する本というよりも、他者との対話をはかることの重要性を認識できる本。
ともすれば焦ってしゃべり過ぎてしまい対話の本質を見失ってしまいがちな私にとって、なぜ対話するのか、なぜ対話は重要なのか、対話はどうあるべきなのかを改めて考えさせてくれる本であると感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ていうか症候群」・・・私の身近にもいます。「ていうか」ということば1つで話題を変えてしまう人たち。本当にずっと小学生のころから仲がいいんだけど、その2人の会話を聞いていると、よくこれで話が続くなあと思うくらい、それぞれが勝手に話をしている。本当に人の話を聞いているんだろうか。それで続く関係というのもおもしろいなあ。「人間ジュークボックス」・・・自分の言いたいことばっかり言って、人に話をさせない。同じエピソードを何度も語る。これは以前の自分のことです。はずかしながら、数少ない女性とのおつきあいの中で、何度かそう指摘されたことがあります。よほど仲良くなってからでないと、そうはならないんだけど。「うなずく人が減っている」・・・その通りだと思います。授業をしていても、うなずいてくれない、微笑んでもくれない、無反応。これでは話が盛り上がらない、相手が理解しているかどうか分からない。講演会などではなるべく私自身は相手の話にうなずくようにします。ちょっと自分をアピールすることにもなります。「質問する力が弱まっている」・・・いたいところついて来るなあ、という質問が減っているように思います。こちらが、そうそうそれも言っておきたかった、と思えるような突っ込みも減っています。人の話を聞きながら、キーワードをメモしていく。大事なところ、後で質問したい事柄などは色を変えたり、ぐるぐる巻きで目立つようにしておく。私は講演会ではいっぱいメモをとります。途中で質問したいことを思いつくと、そのことで頭がいっぱいになります。大人数の会場だとけっこう緊張したりするんだなあ、これがまた。そして、相手が喜びながら私の質問に答えてくれたら、しめしめ、やったー、という気分になります。ヒトはコミュニケーションをとることで人間という存在になったのだと思います。この本を読んで、コミュニケーションの技をみがいて下さい。ところでこの人はいったい何冊本を書くんだろう。
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他の著者の、コミュニケーションや対話に関する本もいろいろ読んでいるが、書かれている内容や、踏まえられている実践や経験の濃密さは、齋藤氏のこの本が群を抜いている。学生時代の「対話」に費やされた情熱や、大学の教室などでの膨大な実践での経験が凝縮されている。
この中で紹介されたいくつもの方法が、それぞれ独立の本となっている。『偏愛マップ』や『質問力』がその例だ。
現代の若者に欠けている対話やコミュニケーションの力、かつての日本には満ちていたが、現代の教育現場に欠けている身体に深く根差した教育力など、今の日本に欠けている大切なものを取り戻すために、この人の紹介する数々の実践的な方法を、もっと普及させるべきだと思う。 -
コミュニケーションというのはただ相手に話しをすればよいというわけではない。聞く能力もコミュニケーション能力です。相手の言いたいことを的確につかみ、相手の求める返答をする。これこそコミュニケーション能力であると本書は述べています。またそれに基づくコミュニケーション能力の向上方法を具体的に提案しています。しかし本書を読むだけではコミュニケーション能力は向上しない。実践する事に意味があります。
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コミュニケーション力について基礎的なことが学べます。
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コミュニケーションというと、文字ありきのやり取りと考えがちであり、ボディランゲージも言葉の一種と思っていたがそうではなかった。
著者の本は身体論へ紐付けされる事が多い印象だが、本書も例外ではなく、むしろこれが起点になっているのか?と思われる。
この本を読んですぐにコミュニケーションが上手くなるわけではないが、意識すべきポイントを抑え、磨いていくきっかけにはなりそう。
『読書力』とワンセットらしいので、併せて読んでおきたい。 -
コミュニケーションは基本簡単って思わせてくれた気がする。難しいとも考えられるけど。
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前時代的な考えも多い
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とても読みやすい。
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コミュニケーションはやはり大切である。
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非常に読みやすかった。
コミュニケーションに関して重要な要素ではあるが、私たちが疎かにしやすいポイント(相槌やアイコンタクトなど)について丁寧に説明されていた。また、コミュニケーション力向上のための具体的な練習方法なども数多く紹介されていたので、私も是非実践していきたいと思った。 -
『考え方の教室』は気づきをもたらす名言が散りばめられていて深く感動したが、これはそうでもなかった。ハウツー的なことを求めてるわけではなく、その本が扱うテーマに関して著者がどう考えているかが書かれてるかが大事で、少しすくなかった。2020.4.19読了
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コミュニケーションに関するエッセイ。
本書でのコミュニケーションの定義は『感情や意味をやりとりする行為』である。第一章では、『コミュニケーション力』の意味と重要性が説明され、コミュニケーション力を養う方法が紹介されている。第二章ではコミュニケーションを行うための基盤やそれを形成するためのメソッドが、第三章ではコミュニケーションのテクニックを紹介されている。
一応、各章でテーマはあるが、いろいろな話がごったになっていて、楽しく読むことができる。その中に、気づかされる点があったり、なるほどと思わせる点があったりする。
軽く読んで、自らのコミュニケーションを再考するきっかけとするにはちょうど良い本。 -
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これ一冊あれば十分かも?
すべてのトラブルは具体的なアイデアによってのみ乗り越えることができる。 -
著者の作品は読みやすいものが多いが、この本はどちらかと言うと難しかった。「わからない事が、わかる」本とはこういうことを言うのかもしれない。
この本の節の部分をもっと詳細に綴った本もあると思うので、機会があれば挑戦してみたい。 -
齋藤孝先生は雑談の名手ですが、ただのお喋りではありません。
理論や指導にも通じていますので、師の書かれる著書は外れがありません。
本書も、
「理想的なコミュニケーションとはクリエイティブな関係性」
「コミュニケーションは、響き合いである」
「話していて一番疲れるのは、身体が冷えている人だ。響かない身体だ」
といったキラーフレーズや重要な指摘が満載です。
英語の勉強の前に身体を動かすとか、発表にハイタッチやスタンディングオベーションを取り入れるとか、斬新な授業の方法も紹介されています。
齋藤師が行う授業は、ただ聞いているだけではなく、グループで発表し演習しているようです。
対人恐怖症でグループ活動が苦手な私なら尻込みしてしまいますが、実際にこんな演習を行って揉まれていると実践力がついて社会人になっても活躍できそう。
ということは、齋藤師のゼミは現代日本有数の人材養成所なのではないでしょうか。
果たして私はそのゼミの出身者と互角に渡り合えるのでしょうか。何だか瞬殺されそう。
齋藤ゼミの秘密を探れ!本書を読めばその片鱗を伺うことができます。
また、齋藤師は本の紹介の名手でもあります。
本書でも色々と読みたくなる本が紹介されていました。
何を読むか分からない方は、まず、適当な齋藤師の本を読んでみれば、そこから芋蔓式に読みたい本が出てくると思います。
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20170425/p1 -
書いてあることが、この前に読んだ同著者の「『頭がいい』とは、文脈力である」という本と被る部分が多かった。つまりとたとえばの往来の話、三色ボールペンメモ術、もちろん、文脈力そのものについての言及もあった。より普遍的で、一般的な内容になっていたため、目から鱗とはいかなかったが、そんな言葉の中に、「コミュニケーションが上手な人は、どんな人とのコミュニケーションも楽しめる」と書いてあった。至って凡百な内容だが、我が身を振り返り、雷に打たれた心地がした。偏愛は、コミュニケーション力不足。馬が合わない、は逃口上。自分のコミュニケーション力が、如何に不足し、欠如していたかを思い知らされたという意味で、個人的には名著。多分、読んだタイミングなんだと思う。これも、セレンディピティ。
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コミュ力がある、ないとか、コミュ障とかいう言葉が人の評価として日常的に使われ、就職面接でも多くの組織がコミュニケーション力を求める資質の筆頭にあげる今日に生きる者として、コミュニケーション力とは何かを考えるには良い本。
コミュニケーション力を、文脈力とかコメント力といったものに細分化して、コミュニケーション力とは何か、伸ばすためにはどのようなことに留意すべきかを説明しておりわかりやすい。
自分のこれまでの会話を思い出しながら、これは出来てる、これは出来てなかった、対話者はこれが出来ていないから若干不愉快な会話になったんだな、と、いろいろ経験と照らし合わせながら読むと楽しかった。
打てば響くコミュニケーションを気を付けようと思う。 -
*人間理解力
その人の先祖から続く過去、そして未来を見通して接してみよ。相手がどんな人であれ、その奥深さを感じずにはいれないだろう。
*コミュニケーションこそが人間の根幹
植物状態の人がコミュニケーションしたように、人はいかなる人ともコミュニケーションをとることができる。コミュニケーションによってつながりを持つことこそが人間の根幹である。 -
斎藤の「対話スキル啓発」としては、もっとも良い出来ではないだろうか。文脈を押さえる。沿いつつ、ずらす。相槌。言い変え要約を活用する、相手の癖を見切る、など。
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最初らへんを読んだ。
思っていたのと違った。 -
今日の複雑化する社会の中で、人と人とがコミュニケーションを持つ事は、だんだん難しくなっているように思われます。自分の意図したことが相手にうまく伝わらない!どのように話しを膨らませれば更によいコミュニケーションに発展するのか?コミュニケーションとはなにか?皆様、こんな疑問を持たれた事はありませんか?コミュニケーションの基本技術を習得したい方は、是非一読下さい。I職員のおススメより
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「コミュニケーション力」は"意識して"身に着けなければいけない、と強く感じつつある。
そもそもコミュニケーションとは、意味だけでなく、感情をも移動させることだ。対話とは、クリエイティブな関係性を愉しむこと。(相手を打ち負かすのでなく!)「止揚(アウフヘーベン)」的な弁証法的な対話の喜び、・・・等々。
目からうろこのような記述もあれば、少しずつ感じつつあったようなことまで、対話の極意が満載である。
一方、うなずき、相槌を打ちながら、目を見て微笑みながら話をきけ、ということとか、メモをとれ(自分のインスピレーションをも記せ)ということ、マッピングコミュニケーションのことなど、実践していた(に近い)ことも主張され、大いに納得するのである。
本を読んで、コミュニケーションのあり方を学ぶことはできる。自分が辿り着いていたやり方に、自身をつけることもできる。
しかし、教えられたやり方を本当に習得するには、実践して練習するしかない。頑張ろう。 -
読みたい章だけ。
生活の至る所にコミュニケートが存在して、これを上手く駆使すると生きやすくなるということを前提としている本。
外国語と日本語のボディラインゲージとリズムの違いの章が面白い。
日常的に行っている会話、限界まで深く掘り下げていくことで新たな発見があると思った。 -
誰とでも世間話しご出来ることは、重要なコミュニケーション力である。
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【超速読】先日読んだ平田オリザの本と比較する意図もあって借りました。現代に蔓延する「コミュニケーション力」の意味の取り方を否定し本来性を掘り下げた平田氏の論と違い、こちらは「コミュニケーション」を図るための具体的な方法まで段階的に論じています。コミュニケーションはクリエイティブでなければいけない、というのは私も思っていたところで、そのための基礎的な概念は自分が意図している方法と同じでした。安心。詳しく目を通したのは3章のコメントと質問についてで、頁は割いてませんでしたがここは大事にしたいとこだなと。