後醍醐天皇 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317159

感想・レビュー・書評

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  • 平成から令和に元号が移り変わったこんにち
     天皇の中でもこの後醍醐天皇も日本の歴史に影響を与えた人物の一人ではないでしょうか。
    儒教などやいろいろなことについて趣味多彩で勉強熱心であり、鎌倉幕府の倒幕の企ての張本人、足利尊氏との決別により南朝・北朝の二つに天皇が別れて動乱が起るなど慌ただしい人生を生き抜いてきた人物である。

    今後も研究されていくことだと思います

  • 大覚寺統の亀山法皇の死、後二条天皇の急逝、その子邦良親王の病弱などの偶然が重なって、尊治親王(=のちの後醍醐天皇)に皇位継承の可能性が巡ってきた。
    おりしも時代は宋学が流行したとき。モンゴルの侵攻による南宋の衰退で、蘭渓道隆や無学祖元が来朝していた。
    後醍醐天皇が理想とした新政は、宋学に裏付けられた中央集権的な政治だった。天皇とその官僚機構にすべての権力を集中させる統治形態である。それは逆に言えば、門閥や家格の序列を解体するような人事であった。そんな後醍醐天皇のイデオローグとなったのが、日野資朝や日野俊基といった、宋学を修めた中流以下の貴族層だった。
    天皇は身分や序列が無化される場として無礼講を開き、討幕の謀議を重ねる。大学時代内部の後醍醐派・邦良派の対立からスタートした正中の変(1324年)は倒幕計画に加わった土岐頼員が密告して失敗。日野俊基は鎌倉に拘禁されたあと、すぐに釈放されたが、日野資朝は佐渡へ流罪となった。
    31年、再度の倒幕計画が露見(元弘の変)。笠置山の戦いで敗れた天皇は、隠岐に流される。日野俊基は鎌倉に送られて斬首、資朝は佐渡で処刑。幕府が送り込んだ足利高氏は反旗を翻して六波羅を攻略、新田義貞は鎌倉を攻略。鎌倉幕府の滅亡である。
    天皇の新政は、平安後期以降の貴族の既得権を打破し、天皇が臣下を介さずに人民に君臨するものであった。だが、その理想は14世紀の日本の政治的現実を前に挫折せざるを得なかった。

  • h10-図書館2018.7.18 期限8/1 読了7/31 返却8/1

  • <目次>
    序    帝王の実像と虚像
    第1章  後醍醐天皇の誕生
    第2章  天皇親政の始まり
    第3章  討幕計画
    第4章  文観弘真とは何者か
    第5章  楠正成と「草莽の臣」
    第6章  建武の新政とその難題
    第7章  バサラと無礼講の時代
    第8章  建武の「中興」と王政復古

    <内容>
    学習院大教授。日本文学・芸能論が専門だが、後醍醐天皇を身贔屓的にしている気がする。ただ時代背景として「バサラ」とかよくわかった。特に佐々木道誉。第8章は江戸から明治期の情勢をまとめているが、現代と後醍醐を結びつけるのにも違和感が…

  • 16頁の天皇系譜図にしおりしておくと便利ですー。

  • 逃げ上手の若君を読んで室町時代に興味を持った。本書での後醍醐天皇はもっとまともな人物像で、これまでの後醍醐天皇像は異形の王権みたいなオカルティックなイメージは払拭される。

  • 鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行ったものの3年足らずで後醍醐天皇の政権は崩壊。

    反旗を翻した足利尊氏の擁立した京都の北朝に対して、奈良吉野で皇位の正当性を主張、南北朝が並び立つ動乱の時代へ。

    1338年、後醍醐天皇は志半ばで非業の死を遂げる。

    骸は奈良の吉野に朽ちぬとも、魂は京の空を見つめ続けると言い残し、激動の人生の幕を閉じることになった。

    当時においても、後世においても、賛否両論のある君主である。

    後醍醐天皇は、伝統的な門閥貴族の合議による政治を否定。

    天皇が一君万民の専制君主として強力なリーダーシップを発揮する政体を目指した。

    未来の新儀を創出する意欲を持った後醍醐の政治方針は、既得権益を世襲的に保持し続けてきた上級貴族の利害や貴族社会の慣習と相容れず、武士のみならず公家社会内部でも天皇の政治を批判する声は少なくなかった。

    また、武家の欲する所領安堵に功のなかった建武政権には足利尊氏は参加しておらず、御家人の意向を背に足利尊氏は武家政権の復活を目指して立ち上がったのであった。

    後醍醐天皇の一君万民の政治構想は、のちに国民国家の建設を目指す明治政府の「国体」のイデオロギーに取り入れられ、大日本帝国の政治を呪縛した。

    また、天皇の存在は、現代を生きる我々の慣習や規範に影響を与えている。

    個性や自分の意思を表現することより、コミュニティ内での公平・平等・均等を良しとする暗黙の空気は、後醍醐天皇の目指した一君万民の政治的イデオロギーによって支えられたものかも分からない。

    天皇という存在自体が、今後も変化していく歴史的な存在なのだなという感想を持ちました。

  • ふむ

  • 仕事の参考資料につきななめ読み。
    歴史学の最新研究を踏まえた概説かどうか、後醍醐天皇についての最新研究の成果を知りたいという点においては、慎重にならなければいけないかもしれない。
    そうではない部分としては、面白く読める内容であった。

  • 建武の新政の本性は公家政治の復活ではなく、中国のような皇帝専制を目指すものであった。故に建武の中興ではなく、建武の新政である。後醍醐天皇は「今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべし」と述べた。復活ではなく、文字通り新政を志向していた。中央集権的な皇帝専制は分権意識の強い在地領主の肌に合うものではなかった。

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著者プロフィール

学習院大学文学部教授。研究分野○日本文学・芸能 著書等○『太平記〈よみ〉の可能性』(講談社学術文庫、二〇〇五年)、『琵琶法師』(岩波新書、二〇〇九年)、『平家物語の読み方』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)など。

「2014年 『『太平記』をとらえる 第一巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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