- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041245255
作品紹介・あらすじ
腕は確かだが、無愛想で一風変わった中年の町医者、勝呂。彼には、大学病院時代の忌わしい過去があった。第二次大戦時、戦慄的な非人道的行為を犯した日本人。その罪責を根源的に問う、不朽の名作。
感想・レビュー・書評
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思っていたのとは少し違いましたが人の闇を生々しく描かれています。
悪人が悪だけではなく、どうしようもない事をする人が優しさが全く無いわけではなく。
何故こうなってしまったのか、どうすれば良かったのか正解が分からないのは皆同じなのだと。
人のいやらしい一面も読んでいてイラッとしてしまう位に書かれています。
ただ救いはあるのかが分からないまま終わってしまうのが残念でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どんどん流れてくる汗を拭き取るくだりが凄くハラハラした。
当時の独特な擬音や、喋りかたが怖さを倍増させていた。
読んでいて知らない漢字が沢山出てきました。
安価で読み応えもあるので不気味な話が好きな人に読んで欲しいです。 -
戦時中に行われた人体実験についての物語。
する側の人物たちの心情が表現されていた。
異常事態の中で、どうやって正常を保つのか。
正常とな何か。等、考えさせられた。 -
有名な作品だけど、初めて読んだ。
解説がわかりやすかった。実話をもとにしていること、しかし、戦争という異常時の話としてではなく、設定を平常化することで罪責意識について問うているという内容はなるほどと首肯した。 -
戦時中の九州大学医学部で行われた捕虜解剖実験が元となった話。捕虜を解剖しそれに対して罪の意識を持つ勝呂と罪を持たない戸田の対比が描かれている。戦時中という非常事態とはいえ生体解剖を行なってしまう人の思考みたいなのがそれぞれの人物に描かれていて読み応えあった。勝呂のような意識にみんながなぜならないのか、戸田のように良心が麻痺してしまうのはどうしてなのかを考えさせられた。戸田に関しては昔からそういう風に生きているのが手記から伝わった(先生の蝶標本を盗んだり、従姉と体の関係を持ったり、妊娠させた下女を堕させたり)
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物語の構成がうまく、世界に引き込まれ一気に読んでしまった。特に、第二章の解剖事件に関わった看護婦・戸田の手記は、彼らの思考や生い立ちの描写が濃厚で、没入してしまうほど。(個人的には同じ女性として、看護婦の壮絶な過去には胸を痛めるものがあった)
事件自体の描写や物語の雰囲気は、想像していた過激さや生々しさはあまりなく淡々と綴られている印象。関わった人々も、戦争中という過酷な時代の中でも決して特異な状況にあったわけでもなく、海の潮の満ち引きのように自然と流されて事件に手を染めることになってしまったことが、とても恐ろしい。 -
タイトル含め、色々と考えさせられる作品。とても暗く重々しいけれど、読みやすく 苦痛なく読めた。実話をもとに書かれており、その事件について調べてみたら 自分なりに感じるものがあり、もう少し深く知りたいと思った。
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腕は確かだが、無愛想な町医者・勝呂(すぐろ)。彼には戦時中の研究生の頃、外国人捕虜の生体解剖実験に立ち会った忌まわしい過去があった。この事件に関わった人々の苦悩を描いた作品。
実際に発生した九州大学生体解剖事件をモチーフに描かれた小説。テーマは「神なき日本人の罪意識」。戦争で死ぬか、病院で死ぬか。生と死の境界が限りなく近づいた時代。「捕虜は殺されるのだから医学のために活用しよう」と正当化する人々の心理が淡々と綴られていく。夜の海に潜るような恐怖を感じた。
良心はあるが止められなかった勝呂の無力感。罰は怖くとも罪の意識を持たない戸田。夫に捨てられた上に子を生せない体になった自分と、聖女のように振る舞う部長夫人・ヒルダを比べて憎悪を燃やす上田。そこに患者を差し置いた院内政治も絡み、病院という薬が毒と化して罪の意識を麻痺させていく生々しさが凄まじい。
日本では昔から恥の意識が強いのかなと感じる。それは恥と呼ばれる行為を行えば、集落から追われて命の危険に晒される──つまり、同調圧力や意識が強いことが生存に不可欠だったということ。だから、知られなければなかったことになるし、その集団での意思決定に背くことが難しい。罪とは恥から受ける罰のことなのだ(つまり、内側ではなく外側から与えられるもの)。そして、それは恥を犯した者は罰を与えられても仕方がないという思考にも辿り着く(裁判ではなく、晒し上げて叩く現代社会に繋がる)。
これを対比させて描いたのがヒルダという神を信じる外国人の存在なのかなと。己や神を信じる心から来る良心の咎めこそ罪の意識で、心の内側で罪と罰が自己完結する。これもまた、戦時下の外国では環境によって人の良心が支配されたケースもあり、単純化できる話ではないだろう。ただ一つ救われたとすれば、戸田が勝呂に伝えた神の話か。恥と罪と罰はどこまで行っても絡まり合う鎖でありながら、荒れ狂う運命の海に飲まれなくするための錨でもあるのかもしれない。
p.78
「執着はすべて迷いやからな」
自分はなぜあのおばはんだけに長い間、執着したのだろうと勝呂は考えた。彼は今、それが初めてわかったような気がする。あれは戸田の言うようにみんなが死んでいく世の中で、俺がたった一つ死なすまいとしたものなのだ。俺の初めての患者。
p.86
「神というものはあるのかなあ」
「神?」
「なんや、まあヘンな話やけど、こう、人間は自分を押しながすものから──運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」
「さあ、俺にはわからん」火口の消えた煙草を机の上にのせて勝呂は答えた。
「俺にはもう神があっても、なくてもどうでもいいんや」
「そやけれど、おばはんも一種、お前の神みたいなものやったかもしれんなあ」
「ああ」
p.132
だが醜悪だと思うことと苦しむこととは別の問題だ。 -
5年ほど積読だったのをようやく読んだ。
戦時下の大学病院で実際に行われた事件である、外国人捕虜の生体解剖実験と、それに携わった医師や看護師の苦悩が綴られている。
どす黒い海に呑みこまれていくような、じっとりとした恐怖と気持ち悪さを感じた。
特に、私は主人公の勝呂よりも、同僚医学生である戸田の方により感情を寄せられながら読んだ。太宰の人間失格に近いものがあるのかな。
今日死なせてしまった患者の顔も、明日には忘れる。社会的な罰を恐れるが、罪を恐れているわけではない。自分がしてきたことは醜悪だとは思うが、そのことで苦しみはしない。
良心の呵責に苛まれる勝呂、良心の片鱗もみつからない自分を改めて実感する戸田。
でもフィクションじゃない現実でも思うのは、人間は誰しも、本当の本当は他人の死、他人の苦しみに無感動なのではないか、ということ。
私はどうだろう?これまでの人生、どれだけの罪を犯して、平気な顔でそれを忘れてきただろう?