- Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061950511
作品紹介・あらすじ
永禄10年(1567)、伊達政宗は奥羽米沢城に呱々(ここ)の声をあげた。時は戦国、とはいえ、一代の英雄織田信長によって、戦国も終熄(しゅうそく)に向かい始めていた。しかし、ここ奥羽はこの時期こそ、まさに戦国動乱のさなかだった。激動の時代を生きた英傑独眼竜政宗、その生涯の幕開けである――。
感想・レビュー・書評
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伊達政宗の人生が政宗視点で見れるのでおもしろいです。
歴史に詳しくないので知らなかった部分が多く読む度学ぶことが多くて大変でしたがそれを払拭するほどのドラマ性や人生観を学ぶことが出来ました。
まず驚いたは伊達政宗と織田信長は34歳差ということです。冒頭にも出てくる言葉に「あと20年早ければ乱世の英雄かもしれなかった。」という現実は後の政宗をも苦しませました。
伊達家は代々女に弱く子宝であり、色んな縁談を用いり繁栄させていた家系であることもはじめて知りました。
あと政宗の父輝宗は悲しいほど戦国時代に似合わない善良過ぎる人であったことです。
妻に愛されてると信じきってたり、
息子の英雄伝説にも信じ切ったり、
裏切る仲間を死ぬ最後まで信じきったりと。
その背中が政宗自身の後の人生観に多大な影響を与えました。
伊達家の家臣が父を裏切り暗殺した時、
政宗は残酷な復讐を果たしたのですが
「我々は人間の悲しさで、憎悪という感情で相対した場合、自分の感情が全てと錯覚する。
しかし、世間の目は別だ。伊達輝宗と畠山義継の死は相打ちし、伊達政宗は好んで人殺しをしたものだ。」
世間と自分の感情が同一では無いことを喪失感の中学び
「些細な戦や平和、平凡な経験がその後の政宗を変えた。これは人生でも言える。バカバカしいことが戦の人生」
この経験が戦における政宗の哲学に変わりました。
政宗の人生に影響を与えた教育係の虎哉の哲学的思考も好きです
「教育とはなんとおおそれた欲望だろうか
本来の感覚は元から人間に身につけられている
痛いという感覚も悲しいという感覚も決して避けられないように運命づけられている
それを克服できるというのが人間に許された、人が人を教えるというそもそも不自然な事が教育の本質なのだ」
また作中で一番好きな言葉があります。
「人生は客でー」
常にこの世から客が来たと思えばある程度怒りは収まり行儀作法も保ってゆけるという考えです。
その言葉通り父の死を通して感じたことです。
この悲劇から政宗は多くのものを成し遂げます。
血を流さず黒川城を占領することを成し遂げたり
「他人を疑い過ぎてはならない」という感覚をも得ます。
どんな悪人にも良心はあり、その良心に呼びかけて、これを仏心に変えてやる指導力を持つもので無ければ、人の上には立てないという反省と悟りを20代で気づいたのです。
「秀吉も政宗も冷酷な方ではない。むしろ、孤独感覚の過剰から甘さに流れた点さえあるほど」
と言われるほど母親愛に飢えていました。
後に親戚や母に命を狙われてしまいますが父同様に信じることを最後まで諦めませんでした。
解説では、著者と偉人の関係性について書かれていました。
終戦後玉砕覚悟だった著者が書いたのが史上高名な人物たちだった。
「生きたいように生きて、幸せな人生を送った」
作者にとって人生観や幸せとは何かを考えさせてくれたのが徳川家康や伊達政宗と言った歴史的偉人なのだろうと勝手に考えました。
単なる歴史や人生ドラマだけではなく戦国時代というひとつの時代の渦でどの時代でも必ず訪れる苦しみの向き合い方を教えてくれる本だと思いました。 -
奥州の伊達家17代目の当主・伊達政宗(1567-1636)の波乱の生涯が描かれた大河歴史小説の第1巻「朝明けの巻」。 父(輝宗)と母(義姫)の嫡男として米沢城に生れる。5歳のとき疱瘡(天然痘)で右目を失明、のちに<独眼竜>の異名で呼ばれる。政宗の時代は、信長に続く秀吉、家康らの覇権争いの戦国乱世のなかで、奥州の暴れん坊として名乗りを挙げていく過程が描かれていく。
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山岡荘八には司馬遼太郎とは違った面白さがある。
司馬遼太郎は第三者視点で物事を描き客観的に歴史の全体像が追えるのに対して山岡荘八は一人称で進んでいく。
その一人称視点が丁寧に繊細に描かれているため、物語にとても引き込まれる。
梵天丸時代の政宗像がこんな風であったのかなとここでの問答が政宗の思想に繋がっていったのは間違いない。 -
戦国時代でも、少し遅れて生まれてきた。もう少し、前に生まれていたら、天下取りにも参戦できるだけの実力あり。
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面白かった。
結構昔の本ではありますが読みやすくわくわくさせてくれます。
本当にあと10年早く生まれていれば違っていたかもしれない。 -
名前が沢山出てくるので、初めて読むと少々辛い。
わかってくると少しずつ面白くなりました。 -
1~8巻
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星5
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<全八巻読了>
三英傑に遅れること三十年。
乱世から太平の世に至るまでを天下人たちと渡り合った、隻眼の武将の生涯を描く長編歴史小説。
幼少期から晩年までを扱い、奥羽の覇者たる男の才知と覇気、世渡りの巧妙さなど、巷にイメージされる独眼竜の原型に近い人物像と言えるだろう。
一方で、人物相関については、描写の濃淡が恣意的に顕著となっている。
生母・義姫や実弟・小次郎との確執は、過程こそ頁を割いているものの、決着は寧ろ呆気ないほどに淡泊な向きがある。
また、娘婿・松平忠輝の気宇と失脚は章を当てるに値するであろうが、その家老・大久保長安に対しては重点を置き過ぎているきらいがある。
野心家同士の対峙と陰謀の絡み合いにスポットを当てる意図にしても、他と比してあまりに細微に囚われており、少々食傷気味となる。
それでいて、片倉景綱、伊達成実、鬼庭綱元ら伊達三傑への注目度は低く、内二名ばかりを後手に回って辻褄を合わせるように登場させている気すらする。
伊達家および仙台藩の運営は、政宗のみならず、優秀な家臣団の支えがあってこそでもあるのだから、もう少し彼らの活躍を(各々の出奔の経緯も交えて)もっと前面に出しても良かったのではなかろうか。
とはいえ、太閤秀吉との虚々実々の駆け引きにはやはり厚みがあり、気概と機知に溢れる政宗の保身の巧みさは見事だ。
さらに、大御所家康を敢然と見つめるまなざしの、変遷の深遠さ。
政宗の生涯において転機となる局面はいくつもあるが、白眉は第四巻「黄金日本島の巻」。
心の勝負でもって対峙し、失策と蹉跌を越え、相手の器と使命を見極める。
日ノ本のためにこそ、我欲と意地から脱却し、将軍家の補佐の任に就こうとする大悟の境地。
その柔軟な感性と器量に加え、描写の清々しさも相俟って、実に快い下り。
人間がまことの成長を遂げる姿を目の当たりにできた感動が、ここにある。
外様大名が被る様々な危機を乗り切り、伊達家存続を図った政宗の才覚は、やはり並大抵のものではないのだろう。
余談だが、豊臣家存続に腐心する家康の懊悩は、『徳川家康』全26巻を描き切った著者故のこだわりかもしれないと感じられる一幕だった。 -
伊達政宗の気持ちまではあまり踏み込まず、事実を書いている感じ。それが筆者の手法なのかもしれない。知識としての勉強にはなるが、細かく冗長。平易な表現ではあるが読みやすくはない。
政宗の人間性の複雑さとその人間性が醸造された過程に妙味を感じさせる本書の内容がしっかり伝わってきます。
著者の人物評...
政宗の人間性の複雑さとその人間性が醸造された過程に妙味を感じさせる本書の内容がしっかり伝わってきます。
著者の人物評も日本刀のような凄みがありますね…。
簡単に手出しは出来なさそうですが、いずれは読みたい作品です。
日本刀のような凄み。
良い表現しますね。
日本刀のような凄み。
良い表現しますね。