背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)
- 講談社 (2006年11月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062575355
作品紹介・あらすじ
科学者はなぜ不正行為を繰り返すのか?誠実で「真理の探究者」と尊敬されている科学者による不正行為が後を絶たない。なぜ、彼らは自らの名誉と職を失いかねないリスクを冒してまでも不正行為に手を染めるのか?ガリレオ、ニュートンなど大科学者から詐欺師まがいの研究者まで豊富な事例を通じて、科学の本質に迫る問題作。
感想・レビュー・書評
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本書は、科学者たちによるデータ捏造、盗用、欺瞞がどのような経緯で、どのように行われたか、またなぜそのような行動にいたったのかについて、深い洞察を与える。本書によると、プトレマイオス(星の運行データの盗用)、ガリレオ(データ捏造)、ニュートン(データ捏造)といった超一流の科学者たちも、このような行動に手を染めていた。また、何人かのノーベル賞受賞者や、ノーベル賞候補もやってしまっているようだ。野口英世にいたっては、彼の論文のほとんどは捏造されたものであるといっても過言でないほどである。残念ながら、古今東西を問わず、このような欺瞞は横行していると認めざるをえない。これほどのレベルの科学者でも、欺瞞の誘惑に勝てないのだから、実際には非常に多くの欺瞞が科学世界の中で歩き回っていることは、想像に難くない。返す返すも残念である。 そもそも科学者とは、自然を探求することに対して無上な喜びを感じる人たちである(と思う)。にもかかわらず。多くの科学者、が、名誉、金、地位のために、己の真実への探究心を裏切った。合理のみが生きる世界から、不合理がまかり通る魑魅魍魎の世界へと己の住む場所を変えてしまった。著者曰く「一流科学者といえども、モラルは一般人と同じである」。確かにそうであろう。科学者のモラルについて厳しく言及した湯川秀樹の慧眼に感服するのみである。
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2015.7.4再途中で返却 7/12
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『文献渉猟2007』より。
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大昔から科学者の捏造が繰り返されていた話。
非常に多くの実話が盛り込まれており、なかなか読み応えがあった。 -
2014年の“理研ショック”にはたいへん驚かされ、日本で博士号を取ることはリスクと言う人まで現れた。私はそれを肯定できる部分はあるものの、全面肯定はできずモヤモヤした部分があった。そのモヤモヤ感を明らかにしてくれたのがこの本である。まるでOさんはこの本を読んで真似たのではないかと思われる内容の部分もあった。つまり、研究をする以上どの国の人間であっても起こり得る問題であり、やり口は似通っているにもかかわらず、止めることができないのが科学における不祥事なのだ。
この本を読むことで、理研ショックを驚くよりもむしろ冷めた目、冷静な目で見つめることができるだろう。 -
ガリレオ、ニュートン、野口英世も捏造科学者だったとは驚いた。科学者の3人に1人がミスコンダクトをしているという事にも驚く。また、上司に不正を指示されたら58%の科学者が従うとの事。科学者もサラリーマンだから仕方ないで済まされるのだろうか。
捏造・改ざん・盗用等の重度のモノはチェック機能である程度は発見・排除されていくのだろう。が、著者が指摘するように軽度の手抜き系は発見されにくく、こちらの方が危険なのかもしれない。
科学者も人間だからイチンチキはするだろう。承認欲求やら保身やら怠慢やらで。警察官も教師も裁判官も犯罪はするし。が、科学者犯罪の大きな違いは、その結果から人やカネが大きく動き、多数の人々の生命や財産に影響を与えるという事だろう。科学(者)はある程度は信用するしかないが(でないと何も食えないし、町も歩けないし)、科学(者)と言われるモノを盲目的に過信するのも問題で、多少は疑いを持った方がよいなとあらためて思った次第。 -
原書が83年と古いので,それほど期待せずに読んだが良かった。前読んだ『論文捏造』は主にシェーン事件という個別例を扱っていたが,本書の内容は古代から20世紀までと幅広い。原書刊行時に騒がれていた研究不正をメインにするのではなく,歴史に残る印象的なケースを取り上げて,名誉欲・自己欺瞞・師弟関係・政治的圧力といったテーマに分けて論じているのが長く読まれている理由なのだろう。
プトレマイオス,ガリレオ,ニュートンなど科学が自然哲学であった頃から既に倫理にもとる不正はあった。近代化を経て科学に国家の予算が入るようになり,職業研究者が当たり前になりその数も増えると,不正の誘惑もより大きくなる。信頼性を担保するはずの査読付き論文や追試実験も,商業主義やノウハウの壁,インセンティブの欠如によってなかなか有効性を発揮できない。
著者たちはかなり科学者に厳しめで,科学コミュニティーに任せていては捏造や改竄といった研究不正の解明はおぼつかないと言う。科学の自浄作用は過大評価されていて,それは1920-30年代の論理実証主義者たちが科学の手続きがいかに正当かという神話を作り上げてしまったことに起因すると分析している。
科学者も人間であり,不正は起こる。そのことを前提に,制度設計し組織を運営し発覚した不正に対応していかなくてはいけない。そして科学に税金が使われている以上,このことを国民一般の共通理解にしなくては。 -
小保方騒動どころじゃない、とんでもないのが科学の世界にはごろごろしていると知ってびっくり。ほかならぬ理化学研究所も、ちょっと前にやっぱり似たようなスキャンダルがあったそうだ。人間のやることだから、とは思いながら、客観的な検証が可能なはずの科学ですらこうなのか、と思うとちょっとげっそりする。科学ですら、地味にこつこつと仕事をするだけではダメなんだろうか?
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繰り返されるのか、とあるように、捏造は十年一日の出来事であり、科学者の理想像、理想的なシステムが有効な制約にはならないことがよくわかる本。