- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062634373
感想・レビュー・書評
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アメリカでの生活が書かれていた。平凡な日常だとしても村上春樹さんが文字におこすと、カラフルになる。どぎつい色ではなくてやさしい色。それは村上春樹さんのエッセイを読むといつも思うこと。
村上さんが小説を書くようになったきっかけが、今まで読んだどのエッセイよりも詳しく書かれていたと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これはアメリカとかイギリスでは読んでる新聞で生活階層が分かる、というような話がblogで出て、それを村上春樹がこの本で書いてる、と教えてもらったので読んでみた。
村上氏が1990年秋から3年間、プリンストン大学に招かれた時に書いたエッセイだ。その中の「大学村スノビズムの興亡」に、氏の知っているプリンストン大学関係者は「NYタイムズ」を読んで、ビールはハイネケンとかギネスなどの輸入ビールを飲む、というのが一般的だと書いてある。
何がコレクトで何がインコレクトかという区別がかなり明確である。というコレクトの意味が分からないのでだいたいの感じしかわからない文のあとに、分かりやすい実例が示してあった。
もしプリンストン大学関係者で、バドワイザーが好きで、レーガンのファンで、スティーブン・キングは全部読んでいて、客が来るとケニー・ロジャーズのレコードをかけるような先生がいたら、・・たぶん相手にされないだろう、ということらしい。
実は日本以上にアメリカは階級的な身分的な社会だという気がすると書いている。
これが書かれてから20年たつわけだが、さてアメリカ、日本はどう変化しているのか。 -
ストレンジャーになりたいから外国へ行くという感覚は凄く共感できる。
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エッセイ。
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「多くは住宅ローンに追われ、レイオフの影に怯え、景気の果てしない後退に不安を感じ、アメリカの理想の変質に戸惑いを感じ、教育費や医療費の暴騰に頭を悩ませている。銀行強盗に走った件の弁護士のように、何かひとつがうまくいかなくなったら、一歩足を踏み外してしまったら……という漠然とした恐怖がそこにはある。「ごく普通にやっていればだいたいうまくいくものだ」という楽観性―-中産階級にとっての最大の宝――がだんだんその効力と説得力を失いつつあるように僕には感じられる。」(スティーブン・キングと郊外の悪夢)
かれこれ30年前にアメリカについて書かれたこの一節が、2020年代の日本を先取りしていたことを、いまさらながら実感した。実は当時この本を読んだのか記憶が曖昧なのだが、当時は読んでも気づかなかったのだろう。
日本社会はアメリカ社会を後追いしているというのは巷間言われてきたことなので驚くことではない。別に村上春樹だけが気づいていたことではない。
だけど、それをどう表現して伝えるかが「書き手の腕」で、そこはさすがなんだと思った。
というわけで、排外主義の広まり(30年前のアメリカでは湾岸戦争でとりわけ顕著だったにしても)だとか、街を歩いていて買いたくなる商品が減ったとか、現代の日本において「ちょっとこれは似ているかも」と思わせる記述がいろいろとあった。
作家(とりわけ村上春樹)のエッセイを「社会の写し鏡」みたいにして読むのは野暮かなと思う反面、でも歴史上、文学者たちが書いたものはそういう風にも読まれていたんだよ、と開き直ることにする。 -
がっつりディープなアメリカの実生活と彼の叡智に富んだストーリー
アンダーグラウンドレイルロード
南北戦争以前に建てられたシンシアさんの家
ツルゲーネフの小説に出てきそうな光景
かのスコットフィッツジェラルドの孫に当たる
グレイトギャッツビー
ゼルダの絵画
“rough neighborhood”
感謝祭の日にリムジンバスを運転する黒人ドライバーとジャズの話をするシーン
床屋の話
ちょきちょき→しゃきしゃき→さきさき
これは日本だなあと思わせる説得感があった
これは日本とその他諸外国の床屋を回ったからこそ気づくことができる著者の視点だと思う、それが面白い
日本のヒエラルキー批判かつ描写はごもっともだった
ー自分自身の個人的価値より自分の属している会社や官庁の名前や、あるいは自分が勝ちとった共通一次試験の点数の方を、ずっと「真剣に」大事にしている。。というか、それがおそらくそのままの自分自身の個人的価値になってしまっているという驚愕の事実
ーそう思うとなんだか暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
でもまともな人はちゃんとまともですよね、
僕はたまたま雪の朝に黒うさぎを見ているだけですよね、ぼくはほんとうに心からそう信じたい。
せっかく日本から出てアメリカにいるんだから、
少なくともその一年くらいは日本的なレールからひとまず離れて、ひとりの裸の人間としてみんなと気楽に混じりあえばいいのに
いささかやばい人がおおい -
マラソンや車の話が面白かった。
当時はこんな感じだったのだな、と。
村上さんのこだわりのようなものも垣間見れて、おもしろかった。 -
村上春樹がアメリカで生活していた1991年から2年間の生活を綴ったもの。NYの有名大学の永年教授の方から教えてもらった、これを読んだらいいよという本がこちら。過去も読んだことがあったのだが、改めて購入。
プリンストンは、非常にのんびりした、お金のことをほとんど話さない、自分のやりたいこと、興味あることをやるという雰囲気がすごく気に入ったようで楽しんでいる様子が伝わってくる。一方で、教授たちは、どのビールを飲むべきか、というようななんともべきろんを持っていて面倒くさい。スノッブなプリンストンの人たちは、日本のような流行だけを徹底的に追いかける風潮から一線を画していて、とても自分nペースで生きている感じがしているのだと思う。基本的に、自分のこと優先の国だから、とにかく自分がやるべきだと思ったらやるし、それを人に押し付けない、社会的にも押し付けない、というのがいいところ。サムエルアダムスはOKだけど、バドライトはうーむ、というのは面白い。ニューヨークでは、もはや誰一人として気にしていないだろうし、飲まない人も多く、タバコも吸わない人も多い、飲んでもすぐ帰る人もいれば、ダラダラとやっている人もいる。ハイチェアーから崩れ落ちて落下して怪我する人もいる。でも、全部自己責任。
アメリカで村上春樹という小説家が感じたのは、何をやりたいか、出会って何をやるべきか、ではないということ。自分が心からやりたいことをやればいい。そういうマインドをアメリカからは死ぬほど感じるからだ。
あとは大共感してしまうのは、いつもそうだけどレコードが好きなところ。音がふっくらとした雰囲気があるので、、、というくだりなど、本当に小説家の表現は素敵だなと思ってしまう。
すごく客観的に、だけど日本という文化を愛しているなと思うのは、車のところだろう。アコード、その後VWに乗る村上氏。BMWが、日本車には歴史がない、教育がない、だから車としてはヨーロッパ車だという選考的な考え方、白人至上主義的、ヨーロッパが文化的、教育的に優れているという前提に対して、色々な文化を受け入れ(表面的にはと書いてある点はすごく気持ちがこもっているが)、その多様性を梃子に成長しようとしているアメリカ、その中で特色自体がないと言われながら、カローラを磨いていく日本。
奥様が何をやっているか?という質問に対して、専業主婦とか小説を手伝っている、では全く納得しないアメリカ人の話もそうだ。だんだんと、何もしていないように思えてくるのかも知れないし、何かやらないといけない。このアメリカという国では、こうした議論が男女関係ない話ではあるのだけれど、すべてが女性の自立、フェミニズムというところに行き着いているように見えて、でも人はそれぞれ、なんだろうという結論に村上さんは至ったようだ。この1週回った感じは、アメリカに住んでみると大いに感じる。エクスキューズしない、これが男の子の要件だと、でも本当に難しくて、おもわずそれは、、と説明ちっくなことを言ってしまう。いいのか、悪いのか、そこだけ先に言う英語の文化は、スパッといくし、いい分け始めると相手が変な顔をする。
タイトルにもなった、哀しき外国語のところが、おそらくこの本のもっとも深く、意義深いところだろう。おそらく教授もここの部分を鮮烈に記憶していたからこそ、本書をあげたはずだと確信している。自らを外国語の環境に身を置いている村上さん、でもワイパーの英語がわからなかったり、店員にWhat?と聞き返され、子供が流暢に話しているのを聞いて自己嫌悪に陥る。まさにウルトラマン状態、つまり機関銃の乱射のような英語の中で、だんだんついていくだけでもやっと、自分から話ができなくなってくるという症状だ。これをウルトラマン的な例えも秀逸ながら、本当にそうだ。テキーラを飲んで気合いを入れて頑張るけれど、1時間半くらいでネタと会話の中身を自分からクリエイトできなくなってくる。だから、飲み会(パブとか)はみんな1時間くらいでおさらばするんじゃないかな、アメリカ人もそんなにネタないっしょという状態なんじゃないかなと自分を鼓舞している。頑張ろうぜ、と村上さんから言われている気持ちになる。ビルエバンスのレコードをかけつつコーヒー、素敵な文章、飾らない感覚と共に、休日の朝の時間がとても有意義に感じる本である。行き着いた境地が、やがて哀しき外国語であることを少し頭に置いて、日本に帰り、じっくりと日本語に向き合った村上さんの小説を楽しみに。 -
「村上春樹」のエッセイ集『やがて哀しき外国語』を読みました。
「村上春樹」作品は2年前に読んだ短篇小説集『レキシントンの幽霊』以来ですね。
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「村上春樹」の魅力の世界
プリンストン通信久々の長篇エッセイ アメリカより愛をこめて
「F・スコット・フィッツジェラルド」の母校プリンストン大学に招かれ、アメリカでの暮らしが始まった。
独自の大学村スノビズム、「スティーブン・キング」的アメリカ郊外事情、本場でジャズについて思うこと、フェミニズムをめぐる考察、海外で悩み苦しむ床屋問題――。
『国境の南、太陽の西』と『ねじまき鳥クロニクル』を執筆した二年あまりをつづった、十六通のプリンストン便り。
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講談社のPR誌『本』の1992年(平成4年)8月号から1993年(平成5年)11月号に連載されたコラム『人はなぜ走るのか』をまとめたもので、表紙及び挿絵は「村上春樹」作品でお馴染みの「安西水丸」… 1997年(平成9年)に文庫化された作品です、、、
ちょっと肩の力を抜いて、軽めの作品を読みたい気分だったので、「村上春樹」のエッセイを選択したんですよね… 「村上春樹」作品って、文学作品は理解できない部分が多いのですが、エッセイや紀行は共感できる部分や新しい発見があって大好きなんだよなぁ。
■文庫本「やがて哀しき外国語」のためのまえがき
■プリンストン──はじめに
■梅干し弁当持ち込み禁止
■大学村スノビズムの興亡
■アメリカ版・団塊の世代
■アメリカで走ること、日本で走ること
■スティーヴン・キングと郊外の悪夢
■誰がジャズを殺したか
■バークレーからの帰り道
■黄金分割とトヨタ・カローラ
■元気な女の人たちについての考察
■やがて哀しき外国語
■運動靴をはいて床屋に行こう
■「カーヴァー・カントリー」を描くロバート・アルトマンの迷宮映画
■ロールキャベツを遠く離れて
■ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで
■ヒエラルキーの風景
■さらばプリンストン
■「やがて哀しき外国語」のためのあとがき
「村上春樹」がアメリカのプリンストン大学に客員研究員として滞在していた約2年間の出来事がストレートに描かれたエッセイ、、、
大学関係者やプリンストンに在住する人々の価値観(何がコレクトで、何がアンコレクトなのか)が描かれた『大学村スノビズムの興亡』や、
日米の走ること事情(選手のためなのか、主催者のためなのか)を比較した『アメリカで走ること、日本で走ること』、
アメリカで身近に感じるサイコパスの恐怖を描いた『スティーヴン・キングと郊外の悪夢』、
プリンストンで使うクルマについて考察した『黄金分割とトヨタ・カローラ』、
アメリカ在住にも関わらず、意外とアメリカのモノを使っていないことに気付いた『ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで』、
が印象に残りました… アメリカに行ったことはないし、プリンストンの事情も25年くらい経っていて大きく変わっているでしょうけど、一度、この眼で確かめてみたいな、という気持ちになりましたね。