夏のレプリカ (講談社文庫)

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  • 講談社
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感想 : 510
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  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062730129

感想・レビュー・書評

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  • S&Mシリーズ7作目!
    奇数章だけという前作に続いて
    今作は偶数章だけ

    ということよりも何よりも
    あくまで前作の奇数章の方で動いてるからか
    今作はS&M視点で話が進まない…

    大半がM=萌絵の親友であり
    今作の事件の渦中の人物でもある
    杜萌視点!

    S&Mの会話や空気感が好きな身としては
    物足りない…
    もちろん2人のちっとも進まない関係は
    出てこないのだから
    尚更進まない…

    杜萌視点だと昔の萌絵と今の萌絵が
    友達目線で同じレベルで描かれるから
    そこは楽しめた。

    今までも萌絵の友達ポジションはいたけど
    今作の杜萌は親友というだけあって
    萌絵の過去を知っていて
    萌絵としっかり繋がっているというか

    それでいて
    同種というか同等というか…

    そして今作は萌絵の代わりではないだろうけど
    萌絵の叔母の睦子さんが
    ちらほら出てきてくれるのが救い。

    「あんなにお優しくてはね、ちょっと大物にはなれません。これ、嫌味じゃなくてよ」
    なんて、叔母さまが言うからこそ素敵。
    乗馬とゴルフの小話も良き。

  • ううむ。難しいですね、これは。
    前作の「幻惑の死と使途」とほぼ同時に起こった出来事で、予想通りこちらは偶数だけの章でした。

    犀川が「名前が逆だったていうのには、気がついていた?」というのは「幻惑の~」とリンクする面白い発言でした。犀川の概念では人が逆なのではなく、名前が、なのですね。

    以前、何かの本で読んだ『ミステリーにおけるルール違反なトリック』に"実は犯人は双子だった"というのがありました。「幻惑の死と使途」を読んだときにこれを思い出してギリギリだなあと思ったんですが、そこに"語り手自身が犯人だった"も書いてあったような気がして、これまたどうなんだろう、と思いました。
    ルール違反であろうが、なかろうが私は好きではないんですが、このお話は何だか許せる気がして不思議な気分”です。
    ”推理”小説というのは誰にっての”推理”(小説)なんでしょうね。

    何だか許せる気がして、というのは何となく2点あって、一点は自分がやったことであっても、ショック過ぎて記憶が抜け落ちたり、すり替えたりすることがあると医学的に証明できるのではないかと思うからです。
    もう一点はまあ同じようなものなのですが、気付かなかったということ。事情を知らないが故に他人を傷つけるような発言をしていたり、振り向いた拍子に死角にいた人に鞄をぶつけてしまったり。
    違いはたぶん、自分がやったと認識しているか・していないかだと思うのですが。
    そういうことが実際あると思うので、杜萌もどちらかだったのかもしれないという寛容な見方です。
    あと、近い感覚にわかっているのに意識の外にあって気付かない、というのがあって、探し物をしているときにすぐそこにあるのに、全然見えていないみたいなこともありますよね。
    以前に読んだ京極夏彦の「姑獲鳥の夏」もこんな感じで、その時は有り得ないと思ってましたが、人の感覚って曖昧というかちゃんと意識していないと結構穴があるんだと思います。(穴‥?)

    読み終わってからもずっと色んなことを考えてて、このシリーズでこんなに考えたのは初めてでした。
    しばらく考えたら何かまとまるかと思ったけれど、何もうまれませんでした。
    杜萌がどうしてダメ男に惹かれたのかも、素生とのことも、素生があの部屋から何時どうして出て行ったのかも、どうして兄を自分が殺したと杜萌が勘違いしていたのかも、素生が生きているのかどうかも全部よくわかりません。
    萌絵が新幹線で帰るときはケロッとしているのも怖いです。杜萌の部屋に杜萌が犯人で人を殺したということを知ったときにうまれた感情すべてを置いてきたのかもしれません。
    いろいろな種類の複雑な感情を一人で抱え込むことは誰でも難しいです。一番尊敬し、信頼し、敬愛している人の前ではどんなに抑え込んでいても漏れてしまうと思います。
    話としては最後、東京駅で萌絵が素生に出会うところは偶然を甘く見過ぎ(適当な言葉がない)だと思いますが、もう何でも良いような気にすらなりました。
    レプリカという言葉は偽物というような意味だと思っていましたが、本来はオリジナルの作者自身によって作られたコピーという意味のようです。
    萌絵はずっと杜萌のレプリカを通して事件を見ていたし、それは読む側も同じなのかもしれません。
    正しいことなんて、本当は何も書かれていなかったのかもしれない。
    (誰が何をもって正しいと判断するのかもわからないけど)

  • 次作『今はもうない』と同時期に起こった事件として奇数章のみの構成
    次作の方がおもしろいかな

  • 【2022年74冊目】
    そういうことだったんかー!という予想外の犯人に驚きつつ、兄貴は誰といたのか、そしてどこへ向かおうとしているのかがめちゃくちゃ気になったまま終わってしまいました。次作以降に出てこなかったら暴れそう。

    森博嗣先生は人の感情の脆弱さを書くのが本当に上手いです。

  • 森博嗣のS&Mシリーズも7作目まできて、彼の物語は「そんなのありー?」と若干思いつつも、途中でなんとなく予想がつきつつ、
    それなのに早く先が読みたくなり、読み終わった後も読んだことを後悔しないし、やっぱり面白いなぁと思う

  • 星3.5
    前作とほぼ同じ時間軸で進行していました、という珍しいテイストを持つ今作、犀川と萌絵特に犀川の出番が少ないのはそのため。

    二人が不在でも全体としてメリハリが利いていた点を評価、二人が介入してからはさらに引き込まれる、特に終盤萌絵が真相に辿り着くシーンときたら、、、誰しも胸にグッとくるものがあるだろう。

    作者が文中でくどいほど説いている通り前作との関連性は皆無と言ってよい。シリーズ読者であれば今作は飛ばさず読むことを推奨する。

  • シリーズ7作目。前作と同時期に起こった事件を描いた作品。前作と間をあけずに読んだけれど、間をあけて読んでも大丈夫かも。
    今回は萌絵と犀川先生が中心ではなく、萌絵の友人、簑沢杜萌の目線で話が展開していく。話の中で、キーポイントなんだろうなという事柄はわかるのですが、真相ではそうつながるのかと思うものの、何だかちょっとすっきりしない部分も。
    ミステリを読むというより、萌絵と犀川先生の関係を楽しむ方向になってしまっているかな。

  • ?????え?????

  • 確かに同時に起こったもう1つの事件と比較すると地味かもしれませんが・・・いや、十分とんでもない。

  • 読みごたえがあったけれど、終わりはあっさり。

著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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