- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880435
感想・レビュー・書評
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大塚英志の、神戸の大学で「まんが」を教えている日々を綴ったエッセイ。
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[ 内容 ]
いま、大学でいかに学ぶのか。
大学全入時代だからこそ改めて問う体験的エッセイ。
[ 目次 ]
二年目の儀式
ぼくは大学でいかに学んだか
何故「描く方法」を教えるのか
つくり方を「つくる」ということ
まんがはいかにして映画になろうとしたのか
ルパンの背中にはカメラのついたゴム紐が結んである
日本映画学校と十五年戦争下のカリキュラム
一瞬の夏
ジャンルを「翻訳」するということ
高校でまんがを教える
AO入試は下流なのか
千葉徳爾とぼくの「自学」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
ある程度の年齢をすぎ、社会においてある程度の仕事ができるようになってくると、人を育てることに興味が湧いてくるもの。そんな年齢に達した自分にとって、実にタイムリーな本でした。
大塚英志の本で感動するなんて。 -
【大学とは何か】
著者がマンガを教える大学に専任教員として赴任してからの4年間をふりかえって記したエッセー。「大学に誰もが入れる時代」だからこそ改めて考えるべき問題について記している。 -
大塚英志の「大学論」は『「おたく」の精神史』を彷彿とさせる、思いのほか個人的でセンチメンタルな内容に、ぼくの方が気恥ずかしくなるのだが、そんな赤裸々な思いの告白のような、すごく私的でなおかつ青春グラフィティ的ノリに、自分の学生時代と重なって非常におもしろく読ませてもらった。
そして、いくつか気づかされることがあった。ひとつには大塚英志という先生は意外にやさしく、熱心で学生思いなのだな、ということだ。どちらかというと、訝しく学生を嫌悪し邪険にしそうなイメージであるが、実際は学生ひとりひとりをきちんと見る目を持っているようだ。さらには、教育に対する独自の信念や理想を持っており、それを貫こうとする気概が伺える。
「大学論」は評論というより読み物として評価できる。大塚先生と学生とのやりとりはまさに金八先生だ。そこには、学園モノの物語のモチーフがきちんと描かれており、それだけでも非常に価値ある読み物となっている。
さらに読みながらふと気づいたことだが、大塚英志が自身の単行本をやたら文庫化するのは、印税を稼ぎたいからではなく、より安価な物を買わせようという親心。さらには、かならず補講などおまけを付けて、単行本を売りさばいて買い換えることを奨励している。自身の本は消費財でしかないと考える大塚英志なりのやさしさなのだと思う。
大塚英志のような先生は結構周りにいるもので、ぼくの場合、代ゼミの菅野先生が体型的にも性格的にも似ていた気がする。菅野先生は現代国語を教えていたが、その内容は大学受験の域を超え、大学生が学ぶべき智学であったと今にして思う。
そんな中で、菅野先生が「夏休みの推薦図書」とタイトルされたコピー用紙を学生たちに配って、何冊でもいいから読んでみろと、怒っているのか笑っているのかわからないいつもの顔で言い放つ。そんなぼくらの知的好奇心を誘発するような巧みな話術で、ぼくの読書欲を一気に引き上げてしまったのもこの先生だ。
菅野先生の推薦図書の中でぼくが読んだ本は今ではうろ覚えだが、さらには20年以上前のことなので本当に推薦図書だったのかもうろ覚えなのだが、例えば、鈴木孝夫「ことばの社会学」、河合隼雄「コンプレックス」、宮本常一「忘れられた日本人」、山口昌男「文化人類学への招待」、中村雄二郎「術語集」、浅田彰「構造と力」などの書籍の中で、中沢新一「チベットのモーツァルト」は価値転倒のすえ、ぼくの人生を大きく変えた一冊となってしまった。
その他にも、筒井康隆「薬菜飯店」、村上龍「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」、村上春樹「羊をめぐる冒険」などといった小説もぼくの読書欲をおおいに沸かしてくれたのだ。
そうして、ぼくは教師の道をあきらめ、文化の大海原に船出するはずだったのだが、結局はそんなたいそうなことにはなるはずもなく、デカルトの哲学とレヴィ・ストロースの文化人類学もしくは構造主義と…そして結果的に学術とは程遠い世界へと足を踏み入れていったのである。
ちなみに、中沢新一との出会いは実は菅野先生が最初ではなかった。中学2年のときにYMO散開後の細野晴臣が出したソロ12インチシングルに付録として付いてきた小冊子「グロビュール」の中で、細野晴臣と対談する中沢新一が最初である。このとき、角川書店から出版されていた対談本「観光」は、後にちくま文芸文庫版で読むことになるのだが、このときのニアミスが菅野先生の推薦図書「チベットのモーツァルト」へと誘い、ぼくはまんまとその誘いの深みにハマってしまうのである。
ところで、ここまできたので、さらに赤裸々な、勝手な思い込みに近い告白をさせてもらうけれど、実のところ、中沢新一と大塚英志とぼくには共通点がある。それは、親がいずれも日本共産党員であったことである。政治的な背景はないのだが、どちらかというとマイノリティな、ある意味で特殊な環境で幼少期を過ごした共通性が、勝手な共感に繋がっている。
さらに大塚英志との共通点で言えば、漫画家を目指し挫折したことである。と言ってもぼくなんかは目指す手前で挫折したので似ても似つかないが…
ということで、なにやらぼくの独白で終始した感があるが、大塚英志の「大学論」はそんな感じに赤裸々な物語が綴られているのである。 -
「大学論」というタイトルから、"昨今の大学について論じられた本"という認識で手に取りました。…が。漫画の大学の先生の奮闘記半分、大学での学びに対しての著者の意見半分、といったところでしょうか。
恥ずかしながら、この本で、「漫画を教える大学」というものの存在を知りました。
著者自身の学びの体験談や、教える側としての方法論などは、とても興味深かったです。大学がさらされている現状なども、実際に高校に出向いて感じたこと、高校生、親御さんと接した経験などから語られており、とても説得力がありました。
漫画の大学どうこうは別として、学生に対し、すこしレベルの高い要求をして、彼らをひっぱりあげるような課題の出し方は、どの大学にも必要ではないかと感じました。
大学生のレベルの低さばかり嘆いて、彼らに合わせたレベルに下げることばかり考えている教職員は、反省して見習うべき点だと思います。
ひとりの大学の先生が語る「大学論」として、非常に参考になった一冊です。 -
2010 5/2読了。WonderGooで購入。
自分のいる大学とは全く異なる、「まんがを学ぶ大学」での教員経験に基づくエッセイ。
まんがの話と民俗学の話と学生の話が混ざっている。面白い。
しかし帯が中身を反映していないような・・・ -
「まんがを教える大学」での一期生たちとの四年間を書いたエッセイ。
「大学論」というタイトルから予想したものとはかなり違っていた。
著者の大学時代の恩師の話、「書くこと」についての考察、大学のカリキュラム、学生たち。
課題に取り組む大学生たちの姿(特に合作合宿)は、青春ドラマのよう。
こんな熱い時間を持てる大学生が羨ましくなった。
一方で、他の学部学科の、他の大学の学生はどうなのだろう?という気持ちが常にあった。
読み終えた時、やはりこれは「大学論」なのかなとも思えた。 -
まんが、コミックを大学で学習する時代になったのか、と感慨深い。
まんがの市場が縮小していることは事実だし、若い世代のマンガ離れを根拠づける数字もある。しかしそれは大学性の学力のせいでなく、万がが表現として行き詰まりサブカルの中心から転落しつつあるという問題。
タイトルは大学論だが、内容は大学でマンガ、コミックをどう教えて学ぶか、というもの。