- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882576
感想・レビュー・書評
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歴史を論じる時、どうしても国家の興亡が中心になる。
どのような仕組みの国が、どう生まれ衰退または継続してきたのかだ。もちろん国際関係も抜きには語れない。
それだけ人にとって、国家ってものが重要と信じられているからだ。
そこにトランスナショナルな史観を提唱する一冊。冷戦の終焉は国家論や従来の現実主義の枠組みでは説明できないという。そうかなぁ? 俯瞰すればそうかもしれないけど、その分地に足が着いていないような気も。でもその後のエジプトの例もあるしね。パワーゲームだけでは説明できない時代の視点なのかな。 -
8月新着
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平時や戦時の出会いの記憶が、国境を越えた同世代の共通意識として人々の歴史観を形成していることは、多くの研究者や自伝などが示している。(p.117)
「歴史解釈」は常に変わりうるものだが、歴史そのものは変えることができない。「歴史を知る」ということは、過去の事蹟を学び、現代とのつながりを考えることである。過去が厳然として存在する以上、それはどの国の人にも与えられた共有財産である。その意味では、人類の歴史はすべて共有されているわけである。(p.149) -
「現代」とは何か、という定義を考える部分は、歴史家特有の視点もあって、興味深い。
著者の言うように、時代の流れはトランスナショナルな要素が強くなるのだろうが、その時に必要なガバナンスの姿が見えてこない。長い目で見る、大きな潮流を見出す、というのが歴史家の特権なのかもしれないが、「現代世界」とタイトルに謳いながら、一番必要な「今」なにをどうべきなのか、という切迫感、緊張感が感じられない。
自民党に代表される一部の右寄りの政治家への批判が随所に見られるが、ファクト(事実)、エビデンス(証拠)がともにみられず、論証性に乏しいのは残念を通り越して、呆れてしまうほどだ。
これで全米の歴史学会の会長。。。目次を見て、期待を持ってしまっただけに、読後は少しがっかりした。
・世界をつなぐ「歴史」・・・ならば、根強い国家中心の歴史記述の限界、矛盾への具体的な批判が欲しかった。
・現実主義的な国際関係論が有力になったのは第二次大戦前後のことで、それまでは理想主義的な解釈が影響力をもっていた。・・・いまだに主権国家の権力の大きさは、否定し得ない。国家対国家の安全保障は人間の安全保障の考え方が出た今も、切り捨てられない要素だ。
・1975年のヘルシンキ宣言の画期性・・・しかし、これも国家の枠組み。
・混血を避けて純粋な血を守ろうという疑似科学が流行したのも、当時の文化人類学者が民族ごとの「固有」の伝統に興味を示したのも、その意味では人類の本質への過渡的な誤解を示すものだった。当時はグローバル化が始まり、世界各地のつながりが従来にも増して進行していたので、この現象に対する深刻な不安感を反映していたのだろう。・・・純血と文化人類学を同列に論じるのは乱暴ではないだろうか。 -
今を歴史家なりに分析した本。
グローバル化が進み、トランスナショナルな非国家主体の活躍が目立つ中、国家を中心とした枠組みは意味をほとんどなさない、という主張に違和感を覚えた。そばに中国があって、パワーに基づくメチャクチャな動きをしているからだと思う。
無論、これだけが全てではなく、草の根のレベルでの交流は活発なはずなので、筆者の主張も分からなくは無いが、国家も国際社会を規定する重要なアクターだと思う。 -
世界史はえてして世界中の国家、地域、文明などを総括、グローバルヒストリーはいくつかのテーマを選んで歴史の動きをたどろうとするもの。
外交しは複数の国の政策を調べるのだから国際関係しと呼ぶべきだという考えもあったが、国際とはいっても国と国との交際を指しているのであり、国単位の歴史であることに変わりはなかった。
根本的には国際関係、とりわけ、地政学的な現象を通して世界の歴史を学ぶことに問題がある。
グローバル化と米国支配が同じでないことは1970年代を見ればよくわかる。
現実主義的な専門家が冷戦の行方を予測できなかったように、国際関係としての冷戦は、もともとグローバルな世界とは相対するものであり、人権そのほかの力が強くなっているときに人類の運命を左右するほどの影響力は失っていた。