現代アート、超入門! (集英社新書 484F)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087204841

感想・レビュー・書評

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  •  どうにも「わからない」「現代アート」。本書は、その「わからない」正体を明らかにし、「現代アート」に「取りつく島」を与えてくれる書籍だ。ちなみに、現代アートに対面したときに、多くの人が「わからない」とつぶやくことになるだろうが、本書によれば、その「わからない」は7に分類される。7の観点から疑問が湧きあがるはずの現代アートを、一般の鑑賞者は一緒くたに「わからない」と表現してしまっているのである。
     一方で、そのことからもわかるように、そもそも「現代アート」という概念が孕んでいる作品群は多彩すぎるという問題もある。たとえば、藤田さんはモンドリアン『コンポジションⅡ』について、「“研究成果発表”にすぎない」と評しており、もはやそれがいわゆる「アート」に関する評価として適切なのかどうかもわからない。

     思うに、「アート」というカテゴリはだいぶ無理を強いられているのではないだろうか。たとえば、「文学」というカテゴリに「日記」は含まれない。わざわざ「日記」に対し、「日記文学」という語を作り、『蜻蛉日記』や『更級日記』は後者に含むようにしている。また、『大鏡』などのいわゆる「四鏡」に『吾妻鏡』が入らないのは、『吾妻鏡』が「歴史物語」ではなく「歴史書」であり、すなわち「文学」ではないからであろう。
     そうなってくると、「アート」は、いわば「日記」や「歴史書」を含む「文学」と同じ位階にあるように感じる。特に「現代アート」はその傾向が顕著であり、それゆえに「何でもあり」となったのではないか。

     「読書をしよう」と思って、他人の「日記」を覗き見たところで、欲求が満たされることはないだろう。しかしそれは、他人の「日記」を覗き見ることが「つまらない」ことを意味するわけではない(言うまでもなく、他人の「日記」は面白い!)。「現代アート」の鑑賞に求められているのは、むしろ他人の「日記」を面白がれる下世話な精神なのかもしれない。



    【目次】
    まえがき
    本書について
    そもそも、現代アートとは?
    1 伝統と違うから興味ない?
     ――マティス『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』
    2 美しいとは思えないのだけれど?
     ――ピカソ『アヴィニョンの娘たち』
    3 何が描いてあるのかわからない
     ――カンディンスキー『コンポジションⅥ』
    4 上手だとは思えないのだけれど?
     ――キルヒナー『ストリートシーン ベルリン』
    5 これがアートといえるの?
     ――デュシャン『泉』
    6 そんなに値打ちのあるものなの?
     ――モンドリアン『コンポジションⅡ』
    7 わかったような、わからないような
     ――マグリット『光の帝国』
    8 何なのか、意味がわからない
     ――ロスコ『無題』
    9 アートとアートでないものの違いって?
     ――ウォーホル『ブリロボックス』
    10 許せる? 許せない?
     ――セラ『傾いた弧』
    11 きれいなのに汚い?
     ――セラーノ『ピス・クライスト』
    12 名作はあなたが見つけるもの!
     ――菅亮平『an actor』
    あとがき
    主な参考文献

  • これから「現代アート」の扉を叩こうとしている人のための入門書としておそらくベスト。

    「アートとは何か?この作品はどういったものか?」

    巻頭に口絵がありそれをもとに解説と評論を交えつつも、読者にそれぞれのテーマについて考えさせることを主とした構成が光る。

    美術品としてのアートから、思想・精神の表現としてのアートへ...歴史とアートの変遷を覗き見ながら現代アートの本質にほんの少し触れることができたような気がする。

  • 読み物として、秀逸。クラシックな芸術観を前提に、現代アート鑑賞の切り口をざっくりと(つまり、分かりやすく、大胆に)提示している。難しい用語や言い回しは一切なし。多少、類書に対するあてこすりが気になるが。。。

    ・フォーヴィスム:内面探求、キュビスム:存在本質への知的探求
    ・モンドリアン:自己表現でないアート
    ・手が届きそうで届かない思いのする作品こそ、鑑賞のフィールドを広げてくれる可能性を秘めている。
    ・ロスコ「私は、悲劇、陶酔、破滅などといったとりわけ人間の根源的な感情を表現することに関心がある」

  • 取り上げた画家はマティス、ピカソ、カンディンスキー、キルヒナー、デュシャン、モンドリアン、マグリット、ロスコ、ウォーホル、セラ、セラーノ、菅亮平。

    マグリットはともかく、モンドリアン、ロスコとなると線があるだけ。ある美術館でこういう類の絵画を300万で購入していいか議会にかけたところ、議員から「線1本が100万か」と質問が出たという30年位前のニュースがあった。この感覚は少なかれあるのではないか? 

    自分は絵を見るのが好きで、おおむね絵を見たときに感じるか、感じないかでみている。不鮮明な印刷物で、おや?と妙に気を引かれることもあるし、実物の前に立ち、おおおーと感じ入ってしまうこともある。しかしポロックやモンドリアンの絵を前にすると、評価されてるからいいのか? 教科書に載っていた、と誰かの評価で見てしまう時がある。

    そんな抽象美術を前にして、例えばモンドリアンのコンポジションⅡに値打ちを感じますか? デュシャンの泉の便器を芸術だと思いますか? マチスの緑の線の夫人に興味を持ちますか? と各作品に実に適切な質問を配し、著者自身の感想も実に正直にのべてある。・・「う~ん・・」「一応思うことにしておく」「興味をいだかなかった」 などなど。そしてここからがこの本の神髄だが、作品を考察していき、作品の鑑賞のしかたを提示する。

    具象画だとわかるかというとそうでもなく、宗教画などは予備知識があって初めておもしろく感じるもので、抽象画も予備知識がいる場合もあるというのだ。しかしフツーの人がふつうに現代アートを楽しもうとする時は「自分の感覚で感じること」が基本であっていいのでは? 作品の引力にひっかかるか? そして引っかかったらお勉強する、といったアプローチを進めている。というわけで、素直に”わからない”絵を前にすることができる。

  • (以下前置き)
    アートは様々な見方があるし、それでいいと思う。
    ただ、この数年美術館に通うようになってボクが身につけたのは
    「アートとは歴史である」というもの。

    たとえば、屋内での宗教画に対する反発が、屋外で自然画を描かせ、写実主義に対し、印象派が現れた。印象派から派生してポスト印象派・ナビ派が現れ、主観を表現するものとしてフォービズムにつながる。

    この前世代に対する反発が、前世代の流れをくむものが、次世代を生むんだということに気づいた瞬間、感覚だけでは理解できなかったアートというものが腑に落ちた。なぜ、この瞬間・この場所でこれが描かれなければならなかったのか。なぜ、大きな批判を受け、他方で賛同者が現れてひとつの集団となったのか。歴史という流れの中でなら、それが理解できた。

    と、そんな見方が確立しつつある中で行った現代アート展(ウィリアム・ケントリッジ展)。

    難しい…
    個々の作品は楽しい。説明書きも興味深い。
    ただ、これが美術史のどこに位置づけられるのかがどうしても把握出来なかった。

    前置きが長くなったが、現代アートについては、きちんとその成り立ちを学ばないとまずいと感じ、手に取ったのが本書である。
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    (本編)
    印象派の次の世代であるフォービズムの紹介から本書は始まる。

    本書の構成は以下のとおり
    ①口絵に代表的な作品が1枚
    ②口絵の作品につきシンプルな質問
     「あなたはこの絵に何が描いてあるかわかりますか」
    ③質問を投げかけた意図・見方のヒント
    ④各章で取り上げたグループ・ジャンルのその後の流れ

    世界各地で同時多発的に様々なグループが現れているのが現代アートの特徴なため、本書では一本線の単純な時系列での紹介の仕方はしていない。
    代わりに、様々な側面がある現代アートの様々な見方に対応できるような構成となっており、質問に回答していると一章ごとに必ず新たな気づきがある。中にはそれは屁理屈じゃない?と思わせるものもあるが、現代アートとはそういうもののようだ。

    中身は決して濃くはない。
    ただ、さらっと読めたがそれだけで現代アートに対する苦手感は払拭された。

    「現代アートとはうんちくだ」
    この新たな見方でボクはまた戦える。

  • 読者への質問で各章が始まる。
    少し考えてから内容を読み解くと自分の中に何かが残る。
    著者の主張はわかりやすい。小難しいことは言わずに、現代アートは見る側が主役で、自分の感じるままにアートを楽しめば良い、と。
    分かりにくいと思っても「これは何を言いたいのかな?」と会話にきっかけになるだけでも価値がある。
    様々な入門書を読んだけど、まさに「超入門」。
    細かい歴史や作者の意図や人生を深堀するのではなく、とっつき憎い現代アートをどう楽しむかに焦点があたっている。

  • 「超入門」とうたっているように現代アートを理解する指南書のような本。ただ全くの初学者よりも多少なりとも現代アートをかじって「まだよくわからない・・・」と思っている人のほうがより理解が進むような気がする。いずれにしても、読了後、現代アートの流れや抽象画を描く意味がわかる。

  • 現代アート・カオスラウンジ問題を初心者がアートの文脈から理解するには必須の一冊。時系列にそって作品ごとに読者への質問を設定し、作者の見解を示した上で作品が作られた背景へと解説を広げていくという構成。そこには元編集者らしい作者の工夫が見られる。
    作者が紹介した作品の中で私が注目したものは次の五つ。
    第一に、工業製品である便器をそのまま作品として、当時の既成概念に疑問を投げかけたデュシャンの「泉」
    第二に、食器洗いパッドの箱のデザインを模倣し、鑑賞者の存在あって初めてアートが成り立つと主張したウォーホルの「ブリロボックス」
    第三に、通行の邪魔とNY市民の抗議を受けて撤去された巨大な鋼鉄「傾いた弧」
    第四に、キリスト像を尿に沈め激しい論争を巻き起こしたセラノ「ピス・クライスト」
    そして最後に、作者があえてまだ無名の作品を取り上げることで、作品の価値はネームバリューではなく鑑賞者自身が決めるのだと示した菅亮平「an actor」
    これらは全てカオスラウンジについて問われている以下の疑問に答えを出すヒントとなるだろう。参考にされたし。
    ・他作品を模倣・剽窃したものを芸術といえるのか?
    ・醜悪なもの・反社会的なものを芸術といえるのか?
    ・芸術を理解するのに勉強が必要なのか?

  • 休日を充実させようと思い立ったとき僕はよく美術館に行く。


    日本画・ルネッサンス時代の洋画・古代ギリシャの彫刻などジャンルは問わないが、現代アートの展示会に行く機会もある。その度に現代アートは難しいと感じてきた。芸術なのか何がなんだか分からないのである。


    本書は僕のような一般人向けに現代アートのとっかかりを、現代アートの傑作をしかも時系列で引き合いにして教えてくれる。



    現代アートの発端は「如何に伝統美術から離れて絵画の限界を広げるか」という挑戦であった。遠近法などの伝統技術に縛られず新しいアート観を加える。


    そうして、絵画の限界やアートの定義自体を壊す取り組みが現代アートなのである。


    中には工業製品のトイレをそのまま使ってアートといったり、洗剤のダンボールの箱をそっくり木箱にしたり…


    アート=美、すなわち美しく綺麗なものと捉えている私たちには混乱させられる作品ばかりであろう。


    現代アートでは美しさよりも、美術・芸術・アートの概念自体を問うている哲学チックな制作物なのだ。難しく分からないのは当たり前なのである。


    この本で現代アートが何故難しいか、どうしたら楽しめるのかがわかりやすく書いてある。それは筆者が生粋のアーティストではなく、サラリーマンを経験したフツーの人の視点を持っているからだ。



    現代アートを観に行く前に一読すれば、わけの分からなさに頭が痛くなることもなくなるだろう。

  • 好きなモンドリアンやマグリットの絵が載っていたので、購入してみた。
    著者が「分からない側」に立って説明してくれているので、現代アートの入門書としては最適なのでは。
    ただもう少しここは内容を掘り下げて欲しいってところがいくつか・・・。超入門ですから仕方ないのかな。

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