- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181752
感想・レビュー・書評
-
特になし。
時代的に退屈。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この中巻では、ハドリアヌス皇帝の前半部分を紹介しています。
-
五賢帝の三代目、ハドリアヌスを描いている。
治世の3分の2を旅に費やしたというのだから、「現場主義」の皇帝という言葉が浮かんでくる。
広大なローマ帝国のほぼ全域を踏破した皇帝はハドリアヌス以外にはいないとのことである。この踏破距離に比肩できるのは、事実上の皇帝であったカエサル、そのライバル、ポンペイウスといったごく限られた人しかいない。
ただ、カエサルらが行ったような外敵の侵入を防ぐ防衛のための辺境への旅とは異なり、ハドリアヌスの旅は、前皇帝トライアヌスが経済やインフラ整備の面で帝国の堅実な運営に徹したのと同じような、帝国の運営のために必要な措置を各地で講じるための旅だった。
いわば、創業者の現場主義ではなく、大企業経営者の現場主義といったものであると思う。
ブリタニアにおける防壁の整備や、ライン河、北アフリカでの軍団の配置の再整理等、各地で現場を視察し、必要な措置を手早く実施しては次の土地へ移るという生活であったようである。
また、旅に明け暮れたと言いながら、その比較的短いローマ滞在中には「ローマ法大全」の編纂を指示する等、制度面での国のメンテナンスも行っている。何につけても「整理」するのが好きな皇帝だったのかもしれない。
五賢帝はそれぞれに特徴的な治世を送っているが、どの皇帝も、自らがやるべきことを即位の時点である程度明確にイメージしていたのではないかと思う。いわば「目玉政策」であり、トライアヌスであれば経済の基盤を強化するための経済・税制改革やインフラ整備であったし、ハドリアヌスであれば、国境を守る各前線の再整理である。
皇帝がそれに注力できるほどローマ帝国の国家としての構造は安定的であったし、各目玉政策が皇帝の力によって実施されることにより、ローマ帝国の国力はより強力になっていったのだと思う。 -
賢帝トライアヌスの後を継ぐハドリアヌス。
帝国の領内を行脚して、自身の視点から従来の安全保障体制を見て、手を加えるべきところには手を加えていく。ルールを作って普段のメンテナンスと必要に応じた修正を加えていくローマ帝国のらしさを存分に発揮していく。
一方、ギリシャ文化への造詣も深く、趣味人でもあった。
在位中は心身ともに健康的であったため、老齢に差し掛かると体の衰えをより強く実感してもどかしい気持ちが溢れて、気難しさが出てしまったんでしょう。
次の皇帝の繋ぎを担うアントニヌス・ピヌスはピヌスの名の通り、「慈悲深い人」であった。先の二人の先帝が統治者として、リストラクチュアリングを行って作り上げたものをこの人が定着させた。幸福の時代と呼ばれた治世を送ることができたのは、公共心が強く道徳心の高いこの人だから送ることができたのではないか。 -
トライアヌスの後を継いだハドリアヌスの治世は特に大きな問題はなかったようだ。
内乱が起きるような大きな問題はトライアヌスの時には既に存在していかったようだし、パルティア王国もローマ帝国と雌雄を決するような事は考えていないみたいだからだろうか。
それにしても途中からローマへの滞在が極端に短すぎる事に驚く。
[more]
この時のローマ帝国と現代日本ではどちらの方が平和に近いのだろうか?
ローマも日本も戦争のような事は発生しないが、経済的にはローマの方が安定している気がするのは自分だけだろうか。いや、書き方がローマ寄りなだけか。 -
新潮学芸賞
-
賢帝の2人目は、ハドリアヌス帝です。トライアヌスの後を継いで皇帝になったハドリアヌスは、親族の中で唯一の男子だったために、早くから次期皇帝の地位を意識していたようです。歳上の女性が男性に"弱くなる"という条件を作者が挙げていますが、ハドリアヌスは美しいとか若々しい、頭脳明晰、野心があるといった条件を満たしていたようで、作者も一目おくような存在だったと言えるようです。若い時にギリシャ文明と狩猟に傾倒していたのですが、ローマの男の質実剛健という理想と相反する嗜好につき、ローマで重責に就かせられそれを果たしていきます。
皇帝に就任した直後に、彼はトライアヌス帝に仕えた重臣4人とも粛清しています。この経緯は、老いた忠臣との美しいエピソードに描写されていますが、作者自身も小説に仕立てあげているのが興味深いところです。恐怖政治の再来かと危惧される状況を、税制の公正な実施や社会福祉政策などに積極的に取り組み、人気を回復させます。
その後、ローマ全土をを視察旅行し、皇帝の三大責務である安全保障、属州の統治、インフラ整備に精力を注ぎます。そして、48歳になってはじめて少年の頃の憧れの地ギリシアを訪れ、アテネで過ごした美少年との同性愛のエピソードやギリシア全土の活性化に努めたことなどは、積年の思いを実現させたといったところでしょうか。 -
登位時の謎、先帝の重臣を粛清とありながら、皇帝としてやるべきことを着実にこなしたハドリウス。
面白かったのはローマ法大全完成。塩野女史がいくつか具体例をあげています。
そして軍団一つ率いず帝国全域視察巡行をします。
帝国の防衛線をまわり、無用と判断したものは廃棄し、必要な物は活かすことで整理し、帝国の安全保障体制を再構築。
兵士たちに演説、褒めたり労ったり。
この旅の記載は非常に面白く、今までのおさらいのようでもあるし、自分も行ってみたくなります。
たとえばブリタニアには「ハドリアヌスの防壁」が作られるのですが、これが後のイングランドとスコットランドの境界につながります。
イギリスにとっては自国内にある重要なローマ遺跡となり、遺跡観光客目当ての小ぎれいな旅宿も防壁ぞいにあり、初夏から初秋にかけての格好の週末旅行の場所となっているとのこと。
ただし兵士たちの夢の跡をしのぶなら、雪でおおわれ寒風が吹きすさぶ冬に行くことです。
偶然ですがハドリアヌス命日の7月10日に読み始めました。 -
戦争を終らせることは、始めることの何倍も難しい。
戦場を知らず常に勝って当然と考える元老院。勝利による報酬にしか目が向かない将軍。勝てば味方に、負ければ敵に回る一般市民。
ハドリアヌスが皇帝を継いだのは、そんな撤退戦の只中のことだった。
『疲れを知らない働き者』『天才的なオーガナイザー』『機能と効率の信奉者』
数々の異名を持つハドリアヌスは先帝の死すら活用し、窮地を好機に変える。
各地で興っていた反乱への対処という名目で敗戦地から兵を引いたようには見せない配置換え。
ローマに帰る直前に反対派を部下に粛清させ、その部下の引責をもって事を収める電撃作戦。
次いで税制改革、バラマキ政策、福祉の充実と、民衆が不安を感じる間を与えずに立ち回る。
皇帝自らが全国の視察の旅へ出たのも、その勢いを利用しての事だったのかもしれない。
21年の治世のうち13年を国外の巡業に費やしたハドリアヌスは、
防壁の構築と防御線の再構築により、後の安全保障の基盤を作る。
以降、歴史に残るような大きな事件はしばらく起きないが、
これこそが皇帝の成果であり、そのような時に成すことにより、後の世代の生活は大きく変わってくる。
盤石なローマがいかにして体制を失い、崩壊して行くのか。
五賢帝の治世は続く。