- Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102003015
感想・レビュー・書評
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スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」新潮文庫
巻末の、イギリス文学におけるアンプレザントネスについての訳者による解説が興味深いです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ラストが有名なのでしょうがないけど、ネタバレ無しで読めればもっと楽しめたなー。
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あんまり面白いとは思わなかった。
「かれ」とか、役職とかで人のことを指したりする表現が多いから、途中から開いて読み始めた時、一体誰のことか混乱する。 -
あまりにも有名なタイトル。でも実際に読んだ人は少ないのでは? 人の中のだれにでもアクはひそんでいる。こわいですね。
(たなかさん) -
有名すぎて話を把握した上で読んでしまったんだけど、何も知らずに読めてたらものすごいドキハラやったんやろなあ。とても面白かったです。二重人格興味あったからね!ようやく読めた!
最後のジーキルの陳述書はジーキル視点なわけやけども、ときたまふっと、両者を俯瞰して見ている「私」が出てくるのは何なんだ。いやジーキルなんやけどさあ。 -
ネタバレは分かっているけど楽しめた。最後がややくどく感じたが、思った以上に奇想天外なストーリーで、想像していたのとは違ったため、先入観や偏見が入る前に読むべきだったと思った。様々な映画などでこのキャラクターは多用されているため、これからはもっとその時に楽しめるのではないかと思った。
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『人間の心にひそむ善と悪の闘い』
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これ、当時結末を知らなかったらもっとドキドキして楽しめたんじゃないかと残念でなりませんね。まあ、二重人格をテーマにした本だから手に取ったんですが(早くも矛盾)
誰しもが持つもう一人の自分、博士は手紙の中で狂気にとらわれるのが怖い、というようなことを述べていましたが、それと同時に、狂気へ落ちていく過程を楽しんでいたんじゃないかなーとも思えました。そして楽しむ自分にすら恐れを持った。人生でそうそうないですからね、そんな経験。外見まで別人になってしまえるから、もう簡易仮面舞踏会ですね。どんなに悪行を働いても、ハイドを咎めこそすれ、博士には届きませんからね。博士も可哀想ですが、執事が健気で健気で…。私たちは今TwitterだったりSNSで違う自分を作り、己の欲を発散できますが、彼は違う。しかも、正しい自分を確固として持ってしまっているからこその歪みができたんじゃないかと。 -
人間とは、究極のところ、ひとりひとりが多種多様のたがいに調和しがたい個々独立の住民集団のごときものに過ぎないもの、という定義付けが印象的であった。つまり、本来的に、もしくは理想としては人間は一様の性格のみを有するという前提が成立していることが分かる。
宗教観がキリスト教のためか、住民集団をこの小説では単調的に善悪と二分している。
もちろん善悪という区分によって、全事象は網羅されているのだが。
物語は、内なる悪を生来の善的人間から切り離して、1つの独立した人間として生成し、その悪なる人間によって生来の自分が食い尽くされてしまうといった筋書き。
そう考えると、本質的には人間は悪の要素、つまり欲望に付き従ってしまう気持ちの方が、潜在的には誘惑が大きいのかもしれない。そういう意味において、端的に悪を生成するのは、普段悪を内に秘めている人間らにとっては、清々しいのかもしれない。
人間を住民集団と解釈したときに、善悪の二分のみではなく、より多様な住民集団を覗いてみたい。
特に日本のような神が多くある宗教観ではとてもおもしろい作品になるのではないだろうか。 -
一人の天才が狂っていく様が描写されていて、自分の内面にもある嫌な面との向き合い方などを考えさせられた。
訳がうまい