夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102020081

感想・レビュー・書評

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  • 喜劇だな〜。

  • 夏の夜の夢・あらし
    (和書)2009年03月11日 15:55
    1971 新潮社 シェイクスピア, 福田 恒存


    超自然世界と人間の諸関係が現実原則・快感原則の価値転倒を招きそれによって起こる喜劇・悲劇が面白かった。

    諸関係を周到に批判出来ているから可能な作品でとても秀逸でした。

    「夏の夜の夢」も良かったが「あらし」が非常に気に入りました。

  • 夢のように軽やかで神秘的な「夏の夜の夢」。生命力溢れる森の美しさ、個性豊かな妖精たち。夢ならば覚めて欲しくないと願う美しい宝物のような物語。
    「あらし」は同じ幻想的でハッピーエンドの物語ではあるが、どこか人間の欲深さや罪深さが影を落としているように感じられた。全てを支配する絶対的な魔術師プロスペローが最後、己が力を自らの意思で手放したという事実がどこか作者自身の決意を感じさせる。

  • 夏の世の夢
    解題 福田恆存(ふくだつねあり)
    あらし
    解題 福田恆存(ふくだつねあり)
    解説 中村保男

  •  教え子が英語劇をやるというので、日本語版を買って読みました。

     ストーリーとしては、別に難しいことはないのですが、シェイクスピアの台詞は難しいですね、私には。日本語で読んでも難しいのに、英語で聞くのは、至難の業です。

     もう少し英語が分かるようになりたいものです。

  • 物書きの端くれでありながらシェイクスピアを一冊も読んだことがない……いや、ロミオとジュリエットくらいはどこかで読んだ気がしないでもないけど、とにかく「タイトルは聞いたことある」で止まってる作品があまりにも多いと感じたので手に取ってみたのがこの作品。
    結果として、自分はあまり楽しめなかったので過去を振り返ることなく今を生きるか……という結論に落ち着いた。
    とはいえ、「シェイクスピアの時代で物語は完成してる」なんて言葉を聞いたことがある理由は頷ける気がする。セリフ回しが昔の時代に合わせたものなので、一言一言の機微みたいなものを感じ取ることはできなかったんだけど、劇だからなのかどれもこれもリズムがよくて軽妙に読み進められる。そして何より、展開の意外性とかテンポが完成されていて、なるほどなと思った。夏の夜の夢は楽しく読めたけど、あらしは登場人物が多くて、場面が変わる度にその都度人物紹介に戻らなきゃいけなかったのが……ツラい。

  • 「夏の夜の夢」の原題は「A Midsummer Nights Dream」。Mid Summer-Dayは夏至で、MidSummer-Nightsは、その前夜。翻訳された方によれば、日本での題名は通常「真夏の夜の夢」とされているけれど、真夏というと日本でイメージする夏真っ盛りの暑さと、イギリスでの夏至のころの爽やかな初夏の陽気は全然違うので「夏の夜の夢」と訳しましたとのこと。ご本人も言っておられるように「夏の夜の夢」でも、おそらくイメージに爽やかさは望めそうにないので(そうでなくとも昨今のこの暑さ)、現代通りに「夏至前夜」でも良いくらいに思う。
    この「夏至前夜」は、西洋では妖精が跳梁し薬草の効き目が特に著しくなる日と言われていたのだそう。日本(アジア圏?)では冬至が特別視されることが多いのではないか?冬至は最も昼が短く夜が長く、魔の力が一番強くなる日として魔を払うために南瓜を食べたり小豆を食べたりしています。また児童文学の「『光の六つのしるし』 (闇の戦いシリーズ 1) スーザン・クーパー 」でも冬至が最も魔を抑える力が弱まる日と描かれていたように思う。逆に夏至の日に、妖精やらのファンタジーな力が強まるというのは意外。
    「夏の夜の夢」では、恋人たちがパックの惚れ薬に振り回される顛末は面白い。もっとパックのいたずら心が引き起こしたものかと思っていたのだが、そういうわけではなかったとも知った。加えて妖精たちの描写が面白く楽しいと同時に、森の描写が美しく幻想的だった。

  • 2017年12月10日に紹介されました!

  • 沙翁喜劇の代表作の一つといはれる『夏の夜の夢』と、最後の浪漫喜劇『あらし』をカップリングした、お徳用の一冊であります。

    『夏の夜の夢』は、執筆時期としては「喜劇時代」の幕開けくらゐですかな。それまでの、例へば『じゃじゃ馬ならし』のごとき写実的な、いかにも喜劇喜劇したものとは一線を画してゐます。妖精も出るしね。
    わたくしは沙翁劇に於ける「道化」が大好きなのですが、それに劣らず「妖精」も熱愛してゐます。本作ではパックといふ「茶目な妖精」が登場します。しかし彼は命令された人物とは(誤つて)別人に惚れ薬を塗つたりして、騒動を起こすのであります。
    そして殿様の結婚を祝つて、無学だが人間味たつぷりの愛すべき職人たちが披露する芝居が面白い。オルガン修理屋、大工、仕立て屋などが、観客に気を遣ひすぎて却つて訳の分からないドタバタ劇になつてゐます。「たまたま、それがし、スナウトなるもの、石垣の役をば演じます」。
    最後の口上でパックが述べるやうに、すべて一夜の夢の物語と思へば、こんなに素敵な夢はない。

    一方『あらし』は、最晩年にあたる「浪漫劇時代」の、しかも一番最後の作品。近年の訳では『テンペスト』となつてゐることが多いやうです。この後は『ヘンリー八世』を残すのみですが、これは沙翁の未完原稿を他者が完成させたとも、合作ともいはれてゐて、沙翁の単独執筆としては『あらし』が事実上最後の作品なのださうです。
    ミラノ大公だつたプロスペローは、その弟アントーニオーにその地位を奪はれ、追放された身。妖精エーリアルの魔力を借りて、弟とその一味に壮大なる復讐を遂げる、といふ物語。恋愛あり、陰謀ありの世界ですが、すべてはプロスペローの思惑通りになつていきます。これはエーリアルの力が大きい。彼はプロスペローには恩があるため逆らへず、とにかく酷使され、不満たらたらながら抜群の働きを見せるのであります。

    結末を知らぬ当時の観客は、これを喜劇と認識せずに、はらはらしながら観劇したのではないでせうか。プロスペローが完全に復讐を遂行してしまへば、とても喜劇にはなりません。そこで彼は、アントーニオーらが十分苦しんだとみて、赦すのであります。そして魔法の杖も捨てて、以後は魔法を封印します。さらにエーリアルも解放してあげるのです。
    一応ハピイエンドと申しても良いのですが、どうもアントーニオーの最後の台詞を見ると、心から反省してゐるのかどうか、疑はしい。そこを「エピローグ」で、観客に向けて拍手をもつて我に力を、てな感じで呼びかけます。自分の今後の安寧は、観客に委ねるといふことですかな。

    最後に、いつもながら福田恆存氏の翻訳には舌を巻きます。そして充実した解題と中村保男氏の解説。これらを読む為だけでも、新潮文庫版を選択する価値があると申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-659.html

  • 16/5/18 「夏の夜の夢」のみ読了。

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著者プロフィール

1564-1616。イギリスの劇作家・詩人。悲劇喜劇史劇をふくむ36編の脚本と154編からなる14行詩(ソネット)を書いた。その作品の言語的豊かさ、演劇的世界観・人間像は現代においてもなお、魅力を放ち続けている。

「2019年 『ヘンリー五世 シェイクスピア全集30巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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