一年ののち (新潮文庫 サ 2-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (139ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102118030

感想・レビュー・書評

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  • 一年とは短いようで、人生の全て、始まりから終わりまでの一連の流れがそこには集約されている。そこには必ず一つのベクトルが敷かれており、その流れは何者にもどうする事も出来ない。人はその大きな流れに絶望し、感嘆とする。空虚な流れを、パリに住むある階級の男女間の交流に描いたフランソワーズ・サガンの第3作目。

  • (ひとは孤独を糧にして生きてるんですよね、
    愛はよくわからんけど、恋は人を孤独にする、たぶんそう)

    この小説に漂う雰囲気をして、
    あきらめ、とか虚無、とか言うけど、まあそれももっともだ、
    一秒、一時間、一日、一年、
    生きるってことはただ時間を消費するだけなのに、すべては変ってゆくのに、
    永遠や、挽回や、(満たされる)幸福、なんてものを信じる方がよっぽどあほらしいよな、と思った。


    「ええ、わかってるわ。」と、ジョゼが言った。

    サガンなんか読んでる場合なのか、夏。

  •  人の数ほど男女関係もさまざま。特別な筋がある本ではなく、複数の男女関係の入り乱れる様子を描いたもの。その中から見えてくる、恋愛関係の曖昧さと、恋愛に求める価値観の違いが面白かった。
     今の自分では、彼らの哲学はほとんどわからない。だけど、恋愛に対する様々な価値観に触れられたことは大きい。そして、男と女の間には、超えてしまうと戻れない曖昧な一線があるのかなと考えた。
     熟練したように見える人々でも、恋愛感情に弄ばれるものなのかな。

  • 気に入ったのは、静かな諦めと、薄笑いの中の絶望と、友人に対する嫌悪と、愚かな自分。
    ぼくにとっては、ベアトリスに恋する愚かなアランも、ジョゼと語り合う虚しいベルナールも、ファニーに慰めを求める堕ちたエドワールも愛すべき友人であり、憎悪すべき自分自身だと感じる。
    相手がいる身で女と共に寝、感動した口調でその夜だけの愛を語る。
    でもそれが酷い事だろうか。肉体的な欲望ならまだ止める理性はあるが
    逃れられない悲しみや差し迫った絶望の中でその場の優しさに心許してはいけないだろうか。
    辛い時にそばにいて優しくしてくれる人がいたら。
    そんなことを考える。

  • 誰かが誰かを思い、
    報われない恋で
    日々を埋める。

    アニメーションムービー
    「ジョゼと虎と魚たち」に影響され、
    何十年ぶりにサガンを手にとった。

    かつては多数が文庫になっていたサガンも
    今はかなりの作品が絶版になっている、
    という事実に驚いた。

    「一年ののち」は
    サガンにしては珍しい
    たくさんの人物が登場する。

    有閑階級に属する
    パリのサロンに集う人々の
    恋愛模様を描いた作品。

    ヒロインはジョゼ。
    ジャックという医学生と同棲状態。

    ベルナールという小説家志望が
    ジョゼに惚れている。

    ベルナールには妻・ニコルがいる。

    アラン・マリグラスはサロンの主宰。
    妻はファニー・マリグラス。

    アランが恋しているのが
    ベアトリスという新進女優。

    アランの従妹で
    パリに出てきたばかりの保険会社員
    エドワール・マリグラスも
    ベアトリスに惚れる。

    エドワールとベアトリスは関係をもつが
    ベアトリスは野心家。
    アンドレ・ジョリエという劇場支配人に近づく。

    誰もが誰かを思い、
    それが報われない。

    全体に流れる
    無常観と虚無感。

    交わされる
    しゃれた言葉。

    空回りする感情。

    恋愛のほかに
    することもない日々。

    いや、恋愛しかない日々。

    物語は
    ベルナールとジョゼを中心に巡り、
    二人の一年のちの会話で終わる。

    ジョゼというアニメムービーの
    ヒロインの名前は
    この物語からとられた。

    パリで生きる人々は
    いつも恋していた。
    恋しないと
    生きていけない。
    そう思える物語。

    感情で埋める
    無為のとき。
    虚無の感情、
    無常の刹那。

    それはサガンの気分。

  • 「ジョゼと虎と魚たち」から。

  • 各々の行動の積み重ねが今につながる、そんなただ一つの真実だけが描かれている気がした。その時を生きた先に今がある。それだけ。あとこの本活版印刷になってる?今の印刷とは違う技術で楽しい。

  • あとがきにもあるように、スリルや刺激を求めるはちょっと違う作品。男女の恋愛群像劇。途中から、この人誰だっけ?と混乱することがありつつも「恋愛って往々にしてこんなもの。でも、そこに味わいがあるよね」と言われた気になる。さすがサガンである。

  • いつごろ読んだのか?
    サガンの3作目

  • 佐藤真由美「恋する世界文学」つながり。パリのふた組の夫婦、二人の女性をめぐる恋愛模様。とりとめないといえばとりとめないのだけれど。人の気持ちが変わるのは光速の17倍に、と仏典にあるという木皿泉のエッセイを思い出しつつ。そしてうまくいくかどうかは多分にタイミング、相手のご機嫌がうるわしいかうるわしくないかという側面も。そしておおっぴらに他に好きな人がいても隠そうともしない側面もあったり。最後はまた振り出しに戻ったような。読み終わってみれば、ベルナールの吐く言葉に一番惹きつけられていたのかもしれない。/文化とは、何もできない人間に残された唯一のものなのさ(ベルナール)/どうして、ある人たちからは何かを感じ、ほかの人たちからは何も感じないのだろう?(ベルナール)/そんな問題じゃないんだ。おれは分けあわないんだ(ジャック)/彼は、情熱というものが、人生にとってなくてはならないものであることを知りすぎるほど知っていたのだ。それから、情熱が君臨しているときはそれなしには生きられないということも。そのくせ、そうでない時、我々は結構情熱なしで生きられるのだが(アラン)/人は叫び声をあげて生まれる、それは意味がないわけではない、それからあとは、この叫び声の徐々に弱まった続きでしかないのかもしれない。(ベルナール)/人生には恋以外のこともあるのだ、と彼は気づいた(エドワール)/不幸は人に何も教えず、あきらめた人間というものは醜い(ベルナール)/われわれはまたもや孤独になる、それでも同じことなのだ。そこに、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ(ベルナール)/以下備忘録的、人物一覧。アラン …ベアトリスが好き/ファニー …アランの妻ベルナール …ジョゼが好き/ニコル …ベルナールの妻ベアトリス …女優志願/ベアトリス夫エドワール …アランの甥。ベアトリスが好き。/ジョリオ …ベアトリスが好き。ベアトリスに良い役を与えられる劇場支配人。アランの友人。ジョゼ …25歳の魅力的な女性/ジャック …医学生。ジョゼが好き。

  • 『ジョゼと虎と魚たち』より。

  • 淡々としているけれども実は昼ドラ並にドロドロとしている。
    サガンの登場人物達は皆好きになってしまうけれどベアトリスが特に好き。

  • 続編を読むために再読。

    粗くてエネルギッシュ、初期のブルーハーツのようなエネルギーを感じた。
    本当に自分が思ってることに迫っていくワクワク感、書いていて何かが明らかになって進んでいく興奮、それにのっかってただかきつらねた文章。実際にレベルがどうとかじゃなく、本人にとってそれを書くことにどういう意味があるかが何より大事なんだろう。いいなぁ、楽しかったろうなぁ。
    一つ一つの言葉が世界を広げていく、やりすぎてる位ロマンチックだけど、この世界ではそれがリアリティー。
    短編小説のように説明する言葉の数は少ないが、その選択は的確で、それがかえって人物、展開の濃さをうんでいるとおもう。
    おれはこの本好きだなぁ。

  • 「ジョゼ」が出てくるサガン三作目。
    ストーリーは特に魅力的な訳でもない。悲劇ではないが報われないし、言うなれば単なる群像劇。それでも読ませるのは、やっぱり類稀なる文章力に魅せられるから。

  • 遠くから眺めるとだらだら続いている日常を描いているんだけど投げずになんとなく読んでしまうフランス的な雰囲気のそれ。
    あーもうだめだなこの人たちー、とぼんやり思いながら苛立ちの描写には共感するところがあったり。
    どこかで終わりを予期しているのにそれは今じゃない、といつも言われているような感覚になった。

  • 孤独から逃れようとして恋をしたり
    恋人が居て愛されれば孤独ではなくなる

    そんなことは全部ウソだ。
    誰かを好きになり愛すれば愛するほどに人は孤独の意味を知るようになる。
    身近にその存在を感じるようになる。
    どんなに好きでも決して一つにはなれなくて個々の存在であると認めても傍にいることを選ぶ、そして時間が過ぎ一年がたち、その優しい痛みを抱えたまま隣にいる相手を愛する。

    いくら時を重ねても誰かを愛しても愛さなくなっても、そこにはただ変わらず流れる一年が毎年訪れるだけなのだと。

  • (1970.12.27読了)(1970.12.19購入)
    *解説目録より*
    この題名はラシーヌの悲劇「ベレニス」の中の名せりふ「ひと月の後、ひと年の後、われら如何に悩み苦しまん―」からとったもの。パリに住むある階級の男女らがかもし出す一種の交響曲で、時代の雰囲気を描写する宝石のように透明な文章の奥底に淡い虚無感が漂い、「将来のプルーストを思わせる」と評されたサガンの第三作。

    ☆関連図書(既読)
    「悲しみよこんにちは」F.サガン著・朝吹登水子訳、新潮文庫、1955.06.25
    「ある微笑」F.サガン著・朝吹登水子訳、新潮文庫、1958.05.05

  • 映画「ジョゼと虎と魚たち」のジョゼはなんでジョゼなんだろうと思って読んでみた。なんでベアトリスじゃなくてジョゼなんだ?しまった3部作なのか。引き続き読まなきゃかな。

  • 20110507

  • な~んてことない 男女のあれこれ

    好みです。

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著者プロフィール

1935‐2004。フランス、カジャルク生れ。19歳の夏、デビュー小説『悲しみよこんにちは』が批評家賞を受け、一躍時代の寵児となる。『ブラームスはお好き』『夏に抱かれて』等、話題作を次々に発表した。

「2021年 『打ちのめされた心は』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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