1Q84 BOOK 3

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (602ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534259

感想・レビュー・書評

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  • 再読終了!!(^^)
    村上春樹作品のなかでは、とてもストーリーが明確に感じるし、謎の回収も一通り行われていてわかりやすい。
    「ダンス・ダンス・ダンス」とかで書かれている学校などのシステムに対する嫌悪感がややオブラートに包まれた印象。
    性と暴力がいくらか後退して、愛が前面にでている。

    20230204再読

  • <BOOK2>を読み終えた時に“青色の「Q」”が描かれた広告のことを聞いて『読みたいような、もういいような』と書いたけど、朝日の夕刊に載った書評を読むとやはり読みたくなって買ってきた。
    ただ、買っては見たものの、前半あんまり興が乗らず、嫁さんはさっさと先に読み終えてたけど、こちらはちょっとずつだけ読み進み漸く読了。
    <BOOK1,2>読んだ時に“天吾と青豆の叶わぬ恋の物語”として、もうひとつに“天吾と父との物語”として読んだと書いたけど、正にそのまま話が進み、謎は謎のままなれど少しく読者に想像が委ねられ、ラストシーンは結構良い雰囲気でFin.でした。

  • 独特の世界観で、いくつもの物事が絡み合っていたが、最後には上手くまとまった感じであり、大変面白く、展開が気になるお話でした。

  •  牛河の章で描かれていない空白の時間に天吾の章で起きている出来事が2つある。15章でふかえりからことづかった手紙を読むこと(牛河19章と22章のあいだ)と9章で金曜日の夜を天吾と安達クミが2人で過ごしたこと(牛河19章)。2つの「もし」が描かれなかったことで17章で我々の声(p339)がノイズとしてはいる。2つの「もし」がなかったことにより天吾と青豆の再会は1度キャンセルされ青豆はお腹にいる小さなものを危険にさらさずにすんだ、そのことを我々の声によって知らされる。17章で描かれていない天吾を私たちが想像することができたとしたら15章で麦頭を出た天吾が公園の滑り台に上って2つの月を見ているのが描かれているからだろうし、19章で天吾のあとをつけて滑り台に上って2つの月を見ている牛河が描かれているのは確認にもなる(12章で東京に帰ることを天吾は玉木看護婦に言うし2章でタマルに頼んで届けてもらったソフトボール用の金属バットもおそらく青豆の部屋にある)。
     15章で天吾は小松に四谷のバーで会うために急ぎ足で駅に向かうが22章で牛河は尾行しないし(翌日から講義をいくつか受け持つことを前もって予備校に確認したため)『空気さなぎ』が天吾によって改筆された小説(ゴーストライター)であることを知っている。牛河が天吾を尾行しなかったことにより20章で滑り台の上にいる牛河を青豆が追跡することになる。拳銃を手に取り牛河のあとをつけた青豆はとあるアパートに着く。アパートの郵便ボックスを見て天吾と思われる人物が住んでいるアパートに来ている、その事実によって青豆はその場で立ちすくむし疑心暗鬼になる。303号室の呼び鈴を鳴らすが川奈という住人は不在だった。アパートを引き上げた青豆は1度は迷った電話をタマルにする。 
     アパートの303号室に川奈という住人が不在だったことと電話でタマルに3つのお願いをしたことにより、21章で安達クミから月曜の午前2時過ぎに天吾へ、26章ではタマルから火曜の正午過ぎに青豆へ電話が掛かってくる(青豆は電話でタマルにもしもしがないことに気づく)。安達クミからの電話で父親の訃報をを知った天吾は千倉に行く。海辺の療養所で葬儀社の担当者から話を聞き父親が生前望んでいた葬儀に同意する。弁護士からは遺言の内容を聞き父親から預かった茶封筒を渡される。父親が法定相続人に渡してほしいと生前いっていた茶封筒を開けるといくつかの封筒に別れており最後に開けた封筒には父親と母親、小さな赤ん坊が映っている1枚の白黒写真が入っていた。火曜日の午後、火葬を終えた天吾は細かい事務処理を安達クミにまかせ猫の町を離れる。一方、青豆はタマルからの電話で福助頭が説得されたこととアパートに住んでいる住人が天吾であることを知る。彼らが天吾と青豆のつながりを「もし」知っていたら青豆がアパートに行くことは危険だとタマルは忠告し天吾に連絡をとり青豆からの伝言を伝える。
     天吾には牛河の時間には含まれない「もし」がある。千倉から東京に戻ってくる前の日の夜を安達クミと過ごしたこと、予備校でふかえりからの電報文のような手紙を読んでいること。牛河が監視を緩めて四谷に向かう天吾を尾行しなかったことで青豆はアパートの303号室の前に立つことになるし(拳銃は使われなかった)、安達クミから父親のフホウを知らせる電話が鳴る。「もし」のない牛河の死によって17章の我々の声(p339)はキャンセルされ、27章(天吾)と29章(青豆)のあいだの28章(牛河)で私たちの声として(p565)回復され現在になる。天吾と青豆は20年ぶりの再会を児童公園の滑り台の上で果たす。
     BOOK3はよく躓いた。途中からノート1ページを3つ均等に縦線を引いて12章から22章までの曜日と起こったことや電話が誰から何時頃かかってきたのか、NHKの集金人のノックがあった章をメモしたりした。どの章とどの章が同じ日で同じ時間なのかを確認しながら何度もページを前後しながら読んだ。おそらくBOOK1とBOOK2をあまり丁寧に読まなかったからだろう。そのせいもあって青豆のお腹にいる小さなものが4ヶ月になったのか見当がつかなかった(自由が丘のマンションの空家賃ぐらいしか思いつかなかった)。

  • 20年の時間、1984年と1Q84年の空間。時空を超えて2人はやっと手を握りあえた。求め合う強い力と運命がグルグル回っている。

  • 内容としては面白かったけど、腑に落ちない部分もところどころあった。
    牛河視点があることで、牛河の立場や境遇がなんとも可哀想に思い、同情した。
    天吾と青豆が出会えて良かった。

  • 1Q84の全貌がやっと見え、ついに物語が収束していく。サスペンスのような、ファンタジーのような雰囲気もあるが、物語の根底は壮大なラブストーリーだ。
    解釈は読者の数だけあると思う。また時間をあけて読み返した時、また違うことを感じるのではないかと思う。

  • 何度も読んでます。牛河の存在が大きく、物語にスリルを与えて最後までスルスルと読んでしまう。タマル の言葉の言い回しも、素敵。恐ろしさと知的さ。青豆と天吾、2人は巡り合えるのか…キャラクターの魅力も強い!


    ----------以下メモ----------

    ここはタフな世界だ
    希望のあるところには必ず試練がある。あんたの言うとおりだよ。そいつは確かだ。
    ただし、希望は少なく、おおかた抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ。それも俺が身銭を切って学んだことの一つだ。

    人間は時間を直線として捉える。長いまっすぐな棒に刻み目をつけるみたいにね。でも実際は時間は直線じゃない。もんなかっこうもしていない。それはあはゆる意味においてかたちを持たないものだ。

    どうやら手詰まりみたいだ。変数が多すぎる。いくら元神童でも答えを出すのは無理だ。

    オッカムの剃刀の法則。なるったけシンプルに仮説を積み上げてみよう。

    マクベスの3人の魔女。きれいはきたない。きたないはきれい。親指の疼きが教えるところ
    よこしまなものがこちらにやってくる
    ノックがあれば、誰であれ、錠前よ開け

    余る心温まる話じゃない
    事実にとって大事な要素はその重さと精度だ。温度はその次のことになる。

    何によらず、普通ではないことをすれば必ず誰かは腹を立てる

    いったん自我がこの世界に生まれれば、それは倫理の担い手として生きる以外にない。よく覚えておいた方がいい。ヴィトゲンシュタイン

    人は受け取ったものの代価を支払わなくてはなりません。

    どんな人間にも思考や行動の定形は必ずあるし、定型があればそこに弱点が生まれる。

    針で刺したら血がでてくるところが現実の世界です
    じゃあ、間違いなくここが現実の世界だ

    人が1人死ぬと言宇野は、どんな事情があるにせよ大変なことなんだよ。この世界に穴がひとつぽっかり開いてしまうわけだから。それに対して私たちは正しく敬意を払わなくちゃいけない。そうしないと穴はうまく塞がらなくなってしまう。

    ユング
    冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる。

    心という作用が、時間をどれほど相対的なものに変えてしまえるかを、その光のもとで天吾はあらためて痛感する。

  • 『1Q84』完結編。BOOK1、BOOK2と同様の青豆・天吾の視点に加え、敵側の牛河の視点も加わったことでおもしろさが倍増した。それぞれの視点で語られる時間が微妙にずれているのもサスペンスを盛り上げる。とは言うものの、主役の2人はほとんどカン詰め状態で動きはなく、よくこの長さを読ませたなと感心した。SFやファンタジーで使い古された“多元宇宙”“異世界”とは違う不思議な世界観を堪能した。3冊を通して語られたのは結局、青豆・天吾のラヴ・ストーリーだったのだろうか。最後の展開には「!」となったけれど……。やべえ、村上ファンになりそうだ(^_^;)。

  • 逃亡中に天吾との奇跡のような、作為的であるような妊娠を知る青豆。
    父から実子ではないことを示唆されどこか気持ちの整理をつけた天吾が、父不在の病室のベッドで見つけたのは≪空気さなぎ»のなかで眠る10歳の青豆だった。その姿は空気にとけるように消えてしまったが、再び目にしたい一心で昏睡に陥った父を毎日見舞うようになる。
    さきがけの命令でリーダーを殺した青豆を探していた牛河は、天吾と青豆のつながりに気付き天吾の行動を見張る。
    三者の思惑や願いが絡み合い物語は終息へ走り出す。
    ふかえりや老婦人が物語の中心から離れていきその後を知ることができないのは残念だけれど、青豆と天吾の純愛を描いた物語としてはハッピーエンドへ。タマルさんが一番好き。次点は牛河さん。

著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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