- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121011206
作品紹介・あらすじ
中国人はものごとを現実的に見、考える民族である。三千年の思想の歴史を通じて培われたかれらの考え方は、中国人に特有な思考形式として今日に伝わる。それは老荘の現実関心や儒仏道教の現実尊重の思考に根ざす現実合理主義であり、また両面思考、中庸、死生一如、天人合一などの思想である。本書は中国思想の特色となるテーマを取り上げ、平易に説明し、現代の立場から吟味を加え、現代に生き未来を開く積極的な意味をさぐる。
感想・レビュー・書評
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「塞翁が馬」について日本と中国で解釈が違うというのは、目から鱗でした。
確かに、日本では、人生の幸不幸が変わりやすいことの例えとして受け止められています。骨折した息子について「幸いのもとになるかもしれない」と言う翁は、人生の移ろいやすさ・当てにならなさを知り尽くして、達観した人物というわけです。
これに対して中国では、損害を受けてもまたそれで良いことが得られるという例えとして受け止められているとのこと。ここでは翁は、陰中に陽あり・陽中に陰あり、を確信している人物ということでしょう。
言われてみれば後者の考え方も理解できますが、言われなければ思ってもみなかった。中国思想は、日本人にとって近くて遠い東洋思想というところでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中国の昔からの思想はすごい。
現在の中国にも、まだこの思想や考え方はあるのか。
水墨画や、漢詩や、水琴、心にしみてくるような中国のよさを感じたことがある人は多いはず。
それが今は激しく、熱く、やりすぎ感というか、原色というか、塊というか、が中国のイメージだ。
P36
「道徳的な感覚がピリピリと鋭くて、他人への思いやりに英文なのが仁だというわけです。…この思いやりを生み出す真心は、おおむね誰にも具わっていると、孔子は考えていました。…キリスト教の原罪の思想とは違った明るい楽天的な思想です。」
P64
「…これを知るをこれ知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」←無知の知、だ
P90
儒家的合理主義
「単純な多数決は衆愚政治へと堕落します。少数の意見として疑わしい内容であっても、それをはっきり実証的に論破できないとすれば、それを『敬遠する』態度で保留しておくのが、現実的な正しい処置でしょう。」
P100
これはすごい、陰と陽の対立関係
「『どちらか一方がなければ、他方も存在しない』…これを人間関係にあてはめると、『自分に反対する相手を完全につぶしてしまうと、自分の存在する意味がない』ということになります。」
P140-141
「中庸」について
孔子の性格は、「子は温にして冷、威ありて猛ならず、恭にして安なり」両端の概念のちょうど中。
P154
「和而不同」和≠同
「全体を構成する個々の自分を主張する対抗性がさらに必要なのです。自分が生きていなければいけない、相手とともに両存していなければ調和にはならないのです」
P180
死生観について
「まず、一般的な死を恐れる感情を克服する必要があります。…人生に伴う種々の苦しみを思えば、死はその苦しみからの解放であって、何ら恐ろしいものではない、死こそが本当の休息だと、荘子は語ります。」
「『適たま生まれ来たるは時のめぐりあわせ。適たま死に去るは変化の流れに従うまで。哀楽の情は入ることあたわず』」
生がメインじゃなくてもしかしたら死がメインな面なのかもしれんね。
わたしが昨今めざす読書の形である「リンクした考え方」として、前読んでいる「他人を見下す若者たち」への処方箋といえるだろう。
あと、これを読んだのは中国とごたごたした関係になる直前ぐらい。
ほらほらこんなにいいことを。
イヤだと思うときほど、相手を知り、相手を学ばなきゃ。 -
中国人の物事の捉え方に今でも影響を与えていると思われる中国古代思想について、非常に簡潔にまとめられていて参考になった。天・気・太極の概念、中庸主義、など奥が深い。古代文明の発祥地でいまだに大国を維持しているのは中国だけ。こういう膨大な知の体系を持っている中国人はやはり侮れない。
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1990年代前半の本なので、現代の状況について語る部分には時代を感じざるを得ないが、儒学史をベースに、中国思想で何がテーマとなり、それをどのように論じてきたかが、わかりやすく説明されている。特に第6章の「天」に関する話や、第5章の「死」に関する話は、これらのことについてまとまった議論を読んだことがなかったので勉強になった。
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儒教を中心に、老荘思想や毛沢東の『矛盾論』、新儒家の馮友蘭の思想などを参照しながら、中国の思想の特色について、著者がわかりやすく読者に語りかけています。
西洋的な合理主義とは異なる、したたかな現実主義に根ざした中国の思想を大づかみに捉えるのに役に立ちます。ややとりとめのない内容という印象もありますが、エッセイのように気楽に読むことのできる本だと思います。 -
私は中庸という意味を今まで間違って解釈していたようです。「過ぎたるはな及ばざるがごとし」の事と解釈し、まさに「ちょうど」でなければなならいという意味で理解していました。そして中庸とはその場その場で変わるけど、達することは難しいと思っていました。しかしそうではなくて「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」から同は単一で、和は雑多なものがまず混在していて、それがまとめられて統合されるもの。「中庸で言えば右でも左でもないと区別してその中ほどを選ぶ、そして右でもあり左でもあるというように違った両端を中央に接収して、そこに調和ができるということになります」「両端を切り捨てるのではなくてそれぞれの立場を生かしながら包括的に中ほどに接収する事によって調和的な構造性をもった中が完成するのです」。中庸を日本的な調和とは意味の違う調和ととらえる事で解釈している。勉強になった。
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狭義の東洋医学という言葉が示す範囲は、“中国発祥の医療”という地域が限定されたものになりますが、そこには鍼灸、漢方薬、導引などが含まれます。これらの基礎にある五行学説、陰陽論といったものは、全て中国思想・中国哲学に由来しています。古典的な鍼灸や、古典的な漢方薬の処方をするには、必ずこの五行論や陰陽論を駆使しなくてはいけませんが、そのためだけに、中国思想や中国哲学を学ぶことは、必須ではありません。中国思想を知らなくても、治療はできます。しかし、これらを学ぶことによって、自分が行う治療内容の奥深さを知ることができます。この奥深さを知ることは、本当の意味での精・気・神を知ることにつながり、それは、自分の治療の幅を広げることにもなります。また、このような中国思想を理解しておくことは、古医書を読むときにもとても役に立つバックボーンになります。
東洋医学・鍼灸医学の概念として、精・気・神という三つはとても大切になりますが、例えば、精は父母から受け継いだ生命力と理解されます。この精を預かる生命を尊重することは、つまり、その受け継いだ元の父母を敬うことにつながり、ここから儒教の孝の思想が生まれ、それがまた養生の考え方にもつながっていきました。
この本は、そういった中国思想の基本的な考え方を、平易な文章で丁寧に書いてあります。中国思想・中国哲学の入門書として、そして、一歩先をゆく臨床家を目指す方にお勧めの一書です。 -
中国の思想の流れを平易に解説している良書。