ロジェ・カイヨワ『戦争論』 2019年8月 (NHK100分de名著)

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  • Amazon.co.jp ・本 (133ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142231027

作品紹介・あらすじ

NHK「100分 de 名著」2019年8月は、カイヨワ『戦争論』。講師、西谷修。

人間はなぜ戦争を避けることができないのか

第二次世界大戦後、数年の時点で書かれた本書は、戦争の不可避性を「文明の発展」と「集団的人間の特性」から分析、国際的な反響を得た。二度の世界大戦を経ても、なぜ「懲りない」のか。戦争を惹起する、非合理な人間の全体性とは。国家に飲み込まれない「個」の在り方を、人類学的視点から考える。

感想・レビュー・書評

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  • 「NHK 100分 de 名著 ロジェ・カイヨワ『戦争論』 」。2019年 8月。西谷修。
     大変に面白い一冊で、いつかまた読もうと思いました。100分de名著という番組の切口が僕は好きなので、こうなるともう原著は読まなくてもこの本は再読しそう(笑)。
    この本自体読んだのが2019年なのでほぼ忘却。



     戦争の歴史を紐解きながら、これはよく言われることですが、第2次世界大戦にいたって、完全に「消耗品として兵士」になった。つまり、もう戦場の英雄は生まれない。無名なまま、消耗品として死んでいくだけ。

     というわけで国家はこの「無名の消耗品として死ぬ」ということを美化せねばならない仕儀になる。美化宣伝しないと、盛り上がりませんから。で、こうなるともうイデオロギーって言うか、ほとんど宗教みたいなことになる。



     時代は前後してナポレオンの頃から、「国民国家」が「平民兵士」として誕生してくる、そのダイナミズム。このあたりも実にわくわくと解りやすい本だった。



     更には「戦争のルール」という歴史で見れば、21世紀のアメリカを中心とした「テロとの戦い
    」というお題目の、怖さ。敵を「テロ」とするだけで善悪思想宗教化が完成するし、相手はもはや国家では無いから、敵をいくらでも、恣意的に作ることができる。

     更に「戦争の民営化」という概念も面白かった。ただこれはかなり記憶の靄の中。



     「無名兵士の熱狂」が必要な戦争、という課題から共通した印象が残るのは、「戦争とは祭りである」ということ。地域の祭りであれ、学園祭であれ、ほんとにそこで熱狂したい、熱狂する人々にとっては、「熱狂」が絶対的な価値であり、そのベースには多数姓、一体感が不可避であり、祭りの中では平常時に許されないこともアリ、というモラルの逸脱が起こります。これはこれで、すごく面白く納得させられる論考。(祭り熱狂、一体感、みたいなのが10代の頃に大の苦手だったので(笑))



     歴史好きな人、戦争好きな人(戦争するのが好き、というよりは、戦争という話題や事象に興味深さを感じる、という意味で)には、かなりお勧め。言葉も平易。

  • ロシアのウクライナ侵攻のせいだと思うけど、深夜に再放送されていたカイヨワの『われわれの内にひそむ女神ベローナ(戦争論)』。オーウェルの『ナショナリズム覚え書き』をたまたま再読していたことと、いまさらツイフェミのことを知って色々と考えていたので、とても実りの多い内容で良かったです。

    内容に入る前に。
    今は「戦争は悪いこと」だとされているけど、昔は悪いことじゃなかったんじゃないのか?と。人道的な面は除いて、よくわからないけど国際法で言うと1928年のパリ不戦条約以降か?というのが、見る前に思っていたこと。

    内容を見ていくとやはりそうで、貴族・騎士や傭兵など限られた人が戦争をする時代から、フランス革命で人民の時代へ移り、その後のナポレオン戦争時代は「自由のための戦争」だった。「戦争をする権利」と言いかえてもいいのかも。
    「銃は引き金を引けば誰でも撃てる」←ここよかった。日本だと、武士は殺人術の訓練をした特殊技能だったけど、幕末に西洋式の練兵を取り入れて平民の兵を増やしたことと同じ。

    産業革命で、兵器も大量生産できるようになる。総力戦の時代、カイヨワが言うところの「全体戦争」。兵器はムダなもの……金属に運動エネルギーを与えて撒き散らすのみ(この番組を見る前に、ウクライナ侵攻でさんざん考えさせられたことだった)。スクラップ&ビルドで経済が回る。

    そして「ナショナリズム」が出てくる……鳥肌が立った。「国家」というのは、概念のみで実体がないんじゃなかろうか?国土(領土)はある。国民はある。政府……これは微妙だけどある。様々なものを統合した概念が「国家」かな……と思いつつ見ていた。
    ヒトラーの話になって、レニリーフェンシュタールのベルリンオリンピックの映画、『オリンピア』。20世紀は映像の世紀、映画が発明されて各国が利用した。『オリンピア』はオリンピックのアスリートの肉体、フィジカルが重要。実体がない国家という概念に、肉体というイメージを国民全体にもたせた(ナチスドイツ以外も、プロパガンダ映画はあらゆる国が作っている。『カサブランカ』やディズニーも、黒澤明も円谷英二も)。

    カイヨワがテーマにしていたのは「祭り」。日本で言うと「ハレとケ」か?富野由悠季にも通じる。戦争と祭りとの関連性。

    戦地に赴いて「光を見る」。だから喜んで死ぬ。そこに生きる意味を見出す……「なぜ生きているのか?」哲学の根本的な問い。これはやはり宗教で、ヨーロッパだからキリスト教。日本だと国家神道かと。もっと前は鎌倉武士の仏教はどうだったのか?あるいは、中国とかはどうなんだろうと思う。
    宗教の神秘体験に近い気もするけど、今の目で見ると「脳内物質出てるんじゃね?」と。番組では触れられてなかったけど、戦闘薬としてドラッグ(主に覚醒剤)は昔から用いられている。

    最後は核抑止力から非対称戦争について。

    眠い中、深夜に4本(100分)連続放映だったので、あまり細かい点を覚えていない。しかし何度も繰り返して見たい、良い内容でした。

  • 講師(西谷氏)による天皇制否定論や、エントロピー増大則(熱力学第二法則)の話を突然持ち出すあたりは、だいぶ気持ち悪い。途中で読む気が失せた。最後まで読んだけど。

    自分の話しすぎ、長すぎ。全然引用しよらへんやんこいつ。

    戦争論を読みたいとは思えなかった。

  • NHK
    ○内容
    ・戦争そのものの研究ではなく戦争が人間の心と精神といかにひきつけ恍惚とさせるかを研究したものであった
    ・戦争というものが単なる武力構想ではなく破壊のための組織的企てである
    ・文明は平和の産物であるからだ、とは言え戦争は文明を表出している
    戦争は 文明が発達するほど野蛮 で破滅的 になってくる
    ・原始的戦争から 貴族戦争 国民戦争
    やる気のある人が集められ戦争

    ・大きな転換は産業革命
    武器大量生産、労働者も工場も増え産業経済は拡大
    組織的破壊こそ新規事業の最大の保証、国の経済活動が促進される
    ・様々な地方から工場へ来た希薄な個人を結びつけたのは言語
    同じフランス語話すという仲間意識が生まれ、 フランス国民というアイデンティティーが個人の中に確立されたいわゆるナショナリズムの誕生
    国家のために進んで犠牲を払おうとする
    国家のナショナリズムが高まると国家は国民の意識を統制し、 国家のために死ぬことが国民一人一人の生きる意味であり、生きた証であると意味づけた

    ・戦争と祭りには共通点がある
    騒乱と同様の時期であり、多数の群衆が集まって浪費経済を行う時期である
    非生産的、何も生み出さない
    平常の規律を一時中断すること
    ・人は祭りで味わった恍惚感を忘れらず来年の祭りを求める
    戦争においても人は同じような恍惚状態に陥るため 再び戦争を求めてしまう
    ・作家ユンガーの戦争体験から
    ユンガーは地獄のような戦争から生き抜いた 非人間的状況こそが近代文明がもたらした新しい戦争の形であり、その残酷な秩序のなかで人間は確固とした地位を占めることができる
    ・戦争という恐ろしい計画に 機械のような精密さを持って全ての人間と道具が従属してしまうという現象にユンガーは美を見いだす
    戦争を全面的に受け入れることこそが人間の栄光だと考え、戦争の中で自分の存在を正当化したユンガーは、戦争信仰者となっていた
    ・戦う者は費消され、まばゆい光に目のくらんだ造物主となる
    まさに戦争のめまいを体験したユンガーは、戦争がもはや人間の領域を超え、神話的な現象になったのだと指摘した
    ・ 破壊の快感、その快感にあらがうことはできない、 人を殺すことが欲求解消の手段となり、快感を覚えることがある
    自分が殺されそうになるのは恐怖があるが、他人の人格を蹂躙じゅうりんする快感が勝る

    ・ 核兵器の登場により兵士は何の意味も持たなくなる、国民の枠も崩れ国家は事実性を失う
    カイヨワの結論
    ・ 物事をその基本において捉えること、すなわち人間の問題として、言い換えでは人間の教育から始めることが必要である
    とはいうものの、このような遅々とした歩みによりあの急速に進んで行く絶対戦争を追い越さなければならぬのかと思うと、私は恐怖から抜け出すことができないのだ

    感想
    戦争を止めるには何だろうと期待したが、平時と戦時の区別がない昨今では難しいことがわかった

    前に世界史を勉強している子供と戦争の原因について考えたことがある
    土地、お金、宗教が主な原因で、強い国が幸せに暮らしていた国に一方的に攻めたりして不条理なことが多く、不均衡な世界だから戦争は無くならないよねと話し合ってた

    しかし現代はそんな簡単な理由でない
    攻め込まれる前に攻め込む、敵になる前に攻め込む、解釈の違いでどうにでもなったりする
    テロもなくならないし
    原爆国という過去を忘れず、命は大事だよと教育をしていく行動を継続していくことを地道にやるしかない

  • 2022.4.10 NHKの再放送番組をNHKプラスで。

    戦争は人間にとって避けがたい傾き。であることを知ることのみで戦争は避けられる。
    人権宣言こそストッパー。

    近代戦争、全体戦争、テロとの戦争
    内的体験としての戦争 祭りと戦争 破壊することで生産が生まれる 消費するのみ

  • なぜ人間は戦争に向かうのか?考えさせられました。

  • 戦争の変遷を説明していた。

    中世などの戦争は、権力抗争。
    国民の意識はない。限定的な戦争。

    しかし、近代に入り、『国家』が生まれ、国民が生まれ、戦争は一変する。総力戦である。
    国民は画一的な教育をされ、国家に尽くすことが至高という価値観を育まされる。
    中世などが1人の英雄を称えたのに対し、近代では無名戦士の墓が、それの代わりである。物語っている。

    核兵器により、大国間での戦争は不可能に。
    冷戦という形で、各地域で戦争が繰り広げられる。

    21世紀になると、テロとの戦いとなる。
    テロリストを何人絶滅させるための戦争、国民さえも仮装敵とみなし国内のテロリストをあぶり出す。

    人間にとって、戦争は気持ちいいものというのが、カイロワの結論(祭りと同じ)。消費的欲求。

    それを防ぐ万能薬は無いが、隣人も同じ人間である。助け合うべきだと。価値観を共有することが、今できること。

  • やはり原著を読まないとだめか?
    貴族や傭兵が戦争の主役だった時代から、すべての「国民」が戦士なるのが、国民国家であり、その観点で戦争に肯定的な意味合いを認めることに、多くの日本人は一義的に拒否感を覚えるだろう。このコントラディクションをいかに乗り越えていくべきかが、解説書では皆目見当がつかなかった。

    ロジェ・カイヨワ『戦争論』 (NHK100分de名著)、西谷修著
    Day74

    https://amzn.to/2Oh2NVs

  • NHKの番組テキスト。テレビで見てうおおと思って、読んだら難しかった。でも衝撃は蘇る。カイヨワって遊びの研究してる人かと思ってた。


    以下、雑メモ。
    ・戦争は消費。蓄積経済の行き着く先。祭と同じ(部分的に)。
    ・経済のグローバル化→国家はむしろ足かせ。市場の主役は国民ではなく企業などの「法人」、それらが国家権力や軍事力を活用して市場のさらなる拡張を追求する。
    ・今は「テロとの戦争」。敵はどこにいるかわからない。国民が潜在的な敵。情報を開示させ監視の目を光らせる。それが「セキュリティ(安全保障)」。国家が「テロリストだ」と言えばその人が敵。人権無し。殺してよい。
    ・ドローンとかAIとかで、コスト(兵員の死)のかからない戦争ができる時代。もはや戦場に人間はいない。殺される相手は上述の通り「人間の敵」なので人間じゃない。そういう理屈でどんどん戦争ができる。
    ・…いやいやいや、私もあなたもあの人もこの人も、みんな生身の人間だ。戦場に飛び散る血や肉片は、こうして血が通って生きている私と同じ人間だったものだ、その禍々しさを惨さを直視して「人間だ」って叫ぶことしか、この流れに棹さす手だては見つからない。暗澹たる気持ちだ。

  • 「ロジェ・カイヨワ『戦争論』」西谷修著、NHK出版、2019.08.01
    133p ¥566 C9498 (2019.09.24読了)(2019.07.26購入)

    【目次】
    【はじめに】人間にとって戦争とは何か
    第1回 近代的戦争の誕生
    第2回 戦争の新たな次元「全体戦争」
    第3回 内的体験としての戦争
    第4回 戦争への傾きとストッパー

    ☆関連図書(既読)
    「「平和」について考えよう」斎藤環・水野和夫・田中優子・高橋源一郎著、NHK出版、2016.05.30
    「ヒトはなぜ戦争をするのか?」アインシュタイン/フロイト著・浅見昇吾訳、花風社、2000.12.31
    内容紹介(amazon)
    人間はなぜ戦争を避けることができないのか
    第二次世界大戦後、数年の時点で書かれた本書は、戦争の不可避性を「文明の発展」と「集団的人間の特性」から分析、国際的な反響を得た。二度の世界大戦を経ても、なぜ「懲りない」のか。戦争を惹起する、非合理な人間の全体性とは。国家に飲み込まれない「個」の在り方を、人類学的視点から考える。

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著者プロフィール

西谷修(にしたにおさむ)
哲学者。1950年生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任したのち、東京外国語大学名誉教授、神戸市外国語大学客員教授。フランス文学、哲学の研究をはじめ幅広い分野での研究、思索活動で知られる。主な著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる――戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『アメリカ異形の精度空間』(講談社選書メチエ)などがある。

「2020年 『“ニューノーマルな世界”の哲学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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