- Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163712901
感想・レビュー・書評
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相も変わらず、この人の、行間すっ飛ばした思考の流れ。
とても好き。
・揉まれることに集中すれば
・境目が気になって
『それはお料理や分泌物だけにとどまらず、自分自身にもそのまま当てはまる気がして、社会や地域や時代といった「入れ物」に応じて、そこにある境目を越えることになってその姿勢や考え方の本質が変化するなら、いつ何時でも信用できる主体性や本質なんてものはいったいどこにあるといえるのか。』(p.31)
・春の呼吸
『そういえば「これナイスすぎ!」「でらかっこええ!」なんて、自分が素敵だと単純に思えるものであっても、これだって自分だけの価値基準から生まれてきたものはついぞなく、あらゆることが他者との関係のなかで、取捨選択され、磨かれ、見落とされなどして、ときおり自分に一番近いと思える場所できらめいたりきらめかなかったりするのだから、なるほど「流行りを追う姿勢」と「それに流されない価値観」なんてまったく相反するそうに見えるこのふたつも、ともに他者とのかかわりのなかで同じように発生してきたものだから、実は似たものなのかもそれないなあ。』(p.85)
などに、見られるような、
頭がデッカくなって、哲学的に物事を捉えるような態度を取りつつも、
・母の熱
『歩きながら、母に電話しようかなあと思ったけれど覚えてないかも知れないし、電話より顔を見て話したいな、と思った。』(p.167)
のように、
とても人間味溢れた様子も伺えて、
なんというか、人間力。
ともあれ、
・ぐうぜん、うたがう、読書のススメ
で、
『できるだけ、今の自分から遠いところに手を伸ばすこと。もちろん近くも大事ですが、いつか近いところしか手が届かなくなる日は確実にやってきますから、手足のぐんぐん伸びるうちはどんどん遠くに触ってください。』(p.127)
ということで、
“日出処の天子” 山岸凉子
“穴が開いちゃったりして” 隅田川乱一
とかを、読んでみよう。
あと、
『ドイツでは道に色々な作家の名前がついているらしい。戦争に反対した声や姿勢や貢献がどれくらい大きかったかで、道の太さが決まるのだそうだ。』(p.103)
というのも、確かめに行ってみたいな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
川上未映子のエッセイ集。
幾つかのパートに分かれてるのだけど、身体についてのパートは特に面白い。「わたしを泣かせる、小発見」では、他者としての言葉と体という川上未映子文学の重要なポイントが、幼少時におけるスーパーでのロボコン体験として語られている。
また、毎日九時間寝るというのは、ぼくも睡眠時間が多いので親近感を抱く。
「熱意にふれる」でファンとの触れ合いについて素直に喜び肯定的に捉える一方で、「会いたいも、ただの言葉かしら」でワークショップの参加者たちに、一様に参加理由として「会いたかったから」と言われてしまって、「わからなくなる」感覚というのもよくわかる。こういうことを率直に書く姿勢は、逆にファンとして信頼できる。
太宰治については、好きというのではなく、ほとんどそれが自然というくらいに親しんでいるよう。「単語の気持ちが、わかる人」とも、映画『パンドラの匣』出演のときのエッセイで言っているけれど、川上の太宰理解は独特のものがありそうだ。 -
うん!いいね!なエッセイ集。なんだかほっこりする。
他の作品はついていけないところもあるけどコレは読みやすい。 -
料理がゴミに変わる境目を考えた延長で
社会などの「入れ物」に応じてある境目を越えて
その姿勢や考え方の本質が変化するのなら、
いつでも信用できる主体性などないのではないかと考える「境目が気になって」
受け手も作り手もそのときの状況によって最高の作品が異なる
「これはムード、しかしながら邂逅」
作家は死んでも物語は残り続ける「作家は物語のためにいる」
通過点でしかないホテルに物哀しさを感じる「ホテルの内部」
会うことには文章では伝わらない何かがある「会いたいも、ただの言葉かしら」
自分の人生を左右する出来事は予想外のところからやってくる
「ぐうぜん、うたがう、読書のススメ」
装画:東ちなつ コサージュ作成:sayoco
装丁:大久保明子
「からだのひみつ」「ことばのふしぎ」「ありがとうございました」
「きせつもめぐる」「たび、けものたち」「ほんよみあれこれ」
「まいにちいきてる」「ときがみえます」の8章からなるエッセイ集。
日常的なことを疑問に思い哲学的思考に飛んで行ってしまう文章からは
感性の鋭さが感じられます。
デパートの屋上にあるロボコンの遊具で遊んだことで
自分の精神が身体から出ることが不可能であることを思い知ったり、
旅行先の写真を見ながらパラレルな世界について考えたり。
はっとさせられます。 -
独特の文体であり、関西人でなければ文章が辛いかもしれないけれど、絶対に面白いと思う。文章の枠の外に出る事、またはワクワク出来る言葉を常に捜していると言うか、自分の中から生まれるというか、、、何はともあれ、僕はこの本が大好きです。
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表紙が可愛いというだけでハードカバーで買って、しばらく放置していて、ある日カフェに行くときのお供として持って行って開いたら、ようやく出会った。
久しぶりに、
「あぁ、いま私だけの宇宙にいる」
と思った。
音楽もやっている人だからなのか、体と、心と、言葉と、それぞれの使い方にとっても興味のある人らしく、未映子さん独自の哲学のようなものが散りばめられていて、それが斬新で、とても面白い。
特に言葉に関する考え方がすごく感動的で、
単語というのは、ただ毅然と、そのままの姿で存在している。確立された意味を持ち、決められた形を纏って。
「小説を書くのはそういった単語をならべ組み合わせながら物語をつくってゆく作業なのだけれども、そのたびに『ああ、単語の気持ちは、どうしたってわからないものだなあ』と、よく思う」
とあって、私は
「え?なんて??」
って思ってしまった。そんなこと考えたことも無かった。
そして未映子さんは、太宰治は「単語の気持ちがわかる人」だったと言っている。
「太宰治の物語の中にぽつねんと立っていると、価値判断ではない部分でその空間の良さのようなものが、ただ感じられてくるのです。同じようにしてただそこにある単語と単語の響き合いがつくりだす様々な関係や感情や風景が」
自然に、こちらに伝わってくるのだと言う。他の単語では代えのきかない精緻が詰まっているのだと言う。
私は太宰治はおよそ名作と呼ばれるようなものしか読んでいないし、単語のことまで考えたことももちろん無かったので、新しい何かをビシバシと受け取った気がした。
うーん、世界は宇宙・・・。 -
著者の講演会に行った時に購入した。
彼女のエッセイが読んでみたかったのと、表紙がガーリーポップだったのとでこの本を選んだ。
講演で話していた内容とリンクする部分が多い。
前半は「この人はエッセイより小説の方が文才を発揮できているのかも」と思ってしまったけれど、後半はなかなか楽しんで読むことができた。
「目的地へのびる道」とか。
私よりもずっとたくさんの気持ちや情景を言葉に置き換えられていて、やっぱり作家なんだなあと思う。うらやましい。
生い立ちが生い立ちだからだと思うのだけれど、欲とかナルシシズムとか上から目線な雰囲気がないのも意外だった。 -
独特の大阪弁のリズムをもった文体に
笑かしてもらい、う~んと考えさせられてみたり
はっとさせられたり、おもしろかった。
哲学的だなぁ~~~って、感想。
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9月も終わりっていうのに、
なんだ、この暑さ!
日差しが刺すように痛い。
堆肥まきは、夕方から手伝いにいこう。
あぁ、空気は、秋の臭い。 -
未映子氏の言葉選び・言葉運び・言葉輝きさいこう。
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作家・歌手の川上さんのコラム集。エッセイというのはあまり読まないけど、言葉と遊んだりしてる川上さんの言葉の連なりはとても心地よかったです。