- Amazon.co.jp ・本 (526ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167330101
作品紹介・あらすじ
科学はどこまで臨死体験の核心に迫りうるのか。生物学者や神経学者は、様々な実験や仮説によってそのメカニズムの解明に挑み、成果をあげてきた。しかし、なお謎は残る。蘇生した人々はなぜ、本来、知るはずのない事実を知ってしまうのだろうか…。構想、取材、執筆に五年。発表と同時に大反響を呼んだ著者渾身の大著。
感想・レビュー・書評
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2000年に第1刷ということだが、この頃から2014年の現在まで、さまざまな研究がさらに進んだのではないだろうか。脳の研究も進んだと思うが、精神世界についての認識も、より一般化されているような気がする。”臨死体験”ということ自体も、魂の体験ととらえるか否かは別にして、一般的に受け入れられてきているように思う。筆者は脳内現象説が正しいだろうということで終わっているが、現在の筆者はどのように思っているのだろうか。
脳内現象であったとしても、それを認識しているものは何なのだろうか、と考えると、やはり”自分”を形成する肉体以外の存在、”魂”のようなものがあるように思う。
体外離脱できるなら、宇宙のかなたに行ってみたいな。宇宙から地球の歴史も見てみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトル通り臨死体験を検証した本。
内容としては上下ともに充実しており、様々な角度から論じられている。体験者からのインタビューに始まり脳神経学の見解、または擬似臨死体験を著者の立花隆氏自身が体験するといった形で多岐に渡っている。
著者自身は最終的に臨死体験とは脳内現象といったほうが無難で、ただ科学で証明できないようなことも存在するという立場で結論づけている。
私自身読後の感想としては、おもしろいという一言につきそうだ。本文にもあるが、やはり現在の科学ではまだまだ人体の神秘や脳の複雑なメカニズムははっきりとわかっておらず、臨死体験は脳内現象であるとはっきりいえない。わからないからおもしろいということで、ざっくばらんに言えば、わからない死後のことより今の瞬間や今の生を大切にしようと思わされる。ただわからないからといって探求を諦めるのではなく、自分のできる範囲で興味のあることへの挑戦は続けて行きたいと思うのである。色んな見解や実験などを知れて面白かった。 -
臨死体験 上下 立花隆 文藝春秋
リアリティがこの世と臨死体験が
近すぎて
死の世界としては違和感があったけれど
キュープラロスの三段解説
物理世界とスピリチュアルな死の世界の間に
サイキック空間があると言う提案がしっくりくる
さて「下」を読んでみると
科学者が自分の信じる客観性と言う
狭い範疇に取り込もうと躍起になって
粗探しをしている愚かしさを感じざるを得ない状態に
うんざりしながら読み終わった
一方で体外離脱とは別の
この本の題名でもある臨死体験における
川やお花畑やトンネルなどについては
あまりにこの世的なお話で受け入れ難く
私自身懐疑的である -
・これだけ多くの体験者の証言が一致しているのだから、たぶん、私が死ぬときも、それとよく似たプロセスをたどるのだろう。だとすると、死にゆくプロセスというのは、これまで考えていたより、はるかに楽なきもちで通過できるプロセスらしいことがわかってきたからである。現実体験説のいうようにその先に素晴らしい死後の世界があるというなら、もちろんそれはそれで結構な話しである。
・しかし、脳内現象説のいうように、その先がいっさい無になり、自己が完全に消滅してしまうというのも、それはそれでさっぱりしていいなと思っている。もっと若いときなら、自己の存在消滅という考えをそう簡単には受け入れられなかったかもしれないが。いずれにしても受け入れなければならないものを受け入れまいとジタバタするのは、幼児性のあらわれであり、あまりみっともいいことではないから、しないですませたいと思うのである。
・どちらが正しいかは、そのときのお楽しみとしてとっておき、それまでは、むしろ、いかにしてよりよく生きるかにエネルギーを使った方が利口だと思うようになったのである。
・生きている間に、死について、いくら思い悩んでもどうにもならないのに、いつまでもあれこれ思い悩み続けるのは愚かなころである。生きている間は生きることについて思い悩むべきである。 -
前回読んだ著者の「宇宙からの帰還」が相当面白かったので、本作もだいぶ期待して読み始めてしまったせいか、面白さはそれほどでもなく。
臨死体験およびそれに関連する体験について事例紹介をしながら「現実体験」なのか「脳内体験」なのか白黒つけようと考察しているのだが、結局結論は「わからない」で終わっており、それにしては事例紹介が冗長すぎると感じた。 -
面白い。必ずしも科学的に取り扱えないこのテーマを、ここまで公平性と客観性を保ちながら緻密に論じられる立花氏の力量はさすが。豊富な資料と自身によるインタビューによって「臨死体験」を考察している。臨死体験を、実際に「あの世」があってそれを垣間見ているのか(現実体験説)、それとも単なる脳の中で起こっている非日常的な現象なのか(脳内現象説)。立花氏もこの間で揺れている。
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立花隆が膨大な取材を基に”臨死体験”という途方もない現象にメスを入れた力作(上下巻まとめてのレビューになります)
田中角栄や宇宙、石油と様々な対象を徹底取材してきた立花だが、この臨死体験は踏み込んではいけない領域かもしれないと思って読み始めた。だって臨死体験だよ。どう考えてもオカルトチックでなく本を書き上げるのは無理がある。
しかし、立花は決してオカルトに染まることなく、かといってそれを無視することなく、絶妙な立場で取材を進めていく。あくまで科学的に見て、どんな事実があるのか、どんなことが考えられるのかを追求していく姿勢が、臨死体験というキワモノを一つのノンフィクションに仕上げていく。
死の受容として世界的に有名な心理学者キューブラーロスが後年死後の世界の実在を熱心にとなえていたことに始まり、ロバート・A・モンローやジョン・C・リリーといったこの世界のスター達の名前がこれでもかこれでもかと出てきて、いよいよ佳境へ。
結局、臨死体験は脳内の出来事である可能性が高いが、それでは説明できない部分をいくつか残している。謎は解けきらないまま本は終える。
果たして死後の世界があるのか。死の時を迎えれば誰でもわかることだ。
臨死体験のをした人のほとんどが、自身の生を深く考え直したと言う。人は死を考え、そこからまた生を考えていくのだと思う。 -
わたしはなにを読んでいたんや…
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臨死体験について、さまざま実験や仮説に基づき、科学的に解明を試みていることを、立花隆氏は徹底的に追求。
脳内現象説なのか、現実体験説なのか、立花隆氏は、自分の死と出会うまで分からないとしている。果たして、氏は、死に際して、どのように感じたのか。おそらく、死に際してまで、その知識欲をたかめていたに違いない。
僕が思うに、いずれ、立花隆氏の生まれ変わりの人が登場し、僕達のためになる何かを成し遂げるに違いない。 -
非常に面白かった。
死んだらどうなるか?永遠に不明だと思うが、興味が湧くテーマ。
本書では脳内現象説的な立場を取りつつ、現実体験説も残した感じだが、いずれにせよ解明出来ていない。
誰も真理を見出せない。死んだら誰も教えてくれないからである。
死を考えるより、生きることを考えた方が確かに合理的である。
死はこれから必ず必然的にやって来るのだから。