- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167914264
感想・レビュー・書評
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妻の最後をみとる夫の話。
ものすごく良かった。とても泣いたけど、すごく暖かい涙だった。こういう愛は、私も、時も、生死もこえるんだと信じてるから、そういうのをちゃんと丁寧に描いてくれるのは、救いになるんだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大号泣...
夫の妻への愛が本当に感じられる作品だった。
死のあり方について考えさせられた。
いちばん良い形でその人の固有の死を迎えるためにどうするか
新しい視点だった。 -
黄色くて可愛いらしい菜の花畑から物語は始まります。妻に初めて会った時も、菜の花模様のワンピースを着ていた。
病院の大きな窓から見える美しい菜の花畑を夫は見せたいが車椅子の妻には見えない。
優しい夫の心の葛藤と共に、私の心も大きく揺れ、涙なくしては読めませんでした。でも、温かい涙です。
近過ぎず遠過ぎず、ふんわりとした温かい空気が保つ距離 菜の花が印象的でした。
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少し前に「エンド・オブ・ライフ」という主に末期癌で在宅医療を選んだ人たちをライターが追う素晴らしい作品を読んだばかりなのだけど、この小説は、在宅医療ではないものの年若くして末期癌と診断されて入院している妻と、適度な距離感と愛情でもって関わっていく夫の物語だった。知らずに選んだので、タイミングに少し驚いた。
若くして余命を宣告された人の気持ちは、想像したって分かるはずもない。だんだんと弱っていくのが自分でも分かって、諦めることを積み重ねていく日々なのだろうと考えると、普通の精神なら平常心ではいられないということは想像できる。
この作品に登場する「妻」は、お見舞いに毎日訪れる夫や母親の前ではいつも通り穏やかに接して、薬の副作用に苦しんでほとんど食事も摂れなくなっても笑顔や感謝を欠かさず、たまに訪れる見舞い客にも重々しさを感じさせずに接する。その裏側にどれだけの諦めや苦しみがあったのかと考えてしまう。
そして夫は、そんな妻を支えるというよりは、寄り添うという言葉が適切な存在の仕方をしている。
大袈裟に心配したり、何でもやってあげたりせず、出来ることは本人にさせて妻が自分だけでは出来ないことには手を貸す。
だけどそれは自然にそうなったわけではなくて、夫が人知れず悩んで考え尽くした結果の在り方のように見える。
2人の間に子はなく、妻は1人でサンドイッチ屋を営んでいたので、妻には妻の社会があることを夫はきちんと理解している。理解して、その社会には踏み込みすぎないようにしている。
夫婦の距離感は本当にとても美しくて、そしてお互いを思う愛に溢れている。
自分の、あるいはパートナーの命の終わりが確実に見えている時、こんな風に寄り添え合えたら。「美しい距離」というタイトル以外考えられないような作品だった。 -
生と死が隣り合わせだと世間一般には連想せざるを得ない癌末期の妻を中心に、妻にとって最良な関わりかたとは何かを第一に考えながら、妻や妻の関係する人々とやりとりする夫を描いた物語。
タイトルどおり、まさに「距離」について考えさせられる作品だった。
看護師さん一人とっても、毎日看病されている妻からの「距離」と、毎日妻に寄り添う夫からの「距離」は違う。もちろん、その逆も。
距離は、それぞれの背景・感情・理想・関係性・社会的立ち位置…様々なことから変動する、答えがなく厄介でむずかしいもの。さらに、相手にとっての距離は自分はこれが最適だと思っても、相手には相手がいいと思う距離がある。だから、その時々でお互いの距離が適当なとこで保ち続けられたとき、その人と関係が続いていくということなのかなと思った。
それと同時に、距離というのは、「近い」「遠い」が重要なのではなく、自分の中でその人との関係性が変化し続けているのか=考えているのが重要なのだと、はっとさせられた。それが、たとえ身近な人でも。そして、変わり続けることが、その人と繋がっている証なのだと。
P157から「生と死」の距離が描かれているが、自分が最も近しい人がなくなったとき、このように感じるのかもな、と、今まで想像したことのない距離の変化を想像させられた。
いつか身近な人がなくなって、辛いと思うときが必ずくるだろう。その時は、この「距離」のことを考えればいいのかと、少しだけ心の準備ができた気がした。 -
本を開いた内表紙に、やけに詳しい著者紹介が載っているなと思う。山崎ナオコーラさんも、がんを患った父を持った人らしく、小説のところどころにがんを看取った時にこう思ったのだろうなと思わせる一節が見られた。
がんをわずらった妻の看病にあたり、接するさまざまな人たちとの関係においてでも、自分の気持ちより相手の立場を考える性分から、常に小さな葛藤を心に持つ夫。夫が遭遇する出来事のディティールがかなり細かく描写される場面があるが、その描写を通して微妙な感情の解像度が上がっていくように感じられた。
自分のパートナーや、たいせつな人の死に目に合うということは26歳の今ではあまり経験がない。だからこそ去年くらいから「人はいつか死ぬ」というあまりに当たり前で、しかしどうも慣れ難い現象に対するスタンスを用意しておきたいと思っているが、この本に出会ったことで少しは前進しただろうか。
死後に夫が夢に見る妻の姿が、病床の妻の姿からどんどん若かった頃の妻に変わっていく、という描写が心地よくドリーミーで、なんとも言えない悲しみの色を持っていたように思う。死後の二人の間に生まれる美しい距離。
mei ehara の 進行する闇 がなんとなく聴きたくなった
この曲も死に関する曲なのかな -
40代で癌になった妻を看病する夫の話
“生きる”という事への自分のスタンス
妻への尊重。
考えさせられた。
“延命治療をしないからと言って希望を持っていないわけではない”分かっていた様で整理できていない部分が少し理解できたのかな…
“こちらの感受性の問題”と言う言葉は日常でも心に留めておかなきゃなあ -
夫婦の心の距離の取り方がまさに美しい距離
“カウントダウンの始まった人にだけ余命という言葉を当てはめ、始まっていない人との間に線を引きたがる。医師から余命を宣告された人だけが死と向き合っていて、そうではない人は生と向き合っていきている” -
サンドイッチ屋店主の妻がガンになり入院、夫は介護休暇制度使い業務量を減らし、妻との時間を多く取り死までの時間を描いた一冊。
花田菜々子氏推薦、死について興味もあり手に取る。
夫は妻が死ぬまでの時間を淡々と自分がやれることをや過ごし、妻も穏やかにその時を迎える。物語としては面白みがないが、私の場合はどうだろうや、実際には日々の時間がやはり淡々と流れていくのか等、話が大げさになっていない分、自分事としてシュミレーションできた感がある。
読んだあと、これが「美しい距離」かと考える、そうだな。美しい距離か。
私も同じ状況になった場合、再読しても良いかなと思った、人は「美しい距離」を取れるのか?書評を書いているうちに、ジワジワと良さが改めて分かった作品。