想像ラジオ (河出文庫 い 18-4)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413457

作品紹介・あらすじ

想像ラジオはタレントとしても知られているいとうせいこうさんの小説です。東日本大震災を題材とした作品で2013年に発売されました。文庫化もされています。東日本大震災で亡くなったひとりの男性が想像の中で聞こえるラジオのDJとして死者と生者にむけてオンエアをしていきます。野間文芸新人賞を受賞した作品です。

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災後の、生者と死者、もっといえば、その間にいる人たちのメッセージを想像という電波を使ったラジオ放送風に描いた物語。

    場面の切り替わりが今一つわかりにくく、語り手がどういう立場なのかつかめず混乱した部分もあったが、
    災害や事故で突如、命を奪われた人の心残りはいかほどのものかを思うと、こういう形ででも、亡くなった人の想いを受けとる術があると救われる人は多いような気がする。

  • 震災をテーマにしているというこを知らなかったのだけど、たまたま本屋で手に取って読み始めてみたらそういう話だった。3月11日にどうしても読み終えなければならない、と思い果たした。

    なんというか、「演出感」をできるだけ小さくしようとしている小説だと感じた。震災をテーマにすれば、いくらでもお涙頂戴、あるいはドラマティックな話を作り出すことができるのだけど、この小説はあえてそういう抑揚を忌避し、非常にオフビートな調子で物語を進めている。震災に対する「物語の過剰」への反発ではないかと思えるほどである。

    「想像ラジオ」というタイトルからわかるように「ラジオ」というメディアをテーマに選んだことも、そういうことと関係があるのかもしれない。映画やテレビ、youtubeといった映像メディアはどうしても情報量が多い。それに比してラジオは音声に限定されるだけに、逆にそこに想像力を喚起されるだけの〈余白〉がある。「物語の過剰」を抑制する舞台装置としては、「ラジオ」が適切なのだ。

    ということで、劇的な物語を期待する人には物足りない作品かもしれない。けれど、3月11日のことを少し落ち着いて想像してみたい、という感覚でこの作品に接するならば、きっと心に滲みてくるなにかがあると思う。

  • 芥川賞の候補作になったり、おそらくそれ以前から話題だった小説。
    何が題材なのか知っていただけに読むことに少しためらいはあったけれど、紀伊國屋で超プッシュしてたからつられて買ってしまった。

    「深夜2時46分、そのラジオは聴こえてくる」

    この物語は“杉の木”というのがひとつのキーワードなのだけど、巻末の解説によると、樹木というのは死んでいる組織と生きている組織があって、生体と死体が切り分けられない形でひとつの個体が成り立っている、とのこと。
    それはこの世界も同じで、生きている人間は死んだ人への思いを完全に断ち切ることはできないし、死んだ人間もまた、生きている人の記憶によって成り立っている。生と死が渾然一体となってこの世界はできている。

    死んだ人の声が聴こえる、という人も世の中にはいる。
    私は聴こえないからそれが嘘なのか本当なのかはわからないけれど、死んでしまった誰かがもしかしたらこんなことを思っていたのではないか、と想像することはある。
    それは実際のことではなくただの想像に過ぎないけれど、それを思うことで気持ちに整理がついたり、前に進む力になったりする。
    一歩間違うと悲しみの中にうずくまる原因にもなりかねないけれど、そういうことも含めて、その人ために必要なことなのだと思う。

    物語の中でも賛否両論だから、きっと実際の世界でも賛否両論だと思う。
    私自身は、好きか嫌いかで判断することを少しためらう小説だった。
    もう少し時間を置いて再び読んでみたときに答えが出るのかもしれない。

    でもこの題材に正面きってぶつかるってすごいことだと思う。批判があることも最初から予想できたはずだから。
    予想できただけに雰囲気がライトになってしまった部分もあるのかもしれない、と想像した。

    いちばん答えを知ってるのは、あの“2時46分”を絶対に忘れられない人たちなのかもしれない。

  • コンセプトも内容も良かったけど、どうにも文体が合わず、しっくり来なかった。
    期待していただけに残念。

  • 東日本大震災で亡くなった人と生きて残された人をテーマにした一冊。

    東日本大震災から今年で10年が経った。
    自分自身、亡くなった人への想像力を働かせることができなっていると感じている。それを自分の近しい人で東日本大震災で被害を受けた人がいても、亡くなってしまった人はいないからかもしれないと思っていた。つまり、死者に近しい人しかその死を悼むことができないのではないかと。
    しかし、この話を読んで、それは違うのではないかと感じだ。
    この話のなかで、東京大空襲や広島・長崎の原爆投下による死者を悼む人が描かれているところがある。それらに直接的に関わっていたわけではない人が、年長者からの伝聞や感受性が豊かな人(この表現がよいか分からないが)による言葉を通じて、遠い過去の死にも思いを馳せていた。ならば、私自身が東日本大震災での被害者の方に気持ちを向けてもおかしなことではない。
    想像力がなくなっているのは自分の立場によるものではなく、自分が怠惰なだけだったのである。

    作者のいとうせいこうさんは、東日本大震災後に被災地の福島を訪れ、そこに住んでいる人の寄り合いに参加し、被災者の方々の話に耳を傾ける活動をしてきた。
    そのような生の言葉を聞き続けたからこそ書き上げられた作品だと思う。

    東日本大震災後を生きる人にとって大切な本になると思う。

  • 刺さった。心に嫌というほど刺さった。
    東日本大震災の時、自分が感じた思い、不安、恐怖が、この小説で、理解できた。
    生者と死者のつなぎ目がない、いわゆる霊界において、お互いの思いがシンクロした時、想像ラジオは聴こえてくる。

  • 読む前は、ささくれ立っていた心が、どことなく落ち着いた。落ち着いたというか、整理整頓がなされて、次の目的地へ向かう準備ができた。

  • 東日本大震災という、大きな重く辛い出来事を題材にした小説なので、気になりつつ、なかなか手に取れなかった。今になって、だけど。とてもよかった。
    死者の声に耳を澄ます。生きている者として、絶対にわかることはないけれど。その行為は弔いなのか、感傷なのか。深く重くなりがちなテーマだけど、ラジオDJの軽妙な語り口という設定で、読み続けることができた。透明な読後感。

    震災から、そろそろ10年。忘れてはいけないね、忘れやすい生き物だからこそ。

  • 想像力がありすぎてしんどいこともある。ても、想像する力があるから救われることもある。

  • 150514読了。冒頭、まさにラジオが始まるときに、学生の頃に勉強しながら聴いていたラジオ番組の、寄せたメールが読みあげられて胸が高鳴るあの思いををぶわっと肌に感じました。
    ほどなくして、ぽつぽつと外灯が遠くに見えるようにリスナーが出現し、なんだかそれが私には希望に思えて、これから良いことがはじまるのだというわくわく感でさらさら読み進められました。
    途中から、登場人物の違う話が現れます。
    察するに、情景は東日本大震災なのだと、じわじわと気づかされていきます。
    私の感じたわくわくは悲しみにとって変わりますが、最後はなんだか甘酸っぱい
    、卒業式みたいな気分で旅立つ主人公を見送りました。
    おなじみのジングルは
    想ー像ーラジオー。
    いとうせいこうさんの文を初めて読みましたが、絶妙でした。感動しました。

  • 待望の文庫化!気になっていた作品。

    「あの日」が一つの地点になってから数年。
    刻一刻と時間はそこから離れてゆくけれど、ひとの心はもっともっと複雑怪奇に彷徨う。

    悲しみのメディア。
    DJアークがお送りする「想像ラジオ」では、沈殿してゆく言葉を拾い上げて放ってゆく。
    そんなの死者への冒涜だ、と第二章では綴られる。
    フィクションとノンフィクションを織り交ぜた中で、確かに笑って済ませられない現実が、目の前にある。

    けれど、聴こえないはずの声が聴こえてくるような。
    そんな優しい虚構に身を委ねることは、罪ではない。
    たくさんの、何もかもの声が、私たちの周りには繰り広げられている。
    ある日、その一つをふいに掬い取ってしまうようなことが、ないとは言い切れない。

    良かった。

  • すごい小説だった。

    これを書ききった勇気。
    東日本大震災というあまりに大きな出来事を、どのように受け止めるか。それをどう表現し、生きている人たちに伝えるか。小説の題材にしていいのか。葛藤と悲しみと無力感に苛まれながら書いたのだろうな、と想像する。

    しかし作家であるならば、書かない選択肢は取れないのかもしれない。どれだけ書きたくなくても、それは自分がどう生きるかということと同じだから。

    第二章で、震災のボランティアをしている男性たちの会話が展開される。彼らは、人を助けたいとか、助けたいと思うこと自体が不遜なのではとか、死者をどのように悼むべきかとか、関わりのない他者の死とその死者の思いを想像することの罪とか、そういうことを話す。この会話だけでも読む価値がある。彼らはそれぞれが自分なりの考えでボランティアをしているが、無念さとやましさがあり、整理しきれない思いが無数にある。
    それでも、彼らは目の前の惨状に対してとにかく手を動かす。感謝されることもあるだろうけど、ボランティア自体になんらかの怒りを感じてしまう被災者もいるため逆に詰められることもある。だけど、とにかく整理されないままそれでも手を動かす。この現実の行動は、私は支持したい。そして当然、これを読んでいる私はなぜ被災地へ行かなかったのか、今からでも行かないのか、と考える。私はたぶん、めんどくさいとか怖いとか交通費がかかるとかそういう理由で行ってない。自分の矮小さ卑怯さが身につまされて嫌になるけど、でもこれからの私の行動は変えられるな、変えたいな、変えようと思った。しかしそうすると当然、じゃあ今から行く準備整えろよ、と自己言及に続く。逃げるようだがこれ以上はここに書くものではなく自分の生活で実践するべきなんだろう。

    私自身は、人間には言葉にできないことが絶対にある、と考えるタイプだが、そう考えるとき、別に答えが出せなくてもいいのだ、といったところに落ち着いてしまいがちだ。それは、しんどいことから逃げているだけかもしれない。性急に安直に無理やり答えを出そうとし、さらにそれを言葉にするのは危険なんじゃないか、と身構えているのだが、その思考自体が、問題を遠ざける事態を生んでいるかもしれない、と思った。

    答えを出そうとすることが憚られるときでも、言葉にしないといけないときはたぶんあるだろうし不完全で不適切でも言葉にしたり考えたりしないといけないこともあるんだろうな。たぶん。などと考えるのだが、しかしこれ、いま、答えが出せない。どちらに結論づけても誰かを傷つけてしまいそうだし、自分も傷つくかもしれないし、といった逃避のようなループのなか、答えを出すことの怖さに、やはりおれは逃げているのか。
    著者は、葛藤しながらでも、表明した。それが冒頭に書いた勇気。
    おれよ誠実であれ、と思う。そして言葉だけでなく行動せよ、と自己批判する。そして以下略。

    この本が出たのは2013年で、時系列的にどちらが先か分からないが、著者は国境なき医師団とともに行動し、ルポやインタビューなどを出している。そこで語られた言葉が私の頭にずっと残っている。原文がどこにあったか忘れたので曖昧だが、以下のようなことを言っていた。

    "なぜ国境なき医師団の人が偉ぶらないか。それは救えなかった人たちへの忸怩たる思いがあるからだ"

    本書の第二章で議論をするボランティアスタッフたちも、根底は同じなんだと思う。
    さらに本筋とズレてしまうが、日本の政治の世界において、この「忸怩たる思い」を感じている政治家はいるだろうか。ほとんどいないように見えてしまう。だから、どこぞの知事のように、「トリアージ」という重大でセンシティブな言葉を、コロナ禍において簡単に使ってしまうんじゃないか?……


    長々と書いたが本のレビューというより内省みたいになったので、ちょっと戻すと、ちゃんとおもしろい小説です。
    でもやっぱり、単なる読み物として片付けられない現実の話です。


  • 自分は東日本大震災からずっと心に引っかかりを持って毎日生きてきた。
    福島県の海からすぐの実家はたまたま半壊に留まり、たまたま身近に不幸はなかったけれど、それでも自分含め家族には傷痕が今も残っている。
    震災当時からの3年間は石巻に行ったり、福島の子供たちの長期休暇の受け入れをしたりしました。
    決して忘れられないこと、忘れてはいけないことだと思う自分の気持ちとは裏腹に暴力的に忘却が進む。
    東日本大震災に纏わるあれこれに未だにどう向き合ったらいいのか分からないままで、忘れちゃいけないと感じつつも忘却が進む自分に苛立ちを覚えて、地元には身近な誰かを失った人もいる中で自分が何に心が引っかかりを感じているのか分からないままで 。
    自分の向き合い方が合ってるのか間違ってるのか、そもそも最適解があるのか、震災の前後に亡くなった祖父母を思って実家の仏壇の前にいるとよく考え込んでしまう。

    災害に遭った人と逢わなかった人に差を見出す必要ってないのかな。
    死者と生者の関係ってそういうことなのかな。
    自分はこのままでいいのかな、と少しだけ許せるような一冊でした。

    ---

    日本語ラップの元祖であるせいこうさんの歴史を味わうこともできました。以下は、せいこうさんへの愛に偏った感想です。

    文章の特徴として、読み進める中で脳の片隅へ片隅へと格納されていく数ページ前に置かれた何気ない一小節が、ページを捲るにつれリフレインされて新たに意味を持って、物語に厚みが増されていく。
    これは、日本語ラップの元祖である、せいこうさんならではの表現技法だと思いました。
    それは、HIP HOPを覚えたてのラッパーにありがちな安いライミングのようなものでは決してなくて、話の筋の通った物語性のある表現方法です。
    まさに、「気づかせるんじゃなく、自ら気づく」「後で気がつく、そしてにやつく」表現方法だなと。

    また、本書の節目節目ではDJが現実のラジオさながらに楽曲を紹介していくのですが、どの選曲も物語の情景により厚みを持たせる楽曲ばかりで、Apple Musicで楽曲を聴きながら物語を読み進めていきました。
    読書という活字からの想像行為に音楽によって拡張性を持たせてしまうなんて、読書がより楽しいじゃないかとワクワクしました。
    また、各楽曲には特有の歴史や背景があって、各楽曲の歴史を紐解いてから読み直すことで、物語への理解がさらに深まるような気がしました。
    HIP HOP文化にとってクラシック楽曲の探究は切り離せない行為ですが、今もクラシック探究をし続けているせいこうさんだからこその選曲ばかり。
    クラブDJ上がりの自分としては、せいこうさんオリジナルの選曲付きで、せいこうさんオリジナルの本書を読めることは、人生の贅沢そのものでした。

    以上

  • うーーーーーん………
    なんというべきか、
    とても想像力を使う小説。
    生と死って対立しているように
    思っていたけど本当は両立しているもので
    死があるから生があって
    生があるから死があるんだなぁ。
    と、なんとも哲学的な感想を持ちました。
    私が想像力をすごく使ったのは、
    まだどちらかといえば死から遠い環境で、
    これから先身近になったときに
    死者が発信する「想像ラジオ」を思い出せたら
    少しだけ勇気をもらえる気がします。

  •  未来に伝えたい物語がある―

     誰かに伝えたいことがあるなら。どんな小さな声も余さず、あなたの心に直接お届けする素敵なラジオ。あの日、『三月の水』に飲み込まれた幾重もの思いと、それに耳を傾ける生き続けなければならない人々の姿。

     「少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

     悲しみに捕らわれて前に進めない人がいたとして、その人は”弱い人”なのかどうか。だとしたら無理に”強い人”になる必要はないのかもしれません。

     「俺らは生きている人のことを第一に考えなくちゃいけないと思うんです」

     生きている限り、亡くなってしまった人たちの想いを理解できることは無い。分かるなどと考える事自体がおこがましい。本当にそうなら、理解しようと努めることすらも不要な感情なのでしょうか。心と現実の問題は必ずしも相反するものではないということ。
     
     「あなたの想像力が電波であり、つまり僕の声そのものなんです」

     無数の声があるからこそ一言では言い表せない『今だからすべきこと』。非常に難しいテーマであるがゆえに賛否両論あることと思います。それでもなお、作家としてのいとうせいこう氏が捧げたかった、震災後の全ての人々のありかた。多くの方に届くことを願ってます。

     そんなお話。

  • 文庫版のカバーは二重になってます。次はまた十年後に読みたいです。

  • 震災後小説の傑作。

  • 感想がかけない小説は初めてかもしれない。でも頑張って書くと、死者と生者の関わりについて考えさせられる。「千の風」ではないが、死者はどこか遠くにいるのではなく、実は身近にいるのでは。直接会話はできないし、一緒に飲んだりできないけれど、〇〇だったらどう考えるのかなとか、きっと喜ぶだろうなとか。こういう思考をしている時点である意味一緒にいるのだと思うが、なんともうまく表現できない。

  • 過去になってしまわないように

  • 毎年3月になると読み返します。
    読み返す度に自分も、あの時失ったものと向き合わされ自然と涙がでてきます。
    想像ラジオをDJアークを通して、自己の震災との向き合い方を問われている気がします。

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著者プロフィール

1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書)など。

「2020年 『ど忘れ書道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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