作品紹介・あらすじ
書き下ろし12篇を含む珠玉の15篇。静かに激しく紡ぐ七年ぶりの最新詩集。
感想・レビュー・書評
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10代の頃から思い出しては手に取り読み返す詩集。
歳ごとに受ける印象は変化してきたけれど、これからも手元にあるだろう大切な本。
最近響いたのは
「そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま」 時代おくれより
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「倚りかからず」「苦しみの日々 哀しみの日々」
「ある一行」が印象に残った。詩から読み取れる彼女の姿勢が凛々しく格好いい。
小さなことで悩み、苦しむ我々を鼓舞してくれるような詩が多く、このような詩の力強さは在学中に戦時を体験したことが一つの要因であり、人々を魅了していると思う。
凛とした眼差しで世界を見つめ、自分を確立している彼女からは学べることが多いと思った。
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約20年ぶりの再読。表題作「倚りかからず」は目にする機会があるのでよく覚えていた。
毅然とした、でもユーモアがある方という印象。辛辣。
あとがきの「振りかえってみると、すべてを含めて、自分の意志ではっきりと一歩前に踏み出したという経験は、指折り数えて、たったの五回しかなかった。」に驚いた。こんなに毅然とした方でも五回。少ないように感じたが、果たして自分はどうだろうか。
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言葉の直球の威力は鋭く心に刺さる。
素晴らしいなあ。
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お気に入りは「倚りかからず」「笑う能力」「苦しみの日々 悲しみの日々」「水の星」。「自分の感受性くらい」でも思ったが、歳を取って飛び上がるほどうれしいことや大爆笑することがなくなってしまうんだとしたら、かなり寂しい。だからこそ、嬉しいことを嬉しく、面白いことを面白く捉えられるようにしておくことが大切なのだろうと思う。
最後の詩集であり作者自身もご高齢だったからか、現代を嘆くような詩もあった。やはりピシャリと叱られるような印象。
更に目まぐるしくなった今を見たら、作者はなんと言うんだろうか。
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「倚りかからず」茨木のり子著、筑摩書房、1999.10.07
84p ¥1,890 C0092 (2018.12.16読了)(2018.12.13借入)(1999.11.20/4刷)
茨木のり子さんの八番目の詩集です。15篇の詩が収録されています。
1926年、大阪生まれ
1955年、第1詩集「対話」(不知火社)を刊行
1958年、第2詩集「見えない配達夫」(飯塚書店)を刊行
1965年、第3詩集「鎮魂歌」(思潮社)を刊行
1971年、第4詩集「人名詩集」(山梨シルクセンター出版部)を刊行
1977年、第5詩集「自分の感受性くらい」(花神社)を刊行
1982年、第6詩集「寸志」(花神社)を刊行
1992年、第7詩集「食卓に珈琲の匂い流れ」(花神社)を刊行
1999年、第8詩集「倚りかからず」(筑摩書房)を刊行
2006年、79歳で死去
2007年、第9詩集「歳月」(花神社)を刊行
読売新聞・日曜版、読書欄の「平成時代名著50」の一冊として紹介されていたので、読んでみることにしました。73歳のときに出版された詩集です。
年齢のせいか、肩の力が抜けてそこはかとないユーモアが漂っているという印象です。
「店の名」は、「ある町の/<おいてけぼり>という喫茶店も/気に入っていたのだが/店じしんおいてけぼりをくわなかったが/どうか」と終わります。
「時代おくれ」には、「電話ひとつだって/おそるべき文明の利器で/ありがたがっているうちに/盗聴も自由とか/便利なものはたいてい不快な副作用をともなう/川のまんなかに小船を浮かべ/江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも」という一節が入っています。そんなことがあったんですかね。
「倚りかからず」は、「できあいの思想」「できあいの宗教」「できあいの学問」「いかなる権威」にも「倚りかかりたくない」と宣言し、「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」と結びます。
「笑う能力」では、「言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま」の事例をいくつか挙げて笑わせて、「気がつけば いつのまにか/我が膝までが笑うようになっていた」と結んでいます。
割と楽しく読ませてもらいました。
【目次】
木は旅が好き
鶴
あのひとの棲む国
鄙ぶりの唄
疎開児童も
お休みどころ
店の名
時代おくれ
倚りかからず
笑う能力
ピカソのぎょろ目
苦しみの日々 哀しみの日々
マザー・テレサの瞳
水の星
ある一行
あとがき
☆関連図書(既読)
「おんなのことば」茨木のり子著、童話屋、1994.08.17
「特別授業『自分の感受性くらい』」若松英輔著、NHK出版、2018.12.30
(「MARC」データベースより)amazon
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい…。 静かに激しく紡ぐ、7年ぶりの詩集。書き下ろしを含む15篇を収録。
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2016.11.13
友達に「茨城のり子さんの、自分の感受性くらい、って詩が好きなんだよね」と言ったら、「倚りかからず、もいいよ」ってオススメしてくれたんで読んだ。いい。いいです。なんか、傷つきながら生きてきて、でもその傷を悠々と背負って立つ人間の強さ、清々しさ、とともに哀愁を感じた。生きる、ということに対する、並並ならぬ関心、繊細さから生まれた、とても力強い言葉。思わず、うわっ…すげぇ…と唸ってしまうような、そんな言葉。私は詩はほとんど読まないが、この著者の作品は本当に、心に迫るものがある。
こういう、傷まみれの、傷の中から生み出された誇りというか、そういう言葉を、大事にして、自分の感受性くらい自分で守りながら、何ものにも倚りかからず、生きていきたい。強く、しかし鈍くなく、繊細に、しかし弱くなく、このアンビバレンスを保ちながら、儚く生きていきたい、そう思いました。
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詩人は常に孤高でなければならないのだろう。表題作「倚りかからず」はまさにそうだ。そして、孤独であることに誇りを伴っている。詩人の眼は、また限りなく優しい。そして郷愁を運んでくる。詩人の心は時に空間を、あるいは時間を遥かに超えてゆく(「木は旅が好き」、「鶴」)。また、ある時には詩人の着想は突飛だ。ピカソのぎょろ目がバセドウ病だなんて。詩人は人の生き方に崇高なものを見つめる(「マザー・テレサの瞳」)。そして、詩人の眼はいつも驚きに見開かれている(「水の星」)。ほんとうにいい詩集だった。
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こういった、まっすぐなことばこそ、いま、必要なんじゃあないかなあ。
そうして、いま、必要だ、ということは、きっと、いつでも、必要なんだろう。
著者プロフィール
1926年、大阪生まれ。詩人、エッセイスト。1950年代より詩作を始め、53年に川崎洋とともに同人雑誌「櫂」を創刊。日本を代表する現代詩人として活躍。76年から韓国語を学び始め、韓国現代詩の紹介に尽力した。90年に本書『韓国現代詩選』を発表し、読売文学賞を受賞。2006年死去。著書として『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚りかからず』『歳月』などの詩集、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』などのエッセイ集がある。
「2022年 『韓国現代詩選〈新版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」
茨木のり子の作品