- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488011291
作品紹介・あらすじ
78歳のゲルトナーは、医師に薬剤を用いた自死の幇助を求めている。彼は肉体的にも精神的にも健康な状態だ。ただ、愛する妻を亡くし、これ以上生きる意味はないと考えている。ドイツ倫理委員会主催の討論会では、医学、法学、神学の各分野から参考人を招いて、彼の主張について議論する。彼に致死薬を与えるべきか? ホームドクターや弁護士も意見を述べるが、最終的な結論をくだすのは――「あなた」だ。医師による死の幇助について、観客が投票する衝撃の戯曲!
感想・レビュー・書評
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戯曲の作りで、自死の幇助についての討論会という内容。
戯曲と言えばファウストのようかと思ったら、とても読みやすくすぐに内容に入り込んで行けました。
死にたいと考える人の気持ち。そしてそれを手助けするのはどうか。手助けした後のこと。自死の方法やその周囲への影響。
とても考えさせられるものでした。
小説とは違う角度からとても読みやすく問題提起され、私の深い部分に波紋を残しました。
きっと皆さんの心にも、何か考えさせられるものが残るのではと思う作品でした。
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「自死」と「自死幇助」、結果としては同じだけど全くの別物なのだと、本書を読んで思い至りました。
冥土に旅立つさいに苦しまずに逝きたいという自分本位な考えで、自死幇助が認められればいいと思っていましたが…。
これが認められると悪用する人もいそうだし、肉体の死と精神の死とか様々なケースがあって、考え始めると頭から煙がでそう。
巻末の付録によると、2015年にドイツ連邦議会は、それまで認められていた自死とその幇助を、罰則規定を伴う禁止としたとあり、なんと逆戻りもあるのか。きっと日本も大差ないでしょう。これは答えが出る類の問題ではないのかも。
アクの強い弁護士がキリスト教の問題点や原罪について司教を舌鋒鋭く追及する場面にはらはらしました。
戯曲にすることで、宗教に疎い私にもわかりやすく、勉強になるうえに読み物としてもおもしろかったです。 -
西洋文化に嗜みのある方のレビュー読みたいな。おそらく日本人はどっちつかず。
解説が素晴らしかった。 -
最近気づいたシーラッハの新作。
タイトルから別の話を想像していたのですが、主題は「臨死介助の是非」でした。「自死選択の是非」ではなく。
法学、神学、医学の観点からそれぞれ意見を求め、戯曲なので、観客に最終判断を委ねる…「テロ」の時と同じ手法。
個人的には、なしであってほしいです。
倫理観は、時代で変わっていくものかもしれないですが、ナチの事例をシーラッハが持ち出していることが、警鐘だと思いたいからです。
この本を読む寸前にジャン=リュック・ゴダールがいわゆる安楽死を選択していた、という記事を読んだこと、また、やはりこの本を読む寸前に読んだアチェベの「崩れゆく絆」の主人公の最期のシーン、など、時折脳裏をかすめなました。
シーラッハ、好きです。
ドラマチックなタイプの書き方ではないのですが、作品のひとつひとつに心が揺さぶられます。
短編と戯曲が特に良いと思います。
酒寄さんの翻訳もすばらしいです。これからもよろしくお願いします。
マイナス一つ星は、やはり書き手として、結論はどうか、が見えないので。でも、それはそれで良いんですけどね(笑)読み手もアマノジャク(笑)
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個人的に大好きなドイツの作家フェルディナント・フォン・シーラッハ。いつもながらに難しいテーマを今回も取り扱っている。そのテーマは「神との関係性における安楽死」。キリスト教信者のみならず、他の宗教信者に対しても、安楽死の本質とは何かを問いかけている。われわれ日本人が「神」から推察できる事は何か。西欧諸国がとらえる「死ぬ権利」について、日本人が同じ土俵で語る事は難しいという現実を読んでいて感じざるを得なかった。それにしてもシーラッハ作品を扱う酒寄氏の翻訳はいつ読んでも爽快である。
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戯曲形式で自死の問題を議論する書籍。高齢化が進むなか、自分も100歳を超えて自力でご飯が食べれなくなったらどう考えるかなと思っていた。本作品は78歳で妻に先立たれた人が医師による自死を求めて訴えるという内容。自分が思っていた対象とは少し異なるが、一度認められるとどんどん拡大解釈され、優性思想が蔓延りかねない。また、本書は著者がドイツ人のため、自死してはいけないという意見は宗教的な面から議論されていてそれも日本とは異なる状況だった。あとがきに記されていたがまずは日本独自の死生観を議論することが大事だと思う。
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安楽死についてのドイツの戯曲。
テンポよく読める。アメリカの法廷ドラマを見て法律を全く知らないのに弁護士の論破が面白く感じるアレである。
しかし本題の安楽死は、P165の解説にもあるが、西洋的価値観について日本人が同じ土俵で語ることは難しいという現実がある。
だから日本人からすると違う世界の話であり、理解できない神学論争的なものでもあり、ある意味どうでもいいものである。
誰もが納得できる「良き死」など、実際はどこにも存在しないのではないだろうか。 -
神
神と命の尊厳を秤にかけたとしても、人の生き方へ慈愛が込められていた。素朴な疑問は真摯に論議され戯曲が親しみ深い。最期の願いを言う前に “生きることに倦んでしまったら“ 自分を失くしてしまう。読書の大切さを実感した。
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欧米の近代的な自由の理念や自己決定権とキリスト教のせめぎ合いが、安楽死の問題を舞台に、抜き差しならない形で展開する。これは、思考実験とかではなく、まさに今、ドイツで起きていることと言っていい。ドイツ連邦議会が2015年に自死の介助を罰する法を制定したのに対して、ドイツ連邦憲法裁判所は2020年にそれを違憲としたのだ。西欧でここまで法的に安楽死を認める流れになっているとは知らなかった。