- Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532171360
感想・レビュー・書評
-
『この世にたやすい仕事はない』。そのとおり。辛い退職を経たその後、お仕事流浪人のように職場を渡り歩く主人公。その5つの職場ごとに短編集ぽくなっている。たやすい仕事はないだろうけど、『バスアナウンス広告』『おかき会社』はかなり面白そう...(*´з`)逆に『カメラ見張り』『ポスター張り』『森の番人』はやりたくないわ~(;^ω^)何気にどの職場でも才覚を発揮して、重宝がられる主人公が面白い。そして小ネタというか、作中のネーミングセンスも笑える。??という終わり方の話もあったが、一番ラストは頑張れ!って思える!
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
燃え尽き症候群で前職を辞め、職安の相談員に紹介され、職を転々とすることになった。
彼女が着いたのは、作家の日常をカメラ越しに見張る仕事、循環バス内のアナウンス広告を作る仕事、菓子袋に書かれる一言を考える仕事、ポスター貼りの仕事、公園内の施設管理の仕事。
そして、最後に彼女が辿り着くのは。
出だしの仕事ぶりでは気づきませんでしたが、途中から、実は彼女は仕事の出来る人なのではと思うようになります。
それぞれの仕事はかなり特殊。
でも、その中でやるべき事をやる姿に、能力の高さは隠しようがなく、最後の決断が潔くて気持ち良かったです。
津村さんの作品の、淡々とした中にも、クスッと笑えるところが好きです。
この作品にも、そこは遺憾無く発揮され、とても魅力的な作品になっていたと思います。 -
【図書館本】
この作者の本を読むのは初めて。
第2章のバスのアナウンスのしごと、までは何とか読んだ。でも中々集中出来ない、言葉が全く刺さらないから集中出来ないのかな。
普通の仕事小説と違って、マイナーな仕事内容なのはそれなりに面白いんだけど、オチに繋がるまでが淡々過ぎるのと、主人公に中々共感できなくてきつかった。全くタイプが違うんだろうな。
ドラマは面白いです、映像にすると面白いのと主人公が若いからかな。小説の方はアラフォーで自分と歳が変わらないから余計に思うことがあったのかも。 -
就職するまでは分からなかったが、世間には本当に様々な仕事がある。マイナーすぎて社内ですら影が薄かったり、業務内容の「~等」に含まれるオプションが膨大だったり、なんというか、輪郭がぼんやりしているものが、案外少なくない。
36歳で求職中の主人公が、一風変わった職種を渡り歩く冒険譚。こんな仕事もあるかもな、という妙なリアリティと、仕事に対する主人公の内省が論理的で共感を覚える。が、そこに魔術的な要素が絡んできて混乱。予想のつかない展開にひきこまれ、気づけば読了していた。 -
どことなくファンタジーで、それなのに勤め人としてはドキッとさせられるような言葉もあって童話的な自己啓発本?最後の言葉が身にしみます。
-
学校を卒業後長く勤めた仕事を体調をくずしてやめ、次の仕事を探している主人公。紹介された仕事は、ちょっと変わった仕事。それぞれの仕事で色々考えてさせられ、自分がやるべき仕事に近づいていく。
奇妙な仕事のなかで、小さな謎を解きながら人間を観察し自分を見つめる。最後に明かされる最初の仕事に納得した。 -
津村記久子はいつも何かに腹を立てている印象のある作家だ。少なくともデビュー作の「君は永遠にそいつらより若い」から暫くはその印象は変わらなかった。それが文学賞をいくか取るうちに角が取れ怒りが収まっていくように感じた。例えば「ミュージック・ブレス・ユー!!」の主人公は、自分自身が何に腹を立てているのか解らないままに怒りを外に向かって発していた記憶があるのだが、最近は主人公の怒りが内向するように思える。
そんなこともあり少し遠ざかっていた津村記久子を久し振りに恐る恐る手に取る。この本の中で津村記久子は怒っているのだろうかと訝りながら。結論から言うと「この世にたやすい仕事はない」は「ミュージック・ブレス・ユー!!」の主人公のようにヘッドフォンであからさまに外界をシャットアウトはしないが、へどもどしながら世間様に何とかしがみつくそんな自分に嫌気を感じるくらいには厭世的な30代の女性が主人公だ。そこに自然と作家の等身大の価値観が投影される。だから主人公の不満や不安は作家自身の社会に対するメッセージ性を帯びるように読める。
いつの時代でも後から生まれた世代は「最近の若者ときたら!」という目で見られてしまものだが、今のご時世インターネットやメディアの発達に伴ってお節介な人々との接点も多い上に全てがポリティカリーにコレクトである必要もあり、本来なら理不尽に「理由なき反抗」したい世代にはさぞかしもやもやが発散し難い時代だろうなと想像する。その辺りの、もやもやとも、むかつくともつかない感情、それを描くのが津村記久子の新しい怒りなのかな、と漠然と思う。
でもやはり、と思うのだ。この世には怒りを代弁してくれるものが必要なのではないかな、と。ただ単に出るに任せて口から罵りの言葉を吐き連ねるのではなく、共感できる怒りを代弁してくれるものが。手に持ったアーミーナイフではなく、言葉で凝り固まった感情をほぐしてくれるものが。それが自分自身が津村記久子の文章に勝手に期待しているものなんだということが改めて解ったような気がする。