- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784566024007
感想・レビュー・書評
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親から虐待されて育ち、嘘つきで冷酷に育った少女チューリップの物語。彼女と友だちになった、普通の(恵まれた)少女の視点から語られる。目を覆いたくなるようなエピソードもあり、結末も悲しい。唯一の救いは、主人公が最後まで、「わたしにできることはなかったのか?」と問いかけていることだ。他に守るもののある大人たちは、どんなにいい人も、ある時点でチューリップを見捨ててしまう。主人公は子どもだから、助けてあげることはできない。でも、「なにかきっかけがあれば変われたかもしれない」と信じ続ける主人公が印象的だった。
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2回読みました。
1回目はチューリップがただただ恐ろしい子供で、主人公のナタリーが洗脳を受けた話だと思っていました。2回目読んで、チューリップが虐待を受けた子供で、感情を凍らせて生きないと生きていけない子供だったということを感じました。
酷い虐待を受けて人間らしい扱いを受けずにきたチューリップは、心の奥に憎しみや怒りを閉じ込めていました。人間らしい心を持てず、彼女の無意識の怒りは、幸せそうな人に残酷な悪戯をするという爆発の形をとります。
親は虐待をする人です。ただ周囲の大人、誰一人として彼女の本当の悲しみをわかる人がいなかった。それがチューリップをあのような怪物に育ててしまったのだと思います。
虐待を受けた子供の深層心理を描いた作品だと思います。 -
物語に引き込まれて 一気読みしました。
チューリップ が憎たらしく感じたり、可哀想に
感じたり感情が忙しかったです。
ナタリーがチューリップから離れられたように
チューリップも父親から離れることが
できてたら どうなるのでしょうか。
チューリップのその後が気になりますね。
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娘が大学の授業で考察した本。読んでみて❗️と言われ、やっと読む。
とりたてて、まれなケースの友情ものではない。現実には、似たような状況はたくさんある。
この世に産み落とした責任として、親はこどもに愛情を注ぐこと。いっぱいいっぱい子供を愛すること。ちっぽけだが、第二第三のチューリップを作らないために出来る大事なこと。 -
重かった。
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ナタリーとチューリップという少女の暗い友情の話。家は貧しく虐待を受けているチューリップ。彼女が考える大人をからかう悪いイタズラは、次第に犯罪へと近づいて行く。無責任な大人への不信感、子どもの世界の閉塞感がリアルに描かれており、YA世代が共感できる部分が多いのではないだろうか。
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子供時代の友人は、意味あるわ…
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ホテルの雇われマネージャーをしているパパに連れられてやってきたパレス・ホテル。
大人しく、手のかからない子どもだったナタリーはある日、眩しくてくらくらする様な光に満ちた麦畑の中で、子猫を抱いた同じ年頃の女の子と出会う。
彼女の名前はチューリップ。
そして、ナタリーはチューリップと離れられなくなった。
嘘をつき、クラスの子を傷つけ、大人達をからかい、酷い悪戯をし、それは成長とともにエスカレートして行く。
しかし、悪戯がついに放火にまで及んだ時、ナタリーはあの時チューリップが抱いていた子猫が辿った運命に気づいた。
ナタリーは全力で走りだす。自分を狂わせる、チューリップから遠く離れるために――。
子供の頃、同性の友達ととても仲良くなって、親や兄弟や先生や他のクラスメイトなんてどうでも良くなる…という経験をした人は多いのではないでしょうか?
なぜそうなったのか。ふとしたきっかけで急激に仲良くなり、濃密な時間をつかの間すごすことになる友達の存在。
そういった関係のなかで堕ちていくナタリーとチューリップ。
すべてを知っていながら、善意を装い、けれど最後の一歩を踏みださないままチューリップを見捨てていく大人たち。
虐待に苦しみ、でも『もっと酷くないと』救いの手は差しのべられず、犯罪に手を染め、事件を引き起こす子ども達の姿を鋭く描く作品ですが、物語のなかで問題が提示され、解決して幕を閉じる作品ではありません。
ナタリーのパパは言います。
『よその家の子どもをさらってきて、別の家庭を与えるわけにはいかないんだ。たとえ親がどんなに酷くても』
そして自分にできる事はすべてした。と。
その言葉は、すべての大人の持つ言い訳なのかもしれません。ほかでもない、私達の。 -
Explosion of the mind. 心的爆炸。ヘルマンヘッセの車輪の下に近い。子供の心の明と暗。
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きょう読み始めて、きょう読了。本年の読み初め。
おもしろかった、というと内容とずれてしまう感じだけれど、読んでよかった。視点人物はナタリーだけど、チューリップをどう捉え、受けとめるかを軸に展開されてゆく感じだから、中心にあるのはチューリップなのかな。チューリップの道行きに胸が痛む。ナタリーは彼女との間に壁を作り、けれどそれを堅固に保持する「賢さ」はない。でもやっぱり、それでも距離をとることを選択し続けるほどには賢い。「子ども」である彼女には「力」がなく、距離をとらなければナタリーが巻き込まれるだけだから。距離をとり、「解放」されていきながら、だからこそきっとナタリーは、今後もチューリップのことをずっと忘れない。そして、その距離を得たからこそ、ナタリーはチューリップのことを「語る」ことができるのだろうな。チューリップ自身は、決して自分について語ることができない。
読後に思ったのは、では「大人」にはどれほどの「力」があるのだろう、ということ。ナタリーは「子ども」の無力さに歯噛みし、それなのに「子ども」に頼る「大人」に憤慨するけれど、ではその後、「大人」になるナタリーはいったいどんな道を歩むのだろう。ラストではそれは明示されず、「力」のゆくえはわからない。その不安定な読後感が、個人的には誠実に感じられてよかった。
何度か読みかえしたい、と思う。