バカ親、バカ教師にもほどがある (PHP新書 515)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569699462

感想・レビュー・書評

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  • 妻にも勧めたい

  • [ 内容 ]
    わが子かわいさのあまり無理難題をつきつける「モンスターペアレント」。
    “いじめなんてない”と逆ギレする「モンスターティーチャー」。
    自分の気持ちだけを優先する大人たちの増殖が問題となっている。
    「先生がうちの子を起こして!」「キモイから担任を替えて!」「教師の私にたてつく気か!」…親と学校の壁はますます高くなるばかり。
    面倒な対話がなくても生きられる現代社会、このバラバラ状態は変わらないのか?
    民間出身の公立中学校長として奮闘した著者に、真に子どものためになる子育て・教育改革の道を聞く。

    [ 目次 ]
    第1章 バカ親の壁(バカ親、登場―居心地のよさを求めて(うちの子のためにサッカー部をつくれ! うちの子にスリッパを貸して! ほか) バカ親、ゴネる―「消費者様」の行き着く先(先生がうちの子を起こして! あの子を登校停止にしろ! ほか) バカ親、こだわる―「自分の気持ち至上主義」の弊害(あの親と同じ学級にするな! キモイから担任を替えて! ほか))
    第2章 バカ教師の壁(私のクラスにいじめがあると言うの! アイツは校長にたてつくおかしなヤツ! ほか)
    第3章 親と子の壁(「成熟社会」とは何か 成熟社会に必要な「チカラ」 ほか)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 教育は消費の対象ではなく「信頼を想像する行為」。
    学校教育にかかわる子ども、教師、保護者、市民が一体となって作り上げていくもの。
    「ナナメ」の関係で子どもは成長する。

  • う~ん、言いたいことは分かるけど、やっぱり「校長」っていう立場がにじみ出てる気がします。
    藤原さん、「話が分かる」人だけど、やっぱり学校信者というか・・・世代かなぁ

  • 藤原和博と名前を聞いてピンと来なくても、民間から初めて公立の校長になった、最近なら「夜スペ」をしている和田中学校の校長先生、と聞けば、ああ、あの人、と思うでしょう。

    この本は藤原校長と聞き手である作家・川端裕人さんとの対話形式で、具体的なバカ事例(バカという言葉は軽々しく使うべきものではないのですが)を挙げて、話を進めています。

    まずは現代社会がどのような社会か、そこから確認してみましょう。

    親と教師とのコミュニケーションが難しくなっている背景のひとつとして、日本が「成長社会」から「成熟社会」へと変化した影響を考えてみます。

    高度経済成長時代は「成長社会」。『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界のように、みんなが似通った夢を持ち、みんなが同じ未来へのベクトルを共有できていました。「昨日よりも今日、今日よりも明日は豊かになることができるはずだ」という信念のもと、仕事も勉強も家事もみんな頑張ることで、ある種の連帯感を持つことができていたのです。(みんな一緒に頑張れば、明るい未来が待っている)という希望を共有できる時代だったから、親も教師もみんな同じ土俵で会話をすることができたのです。

    しかし、現代のような「成熟社会」に入ると、社会の様相は一変します。経済全体が底上げされて、大人から子供まで誰もが自由に物を欲し、選び、行動する時代になったのです。

    「成長社会」では、家族が集まり、一緒にテレビを見たり(そういえば「一家団らん」という言葉も死語化しつつありますね…)、一緒に車でお出かけしたりしたものです。

    ところが、現代のような「成熟社会」では、みんなの行動がバラバラになります。ある日の休日、父親はたまには家族一緒にテレビで野球を見たいと思っていても、野球には興味がないからと、母親は買い物へ出かけ、娘は自室のテレビで借りてきたDVDを見て、弟はPSPでゲームをする、といった具合に。物が溢れる時代にあってはもはや、ひとりひとりの好みがバラバラになってしまうのも無理からぬことかもしれません。

    つまり、「みんないっしょの集団行動」を求める学校文化と、「みんなバラバラの個別行動」が許容される家庭文化とが、相容れなくなったわけです。「集団主義」と「個性主義」とがぶつかり合い、教師も親も共通のコミュニケーションの交わせる土俵を探しあぐねているというのです。

    そんな中でいわゆる「モンスターペアレント」が登場してくるのは、成熟社会のひとつの象徴といえるでしょう。集団と個性という利害の対立する者同士にとっては、「みんな一緒に」という共通解は得難いと考えられます。そこで親と教師の双方が納得できる【納得解】を探していく必要があるのです。

    …という前提のもと、この本は色んな事例を挙げて、藤原校長ならこういう納得解を出す、という構成になっています。

    「サッカーの得意な息子の転校先には、サッカー部がなかった。息子のためにサッカー部を作れ!」だとか、「うちの子は、朝起きられない。私も朝が弱い。だから担任が責任を持って、起こしに来い!」だとか、「卒業アルバムにうちの子が写っている写真が他の子と比べて少ない。不公平だ。アルバム代を返せ!」だとか。

    教師サイドでも、「私はベテラン教師ですよ。私のクラスに限って、いじめなんかあるはずがないでしょう!?」といった感じで。

    僕は普通のサラリーマン(鬱で休職しているから、普通ではないかもしれませんが)で、未婚で子供もいませんから、教師という立場も、親という立場も、想像の域を出ません。出ませんが、これではコミュニケーションの土俵に上がることなんてできませんよ、一方的過ぎて。でも実際にこんな問題が出てきているんですよね…。

    ところで、著者の藤原校長は、モンスターペアレントという言葉を使わずに「バカ親」と言っています、本のタイトルにもあるように。一見、失礼に聞こえるのですが、これがなかなか納得させられるのです。

    「ちなみに、校長としての私は「モンスターペアレント」という言葉を使わない。保護者会などでは、遠慮なく「バカ親」と呼ばせてもらっている。ただし、次のような文脈のなかでである。

    ---保護者の方に申し上げます。学校を支援して、いくらでも、子ども思いの「親ばか」をやっていただいてかまいません。ですが、居心地論で子どものワガママに同調して、文句を言うだけの「バカ親」にはご遠慮願います。---

    みんな、笑って納得してくれる。」

    これは本文の引用なのですが、ユーモアを交えて、上手く学校と親との橋渡しをしているように感じられます。この辺りが、民間出の先生たる力量でしょうか。

    話は逸れますが、世間で騒いでいるような、否、むしろマスコミがやたらと取り上げているような「バカ親」「バカ教師」なんて、そうそういないと思うのですが。実際のところはどうなのでしょう。まあ、それを言ってしまうと、この本、身も蓋もなくなってしまいますが。でも日本人って、あまり揉め事を起こさずに、物事をうやむやにするのが得意な(笑)民族じゃなかったかしら。そんなに日本人って変わったのかなあ。素朴な疑問。

    いずれにしても、間違いなくいえること、それは、子供は大人(親、教師)を見て育つということです。善くも悪くも、子供は学ぶ(=真似る)ことで成長していくわけです。親や教師を含め、大人たちひとりひとりが子供にとっての範とならなければならないでしょう。僕自身も含めて、大人は常に子供から見られているんだという意識を持っておくべきでしょう。

    この藤原校長の本は、なるほど、そういう考え方もあるなというアイディアに溢れています。独身の僕が読んでも、なかなか得心するところが多々ある本です。一読の価値、ありです。藤原和博著、川端裕人(聞き手)『バカ親、バカ教師にもほどがある 子ども化する大人たち』(PHP新書)。是非、読んでみてください。

  • 東京都の民間人初の公立中学校長らしく、ちゃんと一歩引いた目で教育の現場を見ている感じがしたが、バカ親の事例は多いのに、バカ教師の事例が少ないのはやはりどこかに遠慮しているのだろうか?それともバカ親の方が圧倒的に多いのか?
    少なくとも某元教師の著書よりはいい。

  • 学校でのよくある問題をどう解決していくべきか。本当に実際に学校で教えてみて感じたことが納得するようにかかれていた。

    また、学校の先生たちが親に対して持つ不安も、親が学校に対してもつ不安も必ずしも正しいものではなく、自分の頭でいったい何がどうあるべきなのかを考えさせられる本だった。

  • あの和田中学校の校長先生の著書です。
    コミュニケーションが下手になった大人たちが巻き起こした社会現象が、子どもたちに影響を及ぼしています。
    大人たちよ、大人になろう。

  • 不断のコミュニケーションによって、自分と相手の双方が納得できる「納得解」を探す

    情報編集力=納得解を解くチカラ
    は二十一世紀を生き抜くために必須の「生きる力」である

    1バカ親登場―居心地のよさを求めて
    2、バカ親ごねる―消費者様の行き着く先
      学校は「サービス産業」か
      ニーズに応えるのが「よい学校」ではない
      学校にあってサービス産業にないもの

    3、バカ親こだわる―「自分の気持ち至上主義」の弊害


    2章 バカ教師の壁

    その人が「大人」かどうか判断する基準

    「建設的な対案がつくれるかどうか」
    いろいろな解決策が考えられるような課題に対して、周囲に自分の考えを説明し、説得させられるだけの「納得解」と用意できるか

    モンスターと呼ぶことでごまかしていることがある

    本来、要求の仕方、表現方法は、いくつかに分類できる。クレームのなかでも「正当な要求」と「イチャモン」とは違うと思うし、さらに、問題を見つけて最初の笛を吹き鳴らす大切な役割をもった人=ホイッスルブロウアーも存在する

    それをすべて一緒にみてはいけない


    PTAについて
    PTAの存在を疑うような発言や考え方を許さないところがある

    学校と保護者との間で、機能不全をおこしているのは

    コミュニケーションと「間」をとりもつコミュニケーションがうまく働かないから「壁」ができる

    異文化交流の問題

    PTAのモデルチェンジは急務

    保護者と教師が対話し、学び合う異文化交流であるはずのPTAが機能していない

    どうモデルチェンジするか

    一つは、保護者の組織としての自覚をもつこと
    『保護者の会』として再出発もあり

    それにより、学校側が内部で釘をさすことは不可能

    よって、学校側もどんどん情報公開せざるをえなくなる

    学校経営、学級運営のカギは、オープンであること

    それが機能した上での学校協議会や学校運営協議会を「正常」に機能させたい

    PTAの存在は「義務と強制の機関」
    これは、学校と保護者の壁を高くしてしまう

    成長社会から成熟社会へ

    情報処理力から情報編集力へ

    「万人にとっての正解」を導き出す能力ではなく、個人が自分自身の価値観に照らして納得のいく「納得解」を導き出すチカラが必要となる

    身につけた知識や経験、技術を組み合わせて、自分の世界観や人生観をつくりだすチカラ

    人生においては、周囲からの信頼と共感(クレジット)を得て、自由度を上げることで、自分の人生を切り拓いていくことができる

    このクレジット=信任の総量のレベルを上げていくことが非常に大事

    その原動力となる両輪が、「情報処理力」と「情報編集力」

    これらの二つのチカラの「基礎」をなすのが「集中力」と「バランス感覚」(社会と自分自身とのかかわり方)


    以前なら「ふつう」にあった地域の人との多様な関係

    祭り、大人になるための通過儀礼

    思いっきり体を動かせる空き地や原っぱ、みんなで作った秘密基地

    少なくとも親の世代までは、そこで自然にバランス感覚を学ぶことができた

    皮肉なことに「情報編集能力」が今ほど重要でなかった時代のほうが、そこにつながるバランス感覚を獲得できる環境にあった

    ナナメの関係で人は大きくなる

  • 著名な藤原和博さんと、一保護者代表の川端裕人さんの対談本。
    教師と保護者間のメールの活用や、子どもの携帯電話利用についてなど参考になりました。

    でも、保護者と教育者の対話がずらずら続くという形式なので、保護者には目新しいことも多いかもしれませんが、教育関係者には既知の考えが多いかもしれません。

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著者プロフィール

1964年兵庫県明石市生まれ、千葉県千葉市育ち。文筆家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務中、1995年『クジラを捕って、考えた』でノンフィクション作家としてデビュー。退社後、1998年『夏のロケット』で小説家デビュー。小説に『せちやん 星を聴く人』『銀河のワールドカップ』『算数宇宙の冒険』『ギャングエイジ』『雲の王』『12月の夏休み』など。ノンフィクションに『PTA再活用論』『動物園にできること』『ペンギン、日本人と出会う』『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』など、著書多数。現在、ナショナル ジオグラフィック日本版および日経ビジネスオンラインのウェブサイトで「・研究室・に行ってみた。」を連載中。

「2020年 『「色のふしぎ」と不思議な社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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