- Amazon.co.jp ・本 (604ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582765526
感想・レビュー・書評
-
2005年、平凡社ライブラリー。
元は1995年から週刊エコノミストに連載されたもので著者は熊本在住、市井の研究者だという。
幕末明治の外国人による日本見聞記を邦訳、原著も含めて広く渉猟し、当時の日本人、とくに庶民の人と暮らしそして社会を描きだたもの。
良いことばかりではないことを意識しつつ、いかに平穏で美しく豊かな社会であったか。それは一つの文明であったとし、自身もその時代に生きたかったと。テーマに分け14章に描き出す。
章立ては次の通り。第1章ある文明の幻影、第2章陽気な人びと、第3章簡素とゆたかさ、第4章親和と礼節、第5章雑多と充溢、第6章労働と身体、第7章自由と身分、第8章裸体と性、第9章女の位相、第10章子どもの楽園、第11章風景とコスモス、第12章生類とコスモス、第13章信仰と祭、第14章心の垣根。
とても良い本だとおもうが、巻末の解説が、戦後の左翼インテリが云々と無関係に述べ、せっかくの清涼な読後感を台無しにしている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
膨大な外国人から見た幕末から明治の変革期の日本人のありようの資料から、現代の日本人が失った子供のような無邪気な好奇心、他者との垣根の低さ、情熱、身体の逞しさなどが伝わり、文明とは時代と共に移り変わる部分もあることが生き生きと伝わってきた。個を大事にする文化が明治以降に入ってきて、良い面もたくさんある反面、失われた生命力とでもいうか、素朴な生きる力があったのだと気付かされ、現代を振り返って見ると若者の自死の増加など複雑な想いが湧く。
-
渡辺京二は亡くなったときも、熊本日日新聞に「小さきものの近代」を連載中だった。92歳だった。ずっと気になりながら積読だった本を、哀悼の意を表して読んだ。幕末から明治初頭、西洋人は日本に来て何を感じたのか。百以上の文献をもとに感想をありのままに紹介している。そんなに昔は良かったのかという反論も承知の上で、本人はことさら江戸時代を美化しているわけではない。それでも『幻のえにし』では、「江戸時代は情があり、日本人はみな機嫌がよかったのよ。お互い気を使って、いかにしてこの世から不愉快なことを減らそうかとしていて、西洋人がびっくりした
くらいだったのよ。」と語っている。日本人のもっとも芳しい精神が逝ってしまったのだ。う~む。宿題を残してくれましたね。
(Recommended by Satsuki Tanaka) -
92歳。ご冥福をお祈りします。
こちらは随分前に読みました。感想が書けるほど覚えてはいないのですが、とても難儀したことは確か。また読み返してみたい -
幕末から明治末年までの間に日本を訪れた外国人による日本人への眼差し。ディスカバージャパンならぬディスカバージャパニーズ。彼らの見た「幸福な日本人」は我々と同じ民族なのか?違う民族なのか?著者は言います。「文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。」同じ時期に海を渡った浮世絵やパリ万国博覧会に出品された超絶技巧の伝統工芸品はタイムカプセルのように150年の時を超え里帰り出来るモノとしての文化だけど、本書に記録されているのは二度と戻らないココロとしての文明なのでしょうか?ピサロに滅ぼされたインカ帝国は、実はスペイン人が持ち込んだ感染症によっての滅亡したのである、と言われていますが、資本主義という成長至上主義はここに描かれる「幸福な日本人」にとっての感染症だったのでは?インディオがなぎ倒されるように「幸福な日本人」も絶滅したのでは?それとも今を生きる日本人の心の奥底には、「幸福な日本人」のDNAは生きているのか?今年のノーベル医学賞のスバンテ・ペーボが証明したホモ・サピエンスにネアンデルタール人が繋がっているように。本書を読みながら思い出していたのは、実は『人新世の「資本論」』です。資本主義を超えた幸せの体現が150年前の日本人の姿にあるのでは?機嫌よく、陽気で、人見知りしないで、深く考えない暮らし。たぶん、違うと思いますが…。ちょうどこの本を読んでいる時に朝日新聞の土曜日版「be」での原武史の連載「歴史のダイヤグラム」に編集者としての著者と作家としての石牟礼道子の2ショットの写真が出ていたのですが、我々の暮らしの底流には、この時代の心が生きている、という想いがこのコンビを成立させているのではないか?と思いました。
-
江戸末期・明治初期の日本を訪れた西洋人が感じた「驚き」が、これでもかと紹介されている。日本人であるはずの自分だが、これを読むと、彼らと同じ目線で一緒に驚くことになってしまった。
「昔の日本ってこんな感じだよね」と漠然と考えているイメージ(たぶん、時代劇とかで作られたやつ)が吹き飛ぶ。当時の日本はこんなに不思議な国だったのだ。
逆にいうと、先祖代々続いていると思っていた「文明」が一度滅んでいたということ(少なくともそう言っていいほど「西洋化」してしまったこと)。そして、ほとんどの人が、そのことに気がついてさえいないこと。なによりも、それに驚く。
日本人ならこれは読むべき。 -
まず、大著であり読破するのは相当困難であると覚悟してください。あとがき、解説までで594ページ、活字のポイントも小さめで、相当に時間を要します。私はちょうど1週間かかりました。ですが、それだけの時間をかけて読む価値のある書籍であることは間違いないです。特に第一章がやや難解なので、なかなか読み進めないな、と思う方は第二章から読み始めてもよいと思います。具体的でわかりやすいです。
著者は『古き良き日本』を振り返る懐古の書として書かれたのかもしれませんが、これを読んで共感はしても、今さら便利な生活を捨てて江戸や幕末の生活にもどりたいと思う人はいないでしょう。それよりも私が印象的だったのは、ところどころに語られている日本人固有のマインドセットについてです。そこに注目する方が、この書籍を読む価値が上がると思います。『衣食足りて礼節を知る』と言いますが、足りてなくても礼節をわきまえていたのが、昔の日本人であったと知ることができましたし、それは少なからず今の我々の中にも宿っていると私は思います(やや薄れてきているのは否めませんが)。
ぜひ、一読をおすすめいたします。 -
既に失われた明治以前の日本人の暮らし向きや価値観を、当時の日本を訪れた外国人の手記・著書から紐解く。
今となってはいかに西洋由来の価値観が日本の日常に浸透しているかを自覚できる。ナショナリストが唱える「日本人らしさ」が空虚に響くほど、本書が紹介する失われた時代の営みは日本人の自分にも驚きを与えてくれる。 -
半七捕物帳の時代の副読本として読む。
本書は江戸後期から明治初期に日本を訪れた外国人による日本訪問の記録を集めて、近代化以前の日本の面影を描写してみようという試みである。
この手の「日本」をテーマにし、良き点を書いた本は、どうしても左翼知識人からはオリエンタリズムに過ぎないと批判され、自国の文化を誇らしいと思いたい右翼に賞賛される。しかし、あくまで近代化によって消滅した文明を描くことで現代の参照にしたいという興味であって、それらの議論には興味がないという宣言をしている。第一章はこの立場表明に費やされている。
この第一章が難関で、今まで何度か断念していた。
あとは読みやすく、興味ある項目から拾い読みしても面白いと思う。幸福そうでみんなが満足しているという、日本はどんなところだったか。