逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (604ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582765526

感想・レビュー・書評

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  • 幕末から開国、文明開化にかけての日本、日本人の生活や、市民の様子が書かれている。おおよそ中身は、当時の文献の引用から構成されており、例えばペリー提督とその乗組員が書いた紀行文や、その他の当時の来日外国人達、例えばイザベラ・バードらの文献からの情報が元となっている。当然、そうした文献からのみしか、当時を知り得る手段は無いものの、本書はかなりのぶ厚い大作であるので、これを読むのに時間を費やすのであれば、むしろ元の文献を当たったほうが良いとも思える。但し、上記の文献などの存在はこの本を通じて知った事もあるので必要なステップでもあったといえるが。。。

  • 少し日本礼讃に偏っている気もするが、
    異人から見た江戸時代独自の日本文明というのを事細かに描写されていて、面白かった。

  • "文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。"
    という言葉が突き刺さるようだった。
    日本という国の文明は、もうなくなってしまったのである。

    この本を読んでいて、当時日本へ来た外国人たちが
    書き残した文章を目にするにつけ、私が連想するのは
    指輪物語のホビット庄だった。
    陽気で親切でどんな困難を前にしても前向き。
    芸術に対する理解が高く
    小さくて逞しく可愛らしい、率直だが控えめな
    まるでホビットのような
    ファンタジー物語にいそうな本当に妖精かのような
    日本人という民族の特性は、微かに残ってはいるものの
    今は失われてしまった。それが残念で、苦しくてならない。

    ハリスが安政三年に下田のアメリカ領事館にやってきたとき、
    日記に
    『厳粛な反省ー変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まる。敢えて問う。日本の真の幸福となるだろうか』
    と記したと言う。

    二年後下田に来たイギリスのエルギン使節団の艦長も
    『衣食住に関する限り完璧にみえるひとつのシステムを
    ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊し、
    ともかくも初めのうちはそれに替わるものを提供しない場合、
    悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろう』
    と述べている。

    ヒュースケンもまた日記に、
    『いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。
    この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。
    この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなはを私は賛辞する。
    この国土のゆたかさを見、
    いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、
    そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、
    おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
    西洋の人々が
    彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思えてならない。』
    と記す。

    プロシャ商船の積荷上乗人、リュードルフは
    『日本人は宿命的一歩を踏み出した。
    しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜き取ったと同じで、
    やがて全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう。
    そして日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう。』
    と述べ、

    長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは
    『私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに願った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うかと思えば、恐ろしさに絶えなかった故に、心も自然に暗くなった。
    自分たちがこの国にもたらそうとしている文明は日本古来のそれより一層高いが、それが日本に果たして一層多くの幸福をもたらすかどうかは自信がもてない。』
    と言う。


    ポンペ
    『日本に対する開国の強要は、十分に調和のとれた政治が行われて国民も満足している国に割り込んで社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような行為』


    フランス人画家レガメ
    『日本人の微笑みは全ての礼儀の基本であり、生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった。』

    チェンバレン
    『欧米人にとって古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった。』

    エルギンの秘書オリファント
    『日本人は私がこれまであった中でもっとも好感のもてる国民で、貧しさや物乞いの全くない唯一の国です。
    私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出掛けます。』

    こうしたケースは枚挙に暇がなく
    こうして愛された日本が既に亡いということは本当に辛い。

    たとえば客待ちの人力車夫たちが、客が来そうになるとくじ引きで決めて
    恨みっこなし。お客さんが来てくれなくてもみんなで笑いあって終わる
    という和やかさ。これは自分の国にはない、とか、どこの国では
    客の取り合いになったとか書かれているが
    現代の日本では我先に向かい客を取り合うこともあるだろう。

    日本民族の丁寧さ、礼儀正しさ、素朴さ は
    全く受け継がれていないわけではないが、やはり特性は変容し
    文明は滅んでしまったのだ。

    庶民の一婦人ですら動きのひとつひとつが優雅で
    「ならばわれわれを日本人が野蛮人扱いする権利を
    認めないわけにいかない」とボーヴォワルに言わしめたほどの
    日本人の物腰というものは、今は一庶民にすら備わっているとは
    とても言い難いだろう。

    職人は自分の作るものに情熱を傾け、
    かけた日数や商品価値ではなく自分の満足度が重要視し
    生活を楽しむためにのみ生きる。

    身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。
    弱者が屈服するのではなく、
    礼儀正しく義務を果たせば後は自然のままの関係で
    奴隷的なところや追従的なところはまったくない。
    やはりこうしたところも、現代日本では少ないところかと思う。
    ブラック企業や社畜は奴隷的で追従的で
    自然のままの関係でいられることは殆ど無いだろう。

    人前で裸体を晒すことに抵抗がなく、
    男女混浴していた江戸時代の女性のことを
    『堕落する前のイブ』と表現しているところは成る程と思った。
    それは恥ずかしいことなのだと教えることが
    果たして正しいことなのか否か。

    子供に体罰をせず溺愛。言葉で叱るのみ。
    赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。いやいや服従させたりしない。
    甘やかされているがよくしつけられている。
    子供たちだけで遊び年長者が面倒を見て独立した世界。
    年長者がまとめて下級生の面倒を見つつ遊ぶというのは
    公園の利用すら禁止されるケースも有る現代にはやはり難しい。

    劇場や寺参りにも子供をおぶって連れて行くというのも
    子供の泣き声が五月蝿いとされる昨今では難しいだろう。

    『楽園としか言いようがない』
    『みたまえ、これが江戸だ』
    そう言わしめるほどの魅力を持った文明。

    元に戻すことは出来ないのだろう。
    それでも面影を追い、欠片を大事に守って行きたい。
    それがこの国を命がけで守ってくれた祖先への
    せめてものご恩返しではないのか。


    最近そういう風に考えることがよくある。

  • 江戸後期から明治初期にかけて訪日した多くの外国人の記述から、往時の日本人の性質や暮らしぶりを浮き彫りにしていく。
    外国人の目に映った当時の日本人は、よく笑い、よく働き、よく遊び、良い趣味をもち、素朴で、好奇心旺盛で、質素な生活に満ち足りた、幸福な理想郷の住人として彼らの書物に描かれている。

    著者は、かつてこの国に存在したような「文明」は、明治以降の近代化・西欧化によって「滅亡した」「死滅した」と繰り返し述べている。
    本書に現れる「昔の日本」や「昔の日本人」の記述の中には、現代にも受け継がれていると思われる部分は確かにある。
    しかし著者が「滅びた」と言っているのは、伝統や気候と風俗、生活様式、価値観等が有機的に結びついた総体としての「文明」のことであって、個々の「文化」ではないということに留意する必要がある。
    しかもその「文明」は、近代化・西欧化の過程で、日本人自らの手によって滅ぼされたのだという。
    いかに外国人が日本文明に賞讃を浴びせようと、近代西欧文明と直面し、まさに変革せんとする日本にとって、自国の伝統は恥ずかしいもの、捨て去らなければならないものだった。
    異文化に接するとなんだか気後れがして、背負ってきた伝統ををたやすく捨て去ってしまうという気質だけは、哀しいかな、現代日本人にも脈々と受け継がれている。

    著者は外国人の証言をただ淡々と引用する。古き良き日本に対する憧憬は極めて控えめである。
    「現代人も滅びた日本文明から学ぶべきことがある」とか、ましてや「かつての日本人の姿を取り戻そう」などとは決して言わない。

    だけど、本書に描かれている「昔の日本人」の姿にはやはり学ぶべきことがあると思う。
    貧しいながらも卑屈にならずに満ち足りる精神性というものは現代日本人こそ見習うべきだし、共同体内の相互扶助や、共同体の成員がみんなで子どもを育てるという雰囲気は、素直にいいなぁと思ってしまう。

    逆に、視線を未来に移せば、「今の日本人」が持っている優れた性質や文化は、意識的に努力して後世まで遺さなければいけないということ。
    同じ失敗を繰り返してはいけない。

  • 江戸末期の風景を主に当時日本に来ていた外国人が見物したものをまとめたもの。今は知ることもできない当時の日本の生活様式を知ることができる。おおらかで無邪気な当時の日本の様子が分かった。同じような内容が多くあるので、途中で飽きるかもしれません。

  • 江戸後期ごろの日本に上陸した外国人が見た日本の風景や文化、日本人の性格や見た目なんかを外国人の目を通して書かれた旅行記を紹介した、古き日本を知るにはもってこいの一冊。

    約600ページあって、かなりの根気が必要だった。

    興味深いことがたくさん書かれていたけど、中でも日本人の無邪気さ、率直な親切さ、むき出しだけど不快ではない好奇心、自分や他人を楽しませようとする愉快な意思があり、女性は特に美しい作法や陽気な魅力をもち、みんな気持ちのよい挨拶をかわしていたということが印象的だった。

    日本人は勤勉で真面目で恥ずかしがりやで、あまり陽気さや無邪気さは出さないような印象があったけど、平和で華やかな江戸時代には、そんな陽気な日本人がたくさんいたんだろう。

    何かにつけて大笑いをするという記録もあり、印象が少し変わった。

    また、中国を通ってやって来た外国人は、全てが朽ちかけている中国とは違い、破損している小屋や農家はほとんど見受けなかったと快い印象を受けている。住民はぜいたくに振る舞うとか富を誇示するようなことはしないけど、飢餓や貧窮の徴候は見受けられなかったらしい。

    この時代特に海外では、特権階級と労働者がいて、特権階級の人は豪華絢爛なばかでかい建物に美術品を並べて労働者から搾取する生活を送り、労働者はボロボロの小さい小屋に不幸を感じながら生きるというのが当たり前の構図の中、日本では武士や殿様でも所詮は紙と土でできた家に住み、ほとんど貧富の差はなかった。庶民や農民の生活の中にも幸福感があることを、彼らの屈託のない笑顔から見てとれたようだ。

    よく、古き良き時代として戦後の昭和が紹介される。昭和も確かに素晴らしい時代だったと思う。だけど、260年もの間、平和な世の中が続いたおかげで培われた江戸の町人文化や当時の日本人の開けっ広げな性格、この時代も忘れてはならない古き良き時代だろうと思った。

    日本文化、日本の歴史、日本人ってほんとに興味深いし、どの時代の人たちをとっても、あの頃の先人のおかげだなと感じる部分がたくさん出てくる。に日本人でよかった~!

  • 封印された、近代までの日本人を
    西洋人の視点から思い出させる内容

    享楽的でありながらも幸福に満ちた庶民の姿は
    現代人が封印されたものを教えてくれる

  • 全部は読めなかった

  • 2013/8/10読了。
    以前にイザベラ・バードの東北紀行を読んだことがあり、西洋人の目に映った近代初期の日本の姿(を現代の日本人の視点で読む行為)の面白さに興奮した。本書はそのバードを含む膨大な西洋人たちの記録から注目すべき記述を洗い出して並べた大変な労作である。
    間違いなく名著だが今の時勢に誤読されると危険な本でもある。この本を読んで「だから日本は素晴らしい国だ」などと思ったり、自分が褒められたような気になって根拠のない自信を持ったり、何か誇らしい気分になったりしたら、あとがきまできちんと精読する必要がある。
    これは著者が再三強調するように、すでに滅んだ文明に関する見聞録である。いわば通夜振る舞いの席で語られる故人の美しい思い出話のようなものだ。
    それを聞く遺族子孫たる我々は確かに嬉しく慰められるが、褒められたのは故人であって我々ではない。故人の血を引いてはいるが我々はまったくの別人である。故人は我々によって隠居させられ、そして逝ったのだ。いい人だったが我々が今の生活を手に入れるためにはいなくなってもらう必要があった。必要があったかどうか不明だが、とにかく我々はそうしたのだ。残酷だがそういう認識で読むべきではないか。
    だからこそ本書に描かれる日本の姿は美しく懐かしい。故人が若く生き生きしていた頃の姿が現前するようである。
    石川英輔(本書でも発言が引用されている作家)の『大江戸神仙伝』という小説に、江戸へタイムスリップした主人公が隅田川の船上で美しい風景を眺め、それがやがて確実に失われることを思って哀惜の涙を流す場面がある。本書の読者は同じ涙を現代にいながらにして流すことができるだろう。

  • 分厚すぎて、全部読めず…興味のある章だけ読んだ。
    思ったのは、日本人ってほんとにそんなんだったの⁉ってこと。平気で裸になり、笑いが大好きで、外国人に興味津々でついて行く。今とは違いすぎて、ほんとかどうか疑ってしまう。
    今までの概念を壊された。
    じゃあ、いつから今みたいな日本人に変わっていったのだろう?その辺がとても気になる。
    あと、宗教についてはもっと知りたい!

    書き方が単調でつらいけど、内容はめちゃおもしろい!

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著者プロフィール

1930年、京都市生まれ。
日本近代史家。2022年12月25日逝去。
主な著書『北一輝』(毎日出版文化賞、朝日新聞社)、『評伝宮崎滔天』(書肆心水)、『神風連とその時代』『なぜいま人類史か』『日本近世の起源』(以上、洋泉社)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞、平凡社)、『新編・荒野に立つ虹』『近代をどう超えるか』『もうひとつのこの世―石牟礼道子の宇宙』『預言の哀しみ―石牟礼道子の宇宙Ⅱ』『死民と日常―私の水俣病闘争』『万象の訪れ―わが思索』『幻のえにし―渡辺京二発言集』『肩書のない人生―渡辺京二発言集2』『〈新装版〉黒船前夜―ロシア・アイヌ・日本の三国志』(大佛次郎賞) 『渡辺京二×武田修志・博幸往復書簡集1998~2022』(以上、弦書房)、『維新の夢』『民衆という幻像』(以上、ちくま学芸文庫)、『細部にやどる夢―私と西洋文学』(石風社)、『幻影の明治―名もなき人びとの肖像』(平凡社)、『バテレンの世紀』(読売文学賞、新潮社)、『原発とジャングル』(晶文社)、『夢ひらく彼方へ ファンタジーの周辺』上・下(亜紀書房)など。

「2024年 『小さきものの近代 〔第2巻〕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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