絶歌

著者 :
  • 太田出版
2.86
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感想 : 229
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778314507

感想・レビュー・書評

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  • 前半は気持ち悪くて、想像通り、人にはお勧めできないものを買ってしまったなと思った。自分に似た悩みがあるなと感じる部分があった。
    後半は彼にしかわからない悩みがあった。家族の気持ちを考えると涙が出そうになる部分もあった。
    ただ、これらの文章は本心なのか見せかけなのか、本人にしか分からないのでなんとも言えない。

  • 1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の被告、元少年Aが書いた自らの生い立ち、事件に至る経緯、逮捕後の少年院での生活、仮退院を経て正式に少年院を退院するまでの生活、人の助けを借りない一人での生活、事件を振り替えって今思うことなど、実名は明らかにしていないとはいえ、せきららに自分を見つめ直したとされる一冊。

    発刊当初からマスコミ等で話題となり、被害者の感情を踏みにじったり、忌まわしい記憶を呼び覚ましてしまうのではないか、元少年Aに入るであろう多額の印税はどう使われるのか、そもそも太田出版は発刊するべきではないと様々な意見があった。

    個人的にも思うところは確かにあったが、内容を読まずに批判することも信条に反するので、せめてもの抵抗で中古で購入。

    まず思った感想は、何を思って書いたんだということ、本文中には本書を世に出した理由として、被害者やその家族の気持ちを配慮しつつも、自分の言葉で自分の想いを語りたい、そうしないと精神が崩壊しそうだったとあるが、やはり正常な考え方では想像がつかない思考と理論だった。

    また、ここに綴られた内容は本当に本心であり、第3者から見ても真実なのかということ。
    そう感じたのは、本文中にも、事件当時から自分の中にあるイメージ通りの猟奇的な殺人モンスターにするために、行動するような面があったからだ。
    そういった自分の思う通りのモンスターのイメージを世間にも植え付けるための言い回しや、虚偽とは言わないが誇張なんかがあるのではないかと勘ぐってしまうところがあった。

    本文中の表現では、残酷極まりない言葉で表現されている箇所もあるので、感受性の豊かな人にはおすすめできないが、元少年Aのような思考になることがない自分にとっては、決してわかり得ない気持ちや生活を知ることができた。

    ただ僅かに救われたのは、元少年Aが被害者やその家族に向けて書いた部分で、多少の人間らしさを感じたことだった。
    それと同時に、この文は本心で書いているのか、上っ面だけの言葉を並べただけのものじゃないのかという相反することも感じた。

    被害者やその家族の気持ちも、わかると言いたいところだけど、自分には決してわかることはないと思う。
    ただ、被害にあわれた2名の児童のご冥福を祈り、そのご家族、親族、関係者の方々の気持ちを想うばかりだ。

  • 加害者の周りには本当にいい人たちが多いなぁ(特に親兄弟)
    人殺しを前にして、自分だったらまともな人間として相対することはできない

    本書を読んでもどこでどうやって人殺しが生まれてしまうのかわからなくてとても怖い

    逮捕後の少年は、その辺のバカよりは、まともな善悪の判断ができるようになっているように感じられて、後半は微笑ましく読んでしまった
    ただ本書にも書いてある通り、遺族からしたらどんなに更生しようと、立派に生きようとも、決して償いにはならないのだなぁと強く感じた
    やっぱり出版には遺族の了解を得るべきだったな

    読んでいる人への批判も多いけど、読まないことが遺族のためになるとは全く思わないし、ただやっぱり読む限りは、身勝手な出版であったことに変わりはない

  • 一気に読みました。
    買う時は悩んだけど、真実の心の内を綴った文章だと思ったからです。
    著者は大人になり、たくさんの本を読み、考え、過去の出来事をつぶさに振り返り、描写できていますが、事件に至った部分は事象のみで、今でもよくわからない、とも記しています。
    言葉にできない衝動、パニック…青少年の犯罪はそういう謎に満ちていて、今もこれからも次々と起こる事件にどう対応したら良いのか、とても難しいと思う。
    平穏な社会に生きていること、必死に生きることの有難さを教えてくれました。

  • この本の出版に対して、内容に対して、様々な物議を醸しているのは知っているが、窪美澄の「さよなら、ニルヴァーナ」を読んで興味を持って購入した。

    批判したくなる人の気持ちも分からなくはないが、嫌なら読まなければ良いというのが正直な感想。特に本という媒体は、関わろうしなければ関わらなくて済むし、自ら選択するものだと思う。

    それと同時に、やはり著者である元少年Aに対しても、遺族や読み手、いわゆる社会に対してもう少し配慮すべきだったのでは?と思う。
    手記と銘打つなら、過剰な比喩や描写や削ぎ落とすべきだし、無意味に難しい言葉を使う必要はないと感じた。
    逆に読み手が知りたい内容、例えば医療少年院での生活について触れることも出来たと思う。

    ビリギャルを読んだ時、これが小説なら出来過ぎててよくある話だな、で終わってたと感じた。現実に起きたことだから感動するんだと。
    逆にこの本では、事件という事実や、少年Aの実在も含めて全てが「物語」で、小説の中の出来事なら、とても興味深く読めたと思った。
    ほとんど大多数の人がそうである様に、この事件に関しては当事者ではないし、どこか非日常の出来事。小説だと言ってくれた方が、遥かに受け入れ易い。
    その様な立場から、まるで当事者の様に少年Aを糾弾するのは簡単だろうけど、それこそ傲慢さを感じる。

  • 大きな波紋を読んでいるこの本。

    ご遺族への事前許可や一言も相談なく、出版してしまったことは許される事はないではなく、それだけで出版すべきでないという大きな理由になる。

    だから僕も購入するつもりはなかった。ただ物事には「原因」と「結果」があるように、元少年Aが犯罪を犯した背景にどんな問題があったのか、個人だけの問題なのか、家庭環境なのか、学校環境なのか、大きな社会変化の流れの中なのか、その原因には関心があった。その原因とどこか無関係ではないように感じた。

    先週末、本屋で友人を長時間待つ事に待っていたことも手伝い、書店の人気ランキング2位に置いてあったこの本を購入してしまった。

    この感想を、自分の感想が間違っているのではないか、不適切なのではないかと思いながら書いている。
    彼の手記といくつかのWEB記事しか見ていないので、加害者である少年Aに共感してしまってしまい偏った視点で見てしまっている気がする。
    神戸の事件での遺族や加害者家族の手記、もっと言えば、少年犯罪を取り巻く課題やこれまで起きた犯罪で被害を被ったご遺族の悲しみ・法改正の取組み、また、加害者家族のケア等諸々深めた上で感想を述べた方がよいのかもしれない。
    もしくは、感想をアップするのではなく自分だけのものにしておけという意見もあるかもしれない。

    ただ、この本に書かれている内容が彼の本心であるならば、出版社が意図的に操作していないならば、僕はこの本は存在しても良いのではないかと思ってしまっている。

    なぜなら、この意見自体もそうであるが、それを言える環境、つまり一人一人を違いをまず尊重する多様さが必要であると考えているから。

    今回の本に関しては、世の中の大多数派が否定派で良いと思う。この本の出版にいたるまでのプロセスは正しくなく、批判されて当然だと思う。

    しかし、社会復帰を支えるような仕組みが確立されておらず、文化も十分醸成されていない(むしろ犯罪者を特定し、ネットで血祭りにあげる)この日本社会においては、世の中の全員が否定をしてしまうと、犯罪を犯した人間の居場所がなくなってしまうと思う。

    同調する人、少しでも理解を示してくれる人間が少し存在する必要がある。本の中にもある通り、これだけの悪質な犯罪を犯した少年Aを温かくサポートする人たちがいたことで、
    彼は葛藤しながらも人に感謝することを知り、犯罪を犯さず、生きる力となっているのだと思う。それが排他ではなく包摂であり、ダイバーシティなのだと思う。

    僕が彼に同調できるのは、自分自身に思い当たる節があるからなのだと思う。東日本大震災が発生し、人間の心の弱さを知ってしまったからだ。

    自分の無力感や喪失感、居場所・存在を見つけられないこと。
    求められる理想と自我がぶつかることで自我が高まりさらに乖離が広がっていった事。
    自らを否定し続け、どんどん追い込まれて行った事。
    震災から特に1年くらいは異常な環境にいた。信じられないこともたくさんしたしされた。
    心のバランスを崩した方々がたくさんいた。自殺をした人も自殺未遂する人も数人ではきかなかった。
    自分は大丈夫だと思っていた人でも、追いつめられれば変わってしまうし、過ちを犯してしまう事はあるのではないかと思う。

    この本を読んで、僕には、少年Aが自分の存在を認めてほしいといっているようにしか見えなかった。
    痛切に後悔している事も、感謝している事も、犯罪を犯してしまったことを分析しようとしていることも、
    自分を美化していることも、色々なことが書かれているが、知ってほしかったんだと思う。
    かなり稚拙であるが、それが全てになってしまったのではないか。
    承認されなければされないほど、承認欲求は高まるし、自分を守ろうとし正当化する。
    彼の手記からはそれが伝わった。

    彼は、14歳の頃に犯罪を犯した。そして、今回、ご遺族のことを考えず、本の出版に至り、ご遺族の方を二度傷つけてしまった。
    本を通じ、変わった点も書かれているが、家族やサポーター等の理解者から自ら孤立し、自らを追いつめ、追いつめられ限界に達した。結局、自分を理解してくれる存在、愛してくれる存在に助けを求められなかったのだと思う。自分の否定し続ける事、傷つける事、追い込む事でしか生きていけないのではないか。

    認めてくれる存在が必要であり、
    多様性・社会的包摂が必要であり、
    認めてくれる存在とつながり続ける仕組みが必要である。
    そしたら、今回のような事にはならなかったのではないか。

    尚、今回の本を読んだ事で、
    被害者等の当事者が法改正に参加することの必要性、
    加害者が発行した本で加害者が儲からないようにするアメリカの「サムの息子」法の存在があるが日本にはない、
    凶悪犯罪の加害者家族の自殺に至るケースの多さ等、
    日本のこの分野の仕組みの問題を少しだがかいま見れた。

    最後であるが、今回の僕の感想には、ご遺族の方の視点が抜けている気がするし、無駄に少しぶっている部分もある気がする。
    それは、つまるところ、僕も彼と根本で似ている部分があるからなのだと思う。何かが欠けてしまっている気がする。

    <参考>
    http://synodos.jp/society/14525
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20150613-00046627/
    http://www.bengo4.com/other/1146/1307/n_3240/

  • 本の内容の前にブクログやAmazonのレビューをみてとても気持ち悪さを感じた。
    本を読んでいない人達がこの本のレビューをして絶対に読まないという宣言をしながら低評価をしている。
    本来本のレビューというのは読書後の感想や内容に対する批判を書いて、これからその本を読んでみようとする人へのヒントや読み終わった人との内容についての共感や考察の相違を比べるなどの目的で使われるものだと自分個人としては認識しているのだが…

    とはいってもこの本がそれだけ多くの人から物議を起こすのはやはり分かるし、被害者家族の立場を思えばこの本の出版に対しても確かに考えさせられる。前半部分はかなりきつい描写が続くことや今回はそれを犯人自ら述べている訳だしどのような考えで犯行一つ一つが行われたのかの心情が書かれている。その心情も自分の快楽を求めるだけのものなので事件から長い年月がたったにせよ被害者のご家族が強い憤りを感じることは当然だろう。

    そういった物議がある中で自分個人としてはこの本は世間に出てよかったと思うし、本の内容にも満足いくものだった。
    この本が世間に出てよかったと思う理由が少年Aが普通の少年であることが分かることだ。
    少年法によって未成年の犯罪は世間に身元や刑期後の素性が知られることはない。それによってこの事件の世間での衝撃の強さから少年Aを神格化させてしまうような印象が生じてしまっていたと感じる。心の底から悪であり普通の人とは明らかに違うサイコパス。
    事実、以後の猟奇的な事件の犯人でも少年Aに対して憧れを持った人間が存在する。
    しかし実際に事件当時の描写を読んでみるとそこまで異常なことだとは思えない。
    確かに当時の少年Aの心が病んでいて第一部を読んでいたときは自分が心を病んでいたときの暗くてドロドロした感情を思い出してしまったし、普通の人はそのドロドロした世界を頭の中のみに留めるが少年は実際に実行してしまったのでやはりそこは当然異常は感じる。
    しかし本全体に漂う自分は目立ちたい、自分は普通の人間ではない特別な人間なのだという自己顕示欲は通常の思考だし、個人的には第2部の更正後の生活の中で猟奇的な漫画や小説を読んだり作品を作ったりというところに大きく違和感を覚えた。
    なぜ更正後の生活の中でこんな描写を入れるのだろう。
    自分は生まれつき異常で人とは違い更正プログラムを終えても根本的な部分は変わらないと言いたいのだろうか。
    こんな本は誰だって読むし、そこに異常性などないのだからわざわざこんな描写を入れる必要はないと思う。
    そういったところにもむしろ普通の人間よりただ幼い主張を持つ少年Aを感じた。
    自分が特別で社会にとけ込めないと思いながら勝手にふさぎ込んでしまい、多くの人から助けられたにも拘らず、自身の自己顕示欲と注目を得たいが為に過去の事件を再びぶり返す30歳を過ぎた哀れな元少年A。
    もし彼の周りの環境が今後も変わらなければ彼は再びメディアの前に現れるように思う。自分はみんなとは違うがしかしみんなに自分を理解してもらいたいと思うから。

    個人的には彼には今後普通の人生を送る中でたくさんの経験をして、被害者のご家族としっかりと向き合えることを望む。

    こんなに長いレビューを書いたのははじめてだがそれだけこの本を読んで考えることが多かったってことだと思う。
    だからこそこの読書には自分にとって意味のあるものだと思う。

  • 読み終わりました。
    人を殺して、普通に生きていていいわけがない。
    少年だからと罪を軽くしていいものなのか?
    本人が本を出版することでしか生きられないのなら
    更生したとは言い難いし死刑でもいいと思う。
    ポエム的な文章が多くて気持ち悪かったが、内容は別として文書自体は読み難くはなかった。
    犯罪者の自己満足本です。

    あの日何を思ってこういうことをしたのか、
    知りたい方は読んでもいいと思います。
    読んだ所で自分の中に何も生まれませんが。

  • 2015年6月21日読了。私と同い年で誕生日も近くて出身も近くて、そんな彼の起こした事件は当時私にとって衝撃的でした。なんなら進路も人生も変えてしまいました。影響力絶大な彼の言葉を受け止めようと買いました。文章はとてもわかりやすく、きれいな文章を書く人だなと思いました。そこには好印象を持ちました。前半は事件を起こした時の精神状態。異常としか言いようがありません。気持ち悪くて飛ばし読みしたところもあります。彼にとって祖母とサスケの死去がどうしても受け入れられなかった、そこが起点だったようですが、そこからの物事の捉え方がおかしい。全く気持ちがわかりませんでした。そして暴力的な性格だったのも理解できませんでした。意味もなく相手を殴る。そんな考え方は持ち合わせないと思います。でも彼は彼の方法で色々悩んでいた。悩んでいるものが間違っているけど、それを正してくれる人がどうしていなかったのかと悔んでなりません。逮捕されてから出所して現在に至るときも、社会生活を一人前に過ごすためにすごい努力をしてきたんだと思うところを多く見ました。生半可じゃないと思います。人間関係を築けない状況が今はあるようです。彼はそれに一生苦しめられるんじゃないかと思います。少年だったころの自分の浅はかさが今の自分を苦しめる。そんなことその時はわからなかったんでしょうね。それが本当に悔やまれてなりません。今、このサカキバラ時代の彼を崇拝し犯罪に手を染めている彼らに読んでもらいたい。今思っていることがどんなに浅はかなことなのか。彼は人生をもってそれを証明している。この本が生かされて、少年犯罪が1件でも起こらないようになってほしい。とにかくこの本の内容は貴重だと思うし、この本を生かしてほしいと思いました。この本は賛否両論ではあると思うけれど、私は読む価値があると思います。

  • 大袈裟かも知れないけれど、本を買うのにここまで躊躇い、お金を払うのに罪悪感を感じたことは無かった。

    けれどこの人がどのように現在を生きてきて、どのような気持ちでこれを記したのか気になったから買うことを決意した。
    TVなどでは「買う」「買わない」とレポーター達が論法している。

    けれど、読んでみて否定的な文脈もあったが
    過去を清算するのではなく自分の中に押し込みながら生きてる。あの時の行為を本当に後悔してるという事が伝わってきた。

    結論は、「買いたかったら買えばいいと思う。買いたくなかったらやめればいい。」
    けれど絶対に中途半端な気持ちで買ってはいけない手記だと感じた。6.17読了 18歳

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