- Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
- / ISBN・EAN: 9784789732369
感想・レビュー・書評
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図書館で。
主人公の一人称で語られる物語なので、非常に時系列だとか、実際何が起こったのかを把握しにくい。色々と考えや思想が飛ぶのでそれについていくのが結構大変。
面白い所もあるんだけれども、話の筋を追うのが辛くて断念。親はナイフを持っている。綺麗な空を見て、ああ、キレイな青ね、昔アナタがゲロを吐いたカーペットにそっくり、みたいな描写は思わず笑ってしまったけれども。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ブッカー賞をなぜだか取ってしまった作品。コロンバイン事件を題材に扱った作品で、乱射した親友だった主人公。共犯と見なされて、死刑宣告まで行っちゃう。15歳のまだ大人じゃない彼の世界に事件が起こって、狡猾な大人達が彼を取り巻いてゆく。大人は自分の生きる利益のために自覚なく嘘やでまかせを吐きつける。まだそういう大人になりきれない少年は不器用に罠にはまってしまう。刑務所で神の存在を問う少年に他の囚人が「お前が神なんだ」と言われる。自分が信じる物を見据えて自分で世界を作れと。まあ、おっしゃる通りですが、難しいんだ。
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ブッカー賞受賞はなぜだろう。いや、表現が汚い(口が悪い)からではなく、ぴんとこなかった。俗語・口語を使ったこと自体はうまい。
コロンバイン高校事件を題材にしているというが、それを前提に読み始めないと何のことかわからない。この本を読む人は全員承知のを前提とするのだろうか。最後になって事件が描写されるが曖昧。犯人かつ親友であるジーザスの人物像や動機も薄い。そもそも、語り手である少年ヴァーノンが、口が悪いこと以外キャラクターがない。受け身すぎて、なぜ事件に巻き込まれたのか、母親や少女への感情がこうも屈託がないのか、疑問だった。
銃乱射そのものよりメディアが無実の少年を陥れる、というのが重要なテーマの一つになっているが、有罪演出や刑務所で投票によって死刑囚を決めるなど、マスコミのありようがリアルでないので説得力に欠ける。
現在のライ麦、ホールデン少年と言われているようだが、ヴァーノンからは怒り、フラストレーションが感じられず。 -
「マニュアル・カント」「アダルト・ヒトラー」には笑った。
あと、こんなやりとり。
「俺たちが組めばさ、お前の人生を360°変えることだってできるんだよ」
「もう少し算数勉強しろよ」
かなりキツイ社会批評性も帯びた作品で、それをして〈文学〉と呼ぶこともできるけど、俺は上記のような笑えるやりとりを書くことこそが、より批評的な行為だと思えて仕方がない。 -
一人称で書かれた小説を読んでいると、他人が理解する自分、ということを意識させられてしまう。なにも自分のことを完全に解ってくれる人がいるというようなナイーブな幻想を抱いているわけではないのだが、一人称の語りが、他人の目を意識した独り言に過ぎない、という思いからどうしても意識が離れないのだ。その構図の最たる例が、ひょっとするとサリンジャーのあの本かも知れない。
理解なんてされたくない、という表明は、実はもう少し弱い感情の言い替えで、理解なんてされなくてもいい、というのが本当のところだろう。つまりは、本来は理解されたいのだけれどされなくても仕方がない、ということだ。理解されなくてもいい、という思いをにじませながら、主人公は独白する。その形態そのものが、最初から読むものに、本当は理解されたがっているのだなあ、という思いを植えつける。
でも本当に理解なんて求めていない、のだとしたら?
世の中の動きが個々の人生にとって都合よく回っているかどうか、結局は、人の関心事なんてそんなものでしょう、だって、自分だってそうだもん。
長い長いヴァーノン・グレゴリー・リトルの一人語りは、ものすごく単純に要約すれば、そういうメッセージのようにも見える。ヴァーノンの、そういう捉え方は、恐らくかなりの真実を捉えているとは思うのだが、そうは思いつつも、人生が真実だけで埋め尽くされていたなら窮屈で仕方がないだろうな、とも同時に思う。
それは、見方を変えて言えば、人生につきものの誤解だって、決して悪いことばかりをもたらす訳じゃないということでもあるし、はたまた、自分の全てを理解するなんてそもそも自分でもできないのだから、他人の理解って何?と自分が考えていることとも繋がっている。理解できないことが前提で、それを踏まえて「だからどうする」と考えて行動すること、その方向性でモノゴト(含む、他人)は変るし、自分自身の中の「他人」もまた、変る。
コロンバインでおきた出来事が、本当はそんなに特殊なことではなくて、普通にそこいら中にある、勝手に決めつけた現実への絶望から、ちょっとだけマイナスな行動を取った結果が、その後のことを次々とカスケードさせて、どんでもない結果を引き起こしてしまったのだった、ってことを、この小説を読んで改めて認識する。後半、少しサスペンスものっぽくなったりして、上手に物語りは着地したけれども、そうならなかったとしても同じ印象は残っただろうと思う。
ところで、一人称で過去の話を語る、という形式だと、心のどこかで主人公は生き延びて大団円的エピソードが来るんだろうな、と察してしまうね、仕方がないけれど。もちろん、作家が敢えてそうじゃないエピソードで、主人公をとことん突き放して終わったりするやり方もあるわけで、そうなると、ぐさっと刺さったナイフがいつまでも心に残ったりする。一方ハッピーエンドだと、ああやっぱりなあ、と本を投げ出したいような気分になる。それは仕方のないことだと思うし(この本は最後の最後までその結論を引き延ばしたのが良かったかも)、解り易い結末を求める読者もいるだろうけれど、勝手な推察がある分ちょいと白けるね。何かうまいやり方はないのかなあ。ラストシーンって難しいね。
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自己チューな少年が自己チューな世間に叩きのめされ神となる。話が一方的で読みづらいが結末が気になり読了。