- Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794219404
感想・レビュー・書評
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「銃・病原菌・鉄」に続いて読了。
前作の大きなテーマは「現在の世界はなぜ現在の姿をしているのか?歴史の勝者と敗者は必然的に生まれたものなのか?」だったのに対して、
今作ではそうし人類の歴史上のさまざまな社会のうち「社会(文明)の崩壊」をトピックとして取り上げている。
かつて栄えた社会はなぜ崩壊してしまったのか?
崩壊した社会に共通する要因はあるのか?
そしてそれは現在の我々の社会に共通するものなのか?
さまざまな分野の最新の科学的データや調査結果を分析しながら非常に緻密に論を進めていくのは前作と同様です。
ものすっごい楽しい。知的好奇心刺激されっぱなし。
ただ前作に比べると若干冗長にすぎる部分があるようにも感じるが(実際前作よりけっこう長い)、まぁそれでも飽きずに1,000ページ超を一気に読めます。
社会の危機に適切に対処する方法、可能性としてトップダウン方式やボトムアップ方式が挙げられていたが、現実の社会に照らしてみたときのこれらが成功しうる道筋はどんなもんだろう。
著者本人はどちらかというとボトムアップ方式に期待を込めているようにも感じるが、どちらを目指すにしても課題はあまりに大きい。
ボトムアップ方式に期待を込めているのは著者本人の願いが強いのかなとも感じます。この本を読んだ一人ひとりが自分にもできることをと考えて行動するための足がかりするための勇気づけの結論という意味で。(という少しひねくれた見方。。)
で、じゃあ現実問題としてのこの地球社会の行く末を案じる上で一番の課題となるのは「社会を見通すことができるか否か」ではないか。
ボトムアップ方式の成功例「ニューギニア高地」、トップダウン方式の成功例「徳川幕府時代の日本」などは、どちらも社会の意思決定に影響を及ぼす人間が社会全体(やその将来)を見通し、課題を認識することができるかという部分が大きい。
もちろんこれ以外の要素もいっぱいあるけども。
それをこの現在の社会に照らしてみるとどうなるんだろう。
正直どちらの方式にしてもあんまりうまくいく気はしないんだけども、まぁでも少なくとも現在先進国のうちで「課題先進国」と言われるほどに社会課題盛りだくさんな日本で生活をしているんだから、せめてそうした課題のいくつかに意識を向けつつ過ごしていきたいよねと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
社会が崩壊する要因として、1.環境被害、2.気候変動、3.近隣の敵対集団、4.近隣の友好集団の支援の減少、5.環境問題への社会の対応という5つが働くとして、過去から現在に至る豊富な例証を挙げ、環境保護主義と非環境保護主義の間の中庸の立場から、社会を持続可能なものにするため、そうした多くの事例に学ぶべきだとする。
イースター島、ピトケアン島とヘンダーソン島、アナサジ族、マヤ文明、ヴァイキング、ノルウェー領グリーンランド、ルワンダ、ドミニカ共和国とハイチ、中国、オーストラリア、アンコールワット等、著者の幅広い知識が惜しみなく披露され、時間はかかったが興味深く読んだ。 -
下巻は巨大な人口を持つ中国、先進国のオーストラリア、さらにほぼ同じ環境にありながら差がついているドミニカ共和国とハイチについてページを割いて検証する。そして後世から見れば当然に思える危機の予測、認識、手段でなぜ防げないことが多々あるのかを考える。さらに現代において株主の利益のために公益を顧みない大企業をどうすれば環境に配慮させられるかを実例を上げて提示。民衆の力の使い方で企業を動かし、環境破壊を防ぎ、文明崩壊の危機にある現代文明を子孫に残すことができると主張する。
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この前の著書「銃・病原菌・鉄」の読後感は、偉大な先人たちの足跡を知り、知識欲が満たされたのでしたが、今回は焦燥感にかられた読後感でした。過去にあったことは(文明崩壊)、大昔のことだからと決して無視できることではなく、現在から未来に繰り返し起こりうることです。
全世界の様々な民族、地域の歴史を辿り、検証を繰り返した著者が導き出した結論は、単なる読み物の結末でないだけに勇気を持って読む内容になっています。この地球上の人類はみんな運命共同体です。人類は今、あたかもあの大型豪華客船タイタニック号に乗り、目の前に氷山が近づいていることに気がつかず今宵、宴会にふけっているかのようです。
それでも著者が、慎重ながらも希望の兆しがあると述べているところに、私たちひとりひとりの心がけ次第で、世界の命運が変わる可能性があることに気がつきます。
環境に配慮しない生産活動は、脆弱な環境に負荷がかかる状態を生み、更に人口が過密化していくと、経済的に困窮した住民の不満から政治的混乱、崩壊を招く。住民はその土地から脱出し始め、内戦やテロリストの温床になっていくという負のスパイラルの現象は、現在のソマリアやルワンダといった貧困で政情の不安定な国があてはまるのですが、世界中が密接なつながりのある現代社会の生活は、遠い国だから関係ないこととはもう誰もいえない仕組みになっています。
・・崩壊しつつある社会を支配する裕福な人たちは、自分や自分の子供たちの権益を確保するのではなく最後に飢える人間、最後に死ぬ人間となる特権をやみくもに買いに走る傾向にあるようだ。・・と皮肉ぽっく書いていますが、結局はひとり勝ちしても最後は何の得にもならないということなのでしょう。 -
現代を中心に環境破壊を防いだ例と防ぐことができなかった例を示して、その分岐点を探っている。江戸時代の日本、現代のドミニカはそれを防いだ例として挙げられているが、共通するのは強力な統治者の存在である。しかし、その統治者がミスを犯した例としてオーストラリアが挙げられている。オーストラリアは現在でこそ環境意識の高い国となっているが、かつては環境破壊先進国であったという。ミスの例として原生植物を根絶やしにすることに補助金を出したり、オーストラリアの土地に適さないヒツジやコムギの導入推進などが挙げられている。これは環境に影響をおよぼすことを予想できなかったというだけでなく、それを認めたくない心理、あるいは文化の維持に力点を置いてしまったため対応しなかったという判断が指摘されている。
もう一つ現代の視点として企業の態度についても考察している。こちらはだれが誰に圧力をかけ圧力をかけられるのか、環境を守ることが利益につながるのか否かという規準によって環境保全に対する態度が決まっているという興味深い指摘がされていた。これは言い換えれば、環境保全をしないほうが利益につながると判断すれば企業は環境保全に取り組まないということであり、環境保全を謳っている企業を安易に信用してはいけないという事でもある。
グローバル化が文明にもたらす影響についての考察はある意味あたりまえのことばかりが挙げられていたものの、改めて列挙されるとどこにも逃げ道がないことが分かる。文明を崩壊させる要因ともに崩壊せ汗ないためにできることも挙げられていたが、一番重要なのは関心を持つということではないかと思う。関心を持てば今対応できないことであっても将来対処できるかもしれないが、関心を持たなければそれを見逃してしまい何も対処できないからである。関心を持ち声を上げる、これが文明を存続させる一番の方法ではないかと感じた。 -
2013 7/8読了。
ジャレド・ダイアモンドが崩壊した文明(それも外敵によって唐突に滅亡したようなのではなく衰退していった文明)に共通する要因について複数の崩壊文明/崩壊しなかった文明を見つつ検証していく本・下巻。
こちらは崩壊することなく維持しきった文明の例と、現在世界にある文明崩壊に至りうる要因の検証等を行なっていく巻。
上巻のように遠い文明に思いを馳せつつ読む感じは薄れて途中ちょっとたるくなる(上巻の一番冒頭に近い)部分もありつつ、まあそこはいいかと割り切るとさくさく読めだした。
全体で説かれている諸々はもちろん、手法とかまとめ方の部分で色々参考にしたい。 -
本当に読む価値のある本は少ない。本書はその一つである。
かつての滅亡した文明を分析し、一番の要因は環境破壊にあったと解く。自然科学的なアプローチで、世界の歴史、滅亡の歴史を必然として説明する。そして、現在進行中の環境破壊に対しても、警鐘を鳴らす。人類は歴史に学び、人類の滅亡から免れることが出来るのか? -
感想は上巻に書きました。
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ホテル・ルワンダで有名なツチ族80万人(ツチ族の4分の3)の大虐殺は、単にフツ族との民族紛争でなく、過密になった人口圧力と飢餓によって同じ民族同士で殺しあったという。
アフリカで人口が急増したのは、北米原産のトウモロコシ、豆、サツマイモなどがアフリカにも取り入れられ、食料生産が飛躍的に拡大したことがあげられる。
ところが、足し算でしか伸びない食料生産の増加は、掛け算で伸びる人口増加のスピードに追いついていない。
衛生状態が改善されて、抗生物質や予防接種が乳児死亡率を低下させたこと、マラリアなどの風土病も抑止されたこと、国家が統一され、国境が定まったことによりこれまで無人地帯だったところも居住可能になったことなどから、ケニアなど人口が毎年4%も伸び、17年で人口が倍増している。
過密になった人口が農地開拓や森林伐採によって環境を破壊したことが、イースター島や、古代マヤ文明、ノルウェー領グリーンランドの文明が崩壊した原因だった。 「世界はひとつの干拓地」だ。 環境破壊による文明の衰退は現在のオーストラリアや中国、ハイチとドミニカ共和国でも静かに進行している。