愛の渇き

  • 文遊社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784892570889

作品紹介・あらすじ

物心ついてから自分だけを愛してきた冷たく美しいリジャイナとその孤独な娘、夫、恋人たちは、波乱の果てに-なにかが足りない…た、り、な、い…。

感想・レビュー・書評

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  • 圧巻。まず、カヴァンのこれまで読んだ作品と比べて、ほとんどの人物が名前を持ち、物語としての筋がありそうな感触に、驚く。しかし描かれる女性それぞれの自分を外界から守るその守り方は痛々しく(特に少女期のガーダは、読み進めるのが辛くなるほどかわいそう)現実と非現実、意識と無意識のきらめくヴィジョンが綾なし織り込まれるさまは、素晴らしかった。

  • 病的に自分を愛する、自分を愛すること以外なにも知らない母リジャイナの元に産み落とされたガーダ。リジャイナは未だに(50年代の作品ですが)城に住んでいるような貴族で、姫のように育てられ、自由を許されず、親の決めた相手と結婚させられる。昔はこれでもきっとうまくいっていたのだろう。けれどその現代から見ると異常な教育の仕方と環境はそのままリジャイナの人格に投影され、極度の子供嫌い、セックス嫌悪、それどころか自分には誰にも指一本触れてほしくないという極端な嗜好を作り上げることになる。そんなリジャイナだからガーダが生まれても一度も抱くことをせず、里子に出し、夫が絶望してピストル自殺を遂げてすぐ、出産の世話をした青年医師と結婚し、今まで通りの生活を送る。
    しかしそれも破綻し、なにかが足りないと思い、気まぐれに里子に出した子を連れてアメリカ人の資産家とホテル住まいを始めるも、子供には一切かまわず、資産家である夫と連れ子を自分の貴族ならではのオーラと美しさにひれ伏すように巧みにコントロールし、奴隷のようにしてしまう。自分は誰も愛さないけれど強引に愛を獲得する。(事実男どもは彼女を愛している)
    そんな母親に育てられたガーダはいつもおどおどし、存在を消し、誰とも交わらずに幽霊のように生きている。奇跡的に恋をするも、破綻する。自己肯定感ゼロ。入院先で看護婦にやたらなつく様子が痛々しかった。家族にのけ者にされ、結局恋人からも一瞬の愛情しか得ることができなかったガーダ。思えばこの作品に出てくる人間はみんな人間として決定的な部分が欠けている。そのすべてのしわ寄せがガーダに来てしまった。かわいそうなガーダ。小さいころの私を見ているようだった。

  • 2024/3/10購入

  • 作中の母親の死と娘のそれとは著者にとって意味合いが違うのだろうな。

  • アンナ・カヴァンの人生を詳しく知る訳ではないが、「アサイラム・ピース」が作家の過去の体験を反映しているものであるのなら、そして作家が経験した精神的に跳躍をしてしまった世界を色濃く描いていると言ってよいのなら、「愛の渇き」もまたアンナ・カヴァンの人生を投影したものであり、精神世界に飛翔してしまいそうになる自身の身体と自意識を必死に足元の地面に繋ぎとめようとする行為を描いたものなのだと言うことができるのだろうと思う。ここに薬というイコンは出てこないけれど、どの登場人物も、自意識を自身の支配下に置くことに必死となっている様は、アディクトから抜け出す際の苦悩と重ね合わせて読んでしまうことは容易だ。

    最初に読んだアンナ・カヴァンは「アサイラム・ピース」だが、その時感じたのは、自身の体験を色濃く反映された文章というよりも、妙に無次元化されたもの、精神的跳躍後の世界を昇華したものを小説に移し替えている、という印象だった。それに対して、本書は、形式として物語性は増しているよう読めるのに、私小説的な印象が返って強くなってしまった。解毒されなければならないものが、体内に取り込んだ化学物質だけではないことが、作家自身の苦悩を通して伝わってくるようであるのだ。

    それは、もちろん、「アサイラム・ピース」の解説を読んで作家の人生の一つの見方を知ってしまったから起きる連想かも知れない。作家はもっと冷静にこの小説を描いたのかも知れない。しかし、ここには、愛の渇きの連鎖の構図があり、主人公たちは、そこから誰も抜け出すことが出来ない。その様を読み続けると、この連作短篇集には、許しがないことにも気づいてしまい、やはり、自ら命を絶ってしまった作家のことにどうしても思いが引き寄せられてしまうのだ。もちろん、予定調和的な結末がもし描かれていたのなら、それはそれで激しい違和感を覚えもしただろうが、作家が少なくとも何かの許しを求めていた証であるのかと思うことができ、読むものとしては呪縛のようなものからの解放も感じることが出来たであろうとも想像する。

    しかし、ここには許しがない。そして、より悲劇的であるとも思うのだが、ここには本質的な非難も、また、ない。誰もが悪いのは弱い自分自身であると結論する。誰かを責めることで心を軽くし自虐的な怯えから抜け出そうとする気配は描かれるものの、その努力は常に水泡に帰する。そのこともまた、本書をアンナ・カヴァンの私小説のように読んでしまう一因でもあるかと思う。

    たとえば、シンガー自らの苦悩が聴き取れる歌のその延長線上には、どうして悲劇ばかりが連想されるのだろう。それが表現者というものの本質だからなのか。自ら掛けてしまう呪縛の強さというものを改めて思う。静かに、同時に苦しく、そんな呪縛の虜になってしまう表現者たちのことを思い遣る。そしてアンナ・カヴァンにとってのバラードは小説だったのだな、と勝手に腑に落ちたように理解する。この腐敗した世界に落とされた生にしがみついて生きている自分の価値ばかりが矮小化されるように思える、本。

  • 俗世間との関係を絶ち、ひたすら称賛の的でありつづけたい母リジャイナとその娘であるガータ。 悪い意味でドキドキする。眉間に皺が寄り、呼吸が浅くなるアンナカヴァンの小説は、体に悪いと思う。孤独感に安らぎを得て、優しさは自動的に遮断する、癖。

    少しでも値打ちのある輝かしいものを求める態度や漠然とした失望の眼差し、完璧により近いものを愛し、ネガティブなものは排除もしくは始めから存在しないものされる場に身を置く緊張感。ガータの心象風景の中での「敵」の視線振る舞いが、ガータと、いつしかこちらを、ゆっくりと窒息させていく。

    感情や言葉がいやに強く印象を残すことが既読作は多かったけれど、今回はストーリィ自体がくっきりしていて物語そのものにも引き込まれた。良くも悪くもいい感じに闇が広がるけれど、目が逸らせないのはたぶんここにある確かな気配。

  • どうしても最初に三島由紀夫が浮かんでしまうが、こちらはサンリオSF文庫から刊行されていたアンナ・カヴァンの長編小説。
    『愛』が主題となっているが、作中に描かれる『愛』は歪で、報われることがない。風景描写が非常に美しい分、歪な『愛』がより際立って見える。

    国書刊行会の『アサイラム・ピース』以降、文遊社から『ジュリアとバズーカ』が出て、今回、同じく文遊社から『愛の渇き』も刊行されたので、古書価格も少し落ち着くだろうか? しかしバジリコが復刊させた『氷』は品切れなのだった。

  • 切ないね、、、

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    「物心ついたときから自分だけを愛してきた冷たく美しい女性・リジャイナ―
    彼女と孤独な娘、夫、恋人たちの波乱に満ちたドラマを描ききった、渾身の長篇。
    訳者・大谷真理子氏による改訳新版。

    書容設計 羽良多平吉」

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著者プロフィール

1901年フランス生まれ。不安と幻想に満ちた作品を数多く遺した英語作家。邦訳に、『氷』(ちくま文庫)、『アサイラム・ピース』(国書刊行会)などがある。

「2015年 『居心地の悪い部屋』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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