- Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
- / ISBN・EAN: 9784991131004
感想・レビュー・書評
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小野和子さんが、宮城の語り部たちからはなしを聞くドキュメンタリー映画を観た。「あいたくてききたくて旅にでる」を読み始めたら、小野和子さんの姿が私の脳裏に浮かび、その声が聞こえてくるようだった。賢く、辛抱強く、温かく、優しく。
見知らぬ者がいきなり訪ねて来て、昔話を語ってくださいと頼んでも、不審がられるし、せっつかれても語れるものではない。昔話ではないのだが、厳しかった暮らしを思い出しては泣き、口にすることも憚られるようでありながら、とつとつと語られ始めた体験談は、その人の生きてきた歴史の中で、いつか熟成されて物語のようになって、はじめにむがすむがすとついたなら、昔話のように聞こえてくるだろう。 かのさんの語った、犬ころのカロの話は何とも胸が締め付けられた。 -
出会う人たちに向ける作者の小野和子さんの目線の優しさにウルウル。
民話といってもよくある昔話ではなく、本当の民の話。
時に優しく、時に厳しい自然に向き合い、どんな人にも生き様はあって。どれもが愛おしい。 -
民話、昔ばなしかな?って感じだけど、それだけにあらず。
むかしからの日本各地の人びとが
時に苦しい暮らしのなかで生き延びるために編み出された
不思議だったりおもしろかったり悲しかったりのお話。
物語になっていない、エピソードのように断片的なものもある。
ねずみの地下の国、浄土の話など、各地でよく聞かれるものもあるようだ。
あとは戦地に赴いた人が、死期に故郷の親兄弟に知らせるべく夢に出てくる話。
それも民話らしい。
あてもなく海辺や山合の町を訪ね歩き、むがぁしむがし、の覚えている話を聞かせてくださいと見ず知らずの人の家に行くのは、考えられないくらいキツいこと。
でもこの方、話を聞いていくごとにどんどん相手の心に立ち入っていくような不思議なパワーとスキルをお持ちのよう。
すっかり仲良くなって、度々訪ねていったり、亡くなる間際に形見を預けられたりとかで、すごいんだから。
あらためて、民話って、何。
人びとの暮らしと共にある、子どもをあやす話。語り継がれる話。
幼くして奉公に出された子どもたちが、どうにも辛くなったときに、町外れにあるそうした民話を語ってくれる一人暮らし(たいていなにか訳あり)の大人のところへ集まる、という話もあったな。
人びとのそばにある、人びとなぐさめる、人々とともにあるお話、というものかな。
かつ、どの時代にもずっとそばにあるもの。
3.11の震災のときのことも描かれている。
民話でつながった縁が、震災のあとの再会でしみじみ深いものであるとわかる。
ただの昔ばなしではなく、現代も人びとの中にある、暮らしの悲しみやそういうのを表現して共有するのが民話。
こういう、変わり者とみられるような、探訪者がいなければ、この世から消えてなくなってしまうようなお話の数々なんだろうな。研究者だね。
東北なまりが郷愁を誘う、貴重な保存版のような一冊なのであった。 -
結婚して地縁のない宮城県で子供3人を育てながら「昔話を聞かせていただけませんか」と、知らない村のお爺さんお婆さんに民話を乞い、採訪し続けて50年。
倍速で見なければ追いつかない程のコンテンツが溢れている現在では考えられないほど民話は素朴だが、その地域、語り手の背景があり、簡単には受け止められず、咀嚼しきれない。
こんな地平があったんだ。 -
聞き手の覚悟、聞くことの意味を再認識させられた。
何度でも読みたくなる。
聞きなれた昔語りの意味を改めて考えさせられた。
なぜ語り継がれてきたのか、考察も素晴らしい。 -
読んでよかった、率直にそう思います。ただ民話が収録されているのではなく、小野さんがそのお話に出会ったときの状況や話してくれた方の背景もていねいに記されており、濱口さんも寄稿していたけれど一緒に旅をしているような気分。もちろん、将来の子どもたちのために民話を残したい、というところもあるのでしょうが、それよりも小野さん自身が「ききたい」「きかせてほしい」と真摯に思っていること、だからこそこちらも背筋をしゃんと伸ばして読もう、そんな気持ちになりました。
個人的には出身が宮城県なので、方言がなつかしくこそばゆく感じられました。(もしかするとちょっと読みにくいのかもしれません) -
一生ものの読書体験。
聴くというのは、
その人が住む土地や家の匂いや空気、
その人が纏う全てを感じ、
全てを受け入れること
ここに至ってはじめて話し手は、
聴いてもらえた実感、
受け入れられた実感を得る
この実感こそが"生きている実感"
なのかもしれない -
語る、聞くとはどんな行為か、自分はほとんど理解していないかったことを知った。一方で、このように丁寧な仕事は、それを生業としないことでのみ成立するのかもしれないと感じた。
苦労の多い歳月を暮らし、年老いてなお孤独に生きる語り手が小野さんの来訪を喜び、大切な品を形見として手渡す場面に目頭が熱くなった。この語り手の生命は読み手である私の中に、確かに生き継いでいる。それは小野さんが本書を通して願ったことのひとつでもあっただろう。