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- / ISBN・EAN: 4527427653627
感想・レビュー・書評
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なんつーか、原田さんってだけで、もう【雰囲気】出ているというか、オサレぽい感じというかサブカル的要素というか
まーそーいうのは置いといて
「まーあり得ねーよな普通なら」な設定や展開もこーいう映画なら容認されるのか…リアリティーなんか無視だよな
まあ映画だもん当たり前だよな
綺麗事、オサレ要素しかないに決まってるよなうん
(こじらせひねくれアラサーが観た感想ですのですみません)
確かにさ
ロケーションよけりゃ、何でもさまになるって話よね
どんなひとも「こんなひともいるし、いろんなひといるよね」でおしまいよねうん
おいしいものはおいしいしオサレに見えるしほっこりするよねうん
わたしもパンはだいすきよ
自分でも焼くしな
ここで中和されているのは大泉洋の存在かな
なんつーか悪い意味じゃなくて似非感あるからどっぷりオサレほっこり作り物映画感が無い(良い意味なのよ、うん)
こーいうカフェでさ
人生のひとやすみ?出来たらいいよね
ひとやすみ出来て何か得るものがあるひとと、「ふーん、」で去るひと
どっちもいるとおもうの
【たったひとつのなにか、たったひとつのこと】でさ、得るも得ないも、それもまたそのひとの感性でそのひとの人生よね詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ほっこりするけど、時折なぜか、もの哀しいような、うら寂しいような気持ちになった。
北海道の自然に囲まれた、湖のほとりの小さな街で、手づくりの美味しいパンとコーヒーのお店「マーニー」を営む夫婦。パンは水縞くん(大泉洋)、コーヒーは奥さんのりえさん(原田知世)が担当している。カフェにはゲストルームも用意されていて宿泊もできるようになっている。
パンとコーヒーを通したふれあいの中で、訪れる人々の心にほんの小さな「何か」が芽生える。そこから人生がどう変わって行くかは人それぞれ、その人次第…。
「私たちはいつでもここにいますから。」
あったかくてフワフワのパンみたい。やさしく包みこんで安心させてくれるけれど、時が止まってしまったみたいで少し不安になる。
水縞夫婦の時計が動き始める予感をのこしたラストが良い。
原田知世の淹れるコーヒーはぜったい美味しいだろう。のみたい。
しかし大泉洋の作るパンがどうしても美味しそうに見えないのはなぜか。大泉洋には、「作る」よりも「食べる」ほうが似合うような気がする。大泉洋には、やっぱりパンにかぶりついていて欲しいのだ。(※個人の意見です。) -
愛する人をなくした悲しみに。
言葉ではなく、食を通して。
心に栄養を。
言葉にしてしまうと儚くて。
伝えきれず。
言い尽くせない思い。
パンを捏ねるという、手から伝えられる物。
食材を通して、共に生き・生かされていると実感し。
お皿に乗るその時まで片時も離さず見守り。
寄り添って生きてきた二人だからこそ。
幸せって、誰かと分かち合う事だと教えてくれました。
二人でひとつ。いつだって半分こ。
1人ではないという事。
1人ではないと気付いたから。
1人の人なんてこの世には存在しないという事。
食べ物が持つ力の偉大さ。
今日もご飯が食べられるという事に感謝しよう。
そして、疲れた時こそご飯を食べよう。
誰かと分け合おう。
食べる事は生きる事。
生産者の思いを汲み取るという事に。
この映画の中の人達は、今を一生懸命生きていて。
食べるという事に真摯に向き合っていました。
そして何より原田知世さんの持つ、多くを語る訳ではないですが。
発する言葉の一つ一つに包み込み。
相手を思うって、こうゆう事かと教えられました。
北海道を舞台にし、な〜にもなくて。
ただ広がる景色は空と大地で。
何も求めない。という事の本当の意味を。
自然と共に生き。
ご飯が食べれるという事。
今日があるという事。
肩肘張らずにシンプルに生きる事が詰まっていました。
悲しい時は泣いて。
苦しい時は叫んで。
嬉しい時は誰かに報告して。
色んな事を分け合うっていいなぁと。。
幸せな気持ちに包まれました。 -
映画のインタビューで大泉洋が
「この夫婦にはどこか暗い部分がある」というような
話をしていて、気になっていた。
ただ単純な話じゃないこと、
観終わって、原田知世が演じたっていうことに
なんだか納得した。
久々にパンを焼きたくなった。 -
泊まることも可能なオーベルジュ式のカフェ「マーニ」。不思議な常連さんたち、ちょっとワケありなお客たち。丁寧に生きる水縞夫妻がおいしいパンと料理で優しく包み込む。焼きたてのパン、ほくほくのポタージュ、あたたかなポトフ、おいしい香りがすぐそこにあるように。
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栗を初めて見た人は、あのトゲトゲの中に、 実がなっていることを想像できただろうか。
トゲトゲが、何か大切なものを隠しているのだとしたら、 それは、大切な人にしか見せたくない、想いなのかもしれない。
しあわせはそうやって、 心の中に埋まっている。
それを取り出して、わけあうこと。
わけたそれを、「ありがとう」と受け取ること。
そうできる相手がいることが、 しあわせなのだね、きっと。
僕はなるべく、「ごめん」と言わないことにしている。
それは「謝らない」ということではない。 間違ったり、結果的に誰かを傷つけてしまったときは、 心から「ごめん」と伝えなきゃいけないと思ってる。
でも、「ごめん」と思いながら、 抑えきれない何かを伝えたくはない。
わかりやすくいうと、 「ごめん、こんなこと言って。でも」とか、 「ごめん、傷つけたよね、でも」とか。
それは「でも」が伝えたいだけで、 本当にごめんと思っていない。
本当に「ごめん」と思うのなら、初めから伝えないほうがいいのだ。
それは「ごめん」と言いながら、殴ることと同じことだ。
そうならないように、僕はトゲトゲの中に、その「ごめん」を隠す。
そしてもし、誰かがそのトゲトゲの中身を取り出そうとしたら、 「ありがとう」の実をならす。
触れてくれて、ありがとう。
トゲトゲに触れて、痛い想いをさせてしまって、 それでも取り出してくれて「ありがとう」と。
僕はそうやってトゲトゲの中に「ごめん」を隠している人の、 その中身を取り出すために、痛い想いを繰り返す。
でも、そのことを「ごめん」なんて言わなくていい。
ありがとうの実に触れたら、 僕は、とてもしあわせになれるから。
それをわけたとき、「ありがとう」と受け取ってほしい。
「大切なのは、君が照らされていて、君が照らしているということなんだよ」
人はときどき、そのことを忘れてしまう。
トゲトゲの中の「ありがとう」は、 お互いを照らし合う、しあわせの光なのだよ。 -
東京から北海道の月浦に移り住み、湖が見渡せる丘の上でパンカフェ“マーニ”を始めた水縞尚(大泉洋)とりえ(原田知世)の夫婦。尚がパンを焼き、りえがそれに合うコーヒーを淹れ、料理を作る。
そこには毎日、色々なお客がやってくる。
北海道から出られない青年、時生(平岡祐太)、なんでも聞こえてしまう地獄耳の硝子作家、陽子(余貴美子)、口をきかない少女、未久(八木優希)と父親(光石研)、革の大きなトランクを抱えた山高帽の阿部(あがた森魚)、沖縄旅行をすっぽかされた傷心の香織(森カンナ)、観察好きの羊のゾーヴァ。
そして、想い出の地に再びやってきた老人とその妻……。
それぞれの季節にさまざまな想いを抱いて店を訪れた彼らが見つけた心の中の“しあわせ”とは?
そして彼らを見守る尚とりえに訪れることとは?
北海道出身の大泉洋を主演に迎え、北海道を舞台に贈るハートウォーミング・ストーリー。
共演に「となり町戦争」の原田知世。監督は「刺青 匂ひ月のごとく」の三島有紀子。
東京から洞爺湖のほとりの月浦に移り住み、パンカフェ“マーニ”を開店した夫婦、水縞尚とりえ。夫がパンを焼き、妻がそれに合うコーヒーを淹れ、料理をつくる。そんな小さなお店を、少しだけ悩みを抱えたいろいろなお客たちがやって来る。そしていつしか、心に小さなしあわせをみつけて帰ってゆくのだった。
彼氏に旅行をドタキャンされた女性、離婚したお母さんに対して割り切れない思いを抱く女の子、不治の病にかかった奥さんと思い出の地に来た老夫婦、彼らが抱えた悩みに寄り添う料理やパンで歓迎する大泉洋と原田知世の夫婦の、押し付けがましくない自然体な優しい佇まいに、癒やされる映画です。
パンや過ごす時間を分け合う人がいることの大切さを教えてくれる映画です。監督自身が執筆した原作も合わせて、楽しんでください。 -
俺は好きだな、こういう映画。
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またまた北海道幻想が。
北海道に任せておけば大丈夫って。
大泉洋、喋り足らなそうだったなぁ。