独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 教科書ではわからないし
    専門書は一般人には難しいし
    新書でコンパクトに出してくださるのは嬉しい

  • 戦争関係の本は難しい・・・

  • 以前読んだヒトラーの生涯を振り返る本と併せて、かなり興味深く読み進められました。
    軍事関連の用語なども説明してくださっておりありがたく、戦術、戦略、作戦術の違いなど聞いたこともない素人にとってはありがたかったです。
    作戦と判断についての考察と、これまでの日本における理解について新しい知見で修正していくという大きな二つの流れがあり、学びが深かったです。
    参考文献の紹介も含め、手元に置いておきたい本でした。

  • 第二次世界大戦でソ連(当時)が失った人命は2000万を超える、という話は知っていた。想像を絶する規模だ。なぜそんなことが起きたのか。知りたいと思って本書を手に取った。
    疑問の答えは早くも「はじめに」で提示される。内容はここでは書かないが、著者の見解というより欧米の研究ではほぼ定説になっているらしい。説得力がある。

    ただし、「はじめに」に続く本書の紙数の相当部分が、独ソ戦の作戦・戦記的な記述に割かれている。この部分は「なぜそんな悲惨なことが起きたのか」を知りたいぼくにはあまり興味がわかなかった。「なぜ」の部分についてはより突っ込んだ議論を読みたい。
    イデオロギーの異なる国って、しょせん仲良くはできないのか? 

  • 国際政治史の専門家によるナチス・ドイツとソ連の戦争の本で、1941年6月に始まった戦争の全貌がつかめる。まず、その規模の大きさに驚かされる。ソ連の戦没者が約2700万人、ドイツの戦没者も700万人以上で、太平洋戦争の日本の戦没者約300万人と比較すると、恐ろしいスケールだったことが想像できる。その背景も論じている。ナチスにとっては劣等人種の皆殺しの闘争で、軍事的合理性からは説明できない蛮行が繰り返され、このような恐ろしい数字になったことがわかる。一方のロシアは祖国防衛戦争として報復感情を正当化させている。
    現在、そのロシアがウクライナに侵攻している。独ソ戦のダメージが大きかったロシア人のメンタリティも少しは理解できるようになったが、当時のナチスとの類似点が多いのには皮肉に感じる。敵を過小評価して制圧は短期間で終わると考えた事、兵站の補給に関しての準備が不足していた事、トップが軍事作戦の細部まで口を出し現場の将校を次々と解任した事、撤退時にはインフラを破壊し人々を連れ去る蛮行が繰り返された事などである。興味深い数々の類似点を見出すと、歴史の教訓が生かされず、人類はもともとそのようなものなのかと考えてしまう。

  • 知らなかったことばかりで読んで良かった。

  • わかりやすくかつ俯瞰的、具体的に大祖国戦争を開戦当初から終戦、そして戦後まで通して描かれているものははじめてである。というか、独ソ戦など興味のある人はこれまでなかなかいなかったであろう。
    しかし、ロシアのウクライナ侵略をきっかけにロシアの行動様式、思考に関する興味を持つようになった人も多いであろう。私もその中のひとりであり、そういった人に対して本著はまさに最適。歴史を学ぶことで今起きていることを捉え直す目が養える。

  • ”ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような十九世紀的戦争ではなく、人種主義にもとずく社会秩序の改変と収容による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争であり、かつ「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争でもあるという、複合的な戦争だった”
    ”ソ連にとっての対独戦は、共産主義の成果を防衛することが、すなわち祖国を守ることであるとの論理を立て、イデオロギーとナショナリズムを融合させることで、国民動員をはかった、かかる方策は、ドイツの侵略をしりぞける原動力となったものの、同時に敵に対する無制限の暴力の発動を許した”
    ー第5章理性なき絶対戦争(P220)より

    世界観・イデオロギーの正否は難しいが、その幻にとらわれた陰惨な戦争が21世紀に起きている。
    著者は軍事・防衛の専門家であり、内容としては戦役・軍事戦略・戦法のボリュームが大きい。

  • 読み始めはその人的被害の数に圧倒され、胸がジクジクとうずく中、読み進めていった。
    恥ずかしながら、この戦いのおいての知識はなく、まっさらなところに情報を受け、「戦争」という、ただ言葉だけだったものが、急に生臭さを帯びてきた気がする。

    戦術のなさ、思い込みからくる現状把握のいい加減さに呆れつつ、昔の話だから仕方ないと思ったのだが、途中からいろいろなことが思い浮かんできてしまった。
    本当に昔だけの話だろうか?
    たしかに戦術の未熟さにはそう言ってしまってもいいかもしれない。
    でもヒトラーにもスターリンにも見える「固執」は、きっと今も昔もない。
    残念ながら。

    イデオロギーが見せる様々な面をこの本で見たと思う。
    そして突きつけられるのは今のこの世界の現状。
    終章では独ソ戦が歴史的に利用されてきたこと、現在でも利用されていることに言及している。
    何をどう見るべきか。平坦な見方で終わらない、そのための示唆に富んでいるように思う。

  • 1941年6月から1945年まで続いた独ソ戦の通史ではあるが、ヒットラー・スターリン、またはこれを取り巻く当時のドイツ・ソ連の軍人たちのモノの考え方までを視野に入れ論じられいるのがユニーク。
    結局ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、「人種主義にもとづく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争」であり、かつ、「敵と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争」であるということを、筆者は本書で明らかにしたかったのだろう。
    今起こっているウクライナ戦争との単純な比較は避けるべきだが、本書を読むと、独ソ戦でドイツがやってきたことを、ロシアがウクライナでしようとしているようにも見える。

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著者プロフィール

現代史家。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』『「太平洋の巨鷲」山本五十六』『日独伊三国同盟』(角川新書)、『ドイツ軍攻防史』(作品社)、訳書に『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』(以上、作品社)など多数。

「2023年 『歴史・戦史・現代史 実証主義に依拠して』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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