鏡像にいつはりなきや吾の奥の永久(とは)に触れよとかひなを伸ばす

帯文:眉村卓 〈読みだしてすぐ、眩しい作品集だなと思った。作者の保持する外界世界が、まことに多彩で明るいのである。そしてその輝きが、実は作者の貪欲な生への希求の反映であり、読む者にも共有可能なのだと悟るまで、時間はかからなかった。〉

私の本ですm(__)m

2021年12月2日

読書状況 読み終わった [2021年12月2日]
タグ

バルザックの『人間喜劇』の登場人物は2000人以上といわれている。
バルザックは十九世紀に生きているありとあらゆる人々を描き出そうとしているわけだ。バルザックが生み出した人々はバルザックの小説のなかで、それぞれの生活を営んでおり、それは当時、フランスで生きていた人々のほとんどに当てはまる環境や境遇であったといえなくもない。

バルザックの小説はロマン・フィュトンで発表されていたが、市井の人は、食事をとりながら新聞を読み、そこに描かれている世界を楽しんだのだ。

バルザックは糖尿病であったといわれている。それはとにかく大食いであったという逸話からきているものだが、晩年の失明からも推察されるものである。

また、バルザックはコーヒーをガブ飲みしながら執筆をしたということも有名である。

暴飲暴食であるバルザックは、実は、執筆中は食事をほとんど摂らず、コーヒーを何杯も呷るように飲みながら長時間書き続けた。消化に伴う疲労が脳に影響しないように仕事をしている間には食を断ったらしい。
脱稿すると豪胆に食べ、ワインを飲んだ。

つまり、登場人物が食べている時はバルザックは食べず、彼が食べている時には、登場人物は誰も食べることがない。

これは思えば、とても面白い事実である。

バルザックは大食漢であっても繊細な美食家では決してない。登場人物にどのように食事や料理をさせるか、誰とワインを飲ませるか、どこのレストランにどのような身のこなしで送り込むか。書いていくと際限がないが、このようにバルザックは食を利用する。

著者は19世紀のパリの食生活には変化を鋭敏にとらえ、小説世界に取り入れていったバルザックに着目し、食の観点からバルザックの小説世界を検証していく。

食は人のもっとも基本的な柱となるものである。本書はバルザックの小説から19世紀の食卓を垣間見つつ、お馴染みの登場人物たちにも会える楽しい書物となっている。

2021年12月2日

読書状況 読み終わった [2021年12月2日]

表紙のアングルの絵に惹かれて手にとった一冊です。

『不潔の歴史』とは、なかなか題名もインパクトがあり興味をそそられました。

そういえば、『アガメムノン』では、不倫をしていた妃にアガメムノンは入浴中に殺されてしまうし、ローマ人といえば、ローマ風呂テルマエですね。

お風呂で多くの時間を過ごしていたギリシアやローマの古代の人々は清潔に思えるが、清潔の概念も時代とともに変遷を経て今日に至ったようだ。

公衆浴場が全盛を極め、開放的な雰囲気で裸のつきあいをしていたローマは、が四世紀に入るとキリスト教のストイックな思想が優位になっていく。
熱は性欲を亢進すると考えられたため、貞淑な女性はワインや湯浴みを禁じられた。
清潔な体と清潔な衣服は不潔な魂の表れという教義を持っていた女子修道院も出現した。
享楽的な入浴は洗礼と対立するものとされ、苦行や清貧が信仰心に重要なものになるにつれ、浴場は廃れていった。

それでも中世に入るとまた共同浴場が西洋各所に造られたが、ふたたび浴場は平和をかき乱す不節操で無作法な場所と認識されるようになってきた。
そして、ヨーロッパを何度も襲ったペストの大流行や梅毒などの病気も入浴し体表の孔が開くのが感染の原因だとされていたようだ。

ペストの脅威が下火になっている時期も中世後期に端を発した水に対する恐怖はどんどん広まっていった。
フランスで一番報酬が高い医師の意見では、体の分泌物が体表に保護膜をつくるとされていた。
要するに垢ですね。あらゆるところに垢をため、匂いをごまかすために香水が発達し、美しい衣装をまといながらノミや虱をつぶす。現代の私たちには想像もできないことですが、それが常識な時代もあったんですね。

ベルサイユ宮殿は建てられたときトイレがひとつもなかったようです。王侯貴族たちはベルサイユに限らず、汚物で滞在できなくなると別の城にうつりという生活をしていたこともあったとのこと。
からだも建物もなにもかも洗浄しない。そのような時を経て先進国に見られる不潔恐怖的な清潔すぎる現代が訪れていると思うと不思議にさえ思えます。

「不潔の歴史」は終焉を迎え、「清潔の歴史」の方が長くなっていくであろう未来はどのような歴史を刻んでいくのでしょうか。

2021年12月2日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月2日]

バラ作りは癖になる。美しさだけではない。

著者は、バルコニーで60鉢のバラを育てているという。庭植えと違って鉢植えはなにかと手がかかる。
そのあれやこれが楽しくて仕方がない。60鉢とはうらやましい限りである。

もっとうらやましく感じる旅に著者は出かけた。バラは人名を冠した名を持つものが多い。著者のバルコニーでも咲き誇っているバラに名を残す7人をヨーロッパに訪ねている。その足跡を美しくまとめたのが本書である。

ジョゼフィーヌ、ルドゥーテ、ピエール・ド・ロンサール、シェイクスピア、モリス、コレット、マリー・アントワネット。

ナポレオンから与えられたマルメゾン城で多くの植物を育てたジョゼフィーヌは、特に薔薇園を愛した。
ジョゼフィーヌのバラたちを描き図譜を作ったのがルドゥーテである。この二人の縁の場所はバラ愛好家にとっては聖地にほかならない。

ピエール・ド・ロンサールはつるバラで人気の高いバラだ。著者は3鉢あると記してあるので、よほど広いバルコニーのある住まいなのだろう。
壁に這わせたり、アーチやオベリスクやトレリスに仕立てたりし、外が白で内側が淡いピンクの花を多く咲かせる。
ピエール・ド・ロンサールご本人も美しい容姿の宮廷詩人であり僧であったという。

ストラトフォード・アポン・エイボンにも訪れ、シェイクスピアゆかりの場所を複数回っている。
シェイクスピアは本人を冠した名のバラだけでなく、オフィーリアやジュリエットなどのバラもある。
日本でもイングリッシュローズは人気でその香りと美しさに愛好者が多い。イギリスではラベンダーとともにバラが風に揺れている。

ベルサイユ宮殿の奥にあるマリー・アントワネットのプチ・トリアンをラストとし、この旅が締めくくられる。

著者の松本路子さんは写真家で、バラを愛する気持ちが溢れている多くの写真とともにこの本は楽しむことができる。

この7品種のほかに人名を冠しているバラの紹介もされていてバラ図鑑的にも楽しむことができる。

2021年12月2日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月2日]

ヴォーグ誌などの編集長を勤めたF.プレモリ=ドルーレとカメラマンのエリカ・レオナードが作家21人の家を訪ね、作家たちの生涯や作品の紹介を美しい写真とともにおさめた大判の優美な一冊。

プロローグはマルグリット・デュラスから。光を浴びて無秩序に大きくなっている折鶴ランが窓に置かれた部屋には、中板がたゆんでしまった書棚と主がいなくなったガラスのランプがあり、くすんだ金色の額縁のなかの絵は紙が湿気て変色している。
マルグリットが引きこもって作品を書いた家。外へ出ると池があり、水を求めるように木々が水面に枝垂れている。あまりにも西洋的でインドシアの面影はまったくない。

ジャン・コクトーが晩年を過ごしたミリー=ラ=フォレの家。この家はパリから50kmほどのところにあり、現在もコクトーの家として保存され公開されている。
ラボンド城という城の一部らしく佇まいも落ち着いた風情がある。
町にはコクトーがステンドグラスと壁画を制作したサン=ブレーズ=デ=サンプル礼拝堂がある。

ピエール・ロティ(ロチと表記されることもある)は海軍士官として世界各地を回り、来日し日本に二度滞在したこともある。日本ではあまり有名ではないが芥川などはロティについて書いている。若くしてアカデミー・フランセーズの会員にも選出され、個性的な人物であったが、故郷のフランス南西部のロシュフォールの自宅にグローバルで国際色豊かな部屋をいくつか作った。自宅は一般公開され、トルコ風の部屋やルネサンス様式の部屋などが予約すれば見られるという。

内部も外部も凝った邸宅の多いなかでアルベルト・モラヴィアの家はとてもシンプル。
あるのは机と窓から見える海だけ。伴侶となる女性は変わっていったが海の青さは変わらなかった。
降り注ぐ光の中でモラヴィアは朝から執筆に勤しんだという。

ほかに、イェーツの塔の家、ヘルマン・ヘッセの城、マークトゥーエンの温室のある家、ユルスナールが女性伴侶とともに暮らした終の住処など、作家たちの愛した庭や風景や愛用の家具や小物も溢れる贅沢な一冊です。

2021年12月2日

読書状況 読み終わった [2021年12月2日]

ジョン・ハンターは、1728年にイギリスの田舎町に生まれた。
10人兄弟の末子で、村の学校を13歳で中退し、家の農場の手伝いや大工をやり、20歳の時、兄のウィリアムを頼って、喧騒と混乱に満ちたイギリスの首都ロンドンにハンターは出てくる。

兄のウィリアムは、すでに医学の道で身を立てており、研究目的の遺体を十分に調達できるよう法整備されていたライデン(レンブラントの生地)やパリで教育を受け、ロンドンで解剖教室を開こうとしていた。

兄の元に落ち着いたハンターは、兄が驚くほどの器用さをもち、好奇心探究心旺盛の誰よりも解剖学者の素養がある青年だった。
兄の教室の講義に使う標本を準備し、メスをふるい、標本を作り、兄の講義に耳を傾け、夜は死体の調達に精を出す。
そういう毎日を送りながらどんどんジョン・ハンターは解剖の世界にのめりこんでいく。

並外れた情熱と科学的好奇心によって、人間のみならず、動物までも彼のメスによって切り開かれ、縫い合わされ、埋め込まれ、取り出され、標本にされた。

ロンドンに来てからのジョン・ハンターの人生の慌しさは、本書にぎっしり描かれた逸話で証明される。

本書は、ジョン・ハンターの医者としての仕事のみならず、彼を解剖台にのせて開いてしまったような、人柄から人間関係、当時の都市状景までも余すところなく描き出している。

ジョン・ハンターは、『ドルトル先生』のモデルともいわれ、自宅は『ジギル博士とハイド氏』の家のモデルとなった。

愛弟子には天然痘のワクチンを実用化したジェンナーらがおり、ダーウィンにも少なからず影響を与えたといわれているジョン・ハンターは、狭心症の発作を繰り返しこの世を去った。
どんなに先をいっていたジョン・ハンターでも、冠状動脈の狭窄を治療することはできなかったようだ。

2005年にロンドンに王立外科医師会のハンテリアン博物館が修復を終えてリニュアルオープンした。
ここで本書にも登場する貴重なジョン・ハンターの標本コレクションに会えるらしい。

2021年12月2日

読書状況 読み終わった [2021年12月2日]

離婚が増え、それに対する裁判や話し合いで夫婦に子どもがいた場合は、親権が決められる。

親権を認められなかった片方の親は、週末だけ子どもと会うとか、何ヶ月かに一度何日か子どもと過ごすなど、条件が決められる。

それが守られているのかどうかは、わからないが、この『すべては遠い幻』という作品は、少なくとも、古代や中世には生まれ得なかった小説である。

32歳のディーリアは娘のソフィーと父と暮らしていた。
ある日、突然、同居している実父が逮捕される。容疑は幼児誘拐だという。
それもその幼児誘拐は28年前に行われたもので、誘拐されたのは4歳だったディーリア自身だというのだ。

母は亡くなったと聞かされ、父に育てられたディーリアだったが、実は、母は死んだのではなく生きていて誘拐された一人娘のディーリアの行方を捜していた。

ディーリアの両親は離婚し、親権は母親が獲得した。
週末、決められたように離婚した父親と共に過ごしていたディーリアは、父親にそのまま連れ去られ、死んだ別人の名で今まで生きてきたのだった。

なぜ、父はディーリアを連れ去ったのか。

裁判を通して、徐々に明らかにされていく真実。

現代の家族は多くの問題を抱えてることが多いと思う。さりとて、昔の家族だって多くの問題はあった。
でも、違う点は、豊かになり、自由になった社会で生まれる現代これからも増えていくであろう事柄や家族の形象をこの小説はつきつける。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

エリオット・エンゲルは、ノースカロライナ州立大学やデューク大学で教鞭を執る。

本書の原題は、『A Dab of Dickens & A Touch of Twain』
邦題とは、えらい違いだが、訳者が、感じた思いがそのままつけられ、それはたぶん成功しているようだ。
なるほど興味をそそられた。

英語圏の有名作家13人(チョーサー、シェイクスピア、ディケンズ、ワイルド、ヘミングウェイなど)の人生と作品を面白く講義してくれている。

エリオット・エンゲルがブンガク好きな人たちに行った講義をテープ起こしし、翻訳しているので、語り口も生かされている。

訳者の藤岡啓介さんは、自分がこの原書を読んで面白く、それを吹聴してるうち自分が翻訳してみたくなったと、訳者あとがきに書いているが、
このご自分の感じた面白さがそのまま伝わる。

学術的な専門書ではないが、作家たちの意外な一面も面白おかしく語られ楽しく自然に引き込まれていく。

気軽で楽しい笑いのある英米文学講義でした。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『赤い宿屋』1831年・・・哲学的研究

晩餐会の席で、ホフマンの短篇やウォルター・スコットの長編などを読んでるに違いない金髪の若い女が、ドイツ人のヘルマンに、「ゾッとするような話」を求めた。
それを受けて、ヘルマンが語ったのが、次のような話だった。

軍医補のふたりの青年が、辞令を携え、配属の連隊へ行くための旅の途中、隅から隅まで赤いペンキで塗られた宿屋に宿泊することになった。
宿は満員になったが、ひとりのでっぷりした小男が泊めて欲しいとやってきた。
生憎、満員でと宿の亭主は告げたが、軍医補のふたりが、食事の相席を許し、ベッドも自分たちはふたりで寝るのでとひとつのベッドを小男に開けてやった。
小男は、若者の親切に感謝し、自分の鞄には金貨やダイヤ10万フラン相当のものが入っていると打ち明け、その鞄を枕にして眠りに就いた。
若者の一人の医師補は眠れず、小男が枕に眠っている鞄の中身ばかりが気になり、もし、自分にその金があったらと空想するにつけ、狂気にも似た感情に包囲される。
彼は、自分の外科の医療用具を小男に振り上げたが、殺意を抱いてしまった自分に深刻な恐怖を抱き、医療用具を床に捨てて、宿を飛び出し、ライン川沿いを暫く行ったりきたりして宿に戻って眠った。

明朝、彼が気がつくと、小男は首を切られ死んでおり、自分の外科道具には血がべっとりとつき、衣類は返り血に染まっていた。
10万フランの鞄は消え、もうひとりの軍医補もいなくなっていた。

よこしまな考えをした彼は逮捕されたが、どう考えても自分は殺害をした記憶がない。
そのことを獄中で聞いた、ヘルマンは彼の無実を信じるが医師補は処刑されてしまった。

この話を晩餐会の席でヘルマンが語っていた間中、激しく動揺しているらしきターユフェールという人物に、語り手はカマをかけるようなことを言ってみると、ターユフェールは神経症の発作に見舞われ退席する。ターユフェールを小男殺害と鞄泥棒の脱走したもうひとりの医師補を疑っていたのだ。

ターユフェールはまもなく死ぬが、彼の娘に語り手は恋をし、結婚をも考えていたから迷って友人たちに助言を求めたが、友人は、どうして、ターユフェールにカマなどかけたのだと
いい物語は終る。

バルザックの小説によく見られる小説を書いている人物が、誰からか聞いた話、という体裁をとりながらも、運命の糸は捻じれながら語り手に近づいてくる。

小男は、大金を持っていることを自慢げに語ったのではなく、親切にしてくれた若い軍医補に、ぽろっと大金を持っていることを言ってしまった。
殺人を犯そうなどとは露ほども考えていなかった軍医補が刹那的な殺意を抱いたことも、人間の深層心理を浮き上がらせつつ、バルザックは非常に巧みに描いている。
その晩餐会に偶然居合わせた男に運命の糸を結わえ、語り手にさえも絡ませてくるあたり、二重にも三重にも巧緻な作りにして完結させている。
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇がバルザックの「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェニー・グランデ』+『Z・マルカス』+『知られざる傑作』+『砂漠の灼熱』+『エル・ヴェルデュゴ』+『恐怖政治の一挿話』+『ことづて』+『柘榴屋敷』+『セザール・ビロトー』+『戦をやめたメルモット(神と和解したメルモス)』+『偽りの愛人』+『シャベール大佐』+『ソーの舞踏会』+『サラジーヌ』+『不老長寿の霊薬』+『追...

続きを読む

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『ゴプセック』1830年・・・風俗研究(私生活情景)

デルヴィルは、バルザックの人間喜劇ではお馴染みの登場人部のひとりだが、『シャベール大佐』と同じように彼が語り手のような役割を果たす。

ゴプセックという老人は、ユダヤ人の高利貸しで、情に流されることもなく金を信用してやまない冷徹な男であるが、かつて、隣の部屋に住んでいたデルヴィルが、代訴人となり、事務所の株を買うためにゴプセックに借金を申し込んだ時、ゴプセックにしては低金利で融通してやったこともあって、デルヴィルが引っ越してからも、懇意な間柄が続いていた。

ある時、デルヴィルは、マキシム・ド・トラーイユ伯爵にゴプセックの所に案内されるように頼まれ、伯爵を連れて行くが、愛人であるレストー伯爵夫人からゴプセックは、高価なダイヤを買い取った。

レストー伯爵夫人とは、ゴリオの長女で、『ペール・ゴリオ』では、娘たちに尽くしに尽くして孤独に亡くなったゴリオの葬式にも顔を出さなかったことが綴られている。
同じくマキシム・ド・トラーイユ伯爵も『ペール・ゴリオ』に登場する。
彼は、レストー伯爵夫人の愛人で、レストー家の三人の子のうち、下の二人は彼と伯爵夫人の子なのだ。
『ペール・ゴリオ』では、金策の尽きたレストー伯爵夫人のアナスタジーを捨てるが、『ゴプセック』ではその詳細は語られていない。

レストー伯爵は、ゴリオが危篤の折に、妻を父の元へ行かせず、『ペール・ゴリオ』では冷酷な男のように描かれている。
しかし、浪費好きで愛人の子をふたりも生んでいる妻との仲がしっくりいくはずもなく孤独な最期を遂げるが、愛人に迫られて妻が手放したダイヤを買い戻したり、財産を実子の長男にだけ残すようデルヴィルに頼んだり本書では気の毒な面も多々見られる。

内容として『ペール・ゴリオ』とかぶるような箇所も見られるものの、デルヴィルの成功にゴプセックが一役買っていたことや、私はまだ読んでいないが、人間喜劇に登場する通称「オランダ美人」は、ゴプセックの姪の娘にあたり、その娘は「しびれえい」など類縁も一連の小説群のなかで広がってゆく予感を感じさせるバルザック初期の作品だと思う。

結局、ゴプセックは大金を残し亡くなるが、遺産相続者を見つけるのはデルヴィルの仕事となり、一時、ゴプセックが相続していたレストー伯爵の財産も実子のものとなる。

10歳の水夫からはじまり、世界を股にかけて最後は冷徹な金貸しになったゴプセックの生き様は、華やかなパリ社交界で浪費を重ねる男や女に冷ややかな視線を投げかけ、デルヴィルと通じたのも将来の利害関係を見越してのことかもしれないが、暖かさも若干感じ取れるのが救いだ。
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇がバルザックの「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェニー・グランデ』+『Z・マルカス』+『知られざる傑作』+『砂漠の灼熱』+『エル・ヴェルデュゴ』+『恐怖政治の一挿話』+『ことづて』+『柘榴屋敷』+『セザール・ビロトー』+『戦をやめたメルモット(神と和解したメルモス)』+『偽りの愛人』+『シャベール大佐』+『ソーの舞踏会』+『サラジーヌ』+『不老長寿の霊薬』+『追放者』+『あら皮』+『ゴプセック』+『総序』 計22篇

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

ボリス・ヴィアンが、1947年頃から急に知的世界、もしくはただ単に大衆的な人気の中心となったパリのこの地区におけるすべての出来事を細大漏らさず取り上げる意図をもって、1949年から50年にかけて執筆した書物である。

サン=ジェルマン=デ=プレとは、フランス、パリの左岸に位置し、当時、サルトルやボーヴォワール、レイモン・クノー、アンドレ・ブルトン、コクトーなど多数の文化人や画家たちが集った地区であり、ドゥ・マゴやフロールなど有名文学カフェは、現在でも知的文化人たちや芸術家たちが集う。

ヴィアンが、「とりわけ面白い時代に巻き込まれた」と語る第二次世界大戦後そのままのサン=ジェルマン=デ=プレがそのまま切り取られたようにこの一冊におさめられている。

当時、サン=ジェルマン=デ=プレに集った約500人の人々や町を多くの写真と図版で彩っている本書は、この時代を愛する人たちにはたまらない書物だろう。

本書は、依頼した出版社の倒産で、刊行が大幅に遅れ、ボリス・ヴィアンの死後15年の時を経て出版された。
日本語版はさらに遅れ1995年にリブロポート社から一度出版されている。
今回、読んだのは版元も変え装いも新たになった2005年発刊の文遊社のものである。

ヴィアンが、当時充実した日々をすごしたサン=ジェルマン=デ=プレ界隈には、数え切れないほどの多才な人物たちが左岸の風に巻かれていたが、ドイツ占領からの解放後の戦後、パリは、時代としても開放的で市民の士気の高揚がみられ、また国内外から多くの若者たちがこの地に集まり、多岐にわたる芸術の分野に彼らの創造した新しい風を吹かせていった。

私は、生まれるのが遅く、このすばらしき時代を知らず、ボリス・ヴィアンの死さえも、知らない。悲しいことにゼネレーションとして完全にずれている。

「サルトルとボーヴォワールが 時代の寵児だった頃の空気を知っています」

と仰る、ある方の言葉がどれほど羨ましく響いたことか。

---もしもサン=ジェルマン=デ=プレが変ったように見えても心配はご無用
昔の良さは変らない
よそ者を笑顏で迎える気さくな人たちでいっぱいの愛すべき小さな村
何でも簡単 限りなく平穏
だから心地いいのさ 日々の暮らしが
サン=ジェルマン=デ=プレでは  ボリス・ヴィアン<文中より>---

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

暫く前から、マグリットの≪マック・セネットの想い出に≫が表紙になっているこの本が気になっていた。

51篇の短編が詰め込まれているこの本の最初の物語の冒頭はこうだ。

---十二人の女が住む街に、十三人目の女がいた。---『十三人めの女』より

この不可思議な矛盾はルネ・マグリットが何枚も描いた≪光の帝国≫にみられる 昼間の晴天の真下の夜と似ている。

51篇の作品の中には、30ページ近くの長いものからたったニ行のものもある。
寓話的なものやマグリットのような一見自然にみえるがよく読むと矛盾を孕んでいるというような文章や順番をふられたもの同じ名詞や動詞を多用するもの さまざまなパターンの散文が散りばめられている。

作者のリディア・デイヴィスは1947年生まれのアメリカ人。
大学卒業後はアイルランドやフランスで暮らし、現在はニューヨークで教鞭をとっている。

プルーストの『失われた時を求めて』の第一巻の『スワン家の方へ』の英訳は高い評価を受けたらしい。

本国では彼女の本は5冊出版されているが、日本でははじめての刊行となる。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

ベルギーの田舍。
知恵遅れのヤニーと異父姉のアナ。ふたりの姉弟の母親といつからか住み着いたペートルという男。
風景はきわめて牧歌的であるが、一家は村から孤立気味であり、ひとりひとりがなにかしらの事情を抱えている。

母親とペートルは、沈黙のなかで育った憎悪の感情を詰め込み、アナは身ごもったまま男に捨てられ、ヤニーは村の人たちに馬鹿にされる。

そこに現われたアメリカ駐留兵士ふたり。

かも猟に出かけた男たちの身に起こる悲劇とは。

この小説は、澁澤龍彦が東大の学生であった頃、小牧近江さんに本書の翻訳を勧められ、のちに小牧さんとの共訳として出版された。

澁澤にとっては若い頃に訳した思い出深い作品のひとつであろうが、本書は澁澤が亡くなる1月前、いや、たぶん、数週間前にあとがきを書いて、死後、王国社から刊行された書物である。

そもそも、本小説は、ユゴー・クラウスの19歳のときの作品であり、原作はフラマン語で書かれた。
それがフランス語に翻訳され、澁澤が和訳している。
自分とほとんど同年齢の若い作者の作品をフランス語を介して澁澤が訳したということだが、そのときの訳に最晩年を迎えている澁澤自身が改めて筆を入れたかどうかは書かれていない。

ベルギーの若い作家が描いたとは思えないような人間の深みに迫る秀作である。そしてもちろん、澁澤龍彦の名訳も光る。

題名の『11分間』の意味は?

この小説の主人公は、ブラジルの若い女の子。
ひょんなきっかけからスイスに渡り、売春婦になる。
1年だけ。1年だけと決めて彼女は売春婦を続けるうち恋をしてしまう。
その恋の結末はイコール小説の結末なので書くのを控えるが、『11分間』というタイトルの意味は書こう。

その売春婦をしている彼女は言う。

一晩の彼女の相場は350スイスフラン。
いや、一晩は正しくない。一人のお客で350スイスフラン。
一晩というのは大袈裟だ。実際は45分で350スイスフラン。
服を脱いだり、親しげなそぶりをしてみせたり、他愛もないことを話したり、また服を着たりする時間を差し引けば正味の時間は11分くらい。11分で350スイスフラン。

11分。世界は、わずか11分しか、かからない出来事を中心として、そのまわりをぐるぐる回っているのだ(文中より引用)

この本の主題 それは、まさにセックスと愛なのだが、娼婦のような職業が彼女のような生温い態度で勤まるのかどうか疑問だし、簡単に足を洗える環境と本人の強い意志があるのかどうかもわからない。
けれど、コエーリョは、主人公を理知的な向学心のある女性として描こうとしているし、彼女は特殊な売春婦だったのかもしれない。

11分というのは、個人差があり、性差によっても意見は異なるのかもしれないが、

「11分の出来事を中心として世界は回っている」と書ききるコエーリョは潔い。

売春婦という職業は人の最古の職業のひとつとされている。
このブラジル娘は就業期間が短く高級娼館で働いているので、職業的悲壮感はあまり伝わってこない。
そのあたりコエーリョのペンの力なのだが、
この小説は、主人公の日記と挿入された文章によって構成され、その文章の方が日記のように感じるのはなぜだろう。

どちらにしても『11分間』という斬新な発想がこの小説の主題を貫いていることには間違いなく、愛の実在感は俗なるものを聖なる手触りに変化させる必然性をコエーリョは描きたかったのか。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『あら皮』1830-31年・・・哲学的研究

ラファエル・ド・ヴァランタンという青年が自殺しようとセーヌ河岸を彷徨っていたが、身投げにはまだ日が高くそれまでの時間を潰すために一軒の古物商の店に入った。
そこで、ラファエルは店主から一枚のあら皮を譲り受ける。
そのあら皮を持っている者は、望みをすべて叶えることができるが、そのかわり、命が縮まっていくという。あら皮もそれにあわせて縮んでいき自分の余命をその皮によってみることができるらしい。
半信半疑のまま、ラファエルはそのあら皮の所有者となる。
あら皮を手にしてから、ラファエルの望みは次々と叶った。
彼が自殺をしようと思い詰めたのは、フェドラというパリの社交界の華の公爵夫人にふられ、経済的にもいよいよ窮したためだったが、伯父の遺産が転がり込み、パリでも一、ニを争うような邸宅を建て、高額の年金までも月々受け取る身分になった。
それは、金持ちになることをラファエルが望んだからなのか、あら皮は確実に縮んでいく。

この不思議な護符に恐ろしさを感じるラファエルだったが、貧しい日々を送っていたときの下宿先の娘ポリーヌと再会する。
ポリーヌとは心を通わせていたが、フェドラにいれあげてる時には純粋な貧しいこの娘との愛は深入りすることはなかった。ポリーヌも帰国した父が財産を築いていたため裕福な家の娘となり、かわらずラファエルを愛しているという。
ポリーヌとラファエルは結ばれ、幸せの絶頂にいたが、あら皮は小さく小さく縮み、ラファエルも健康を害していった。
あら皮をなんとか大きくしようと手を尽くしてみたが、あら皮は火の中に放りこんでもビクともしないのだった。
医者を何人も呼び治療にあたったが、ラファエルの衰弱をとめることはできず、ついに死んでしまう。

この類のストーリーは、現代ではそんなにも珍しいものではない。TVのショートストーリーでも似たような話を見た記憶があるし、ファンタジー系の本にも不思議なものを手に入れた主人公がさまざまなことに遭遇したりなど。
しかし、それらは、バルザックのエピゴーネンにすぎないようにも感じ、この『あら皮』ほどの完成度を持つことはないだろう。

『あら皮』は1830年から31年に書かれたものだが、爆発的に売れ、バルザックは一躍読書界の寵児となった。
バルザックの生前だけで『あら皮』は15年の間に7たび版を重ね死後も世界中で版を重ねる小説となっている。
訳のことがあるにしても、バルザックのくどすぎるともいえる描写は相変わらずで、決して読みやすい小説ではなくその難解さを超越して大衆に国内外で人気を得たのも『あら皮』のストーリーの斬新さと作品の完成度にあると思える。

これまた人気作品となった『ペール・ゴリオ(ゴリオ爺さん)』は1834年に書かれているが、『ペール・ゴリオ』の主人公であるラスティニャックを早くも『あら皮』に登場させている。
また、同じく『ペール・ゴリオ』ほかたくさんのバルザック作品に登場する医者のビアンションも出てくる。

上にバルザックは難解と書いたが、難解ではなく、バルザックの丹念な状況描写、人物描写に精魂こめてつきあうのがちょっぴり疲れる部分もあるものの、だんだん慣れてくるとバルザック的読書術というものも取得していくものである。(笑)
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇がバルザックの「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェ...

続きを読む

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

バルザックの<人間喜劇>はもちろん、エミール・ゾラの<ルーゴン・マッカール双書>などにも多種多様な職業の人達が登場する。

たとえば<ルーゴン・マッカール双書>の第7巻『居酒屋』の主人公のジェルヴェーズは、亭主にも逃げられ、ふたりの子をかかえて困窮した生活とたたかいながら懸命に生きていこうとする。
彼女は、洗濯女として日々頑張って働き、自分の店を持つというと夢を持っていた。
そんな彼女の日常に職人の男が現れる。真面目な仕事振りのその男とジェルヴェーズは再婚する。
小金も貯まって念願の洗濯屋をオープンさせた彼女の人生はやっと順風満帆なものになるように思われたが、
再婚相手は足に怪我をしてから仕事をしなくなり、数年前に出て行った亭主が転がり込んだり、羨望の眼差しを送っていた世間はたちまち冷たくなって繁盛していた洗濯屋は、アッという間に傾いていく。店も手放さなくならなかったジェルヴェーズは、酒びたりになって死んでしまう。
ジェルヴェーズと再婚相手との間に生まれたのがナナで娼婦になり、このあたりは第9巻の『ナナ』に詳しいが、話を元に戻して、ジェルヴェーズの洗濯稼業は、現代のクリーニング屋に通じると予想されても労働の中身は時代を反映している。
機械化が進んでいないジェルヴェーズの時代の洗濯稼業は、重い肉体労働であり、それでも自立しようと懸命な女の生き様が詳細に描かれている。

古今東西、どの国でも多くの職業があり歩みがある。

本書は、チェコ出身でフランスで多彩な文芸活動を行ったポール・ロレンツが監修した中世から近代までのパリの消滅もしくは衰退していった職業をまとめている。

パリに限らず時代変化によってさまざまな職業が生まれ、先駆的であったはずの職業が消滅していく。
日本でも昔はあったよね という職業もたくさん載っている。
行商人、紙芝居屋、手作りおもちや屋、煙突掃除、糸紡ぎ女、乳母など懐かしそうな職業もずらりと並ぶが、パリ(またはヨーロッパ)特有の職業もある。

一番面白かったのが、「ツケボクロ師」という職業で、黒い黒子は、肌の白さを引き立たせるという理由で16世紀末大ブレイク。ツケボクロ・ブームはヴェネツィアにはじまったらしいが、ヨーロッパ中に広がり18世紀まで続いたという。
日本にもお歯黒なんていうのがあったが、このツケボクロ・ブームは聖職者にまで及んだという。
黒子も単なる黒子ぽいものだけではなく、星形、ハート形、人物柄などさまざまな色や形のホクロがつけられたとか。

ほか、写本師、蜜蝋燭師、鎖帷子&兜職人、薬草師、錬金術師、抜歯屋、泣き女、移動便器屋・・・

王樣のおまる係と棉係なんていうのもある。

先日、『トイレの文化史』という大矢タカヤスさん訳のパリのトイレの歴史の本を読みましたが、フランスという国は、トイレに関してひどく遅れていた様子がよくわかりました。
ヴェルサイユ宮殿は、世界屈指の豪奢な宮殿ですが、トイレは造られていませんでした。
お金持ちの貴族は綺麗な城が汚物でいっぱいになり住めなくなると自分のほかの領地の城にうつったといいます。

そういうお国事情なので、「王樣のおまる係と棉係」は当時必須の職業で、この特権的職業に就くのは当然のごとく貴族。
穴あき椅子を用意し片付ける係りと用を足したあとにワタを差し出す係りの二人一組が事に当たったという。
ルイ16世治下からは大枚をはたいてこのポストを手に入れた平民がこの任務に就いたらしい。

バルザックの小説を読んでいると、聞き慣れない職業が時に登場する。昔のパリの職業がよくわかる本があったら読みたいと思っていたので時代を満喫しつつ随分楽しみながら読んだ。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

はたから見ればただのがらくたに過ぎない中途半端な物たちに惹かれる著者が、主にフランスで出会った物たちについてペンを走らせた好エッセイ。

スライド映写機、珈琲ミル、陶製のペンギン、木製のトランク、ドアノブ、キッチンスケール、木靴、ビー玉etc.

年代物の高価な骨董品ではなく、20年から100年くらい前の使われなくなったものたちである。

「物心」という言葉があり著者はそれに心思いを馳せる。

もののはずみで買ってしまったものたちは、著者と心を通わせ世界を広げるための力となっていく。

堀江敏幸さんの文章は、小説にしてもエッセイにしても独特の静けさを持っていて大好きだ。

芥川賞作家であり、明大教授の堀江さんは毎日多忙な生活を送ってらっしゃると思うのに、彼の描く世界はまるで時がゆっくりと再生しているようで、その静謐の中に贅沢な空間を見出す。

劇的主題を持つわけでもなく、強烈な光を放散するでもなく、レトリックに凝るわけでもない。

静かに時を流し、静かに独創的な世界を作り上げる。
その白き静けさに堀江さんの文章を読んでいるとゆっくりと満たされていくのだ。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『追放者』1831年・・・哲学的研究

パリのシテ島(ノートルダム寺院がある場所で、セーヌに浮かぶ小さな島。パリはこの土地から発達した)にぼちぼち家が建ち始めた14世紀初頭、そのシテに住むジョゼフ・ティールシェールという警吏は、自宅の二階部分を外国人に貸し賃料をとっていた。

二階の外国人は、老人と若い青年で、ふたりを身分の高そうな女人が時々尋ねてくる。

ある日、常々間借人たちが胡散くさいと思っていた警吏は、彼らをめぐって派手な夫婦喧嘩をし、彼らを追い出すことに決めた。

そんな密議が交わされていたころ、老人と青年は舟に乗って外出する。彼らの行き先はパリ大学。
神秘学で有名なシジエーリの講義に出席するためだった。
シジエーリ教授は現れたふたりの異邦人たちを恭しい様子で厚遇し、講義をはじめた。
講義の内容は、復活や天国と地獄に関する理論で大きな喝采を得る。
異国の老人もシジエーリを賞賛し、シジエーリは、

「どうぞ、あなたの一行を!それは私に人間としての不滅を与えてくださいますでしょう」と答える。

帰りの舟で老人は、天国への憧憬を持つ美しい若き青年に、国を追放された身の故国への哀愁を語る。

警吏の家に帰宅して間もなく老人の元へ一人の兵士が駆けつけ、
「われわれはフィレンツェに帰ることができますぞ」と叫ぶ。

老人はイタリアの偉大なる詩人、ダンテ・アリギエーリだったのだ。

そこへ時折訪れていた美しい女人が青年に自分が母親であることを告白し、その若者を伴いつつ「いざ発とう。法王派よ滅べ」とダンテは立ち上がる。

先日読んだバルザックは、ドン・ジュアンを登場させたが(『不老長寿の霊薬』)、今度はダンテを登場させシジエーリ教授の口を通してバルザック自身の世界観を語らせる。
本編には詩的表現も多く用いられバルザックの非凡な文学的資質の所産ともいえる。

ダンテが、パリに逗留したか否かは不明らしいが、ボカッチオの『ダンテ伝』の中に「彼はパリに行ってそこで神学と哲学の研究に没頭した」という一節があるようです。

シジエーリに関しては、集英社『神曲 天国篇』の註を引用してみます。
-フランスの哲学者シジェール・ド・ブラバン(1235-81頃)アヴェロエスの信奉者で、パリ大学の教授。その行蔵は殆ど知られていないがアリストテレスの哲学をいかに教えるのかの問題に関し、パリ大学の非聖職教授たちと托鉢修道士の教授たちの間で起こった烈しい論争の前者の立役者であったことは明らか。世界の永遠性や二重真理説などを弁証し、トマス・アクィナスやアルベルトゥス・マグヌスの反駁を受け1277年にパリの司教に破門され、異端審判を受ける前、教皇に直訴するためにローマに逃れた。1281年と84年の間にオルヴィエートで下僕に刺殺されたと信じられている-

『神曲 天国篇』の第十歌に

「藁の街に講筵を布き、嫉ましいほどの心理を三段論法で証明したシジエーリの、永遠に消えぬ光」

1799年生まれのバルザックは当然『神曲』にダンテがシジエーリに不滅の一行を与えていたことを知っていたし、ボカッチオの『ダンテ伝』も読んでいたかもしれません。

時代背景を14世紀に設定し、その風俗描写も雄弁で、当時、超自然的な力に民衆は怖れと好奇心を持ち、そのあたり、冒頭の警吏夫婦のやりとりで可視的に伝わってくる。

本篇は、東京創元社から1973年に出された『バルザック全集第三巻』読んだ。
訳は、河盛好蔵
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇が「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊...

続きを読む

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『不老長寿の霊薬』1830年・・・哲学的研究

本書の主人公は、ドン・ジュアン。
ドン・ジュアンといえば、スペインの伝説の放蕩貴族で、モリエールをはじめ、トルストイ、アポリネール、トルストイなどのほか、モーツアルトの歌劇では、ドン・ジョバンニとして登場し、女たらしの異名を持つ憎めない男である。

バルザックはこのドン・ジュアンをイタリアに邸を持つ貴族として登場させる。

あるとき、父親が死の床にあるというのに、ドン・ジュアンは遊び女をはべらせ豪勢な宴を催していた。
いよいよ、父親の死が間近に迫り、最期の時を迎えようとしたとき、人生の享楽を貪り過ぎる息子を枕元に呼び、水晶の小瓶に入った水を自分が死んだらすぐ遺体に塗るように頼んだ。

その瓶の水を塗ると生き返るという遺言だったが、まさかそんなことはなかろうと半信半疑で、亡くなった父親の右の瞼を軽くこすると父は目をあけたのだ。
恐ろしくなったドン・ジュアンは、蘇った生命感に溢れる父親の右目を潰し殺した。

その後、放蕩三昧の月日を過ごし、ドン・ジュアンは60歳で結婚しひとり息子をもうける。

死期が近づいたとき、自分の父と同じように息子を枕元に呼び、例の小瓶のことを話して、死後、全身にその液体を塗布することを約束させる。

ドン・ジュアンと違って素直な孝行息子に育ったフィリップは、父に命じられたとおり遺体に水晶の瓶の中身を塗った。
顔と右腕に塗り終えたとき、蘇りつつある父にフィリップは驚愕し、瓶を落として気絶してしまう。

修道院に亡骸(部分蘇っている)をうつされたドン・ジュアンは、神の御業と勘違いされ、神々しい儀式の途中に、修道院長の頭に噛み付き、
「愚か者め、これでも神がいるというのか」と叫ぶ。

澁澤龍彦は、晩年、ガンのため気管切開を余儀なくされ、声を失ったとき、「呑珠庵」という号を思いつく。
美しい珠を呑み込んで、珠がのどにつかえているから声がでなくなってしまったという筋書きと、音(オン)が、ドン・ジュアンに似ていることも気に入っていた。

澁澤のお気に入りのドン・ジュアンが、バルザックの手にかかると完全なる悪魔的且つ殺人者に描かれるのは失笑してしまう。

それにしても時を経ても効果抜群の不老長寿の霊薬はどんなものだったのでしょう。
古今東西死者が蘇るお話はたくさんありますが、ドン・ジュアンが部分的に蘇り聖職者の頭部を食いちぎるなんて設定には度肝をぬいてしまった(笑)

本篇は、くもん出版から1989年に出された『幻想文学館第四巻』読んだ。
訳は、奥田恭士
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇が「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェニー・グランデ』+『Z・マルカス』+『知られざる傑作』+『砂漠の灼熱』+『エル・ヴェルデュゴ』+『恐怖政治の一挿話』+『ことづて』+『柘榴屋敷』+『セザール・ビロトー』+『戦をやめたメルモット(神と和解したメルモス)』+『偽りの愛人』+『シャベール大佐』+『ソーの舞踏会』+『サラジーヌ』+『不老長寿の霊薬』+『総序』 計19篇

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『ミイラづくりの女たち』 マルセル・シュウォッブ

弟とリビアの砂漠を旅しているうちに、ミイラづくりを生業にしている女たちの住む町に迷い込んでしまい、弟さえもミイラにされてしまう怖ろしい物語。
シュウォッブは19世紀のフランスの作家。
彼の作品を読むのははじめてだったが、幻想的な怪しい雰囲気を存分に味わうことができた。
エジプトでのミイラづくりは有名で、たくさんのミイラが作られてきたが、この小説は短編にもかかわらず女たちの手でつくられるミイラづくりがやけに生々しく伝わってくる。
昔に読んだミカ・ワルタリの『ミイラ医師シヌへ』にもミイラをつくるさまが描写されていたが、
ミイラを作る場所は、ミイラ工場のごとき印象を受けたような気がするのは記憶違いだろうか。

女たちだけでミイラを作る という設定は、奇妙な妖艶さが加わり、死者を永劫と成すべく再生の手段として受容しつつも、やはり、ミイラづくりがおどおどろしい作業であることにはかわりない。
死体を相手に、手際よく臓物を掻き出してゆく女の腕。
麻布を処理を終えた死体に巻くために曲線を描く女の背中。
丸屋根の白い小さな家の中で行われている神聖な儀式のような工程の横で垣間見る、ミイラづくりの女と弟が交わす接吻の気配が小説に別の息を吹き込む。
マルセル・シュウォッブはユダヤ家系に生まれ、早熟で多くの言語を習得したという。
『二重の心』や『黄金仮面の王』などの短編集があるらしいが、この作品だけを読むとルルーやモーパッサン系の怪奇短編とジャンルが似ている。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『サラジーヌ』1830年・・・風俗研究(パリ生活情景)

語り手の名は明かされないが、男は、謎多きランチ家主催の舞踏会と宴会に出席しその広い邸から庭を眺めている。
ランチ家は、ニュシンゲン氏やゴンドルヴィル氏にもひけをとらないようなお金持ちのようだが、その金の出所を誰も知るものがいなかった。
ランチ伯爵夫人も令嬢のマリアニーナも魅惑的な美貌の持ち主だったが、その彼女たちと同居する背が曲がった痩せた小柄な老人を邸の中に認め、この魑魅魍魎さながらの謎の人物に誰しも好奇心を募らせるのであった。
控えの間に豪華な額縁におさめられた獅子の毛皮に横たわるアドニス(ギリシア神話の美少年)の絵を見て感激する同行の夫人(ロシュフィード公爵夫人)に、話者は、アドニスのモデルはランチ夫人の身寄りの一人だと答え、明晩、謎解きを約束する。

語り手が夫人に語ったのは次のような話だった。

代訴人の一人息子のサラジーヌは、20代のはじめ、彫刻で賞を受け、ローマに旅立ちます。
イタリアの劇場で一目見たザンビネッラという歌姫にぞっこん惚れてしまったサラジーヌは、劇場に通いつめ、気の狂わんばかりの愛と情熱を火の粉のように撒き散らす男になっていきました。
しかし、恋焦がれた相手は、去勢されたカストラートで、そのことを知って絶望したサラジーヌは、ザンビネッラを殺そうとしますが、ザンビネッラのパトロンの刺客に逆に殺害されてしまう。
この話を語ってもランチ家にいた謎の老人との因果関係に、ロシュフィード公爵夫人はピンときませんが、その老人こそ、生き残ったザンビネッラであり、その後も歌姫として活躍したザンビネッラによってもたらされた巨額の富が、ランチ家の財産の元であることに気づいた時、夫人は、パリはいかがわしい財産でも、血塗られた財産でもえり好みをせず迎え入れてしまう町なのだと嘆く。

『サラジーヌ』はバルザック31歳の時の作品。
バルザック中編小説にあたるこの作品は、あらすじとしては、性別など疑うことなく愛した女が実は去勢された男で、彼を愛してしまったがために殺されてしまうという悲劇的事件が軸を成してはいますが、
文中には、語り手と公爵夫人との恋の駆け引きや、新古典主義のジロデのルーブルに実在する絵画などを小道具として登場させたりと、小説の濃密性には舌を巻くものがある。

ロラン・バルトは、『サラジーヌ』を561の単位に分割し、それぞれに構造分析を加え、93の相関的なテキストを挿入することにより、『S/Z』という一冊の本を書き上げている。
題名の『S/Z』は、サラジーヌとザンビネッラの頭文字をとったものだが、SとZは図形的に逆の関係にあり、対立させる / は、鏡の表面であり、幻覚の壁、パラディグムの意味の指標だとバルトは述べている。
バルトは、バルザックの描いた文字、一文字残らず小説の最初から終りまで、詳細な意味分析を行っているわけだから、『S/Z』を読むということは、バルトの読みを加えながらもう一度『サラジーヌ』を読み返すという行為にほかならない。
そしてバルトの読みの深さに驚愕し、古典テキストの構造分析についても多くを学ぶ機会を得たと思う。

サラジーヌが殺された凶器が細身の短刀であった理由について、バルトはそれを小さな男根の象徴とし、なるほど、この小説では、サラジーヌは撲殺や扼殺じゃ成り立たず刺殺されなければならないことに気づく。

カストラートは、14世紀あたりから出現し、19世紀半ばまで実在したという。
一番有名なカストラートのファリネッリをモデルにして映画が作られたりし、イタリアの劇場やローマ教会で歌っていた去勢歌手の存在を私たちも知ることとなった。

また、女と信じ込んで男を愛してしまうという筋書きは、いくつもあり、『M・バタフライ』のように、子供までいるように騙してしま...

続きを読む

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

『ソーの舞踏会』1829年・・・風俗研究(私生活情景)

名門貴族のフォンテーヌ伯爵は、徹底した王党派で、時代の波をうまく利用しながら王の寵愛を受けていた。
息子たちは地位のある堅実な職に就き、娘たちも税務官と司法官に嫁がせたのだが、末娘のエミリーだけはまだ未婚。
フォンテーヌ伯爵夫妻はエミリーを目に入れても痛くないほど可愛がり、甘やかして育てた。エミリーはそれはそれは美しい娘に成長したが、わがままで、気位が高く、結婚相手はフランス貴族院議員かその長子でないとイヤだという。
そんなエミリーは、義兄の別荘の近くのソー村の舞踏会に出かける。
ソーの舞踏会には、庶民たちも参加し、そこでひとりの若者に恋心を抱く。その若者を好意的にみるエミリーは、立ち振る舞いなどから、彼は貴族の御曹司に違いないと思い込むが、身分は彼の口から語られることはない。
パリで、偶然、洋品店で働いてる彼を目撃し、ショックを受けたエミリーは愛よりも貴族主義が捨てられず、70歳を過ぎている自分の大伯父と結婚する。
二年後、貴族院議員の兄が亡くなり、身分と財産を相続した彼が現れ、彼女は自分の過去を呪う。
王党派の両親に育てられ、貴族至上主義に凝固まった気位の高い娘が、自分が感じた愛よりも優先するものをもつことで、後の祭りになってしまう物語。
バルザック自身も貴族に異常なほどの憧憬を持っており、貴族を示す 「ド」をいれて オノレ・ド・バルザック と署名していた。
次々と手を出した女も貴族の夫人が多く、願わくば莫大な財産を持つ貴族の未亡人と結婚し、本物の貴族の称号を手に入れ、自分の負債もチャラにしてくれるのを夢見ていた。
晩年、大貴族未亡人のハンスカ夫人と漸く結婚するが、結婚生活は僅か5ヶ月だった。
『谷間の百合』のモデルとされるバルザックの初恋の相手のベルニー夫人も貴族だった。バルザックの貴族主義は相当なものだが、この『ソーの舞踏会』は、身分だけが大切ではないと警句的な小説に仕上げている。
エミリーの父のフォンテーヌ伯爵は、フランス貴族的なブルジョアジーどっぷりに生きてきた人物だが、フランス革命、恐怖政治、ナポレオン政権、王政復古とめまぐるしく変化するこの時代をもってして、虚栄心の高い娘に、結婚の幸福は輝かしい才能や身分や財産などではなく、夫婦相互の尊敬に根ざしているものだと説く。
この父親は、読者に存在感を残す。
しかし、自分が手塩にかけて育ててきた娘は耳をかさない。
それは凋落しつつあるが貴族のなかの貴族として生きてきた自分の産物に違いないのだった。
人物再現法で、父親が勧めた相手として、『ペール・ゴリオ』などたくさんのバルザック作品に登場するラスティニャックも登場する。聡明といえば聡明すぎるエミリーは、彼をニシュンゲン夫人(ゴリオの次女)の愛人だと心得え、チクリと嫌味をそえて退ける。ラスティニャックなど登場人物の再登場は、人間喜劇を読み通すものにとってチラリ登場でも楽しいものである。
---------------------------------------------------------------------------------
■小説89篇と総序を加えた90篇が「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェニー・グランデ』+『Z・マルカス』+『知られざる傑作』+『砂漠の灼熱』+『エル・ヴェルデュゴ』+『恐怖政治の一挿話』+『ことづて』+『柘榴屋敷』+『セザール・ビロトー』+『戦をやめたメルモット(神と和解したメルモス)』+『偽りの愛人』『シャベール大佐』+『ソーの舞踏会』+『総...

続きを読む

2021年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

マルク・アルテの聖書に出てくる女たちを小説の主人公として描いた三冊のうち、
『モーセを愛した女』『美しき呪いの女サラ』を読んだ。
一作目の『モーセを愛した女』は、エジプトからイスラエルの民をカナンに導き、その途中、十戒を神より授かり、旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」を著したと言われている モーセの妻のチッポラを主人公にしている。
二作目の『美しき呪いの女サラ』は、モーセより、ずっと先人であるユダヤの祖と言われるアブラハムの妻のサラを描いている。
「創世記」のなかに描かれいる人々は驚くほど高齢まで生きているが、アブラハムやサラも例外ではない。
サラは、アブラハムの妻となったが、不妊で、アブラハムに自らが自分の侍女を差し出し、侍女が男児を(イシュマエル)を出産後、自分が妊娠出産し、イサクをもうけた。
すると、侍女とイシュマルを追い出すようにアブラハムに言い、母子は彼らの天幕から追放される。

聖書にはこのようなことが淡々と書かれているわけだが、マレク・アルテは、彼女の人生に色づけをし、より、人間的にひとりの女性として、サラを描いている。
これは、モーセの妻のチッポラも同じことで、
ノーベル賞作家のラーゲルクヴィストが、イエスの代わりに釈放されたバラバのその後の人生を、描いたように、フィクション的要素を加えることで、より、生身の人間らしくヒューマニックに聖書の人間たちを蘇らせる。
とはいえ、イサクが生まれた時、アブラハムは百歳前後、サラは90歳、サラが死んだのは127歳だったと創世記には書かれている。
マリアの処女懐胎と同じく、このあたりは少々聖書の聖書たるかんじがあるのだが、
聖書の中の人物たちが、身近に感じることは好ましいことだと思う。

2021年12月1日

読書状況 読み終わった [2021年12月1日]

新婚の妻が夫は殺人鬼だと思い込んでいた。しかし、実は夫は殺人鬼を処刑する死刑執行人で、それを新妻に打ち明けることができず、真実が暴かれたとき夫は自殺してしまう というガストン・ルルーの短編(『金の斧』)がありましたが、その処刑人は、フライブルクの死刑執行人でした。

本書のフランツ・シュミット(フランツ親方)はフライブルクからは少し離れた所のニュルンベルクの死刑執行人として実在した人物で、ニュルンベルクのみならず、その近隣一帯で任務に携わっていた。
彼は、1573年から自分が手を下した死刑、体罰を逐一記録に残しています。
刑吏としての彼の仕事は、処刑だけに留まらず皮剥ぎ人、便壷の清掃、ハンセン氏病者の駆逐、野犬の撲殺、売春婦の管理などで、一般市民は刑吏とのいかなる接触でも名誉を失うことになる。
ヨーロッパでは多くは世襲制のこの職業に就いていた人間は忌み嫌われていても刑の忠実な執行人であり、社会に不可欠な存在として認知されていたのだ。

本書は、そのフランツ親方の記した死刑執行の日記、体罰執行の日記 が二部構成で記されており、つらつらと読んでいるだけで、当時の犯罪や刑罰、時代背景のみならず、捕えられた犯罪者の処刑という最期までのひとりひとりの人生をも浮かび上がらせる。
当時の人は名前のほかに別名が存在し、その別名たるや、
「阿呆の耳」「大きな鉤針」「ちびの白樺」など、実にバイタリティにとんでいてその人となりにも思いを馳せることができた。
死刑に処せられる罪名は、殺人、窃盗、放火、暴行などであるが、嬰児殺しも多く見られる。
複数殺人、近親殺人など重罪には車裂きの刑、
泥棒たちには主に絞首刑、
嬰児殺しには溺死刑
近親相姦などには火刑
殺人は斬首刑が執行されているようだが、斬首と絞首では斬首の方が名誉ある死とされ、処刑人のお慈悲で斬首刑になった場合は罪人は涙ながらに感謝したそうである。

それにしてもフランツ親方は、その日記の記述からして几帳面で真面目、職務に忠実な人間であったようで、361人を処刑したのち、退職後は、在職中行った合法的な罪人の死体の腑分けによって知識を蓄え外科医として活躍したらしい。
ある刑吏の刑執行覚書が、資料的側面だけではなく、実にヒューマニックな罪人個人の履歴書然と成り立っていることに驚いてしまう。

ツイートする