中3生の模試の国語で、伊藤亜紗さんの『「うつわ」的利他』の一部が題材として出題されていて、興味をもったので読んでみました。
「利他」は「偽善」「自己満足」「押しつけ」と紙一重で、特にネットではそんな言葉で全く関係のない赤の他人から揶揄されたり非難されたりする可能性もあって、最近はうっかり親切な行動もとれないような雰囲気があったりもします。だいたい、「偽善」「自己満足」「押しつけ」をすり抜ける「利他」ってどんなものなんだろう。そんな思いがありました。
伊藤亜紗さんの章は読みやすく分かりやすかったですが、いちばん面白く興味深く読めたのは中島岳志さんの『利他はどこからやってくるのか』でした。志賀直哉の『小僧の神様』、チェーホフの『かき』、モースの『贈与論』に出てくる様々な贈与に関する慣習、「ありがとう」への違和感の話…ポロポロと目から鱗が落ちていく…「ふと」とか「思わず」とか、そういう「オートマティカルなもの」に動かされる。きっとそうなんだろうと思いました。
國分功一郎さんの『中動態から考える利他ー責任と「帰責性」』は非常に難しくて、十分に理解できたとは思えていませんが、ここで述べられている「神的因果性」というのは中島さんの章で出てきた「オートマティカルなもの」と同じようなものかな、ととらえると少し分かる気がします。「中動態」については以前別のところで読んで、「そんな態があるのか!」と驚いたのを覚えています。自分の中で何かが動く状態を指す態。こんなことを思いつくなんて、学者さんて本当に本当に頭がいいんだなあ。
「しよう」と思って善いことをするのも、いいことには違いないけれど、「思わずしちゃった」的にできればよりいいのかな。
- 感想投稿日 : 2022年12月15日
- 読了日 : 2022年12月15日
- 本棚登録日 : 2022年12月15日
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